1章 再起

思いつきは唐突に

 エルフィード人がやって来た。


 また、平穏が乱された気がした。

 しかしそれは、希望でもあった。


 ある日、私とアリアの家を訪ねてきたエルフィード人。

 高級な金属製の防具を身にまとい、身のこなしは洗練されていた。

 あれは私たちを捕まえにきた軍の人間だろう。


 その女を前にした瞬間、魔力の気持ち悪さが、私を襲ってきた。

 すぐにエルフィード人だと理解した。

 どんなつもりかはわからないが、私が魔石の入った袋に意識を向けると、その女は魔石を渡してきたのだ。

 エルフィード人にとって、魔力は命そのもの。

 それを軽々しく渡すことに恐怖を覚えたものの、受け取ってすぐに締め出した。

 ムリヤリ押し入ってくるようなことはなかったのが幸い。

 しばらくすると、女はエルフィードとの国境の方へ歩いて行った。


 もらったものは魔石だ。

 エルフィード王国に漂う、濃密な魔力を吸収した石である。

 これはアリアに与えてこそ、意味がある道具だろう。


 別室で寝ているアリアのところに行って、魔石が入った袋を首にかけてあげる。

 魔力が体に行き渡るまで、少し時間がかかるだろう。


 せっかくの臨時収入だ。

 アリアが動くまで、じっと眺めていたいところだけど、あいにく仕事が入っている。

 毎日仕事しないと、生活が厳しいから。


 さっきの追っ手が戻って来て、この家に侵入する危険性があるため、このままアリアを置いていくわけにもいかない。

 魔石と一緒に、アリアを背負って、裏口へと向かう。


 訪ねてきたエルフィード人が、待ち伏せしていないことをしっかり確認してから、裏口の扉を開けた。

 緊急時のことを考えて、私が自作した裏口。

 隠し扉になっていて、追っ手が来た時用にこっそりと出られるようにしたのだ。

 それが今日、役に立った。

 私の見込みは間違っていなかったようだ。


 裏口は扉が二つにある。

 1個目の扉を開けると、わずかな空間がある。

 そこに入ってから1個目の扉を閉めないと、外へと繋がる2個目の扉が開かないようになっている。


 もし裏口が見つかったとしても、こういう仕組みにしておけば物置か何かだと勘違いしてもらえるかもしれない。

 あと、ここが雪国だから、扉を二つ作るハメになった。


「さっむ」


 一番最初に作ったプロトタイプ裏口は、建築に心得のない私が木材を切り貼りして適当に作ったものだから、隙間風が凄まじくて部屋にいられなくなった。

 最初にこの国に来た時は気持ちがたかぶっていて気づかなかったが、ずっといるとこの寒さが辛くなってくるのだ。

 こんなボロ家でも、もともと寒さ対策はそれなりにしてあったらしい。

 それを無遠慮に壊してしまった結果、裏口を大改造してどうにかやり過ごすこととなったのだ。


「アリアがあったかい」


 普段、アリアを仕事に連れていくことはないから、なんだか新鮮な気分。

 同時に、アリアを背負って歩くことに懐かしさも感じる。


「ここに来た時も、こうやっておぶってたよね」


 アリアは全く動かず、私の言葉に反応もしないが、この温もりは本物。

 当初は色々なことがありすぎて疲れてしまい、空想のアリアと会話をすることで心を保っていた。


 しかし、だんだんとやせ細っていくアリアを見て、正気に戻った。

 無理矢理にでも食事を取らせないと、アリアが死んでしまう。

 だからといって食べ物を詰め込めば、息ができなくなって死んでしまう。

 水を舌につけると反射的に飲み込んでくれるから、食べ物も同じように、噛み砕いたものを少しずつ口の中に入れてやらないとダメ。


 そんな状態で、私が狂ったままでいるわけにはいかなかった。


「もっと重かった気がするんだけどなあ」


 減った体重は、元に戻らなかった。

 与えられるのは、最低限、生命を維持するための食事。


「……はぁ」


 白い雪をズブズブと鳴らして、街の中心部に向かっていく。

 小さい街だから、すれ違うひとはみんな顔見知り。

 アリアを背負っている私を物珍しそうにみてくるのだが、挨拶はしない。

 私はアタマがおかしいから。


「独り言、多くなったなあ」


 感慨にふけっているうちに、目的地に到着した。

 冒険者ギルドに入り、今日の依頼を確認する。

 登録された冒険者には、能力に合った仕事が自動的に割り振られる。

 エルフィードのように、ギルドに集められた依頼が一斉に張り出され、好きなものを受ける、というシステムとは違うのだ。


 今日の仕事は、民家の屋根の雪下ろし。

 ここ最近、雪が続いていて、そろそろいい具合に積もってきたところだ。

 家が潰れる前に、雪をどけてやる。

 帰ったらうちの屋根もやらないと。


「リルフィチャーン! おはよー!」


 除雪器具をもらうべくカウンターに向かうと、元気なギルド長の声が聞こえた。

