ささやかなしあわせ

 指がうごいた。

 わたしがわたしであることを、理解できるようになった。


 地面は冷たい。

 見ているものに、色がつき、わたしのセカイが戻ってくる。


 この山に入ってからのことは、ぜんぶ、記憶にある。

 でも、理解をしていなかった。

 映像が情報に変化せず、意味のないものとして、頭のなかにため込んでいた。


 それを、たったいま理解したのだ。

 魔力が回復して、わたしを取り戻すことができた。


 体が思うように動かない。

 赤子がはじめて立ち上がるかのように、足に力を入れる。

 しだいに、寒さを感じて、体がふるえる。

 しばらくして、感覚と体の動きが、つながってきた。


 深呼吸。

 ここはダンジョン。

 屍の山。


 わたしたちは、リルちゃんは、山を超えた。

 もう少しで、このダンジョンから抜けられる。


「リルちゃん……」


 リルちゃんがあお向けに倒れている。

 その顔は、晴れやかなものだった。

 色々つらいことがあったせいで、記憶の中のリルちゃんはずっとしかめっ面をしていた。

 それが、すべてを出し切って、つきものが取れたみたいに、きれいな顔をしている。


 リルちゃんの下から、鮮やかな赤色が流れ出ていた。

 無骨な岩肌を、リルちゃんの色で染めていく。


 わたしは、魔力を練った。

 リルちゃんに回復魔法をかけるため、体内の魔力をしぼりだす。

 広がる血だまりは、リルちゃんから熱をうばっていく。

 そんなことはさせない。


 魔力を魔法にかえようとすると、すぐに吐き気をもよおした。

 唇を噛んで、せり上がってきた胃液をもとの場所に押し込む。


 わたしは、魔力でうごく人形だ。

 魔力がなくなると、再び抜け殻となるだろう。


 魔法が形を成していくと、また意識がどこかに行きそうになる。

 辺りの魔力は散り散りになり、もう回復は見込めない。

 でも、がまんしろ。


 人間としての矜持を持て。


 暖かな光がリルちゃんを包みこむ。

 それを維持しないといけない。

 わたしの魔力が、リルちゃんに流れ込んでいく。

 失ったぶんをわたしの魔力で埋める。


 流れる赤色が、動きを止めた。

 まだやめちゃだめ。

 傷を塞ぐだけでは足りない。

 治すのだ。


 魔力が失われ、理性が壊れていく。

 獣のようなうなり声が、自分の口から漏れた。


「ぅ゛ぅ゛————ちがうっ!」


 わたしは人間で、魔力で動く魔物エルフじゃない。

 リルちゃんと、ここから出てみせる。


 お腹の底に力を込め、歯を食いしばり、回復を続ける。

 唇が裂け、涙が出る。

 痛いのも、つらいのも、わたしが人間である証。


 ————。


 渇き。


 イマスグ回復をヤメテ、ソノニンゲンの傷口ニ顔ヲツッコミ、吸イ尽クシテヤれ。

 ヨクボウノママ。

 ソレハキット、シアワセナコトダロウ。


 ——。


 うるさい。

 負けるな。


 ————。


 餓え。


 ハラガヘッタ。

 ノドガカワイタ。

 ラクニナリタイ。

 ニクガアル。

 ノミモノガアル。

 イチバンスキナニンゲンガ、ソコニコロガッテイルヨ。


 ——。


 リルちゃんの肌に血色が戻ってくる。

 それが美味しそう。

 わたしから、どろりとしたよだれが滴り落ちる。

 好きな気持ちと、他の欲望が混ざって、おかしなことになっているんだ。


 もうスグ、傷は治る。

 三秒。


 頑張って。


 ————。


 甘い誘惑が、もう一人の魔物わたしが体を乗っ取ろうとする。

 魔力を失うことを拒否している。


 込み上がってくる本能を、確たる決意で向き合う。


 ——。


 ソレト


「リルちゃんとっ!」


 ヒトツニ


「ふたりで!」


 ココデハテロ


「いっしょに生きるのっ——!!」


 ————。


 自分の中に巣食う魔物を抑えて。


 リルちゃんの呼吸が、正常に戻った。

 お腹が規則正しく上下に動いて、寝息を立てている。


 回復魔法を止めて、リルちゃんを見下ろした。

 喜びの感情が、湧き上がってこない。

