日常は容易く

 エルフィードに帰るとなれば、あとは早い。

 国境にそびえる『屍の山』を越えれば、魔力が戻ってくる。

 魔力が戻って来れば、飲み水を気にしなくていいし、食糧源である魔物も出てくるようになるから、旅はずっとラクになる。


 だから、山を超えるだけの食糧と水があれば十分。

 故郷に帰ることになって、早速ふたりぶんの食糧と水筒を購入した。


 雪でも詰めていけばそのうちとけるでしょ。

 防寒着を着ていけば野宿でもだいじょーぶ。

 ついでに倒壊した家から魔剣エリスフィアを発掘。

 準備完了だ。


 体温調節なんて全く考えず、冒険者として失格な装備で山に向かった。

 ほとんど自殺みたいなものである。

 きた時もそんな感じだったし、行ければラッキー程度の感覚だった。


 アリアを背負い、夕方に街を出て、山に着く頃には真っ暗。

 夜空のわずかな光を頼りに構わず足を進めて、疲れた時に休むことにした。


 視界を遮る大きな木が少ないから、方角を見失うこともないだろう。

 ここまできた道をまっすぐ戻るだけ。

 そうしていると、懐かしい場所にたどり着いた。


 休憩場所はここにしよう。


 ひとが隠れられるほどの窪み。

 その真ん中に座って、周囲を見回す。

 闇の中に、無数の白骨死体が転がっているのが、うっすら見える。


 ここは私たちとエルフィード軍が最後に戦った場所。

 まだ成人にもなっていない私たちを、いい大人たちがよってたかってイジメてきた。

 その時の感情を思い返す。


 ……あー懐かしい。

 体が疲れていたので、感傷に浸りつつ、そのまま寝ることにした。


 翌日、日差しが降り注いできたところで目覚めた。

 白骨死体を眺めながら、アリアを持って山登りを再開する。


 歩きながら食事をとって、とにかく山頂を目指した。

 追っ手の心配がないと気がラクで、なんでもできそうな気がする。


 何ヶ月も前に通ってきた道でも、案外覚えているものだ。

 さむいさむいと言いながら、あの時やっとの思いで見つけたほら穴に、今回もお邪魔する。

 少し休んで、また登る。


 三日かけて降りてきた道は、一日と半分で登ることができた。


 もう、山頂だ。


 山の向こう、エルフィードの大地は、背後に広がる真っ白な大地とは反対に、気味の悪いくらい緑が生い茂っている。

 その光景にも懐かしさを感じながら、疲れたから今日はここで就寝。

 目覚めて、山を降る。


 食料もなくて、仲間も失って、命からがらの状態で進んできた道は、元気いっぱいだとあっさり行けるものだ。

 ちょっと歩いたと思ったら、見覚えのある岩があった。


 前に、ここでドラゴンが現れたのだ。

 大きな大きなドラゴンが、仲間だった冒険者ふたりを食べてしまった。

 ユリアとマリオン。

 久しぶりにその名前を思い出して、またも懐かしさに浸る。


 あと、魔剣の精霊、エリスも失ったんだ。

 私を生かすために、アリアを見捨てて行こうと提案するエリスを無視したら、自害してしまった。

 そんなこともあったなあ。


 今日はドラゴン、出ないよね。


 周りを確認しても、上も確認しても、何もない。

 早く降りてしまおう。


 懐かしさを味わうのもそこそこに、歩みを再開した。

 何十分も進んでいると、だんだん息苦しくなってくる。

 魔力がだんだん濃くなってきた。


 エルフィードで生まれ育った私は、この体の重さが当たり前だと思って暮らしていた。

 でも、魔力のない土地で過ごしていると、エルフィードにいる時よりも調子が良くなることがわかった。

 私は魔力を受け付けない体だったのだ。


 エルフィードの空気にさらされて、かったるい。

 とはいえ、これでエルフィードに帰ってこれたことを痛感する。


 屍の山とはなんだったのか。

 私以外のエルフィード人にとっては文字通り辛すぎる場所なのだろうが、魔力の問題さえなければおサンポコースにしてもいいくらい。

 あと、ドラゴンを駆除したらカンペキだ。


 敵がいる可能性を考えて、そういえば、と腰にぶら下げていた剣の存在を思い出す。


 魔剣エリスフィア。

 長いこと家に放ったらかしにしていたもの。

 向こうは魔物なんて出ないから、武器を持っていると変な目で見られる。

 だから、この剣を握るのも久しぶりだ。

 これさえあればエルフィード国内では怖いものなし。


 サヤから抜いて、その刀身を眺める。

 今まで輝きを失っていた魔剣に、徐々に光が戻っている。

 あと半日も待てば、満タンになるだろうか。


 アリアも動き出すかもしれない。

 まだ山の中腹あたりだけど、ここで少し休もう。


 あまりにも簡単に山越えができたため、拍子抜けだ。

 アリアを横に置いて、魔剣を反対側に置いて、私はなんとなく昼寝を始めた。


 ————。




 それは、あまりにも油断していた行為。

 エルフィードの土地をナメすぎていた。

 前の旅では、大変な思いをしてきたじゃないか。

 平和ボケしすぎて、警戒を忘れていた過去の自分を恨むばかり。


「……ちょちょちょ待って、静かにしてっ!」


 何者かの声によって、意識が急に引き戻される。

 誰かが私じゃない誰かと、言い争っている……?

 体を動かそうとすると、手を縛られていることに気づいた。


「——!!」


 もしかして、襲撃者!?

