せかいでいちばんたいせつな

 ひとは一気に魔力を失うと、気を失って倒れる。

 魔法学校でたまに見ていたから、これは確実な情報だ。


 反して、ゆっくりと魔力を失った人間は、意識を保ちながら、壊れてゆく。

 それが、いま目の前で起こっていること。


「——キキキッ!」


 空気が漏れたような笑い声をあげるユリアは、マリオンに飛びかかっていた。

 武器を使って襲うような上品な戦い方は、今のユリアにはできない。

 爪で引っ掻いたり、噛み付いたり、まるで魔物のような状態だ。


「アッアッ!」


 対するマリオンも、さっきまで泣き声だったのが鳴き声に変わり、ユリアに対抗している。

 人間とはここまで人間を捨てられるものなのかと、見ていて妙に感心してしまう。


 放っておくと死ぬまでやってしまいそうなので、止めに入ってやることに。

 アリアに巻いていた長いロープをほどき、ふたりを拘束できる長さだけ切った。


 まずはユリアに巻きつけてやる。

 マリオンに夢中になっていたため、簡単に捕まえられた。


「キキキキキ」

「アッ! アアッ!」

「静かにしてね」


 ロープを一周させて身動きが取れなくなったユリアは、足をバタつかせてなおも暴れようとする。

 その間に掴みかかってきそうになったマリオンも、魔剣の鞘を叩きつけてひるませ、同じように拘束した。


 両親は、仲間を拘束するためにロープを荷物に入れたのではないだろう。

 でも、かなり役に立っているからありがたい。


「キキキキィ!」


 ユリアが激しく体を折り曲げたり伸ばしたりして、自分を岩に叩きつけ始めた。

 マリオンも同じ。


 仕方がないから、頑張ってふたりを背中合わせにして、胴体と足をそれぞれロープで結んだ。

 これなら、お互いがお互いを引っ張り合う形になるから、見た目は大人しくなる。

 観察すると、ふたりの足元がプルプル震えていて、力が拮抗しているのがよくわかる。


 よし。

 次は、アリアだ。


「リルちゃん、ひひひひひひ、リルちゃんリルちゃん!」


 アリアは魔法使いだから、もともと持っている魔力が多い。

 だから、まだ冒険者よりもまともな状態だ。

 まだ言葉を話せるほどの知性が残っている。


 すでに目の焦点はどこにも合っていないが、まだ人間を捨てていない程度の段階。

 しばらくすれば、ユリアと同じようになるハズ。


「こんなになっても、アリアは可愛いね」


 噛み付こうとしてくるのを避けつつ、私はアリアの頰を撫でる。

 どんなに眺めていても飽きない。

 このまま持ち帰って檻に入れて飼いたいくらいだ。

 山を降りても治らなかったら、本当にそうしようかな。


 エリスも倒れてしまい、喋るひとがいないから、くだらない妄想をして暇を潰していた。


「私は、人間なのかな」


 倒れて動けなくなった仲間。

 屍の山では、それが普通のコトなのだ。


 一方で、魔力を失ってもピンピンしている私。

 一度正気を失って、その後は魔力が欠乏したその先へ突き抜けてしまった感覚がある。

 私の精神はとっくに崩壊しているのかもね。


 でも、魔力がなくなってからというもの、体が思い通りに動くのだ。

 今までずっと魔力と共にあったから気づかなかっただけで、いまの状態が本当の私だと思う。

 私にとって魔力は枷になっていたのかもしれない。


 みんなも、最後には私みたいに魔力枯渇のその先に至るといいね。

 ちょっとだけ期待をしている。


 私はエリスに魔力を抜かれていたから、みんなより早くこの境地に達しただけ。

 私もみんなと同じ。


 そう思いたかったのに、ひとつの言葉がどこからともなく流れてきて、引っ掛かった。


「王家……」


 ノーザンスティックスは王家の血筋らしい。

 アリアの姓であるエルフィードは偽物の王家なのだ。


 ノーザンスティックスというカッコ悪い姓は、小さい頃から嫌いだった。

 いかにも田舎っぽいヤツの苗字だ。

 私だったらそんな変な家名を持つ同級生を、いじめの対象にしていたかもしれない。


 そう自覚していたから、波風立てないように大人しく生きようと思ってきたのに。

 王家の血筋だとか、よくわからないコトを押し付けられて、ここにいる。


 王家ってなんだ。

 みんなと一緒の人間じゃないのか。


 始まりはひと組のカップルから。

 エルフィード王国民はみんな、エルフの始祖メトリィさんと、開拓民としてこの土地に踏み込んだエルフィードさんの子孫だと言い伝えられているのだ。

 金髪碧眼のひとを取り立てて王家と呼ぶ意味がわからない。


「初代国王さんたら、本当に面倒なコトをしてくれたねぇ」


 初代イチャイチャカップルは国を作ってしまうくらい繁殖したのだ。

 頑張りすぎ。

 ここに本人がいたら、数時間説教だ。