 それをするだけの心は、すでに魔法に捧げてしまった。


 無感動に、わたしは次の行動にうつる。


 リルちゃんの横に転がっている死体の、持ち物をあさる。

 水筒を剥ぎ取った。


「……水よ、アリアの、……名の下に、溜まれ」


 操作するほど残っていない魔力を、詠唱でむりやり引き出した。

 魔力を誰でも扱えるよう、ニンゲンが作った技術も、たまには役に立つ。


 手のひらに飲み水が生成されて、水筒にそそぎ込む。

 口がせまく、ほとんどはこぼれてしまったけど、そこまで気を使えない。


 入らないなら、出し続ければいい。

 それが自分の精神を削る行為だとしても、それ以外の器用なことは考えられない。


 水筒がいっぱいになったところで、水魔法をやめる。

 飲み水の確保は、無事に終了。


 水筒の中身を少し口に含んで、リルちゃんに口移し。

 水分を流すと、こく、こくと飲んでくれた。


 これからどれだけ歩くかわからないから、やれることはやらないと。


 ……。


 あたりを見渡すと、大勢の死体が転がっていた。

 首が飛んでいるもの、胴体だけのもの、原型を留めていないもの。


 わたしはぜんぶ見ていた。

 リルちゃんが、ここにいる全員、殺しちゃった。


 荷物わたしを守りながら、鮮やかに、軽やかに。

 リルちゃんも、わたしみたいに、汚れてしまった。


 それでいいよ。


 生きていくには、そうするしかない。


 リルちゃんのすぐそばで死んでいるのは、わたしの兄だ。

 兄と言えるほど世話をかけてもらったことはなく、むしろわたしを殺そうとしていた存在。

 顔すらあいまいにしか覚えていないのだから、ほんとうにどうでもいい。


 眠っているリルちゃんの体を持ち上げ、水筒を持たせる。

 この水は、リルちゃんのために作ったもの。

 リルちゃんの腕をわたしの首に回し、リルちゃんの足を持って背負う。


 今度はわたしが、リルちゃんを運ぶのだ。

 魔力が完全に尽きるまで、リルちゃんが目覚めるまで、進み続けてやる。


 ……おそらく、この山を抜けても、魔力は戻ってこないのだろう。

 直感的に、悟っていた。


 エルフィード王国と、外の世界は、全く別ものなのだ。

 屍の山の魔力が薄いのは、ここが境界だから。


 魔力の集まるところを、わたしたち人間はダンジョンと呼ぶ。

 ダンジョンには魔物が発生して、魔力を喰って生きている。


 エルフィード王国には、魔力が集まっている。

 そこにはエルフと人間の子孫と言われる、エルフィード人が住んでいる。

 エルフィード人は、魔力を失うと、廃人となってしまう。


 エルフィード人には、魔力が必要。

 魔力が必要な生き物は、魔物。


 ——エルフィード王国は、ダンジョンだ。


 海岸は岩礁に囲まれ、陸地はこの山によって分断され、人間の侵入を拒む土地。


 エルフィードを訪れた「外」の人間は、すぐに死んでしまう。

 エルフィードを出て行った「中」の人間は、帰ってこない。


 ぜんぶ魔力のせいだ。

 人間とは、魔力を拒む生き物。

 エルフィードの敷地に侵入すれば、たちまち魔力に体を侵されてしまう。

 空気も水も食料も、全てのものに魔力が染み込んでいるから、人間はエルフィードで長生きできない。

 だから、記録に残っている越境者は、みんな短命だったのだ。


 エルフィード王国は、この土地に迷い込んで来た人間が生み出した奇跡の国。

 魔力という毒を克服し、進化を遂げた生き物の生息地。

 人間と魔物エルフ混血種ハイブリッドが住む、いびつなダンジョン。


 エルフィード人はその中で、何も知らずに生きて行く。


 でも、わたしは気づくことができた。

 魔物だったらむり。

 思考できるのは、わたしが人間である証拠だ。


 だから、エルフィード人に課せられた、魔力という呪いを断ち切って、リルちゃんといっしょに暮らすのだ。


 …………。


 リルちゃんを背に、わたしは歩く。

 魔物兵士たちの死体を乗り越えて、斜面をくだった。


 わたしの中の魔力が抜けていく。

 一歩進むごとに、次の一歩が重くなる。


 なにか、別のことを考えて、気を紛らわせよう。

