かのじょをささえよう

 魔剣エリスフィアは、魔力を切り裂く剣である。

 刃に触れた魔法は、跡形もなく消えてしまう。


 魔剣の精霊エリスは実体があり、触ると暖かく、その行動は生物そのものだが、実際は魔力の塊だ。

 エリスが魔剣を自分に刺した時、苦しむ間も無く、消えてしまった。


 残された剣が、カランと地面に落ちる。


 念じても私の手元に戻ってこない。

 拾い上げると、いつも淡く緑色に光っていた刀身が、今はもう輝きを失っている。

 エリスが消滅したせいか、剣に魔力が残っていないのだ。


「杖代わりにでもするか」


 ドラゴンから逃げる時、変に走り過ぎて、足に力が入らないのだ。

 それでも前に進まないといけない。

 ゴールは目前。


「ふたりになったから、動きやすいね」


 エルフのセレスタは行方不明に。

 冒険者のユリアとマリオンは、突如現れたドラゴンに喰われた。

 そして魔剣の精霊エリスは、自刃。


 残ったのは、私とアリアのふたりだけ。

 仲間に裏切られる心配がなくなって、私はアリアを独り占めできる。

 とてもいい気分だ。


「アリアもそう思うでしょ?」


 物言わぬアリアに向かって、返答を期待せずに問いかける。


「……え? 泣いてるの? なんで?」


 魔力が尽きかけ、とっくに廃人になったと思っていたアリア。

 予想に反して、その双眼からはとめどなく涙が流れ出していた。


「アリア? どこか痛いの? 逃げる時、乱暴にしちゃってゴメンね?」

「————っく」


 アリアから返事はなく、液体を地面に落とし、顔を歪めてしゃっくりを繰り返すのみ。

 私の言葉は、やっぱり届いていないようだ。


 そうか。

 これはアタマがおかしくなっているだけなんだ。


 マリオンもひたすら大声で泣いていたし、それと一緒。

 放っておけば治るだろう。


「ははっ。そういえば喉乾いたなっ」


 滴る液体が勿体無いから、アリアの目元を手で拭って、それを口に運ぶ。

 塩分と水分と、ちょっぴり甘い。


 アリアの一部が私の中に入ってきて、元気が出る。

 先に進む活力が湧いてきた。


「アリアはすごいね。どうして今まで気づかなかったんだろう」


 こんな極限環境でも、アリアのおかげで生きられる。

 アリアがそばにいてくれることの大切さを、噛みしめた。

 私は愚か者だ。


 アリアと過ごして来た時間を思い返しながら、大切にすることにした。


 学校に通い始めた時の記憶。

 田舎から出てきた幼い私が、魔法学校に入学したところ。

 最初こそ、見るもの全てが新鮮な王都にはしゃいでいたが、寮生活が始まって両親と離れ離れになると、ホームシックに陥ってしまった。


 そこでアリアと出会ったことが、全ての始まり。




 入学式のことである。

 お友達作りを行うのに一番大事なタイミングで、私はクラスメイトと接触するのに失敗した。

 教室に早く着きすぎてしまった私は、適当なところに座って時間を潰していたのだが。


 待っていれば誰かしら私に話しかけてくれると思っていたのが、大外れ。

 後から入ってきたクラスメイトは、別の場所で島を作ってしまった。