 ……エルフの里にいた時の記憶を掘り起こす。

 メトリィさんは、アリアと瓜二つだったそうだ。

 エルフの家に飾られていた肖像画も、耳が長いことを除けば、黒髪ロングで赤い目で、アリアそっくりだった。


 まあ。

 相手がアリアだったら、しょうがないか。

 納得。


「悪いのはその子孫、かな?」


 学校で教わるメトリィ教のご神体の姿は、金髪碧眼でスタイルのいい女性だ。

 アリアみたいな貧相な体とは似ても似つかない。


 何者かによって、デザイン変更がなされたのだ。

 王族は神の子であり、偉い存在だとアピールするために、金髪碧眼にしまったのだろう。

 神であるメトリィと王族が同じ容姿であれば、学がなくても子孫だとわかる。

 神像を作るだけで民衆に平身低頭してもらえるようになるなら、やらない手はない。

 だから政治が歴史を捏造してしまったのだ。


 今やメトリィの姿を知る者はエルフと私たちのみとなってしまった。


「うりうりー。なんでそんなことしたのよー」

「リルちゃんうふふリルちゃんうふふふ」


 ひとり言を吐き続けるアリアをつっついて遊ぶ。

 アリアに言っても無意味なんだけど、関係者の方にはもれなく連帯責任を負ってもらう。


 父親の言ったことが本当であれば、エルフィードの姓を名乗る現王族は、ホンモノの王族であるノーザンスティックスさんを国の端まで追い出したのだ。

 過去にドロドロとしたお家騒動が勃発していたに違いない。


 現エルフィード王家ってヤツは。

 王としての権力に心を奪われ、歴史を改変するわ、私のご先祖様を島流しにするわ。

 まったく、ヒドいものだ。


「このー」

「あひぃリルちゃんだいしゅきぃ」


 ここまで妄想してみたものの、真実はわからない。

 ヒマだから気を紛らわしているだけ。


 仲間の消耗を待って、くだらないことを考えている私って、もうひととして終わりかな。

 やっぱり一番狂っているのは自分か。


「エルフィードの、ばかやろう」


 全ての元凶に呪いの言葉を吐く。

 何かと因縁のある名前に八つ当たり。


 その言葉をつぶやいたところで、気づけないほど一瞬、地上に影がさした。




『——懐かしい名だ』




 私の声に返事をするように、何者かの重低音の声が鳴り響く。

 辺りを見渡すが、障害物のない草原に生物の気配はない。


「ん、なに?」


 魔剣の身体強化が切れかかって、気配を探る力も切れてしまった。

 そんな無力な私に、声の主が答え合わせをしてくれた。


 もう一度、地上に影ができる。

 今度は一瞬じゃない。


 上を見ると、羽の生えた生物。

 鳥かと思った小さな影は、ほんの一瞬で何十、何百倍にも大きくなって、辺り一帯を闇で覆ってしまった。


「——アリアっ!」


「それ」がアリアを踏んづけてしまわないように、考えるよりも先に体が動く。

 勢いよく、ふたりで転がった。


 巨大な生物が着地をして、地面が揺れる。

 土埃が舞い、草が散り散りに飛び、私たちの体が跳ねた。

 それほどの存在。




『古き好敵手の名を呼ぶものよ。ほう。そなたは末裔か』




 間近で声を聞いただけで、全身の毛が逆立つ感覚。

 敵意は感じられない。

 あれにとって、私たちなんて足元にも及ばないから、殺意を向ける必要がないのだ。




『エルフなど連れ込んで、何をしに来た』




 土埃が晴れる。

 声の主の姿があらわになる。




『末裔よ、この老竜と、再び相まみえようというのか!』




 広げられた大翼は、私が何十人寝そべれば追いつくのだろう。

 太陽に照らされて生々しく光る鱗は、どれほど厚いのだろう。


 おとぎ話でしか出てこないような、圧倒的な存在が、私の前に立っている。

 ドラゴン。


『すると、これは供物か。末裔は、礼儀をわきまえているようだ』


 ドラゴンは、手元に転がっていたモノを、手を使って器用に持ち上げた。


「エケケケケケ」

「フヒーッ」


 ユリアとマリオン。

 人間ふたり分でも、ドラゴンの大きさと比べると指一本にすら満たない。

 ドラゴンは、そんなパンのカスみたいな存在を空に向かって放り投げ。


 食べた。

 咀嚼するまでもなく、丸呑み。


『足りないが、な』


 仲間を失った。

 その事実が、ドラゴンの存在に覆い隠されて、判断が鈍った。


「…………逃げ、ないと」


 ユリアとマリオンが、ドラゴンに食べられた。

 理性より先に、本能が理解をする。


 生きるという生物の根幹が、戦闘よりも逃走を優先させる。


「逃げないと————っ!」


 幸いだったのは、アリアを連れて行くという理性が残っていたこと。

 私はアリアを背負い、自分の限界を超える程、足を動かした。

 火事場の馬鹿力ってやつ。


『ふむ』