 私たちを拾ってくれて、職までくれた、恩人だ。


「どうも」

「めづらしィーネ。アリアと一緒?」


 ここの人々はアリアを見るとみんながみんな、嫌悪感をあらわにする。

 動かないのに、喋らないのに、アリアから遠ざけようとするのだ。

 でも、ギルド長は違う。

 普通に接してくれる。

 見た目がとても小さな幼女(年齢不詳)だからなのか、怖いもの知らずなのだ。


「うゥーん。今日、なんか起こる気がするよ?」

「なんか、って」

「知らなーい」


 意味深なことを言って、その理由の説明はない。

 ギルド長にスコップを押し付けられて、行った行ったと追い払われる。

 いつもこんな調子だから、相手をするのもムダだ。


「明日のシゴト、おやすみにしとくよ!」


 勝手に決められた。

 丁度いいからうちの雪下ろしは明日にしよう。

 片手でアリアの太ももを持ち、もう片方でスコップを持つ。

 両手がふさがり、扉が開けられないのだが、アリアがいるせいで誰も手伝ってくれない。


 アタマのおかしい私でも、ひとりでいる時は手伝ってくれる冒険者がいるのだが、今日はみんな薄情だ。

 スコップを持っている手の、指だけを動かして、なんとかドアノブをひねり、足を使って開ける。

 建物から出るのも一苦労。


「アリア、起きないの?」


 魔石を持たせたから、復活するハズ。

 でもいつ目覚めるかわからない。


 エルフィードでは、魔力を使い果たした人間は廃人になってしまうという。

 今のアリアがまさにその状態だ。

 もし、魔力を戻しても元に戻らなかったら……。


 アリアのことを考えると悪い想像をしてしまうから、あまり本気になって考えないようにする。


「いい夢見てね」


 それだけ言って、あとは無心で、依頼主の元に向かうことにした。


 雪かきされた道を通って、市街地へ。

 現場について、依頼主を呼んだら、嫌な顔をされる。

 アリアをどこか暖かいところに寝かせてあげたいが、この様子だと無理だろう。


 せめて倉庫だけでも、と頼んだら、渋々ながらも貸してくれた。

 アリアの体が冷えないよう、上着を脱いで、ぐるぐる巻きにする。

 私はこれから作業に入るから、多少寒くても問題ない。

 アリアを置いて、雪下ろしを開始した。


 …………。


 何も考えずに仕事をして、終わらせて、依頼主に報告する。

 報酬を受け取り、アリアを回収して、さっさと帰路へつく。


 エルフィード人が訪問してきたことを除けば、いつも通りの一日だった。

 無味乾燥な日々。

 私は何がしたいのだろう。


「アリア、起きないの?」


 仕事の前にした問いを、もう一度する。

 当然のように、反応がない。

 今はこれが当たり前になってしまった。


 アリアの笑顔が、思い出せない。

 ここまで旅をしてきた時の、心の動きが、わからない。

 生きているだけの毎日は、あとどれくらい続くのだろう。


 そして今日も、自宅に着いて——。


「……ああ」


 町外れのボロ家が、私たちの家。

 今にも崩れそうなほど、老朽化した建物だった。


「潰れちゃった……」


 そして今日、本当に潰れてしまっていた。

 屋根に積もった雪の重さに耐えきれず、ペッタンコになっているのだ。

 破片がちらほら見えるけど、ほぼ雪と同化している。


 今朝のエルフィード人が戻ってきて、壊したのか。

 そんな推理もする気にならない。


「どうしよう」


 魔石のせいで、私は気分が悪いから、早く休みたい。

 今日の稼ぎを使って、宿でも借りようか。


「どうしたい?」


 アリアに問いかける。

 無駄だとわかっていて、振り返ってみる。


 その時、アリアの体が、震えだす。


 足から、腕から、胴体へ。

 何事かと、よく様子を見るためにアリアを地面におろす。

 全身がぶるぶると震えて、触れようとした瞬間、痙攣がおさまった。


 そしてアリアの目がカッと開かれて。


「——リルちゃんを食べたい!」




 そう言って、アリアは再び意識を手放した。


「…………」


 なんだそれ。

 私の中で、最初に浮かんだ言葉だ。


 久しぶりに聞いたアリアの声が、じわじわと、実感を伴ってくる。

 アリアが動いたのだ、と理解した時、色々なものがあふれ出してきた。


「はは、は……」


 頰がひきつり、呼吸が小刻みにひきつる感覚。

 笑い。


 鼻の奥がツンと痛み、目から液体がでる感覚。

 泣く。


 手に力が入り、顔が熱くなる感覚。

 怒り。


 これからどうしよう、という問いに、結論が出る。


「帰ろう、エルフィードに……」


 アリアともう一度話したい。

 それだけの理由で、他のことは何も考えずに、決めた。


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