 声なき声が、私の口から漏れる。

 急いで目を開けて、いま置かれている状況を把握しようと努める。


「落ち着いて、落ち着けってばっ」


 暴れるひとと、それをおさえるひと。

 黒髪と、エメラルド色の、せめぎあい。


「リルちゃん! リルちゃん! レロレロレロレロっ!」


 ……。

 …………。

 あ、そっか。


 故郷に帰ってきたから、昔の夢を見ているんだなー。

 再び目を閉じることにした。


「……ちょぉっと! リルフィ、積もる話はあとで、アリアをおさえてよっ」


 魔剣エリスフィアの精霊、エリスがアリアの腕を掴みながら、私に助けを求める。

 当然のように、ふたりが動いていた。


「……なんでよ」


 ——なんで、こんな簡単に、あの「日常」が戻って来るんだ。


「わたし、リルちゃん、食う。うっひょぉぉぉぉ!!」


 雪国で細々と働いて、夢と希望が薄れゆく日々を過ごしていたのは、なんだったんだ。

 これからずっと無色なんだと思っていた人生に、たった数日、半ばヤケになって歩いただけで、色が戻ってきた。


「……ボク、久しぶりに出てきたんだ! もう体力が持たないよ!」

「へっへっへっ、そこの嬢ちゃん、うまそうやんなぁ!」


 縛られた手は、冷静になると簡単に解けた。

 ここまで着てきた外套を使って、雑に結ばれていたから、少し動けばすぐにゆるまったのだ。

 自由になった手を使って立ち上がり、争っているふたりと目線が同じになる。


「夢じゃない」


 その動きも、匂いも、音も、ぜんぶ本物だ。


「アリア、エリス……!」


 名前を呼ぶと、目の前の存在にもっと現実味が増してくる。


「リールーフィー! 感動するのはあとでー!」

「リルちゃん、ヘイ! カモン!」


 思わず、駆け出す。

 大きく手を広げて、ふたりまとめて、抱きしめてしまった。




「いっただっきまァーす」


 アリアに噛まれた。

 ぶち返した。




・・・・・・・・・・・




 アリアもエリスも動けるようになったが、ここはまだまだ魔力が薄い。

 魔力が少ない状態では、さっきのアリアのように、錯乱状態におちいってしまう。

 久しぶりに体を動かしたアリアは、疲れてしまったのか、再び眠りについていた。

 正常なアリアが見られるのは、もっと後になりそうだ。


 残ったのはエリス。

 場が落ち着いてから、エリスは私の前でひざまずいて、動かない。


「……リルフィ、ごめんなさい。ボクは、リルフィにひどいことを言って、勝手に傷ついて、リルフィの前から消えてしまった」


 終始こんな感じで、謝ってくる。

 確かに、エリスとの最後は、後味のいいものではなかった。

 山を越えて雪国へ行こうとする際、魔力欠乏により弱ったアリアを置いて、ひとりで行けと言ったのだ。

 当然のように拒否。

 エリスはそれを自分自身が否定されたと捉え、魔剣を自分の胸に突き刺して消えてしまった。

 それから今の今まで、魔力の供給がない国にいたこともあって、エリスとは一度も会っていなかった。


「……許可もなく出てきて、ごめんなさい。リルフィに、謝りたかったの。リルフィが消えろと命令するなら、すぐに消えるよ」


 過去の記憶は、過去のもの。

 孤独にとらわれていた私は、エリスとの別れ際の出来事なんてどうでもよくなっていて、再会できたことに安堵する。


「顔をあげて。またエルフィードの中を歩き回るつもりだから、一緒に行こうよ」


 追われる辛さより、孤独の辛さの方がまさっている今、みんなと旅をすることが楽しみだ。