 どれだけ走っても、ドラゴンの声は間近に聞こえる。

 重低音が、心臓を揺らしてくる。


 ちっぽけな人間がいくら頑張っても、ドラゴンが適当に歩いただけで追いついてしまうのだ。


 それでも、脇目も振らずに走る。

 足がもげても構わない。

 太ももに、膝に、ふくらはぎに、足首に、指先に、力を込めて、全力で前に行くことだけを考える。


 でも、無理。

 身体強化もかかっておらず、真面目に鍛えたこともなく、しかも同年代の人間を背負っている私の身体は、すぐに言うことをきかなくなってしまう。


 足がもつれて、転ぶ。

 立ち上がろうとしても、失敗する。


「動いてよ! 私の身体のくせに! なんでダメなの!」


 動かせる手で、自分の足を殴る。

 痛みを感じない。


『末裔よ、逃げるというのか』


 声は一向に遠くならない。


『見たところ、末裔はエリスフィアしか持っていないようだ』


 魔剣を顕現させて、杖代わりに立ち上がろうとする。

 足は一切力が入らず、失敗。


『うむ。末裔よ、準備の時間をやろう』


 ドラゴンに一緒に食べてもらえるように、アリアに抱きついた。


『この老竜と戯れるべく、エルフィードに匹敵する力をつけるのだ』


 ドラゴンが動き出した。


『今日この日は、初めの挨拶だと思うことにしよう。待っているぞ、末裔よ』


 地響き。

 強風。


 目をつむって身構えて、数秒先、ドラゴンがいた場所にはもう何もいなくなっていた。


 少し離れた岩陰から、エリスがひょっこり現れる。

 確認できる生物はそれだけ。


「……やったねリルフィ。ようやく邪魔な冒険者が消えたよ」


 最後に見たエリスは倒れていた。

 でも、今は私の目の前に立っている。


 エリスの目は据わっていた。

 アリアとかセレスタとかにも、何度もそういう目を向けられてきたから、今更動じることはない。

 ユリアとマリオンを失ったことにも、不思議なことに、なんの感傷もなかった。


 ………………。


「ああ、あれは、まあ、必要な犠牲だったね」


 もう、とっくに私の歯車は止まっていた。


 ふたりがドラゴンに食べられたおかげで、私たちが助かったのだ。

 今まで付いてきてもらったのは、ここで囮になってもらうためだった。

 それでいい。


「……じゃあリルフィ、このお荷物も置いて行って、ボクとずっと暮らそうよ」


 エリスの言うことを無視して、魔剣を支えになんとか立ち上がる。

 もうアリアを持ち上げる力が残っていないから、歩いてもらわないと。


 転んだ時にアリアに巻いていた縄が解けてしまったようだ。

 寝そべっているアリアに肩を貸す感覚で、手を伸ばす。


「……どうしてそれを持って行こうとするんだ? ボクと一緒ならリルフィのしてほしいこと、全部やってあげるよ? そんな無理してアリアを助けなくても、リルフィは幸せになれるの。ボクは魔剣だから死なない。ご飯だっていらない。ボクは、王の財宝は、リルフィに尽くすために生み出されたんだ。リルフィの苦しい表情に、もうボクは耐えられないよ」


 エリスがどう思っているかなんて、私には関係ない。

 アリアと国境を越えることは、最初から決めていたことだ。

 義務に従うだけ。


「……ねえリルフィ、お願い、もうアリアを置いて——」

「うるさい」


 魔剣を取り出して、力任せに地面に突き刺す。

 剣を放置し、アリアと一緒に歩き出した。


 どうせ剣を手放したって、また呼べば戻ってくる。

 それが魔剣との、呪いに近い契約。


 これはただ、エリスはもう相手にしない、という意思表示である。


「…………リルフィ」


 弱々しい声が後を追ってくる。

 剣を抜く音がした。


 アリアと、セレスタ。

 彼女たちの求める、「理想の私」から逸脱してしまった時の行動は、周囲への攻撃だ。

 結局、エリスもそうなってしまうのか。


 私以外の攻撃対象といえば、アリアだけ。

 だから私は、アリアとエリスの間に立って、守るのだ。


 魔剣本体を持つと身体強化がかかるのに反して、精霊であるエリスの身体能力は低い。

 それはこれまでの旅路で、十分に理解した。

 エリス自身が強いのならば、もっと積極的に戦闘に参加していたハズだ。


 あくまでもエリスという人格は、魔剣エリスフィアのオマケなのだ。


「…………わかったよ」


 いつも左右に結わえていた髪が解けていて、まとまりのなくなったエメラルド色が風に揺られる。

 目は隠れ、表情が読み取れない。

 息は荒く、肩で呼吸をしていて、今にも切りかかってきそうな危うさ。


 エリスは魔剣を構えて——。




 自身の胸に、刃を突き立てた。




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