でもせかいは

 記憶の底にあるものと変わらない、我が家の中。

 なんかよく分からない生き物の置物が、靴箱の上にある。

 幼い私がかじってつけた傷も、そのまま残っている。


 両親が靴を脱いで、置物が乗った靴箱にしまう。

 農村であるノーザンスティックス領は、農作業で泥だらけになるひとが多い。

 だから、家を汚さないために靴を脱いでから入る習慣があるのだ。


 靴箱の中には、小さい頃に履いていた靴がそのままになっていた。

 こんなのが人間の履くものか、と思うくらい小さい。

 もういらないんだから捨ててくれればいいのに。


 いざとなったらすぐに出られるよう、私は脱いだ靴をしまわず、エントランスの脇に置いておく。

 アリアもためらいながら私のマネをしている。


 人前で裸足になるのは、下着姿で出歩いているのと同じ気がして、慣れないと少し恥ずかしい。

 王女さまのアリアには、こんな習慣は考えもしていなかっただろう。

 アリアは黒いソックスに包まれた、可愛らしい足先を隠すようにモジモジしている。


「リルフィの部屋は、そのままになってるわよ」


 先に上がっていた母親が、私の部屋の方へ先導する。

 ここの様子からすると、おそらく私の部屋も昔のまんまだろう。


「積もる話もあるけど、まずはゆっくり休んでなさいね」


 と、母親は自室へと入っていった。

 後ろからこっそりついてきた父親も、精一杯の笑顔を見せてから執務室の扉を開ける。

 使用人もいない貧乏貴族の家の中は、それっきり物音ひとつしなくなった。


 私の部屋の中は、やっぱり昔のまま。

 キレイに掃除をされていて、ずっと放置されていた訳ではないことが分かる。

 よく遊んでいた積み木ボックスや、ベッドに母親が編んだぬいぐるみが置いてある。


 王都と違って、ここは時間が止まっているようだった。

 変わったのは私だけ。

 自分の部屋だというのに、どうくつろいでいいのか迷ってしまう。


「ふあぁぁ〜……! リルちゃんのおへや……」


 アリアは私以上にリラックスしている様子。

 恍惚とした表情で、深呼吸をしながらフラフラと行ってしまう。

 真っ先に私のベッドに飛び込み、ブランケットでぐるぐる巻きになるアリア。


「リルちゃんの歴史をかんじるッ!!」


 変なことを言い始めたので、お仕置きとして簀巻きからハミ出しているアリアの足を、指先でそーっとなぞる。


「——!!」


 アリアの足がピクリと震える。

 動きが止まったので、ワシャワシャと激しいくすぐりにレベルアップ。


「ぁ……ひあ……っ、くすぐったい……!」


 くぐもった声がアリアロールの中から聞こえてくる。

 私の手から逃れるために、足をバタつかせるが、しっかりと追い詰めていく。


「ひぅ、う、ふふっ、ちょっとぉ……!」


 アリアが簀巻きを解除しようと回転運動を試みるが、すかさず上にまたがって阻止する。

 執拗に足裏を責め立て、アリアのせつない呻き声を聞いた。


「はぁっ、ああ、はぁっ、はひひ、うぅ」


 楽しい。

 アリアをいじめている間は、アリアの集中が私だけに向いてくる。

 やってはいけないことだと分かっていても、何かの拍子でふと手が出てしまうのだ。


「い————っ!!」


 急にアリアの声質が変化し、足の動きが止まる。


「つ、つったっ! いたいよっ!」


 よく見ると、ふくらはぎの筋肉が不自然に盛り上がっていた。

 くすぐりの刑なんて未知の刺激に、アリアの筋肉がびっくりしたのだろう。


「な、なんとかしてぇ……」


 ほっとけば治る。

 私はアリアに乗っかったまま、ふくらはぎがどうなっていくのかを眺めることにした。


「う、うぐ、ぐすん……リルちゃん……」


 ついにアリアが泣き始める。

 私の名前を呼ぶアリアの涙声が、心に染み渡るようだ。


 私が何もしてあげないから、アリアは自分で痛みを和らげる方法を学習した。

 足首を動かして、ふくらはぎをほぐしていく。

 きつそうだった動きが、何回かやるうちにスムーズになった。


 そろそろ、どいてみてもいいかな。


 アリアの上から離れると、アリアが力なく転がってブランケット剥がす。

 中から熱気がぶわりと。

 アリアの芳香。


 アリアの体温が染み込んだところに、私も寝っ転がった。

 やっぱりアリアの隣が落ち着く。

 実家だからというのは関係なく、いつも通りの過ごし方をすればいいんだ。




 横になったからか、旅の疲れがどっと押し寄せてきて、いつの間にか寝ていた。

 ちゃんとしたベッドで寝るのは久しぶりだから、気づいたら窓の外は真っ暗。


 お昼寝にしては本気すぎるくらいぐっすりだった。

 悪意のある侵入者がいれば途中で起きただろうが、今の今まで何もなかったのだ。


 体を起こして目を覚ましていると、何やら部屋の外が賑やかなことに気づく。

 侵入者はいないようだけど、訪問者はいっぱいいるらしい。

 喋る声、笑い声。

 私たちを暗殺する会議ではなさそう。


 ごちゃごちゃとした気配の中から、ひとつが私の部屋に近づいてくる。

 足音から、母親であると推測する。


 ドアのノックとともに、予想通りの人物の声。


「リルフィ、夕食の時間よ」


 その食事、毒が盛られているかもしれない。

 戦闘では負けない自信があるが、そっちから攻められると対処できない。

 村の外に出て、魔物を狩って自分で調理した方が安全だろう。


 誰かに会わないように、窓から出て行こうと振り返る。


「いこっか」


 むくりと起きたアリアが、ベッドから這い出て部屋を出ようとする。

 全力で止める。


「アリア、自分の立場、分かってるよね」


 指名手配犯。

 生きていようが死んでいようが、捕まえて王国に送れば莫大な報奨金がもらえる。

 アリアにかけられた額は、それこそ一生不自由なく暮らしていけるほど。


 ここまではアリアのわがままで来てしまったけど、それ以上はない。

 ひとのいる場所で過ごすのは、魔物と戦うよりも危険だ。


 そうだ。

 狩りに出かけるだけで終わらせずに、もう出発してしまえばいい。

 自給自足の術はすでに身についている。

 わざわざ危険をおかしてまで、ここで装備や食料を揃えないでもいいんだ。


「でも、リルちゃんはお父さんお母さんと、ちゃんとお話しないとだめなの」


 珍しくアリアが意見する。

 いつもは勝手にどこかに行くか、私が丸めこむかのどちらかなのに。


「わたしはもう親と話をすることはできないけど、リルちゃんはちがうでしょ?」


 公的に絶縁状手配書を叩きつけられているアリアの言葉は、ずっしりと重い。

 私が両親に捨てられたと思っている根拠は、魔法学校の職員の通達のみ。

 それ以外の確たる証拠はないのだ。


 まるで私が、駄々をこねて両親との会話を拒んでいるようだった。


「ね、いこう」


 いつも後ろにいたアリアが、私の前に立っている。

 私はアリアに背を向けることができなくて、部屋から出ようとするアリアを追うことになった。

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