 じきにそういうこともできなくなるだろう

 だから、思い出す。

 人間は過去を振り返ることができる。


『——アリア、次はどこにいくの?』


 制服姿のリルちゃんが、わたしに問いかける。

 学校では、いつもこんな感じだったな。


『次はね、風魔法学の教室だよ』

『げっ。風はニガテなんだよね……。新しい先生になってからなんか私だけに厳しいし』

『そう。リルちゃん、わたし用事ができたから、先に行っててね』


 事あるごとに、誰かに狙われていたリルちゃん。

 リルちゃんをいじめていた先生は、わたしがちゃんとしつけてあげた。


『——ヒィ! た、助けてくれぇ!』

『どうして、リルフィさまを、つけ狙うのかしら?』

『は、ははは! あんなにも美しい娘、ほ、放っておけるわけがないだろう!』


 リルちゃんにちょっかいを出す人間はみんな、口々にそう言う。

 歪みは、最初からあった。

 昔のわたしは、愛のかたちをそこで学んだ。


『——アイツを赤点にして、補習を開いて、二人きりの時間を作るのだ! ど、どうだ、正しい事を教育する場で、そんなの、こ、興奮するだろうっ!』

『興奮するけど、リルフィさまにそういうことをしていいのは、わたしだけでしょう?』


 生徒も先生も、ひいては王家までもが腐敗していた。

 でも、わたしたちは外に出られた。

 ここまで旅をしてきたから、歪みに気づくことができた。

 異常な価値観を押し付ける人間は、もういない。


 ……。


 山の傾斜が緩やかになり、だんだんと、地面が白いふわふわとしたものに覆われるように。

 冷たい。

 その正体は細かい氷。

 この土地は、魔力だけでは飽き足らず、わたしの体力までも奪い取るつもりなのだ。


 これからのことを考える。


 人里についたら、リルちゃんといっしょに働く。

 いままで王女という飾りのおかげで、ものごとには不自由がなかった。

 でもこれからは、1からのスタート。


 身分も、生まれも関係ない場所で、生きる。

 魔力がないから、力づくで自分の意思をおし通すこともできなくなる。

 まじめに働いて、金を稼いで、使っていく。

 人間の生活する社会に溶け込むように、変わっていかないと。


 どうすればいいかな。

 これまでの旅で培ったことを生かす仕事。


 人間だから、想像できる。


 あ、そうだ。

 食堂を開きたい。

 前のダンジョンで、リルちゃんと二人だけで行動をしていたとき、初めて料理をした。

 自分の好きなように味を作っていくのは、意外と楽しかったなあ。


 いつかエリスが作るようなすごい料理を、作ってみたい。

 リルちゃんと味の好みが合わないから、いっぱいけんかをするだろう。

 それも楽しみ。


 だって、いままではリルちゃんのことを崇拝するか、服従させるか、それしか考えていなかったもん。

 わたしが無知だったせいで、好きな気持ちを表現する方法を知らなかった。

 でも、旅をしていた中で、そういうことを学んだ。


 犯罪者たちが住む街で出会った人々が、きっかけをくれた。

 それから、わたしの中のセカイが広がったのだ。

 セレスタとか、エリスとか、ユリアとマリオンも。

 わたしに特別な感情を教えてくれた。


 人間なら、進歩する。


 リルちゃんと、対等に接することが、いちばんの愛。

 いっしょに笑ったり、泣いたり、怒ったり。

 リルちゃんとわたしが対等じゃないとできないこと。


 いまのわたしなら、それを理解できる。




 …………。




 白い氷は厚さを増し、わたしのひざ元まで積もっていた。

 体が震える。


 ————。


 他のこと。

 気を紛らわせること。

 考えないと。


 ——————。


 眠い。


 ————————。


 違うわたしは大丈夫。

 リルちゃんと暮らす。

 リルちゃんと暮らす。

 リルちゃんと暮らす。




 ——————————。




 リルちゃんと


















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