 入ろうにも、雰囲気が出来上がっていて行きづらい。

 完全に出遅れてしまった。


 ひとりで、周囲の会話に耳を傾けていた。


『わたくしはソフィア・グロサルト! 侯爵家のちょうじょですわ! なかよくしてくださいな!』

『ぼくはエレン・マルキスです。おなじく侯爵家のうまれです』

『わたくしめはマイク・アールともうしまして、伯爵家のちょうなんです。こんごとも、ふかくおつきあいできればと』


 こんな風に、魔法学校のクラスメイトは、幼いながらも自分の身分をしっかり理解していて、同じ爵位を持つ者同士でかたまっていた。

 爵位のない、名前だけの貴族であるノーザンスティックスは、誰も興味がないのだ。

 慣れない環境に不安を抱え、人間関係もうまくいかず、教室の隅で縮こまっていた私。

 真っ暗な未来を想像していたところに、一筋の光が差し込む。


『リルフィさま!』


 アリアが現れたのだ。


『リルフィさま! あいしています! けっこんしてください!』

『えっと……あなたはだあれ?』


 初対面とは思えない勢いに、素直に喜ぶよりも、困惑してしまった。

 アリアはこの時、落ち込んでいた私を元気付けようとしてくれたのだろう。

 アリアは王族という身分に驕ることなく、孤立した私を救ってくれたのだ。


 今思えば、身分という呪いに縛られた私に、アリアはずっと気を遣ってくれていた。

 学校を出るまで、アリアが王族だと知らなかったのは、身分をひた隠しにされていたから。

 お互いに気を遣っていたのか、爵位の話はわざと遠ざけているような感じだった。

 もし在学中に王族だと知っていたら、私はアリアと距離を置いていただろう。


 アリアは私がひとりぼっちにならないよう、それからずっと一緒にいてくれた。


『——次の授業は、魔法言語学か』

『リルちゃん! 教科書見せ合いっこしよ!』


『——お昼』

『リルちゃん! お弁当買ってきたから、人のいない場所に行こう!』


『——休みはどうしよう』

『リルちゃん! デートデート! 楽しそうな宿屋きゅうけいじょを見つけたよ!』


 授業も、食事も、休日も、どんな時の記憶にもアリアの姿が映っている。

 私は、アリアがいなければ、まともな生活が送れなかったのだ。


 長く一緒にいて、感覚がマヒしてしまった。

 学年を経るに従って、意識的に遠ざけていた身分の概念が、無関心へと変化していく。

 他人は相手にしなくて当然で、私の中からアリア以外の人間が消えていったのだ。

 アリアが隣にいれば、学校生活が不自由なく送れる。

 身分なんてどうでもいい。

 そう思うようになった。


 さらに時が進み、物事への無関心がどんどんエスカレートしていく。

 結果として、何事にも一歩身を引いて、物事を客観視してしまうような私が生まれる。

 学校の中で貴族同士のいざこざがあって、クラスが二つの派閥に分れた時にも、私は傍観者の立場を気取っていた。


『——ワタクシめはグロサルト様におつきいたします! ええ! あなた様の提唱する受け流し理論は、まさにワタクシの理想の政策! いやはや、この国の未来が楽しみで仕方ありません。その時はぜひ、ワタクシもグロサルト様のお膝元で……』