 雪国で腐っているより、エルフィード王国で追いかけっこをしている方が、よっぽど幸せなのではないか。

 エルフィード人がこの土地に縛り付けられた存在ならば、私たちはここで生きる道を探さなければならないのだ。


「エリスも大切な、仲間だよ」


 なかなかアタマをあげようとしないエリスを、優しく諭してやる。

 エリスの肩に手を置くと、叩かれたのかと思ったのか、体が引きつった。


「……んっ」


 エリスが唾を飲みこむ音が聞こえるほどの至近距離。

 エリスを怖がらせないように、表情を作る。

 久しぶりの笑顔、ちゃんとできているかな。


「私はなんとも思ってないから」

「……はぁ、はぁ」


 エリスの髪の間から見える小さい耳が、真っ赤に色づいている。

 体がフラフラとして、横に倒れそうになるのを我慢している様子だ。

 地面に手をついて謝っていた姿勢が、体を支える姿勢へと変化していく。


「ん? 大丈夫?」


 急に体調が悪くなった様子に、エリスの顔色をうかがおうと、肩に置いていた手を頰に近づける。


「……ぁむ」

「く、食われた……!」


 こいつもか。

 ようやく見せてくれた顔は紅潮していて、私の指がエリスの口に咥え込まれている。

 指を甘噛みされて、その先でエリスの舌がうごめいていた。

 抜こうとすると必死に吸い付き、エリスの潤んだ目が離れないでと訴えてくる。

 私が抵抗をやめると、エリスは私の手首を両手でつかみ、他の指や手の平までなめまわしてきた。


 だらしなく舌を出して、隅々まで濡らしていく。

 エリスの唾液が付いたところは、生暖かい吐息がかかってくる感触がよくわかる。


 ぴちゃぴちゃと、エリスが鳴らす音を聞いていると、今度は私の体に異変が起きた。

 体の芯から指先へ、何かが通り抜ける感覚。

 それが通った道には、寒いような熱いような、変な感覚が残り、いっせいに鳥肌がたった。


「んうっ!? なに……!?」


 この感覚は、前にも何度か味わったことがある。

 それのどの記憶を思い出しても、目の前にいたのはエリスだった。


 マズい。

 このまま続けたら私まで、悲惨なことになってしまう。


 この感覚が続くと、私が私じゃなくなって、色々なものに抑えがきかなくなる。


「エリス、やめて!」

「……やだよぉ。ん、ガマン、できないの」


 こうなれば実力行使だ、と思ったのだが。

 無理に突き放せば、また拒絶されたと言ってふりだしに戻ってしまうかもしれない。

 エリスから解放される術はないのだ。

 絶対に我を失わないと心に決めて、エリスの行為を受け止めることにした。


 だんだんとエリスの動きが激しくなっていく。

 私のそれを口の中に出したり入れたり、少し強く噛んできたり、思いっきり吸ってきたり。

 うっとりとした表情を見せつけられて、私もちょっとだけ感化されてきた。

 でも、絶対に動じるものか。


「ぁん、……リルフィの、ぜんぶ、ボクの中に出して……!」

「くっ……、だめ、負けない……!」


 すごい。

 エリスに吸い出されるたびに、めげそうになる。


「はやく、んぷ、ボクに、ぜんぶ……!」

「ああぁぁああぁっ」


 もうダメ。


「リルフィの、魔力を——っ!」


 最後に人差し指を噛まれて、アタマが真っ白になった。


 エリスには勝てなかったよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る