『オホホ! マイクったらお上手ですこと! いいわ。このソフィアが領主になった暁には、アール領も仲間に加えましょう!』


 こんなバカらしいやりとりが、クラスの中で蔓延していたのだ。

 積極的に関わろうとしなくても、どうしてか話題が私の方に飛び火してくる。

 友好関係は築こうとしないクセに、つまらない話をする時だけはこちらに寄って来て気持ちの悪い笑みを浮かべるのだ。


『リルフィさんはグロサルト派かマルキス派、どちらの提唱する政策が正しいと思いますか』

『……いや、そんな話をする意味はあるの?』

『将来、平民が反乱を起こした場合のことを、考えるべきなのです』

『だからそれは実現可能かって聞いてるの。できなかったら意味がないでしょ。こんな話は時間の無駄。私はどっちでもない。これで満足?』

『……! ア、アリアさまがいらしたようなので、失礼します』

『素直に負けを認めればいいのに』


 こういう対応をして、あとで貴族の反感を買って文句を言われた時も、自分の立場を顧みず、相手の言うことにひたすらツッコム。

 友達を作ろうとしない私の態度。

 そんなことをやっていたから、恨みが溜まって冤罪をふっかけられることになったのだろう。


 でも、どうでもよかった。

 私が退学する羽目になった時も、どこか遠いところから自分を観察していた。


 私は空っぽの人間なのだ。

 自分自身に興味がない。

 旅を始めてからは、アリアが私の全てだと気付かされた。


 自分の地位は失ってもなんとも思わなかったけど、アリアと一緒にいる時、私は人間になれる。

 だから、私のせいでここまで巻き込んでしまったアリアには、全身全霊をもって尽くさなければならないのだ。




 肩を貸しながら、隣を歩くアリア。

 魔力を失った人間は廃人となる。


 すでにアリアに自我はなく、歩けるのは私がそうさせているから。

 顔に生気がなく、私を私と認識できているかも怪しい。

 手を離せば、そのまま地面に崩れ落ちるのみ。

 これが廃人なのだ。


 私に見せてくれていた笑顔と、今のアリアのギャップを目の当たりにして、寂しい。

 代わりに私が笑ってやろうと表情を作った。

 反応はなく、作り笑いは長続きしない。


 アリアの顔に手を伸ばして、ムリヤリ顔の形を変えてやる。


「ハハ、アリアかわいい」


 やっぱりアリアは笑っている表情が一番だ。

 これさえあれば私は前に進める。


「でも、ちょっと疲れたね」


 昔を思い出したり、アリアで気を紛らわしていたが、いい加減休みたくなった。

 すでにドラゴンに襲われてから結構な時間が経っており、日が傾いている。


 アリアを草原に倒して、私もその横に寝そべる。

 抜け殻のような魔剣エリスフィアを、いつでも取れるように脇に置いて、さっさと眠ることにした。


 翌朝、寒さに意識を呼び戻される。

 山の上は麓より気温の変化が激しい。

 アリアを抱き枕にして、お互いを温め合っていたから、なんとか動ける。


「おはよう、アリア。行こうか」


 空腹を我慢し、朝露をすすり、再び歩みを進める。

 傾斜が段々大きくなってきた。

 急な坂道を、滑り落ちながらも、何回もチャレンジしてのぼり詰める。


 アリアを背負いながら、ほぼ壁のような場所を越えると、ひらけた景色が私たちを待っていた。


「頂上だ……」


 まだ見ぬ新天地が、この時ようやくあらわになる。

 眼前には、見渡す限りの白い世界が広がっていた。


「アリアも、見てよ」


 背後はエルフィード王国が横たわっている。

 その緑色と比べて、向こう側は真っ白。

 一体どうしてだろうか。

 見たこともない大地の色に、今まさに、国境をまたいでいるんだと実感する。


 あと、半分だ。


 もう少しだけ頑張れば、アリアとの平和な暮らしが始まる。

 白い大地の、あの辺りに街があるのだろうか。

 それとも、あっちの窪んだところか。

 全部街だったりして。


「すごいね、アリア」


 アリアの背中を叩くと、アリアが頷いてくれた。

 アリアと一緒に、下り坂に足を踏み入れる。

 一筋の風が、私たちを導いてくれるような気がした。




 それから半日ほど歩くと、我慢できないほどに気温が下がってきた。

 こんなところで雑魚寝をしていては、命の危機に瀕すると思い、進行を諦めて寝床を作ることに。

 幸い、小さなほら穴が見つかったため、そこに避難。

 そこで身を寄せ合って、一晩を過ごした。


 体が冷えて、体力が奪われる。

 休憩が休憩にならない。

 だからモタモタとしているワケには行かないのだ。

 でも一番気温が下がる夜を乗り越えるため、準備にある程度時間をかける必要がある。


 進みたいのに進めないジレンマを抱えながら、山を降っていく。

 相変わらず山中には生き物も魔力もない。

 かつアリアが正気を失ったままの行進。


 それでも、足を動かし続ければ、絶対に終わりはくる。

 ダンジョンを抜ければ、魔力が戻り、魔物も現れ始めるだろう。

 そうすれば、飲み水も、食料も、寝床も、簡単に揃えられる。


 辛いのはこのダンジョンだけ。

 そう信じて、進んでいたのだが。


 私の考えは、甘かった。




 見通しの悪い岩場を進んでいる時、物陰から見たことのある鎧姿が現れた。

 それを皮切りに、横からも、後ろからも、鎧が続々と生えてくる。


 エルフィード軍に、囲まれた。



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