わたしをじめんに

 我が家の食堂は、私の部屋とエントランスを挟んで正反対にある。

 村の人間が勝手に入り込んでおっぱじめてしまう部屋だ。

 もはや、家なのか公民館なのか分かんないところ。


 やけに賑わっているのは、そういうことなのだろう。

 男の野太い笑い声が、鼓膜を鈍く振動させる。

 どれだけ訪問者がいるのかと、短い廊下を突き抜け、入り口に並べられた靴を確認した。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、……。


 泥だらけの靴が何足も、無造作に置かれていた。

 とにかく多くのひとが侵入してきているようだ。

 私たちのものは、汚い靴に埋もれず、端っこに並んでいる。

 ひとまず安心だ。


「ちょっとまって」


 謎の迫力で、アリアに止められる。

 気になることでもあったのだろうか。

 アリアはひとりで、私たちの靴がある方へかけて行く。


 そして次の瞬間、衝撃の事態に……!


「すぅぅぅぅぅぅ……」


 アリアは、私の靴を持ち上げ、手にはめ、匂いを嗅ぎ、異常行動を起こし出した。


 ここまでずっと履いていたものだ。

 どちらかというと、自分でも触りたくないのに。


「い、イヤ、嗅がないでよ……」


 私の汚点をアリアに覗き見られている感覚。

 エルフのセレスタも、私のものを盗んでは何かに「使用」していたし……。

 私の周りにはなんで変な趣味を持っているひとばかりなんだ。


 いや待てよ。

 私もアリアの靴だったらいけるかも……?

 アリアから解き放たれたフレグランスが染み込んでいるに違いない。

 それは……悪くないね。


 つまり、だ。

 あれはアリアなりの求愛行動なのだろう。

 そうすると、異常な行為が許せるようにならないこともなくなくなくなく……。


「アリアやめてよぉ!」


 我慢できなかった。

 挙げ句の果てに、アリアは靴の中に口をつっこんだのだ。

 ペロペロしているのだ。

 詳細は見えないけど、それがむしろ精神衛生上おおいに助かる。


 味わうなよ。


 いくら愛するひとでも、さすがにそこまではしないぞ。

 アリア本体を舐め上げるのならともかく、衣類はない。

 食べない。


 こういう変なことをしてしまうのは、きっと愛情表現が不器用なゆえ。

 ちゃんとダメって言ってあげないと。


 アリアから靴を取り上げて、靴箱に入れて見えないようにした。

 心ここに在らずといったアリアの両頰を叩いて、意識をこっちに呼び戻す。

 やわらかいほっぺたがテュルンとした。


「んは……! わたし、トンでた……?」


 どうやら私の靴を吸って完全に正気を失っていた様子。

 さっきまで私を先導しようとして、頼もしかったのに。


「リルちゃん……このお家、わたしをころしにかかってくる……!」

「ウチそんな危険ハウスじゃない」


 極めて無害な合法ハウスだ。

 粛々とアリアの靴も仕舞って、変なおっさんに触られたり嗅がれたりしないように対策する。

 違法なのはこの家を利用するひとたちだ。


 アリアがフラフラと私にもたれかかってきて、息を荒くする。

 そんな対応をされて、私の靴がそんなにヒドい状態だったのかと、不安になった。


「もっと……もっと……」


 うわごとのように何かを求めるアリア。

 少しだけ外の空気を吸わせてあげたほうがいいかな。

 ぐったりしたアリアを引きずって、窓の方に運んでやる。

 ノーザンスティックス名物の生暖かい風が、アリアの黒髪を撫でる。


 段々とアリアの呼吸が整い、もたれかかっていた体に力が戻ってきた。

 ひとまず、一命をとりとめたようだ。


 落ちいたアリアがこちらに振り返り、真顔で食堂に向かおうとしたところで。


 開いたままの窓の向こうから、飛翔体がアリアの脇を掠めた。


「アリア、伏せて!」

「え!?」


 次なる攻撃から守るために、アリアを窓から死角になるところに押し込む。

 幸いに、アリアに命中しなかった物体は、家の壁に当たって砕け、その痕跡を残す。

 飛んできたのは石。

 土魔法『石弾』だ。


 外にアリアを狙う敵がいたことに、気付けなかった。

 普通の生き物ならば、魔剣による身体強化のおかげで、気配が察知できる。


 それが機能しなかったのは、襲撃者が普通じゃない証拠だ。


 身の危険を感じて、アリアを自分の後ろに隠す。

 相変わらず続く食堂からの笑い声。

 襲撃者に集中したいのに、かき乱される。

 お願いだから黙ってくれ。


 気配で敵の位置が把握できないのなら、目視で確認しないと。

 窓から頭を少しだけ出して、外の様子を伺う。


 ひらけたノーザンスティックス邸の庭には、隠れられる場所なんてない。

 魔法の射程範囲を考えて、家を囲む塀の外にはいないはず。

 だけど、襲撃者の姿は見えなかった。


「リル——」


 背後からの声。

 アリアのものじゃない。


 とっさに振り返って、アリアを襲撃者から隠す。


 敵は、5、6歩程の距離に立っていた。

 しかし、その容姿を認識する前に、見えなくなった。

 敵の姿を探して左右を見渡すのだが、すぐに諦めた。

 気付けば、相手は私に接触していたのだ。


 刺された、と思った。

 でも、いくら待っても痛みは来なかった。


「リルぅ〜」


 襲撃者の正体を、徐々に理解する。


 私の胸あたりの身長。

 白い髪。

 長い耳。


「我慢できなかったんやよぉ」


 特徴的な喋り方。

 人間にはなし得ない高度な魔法。

 私を知る者。


「セレスタ……」


 侵入者は、エルフだった。

 私の予想が当たった。


 魔剣を持っている限り、私の居場所は筒抜けである。

 だから、いつか接触してくると思っていたが。


 敵意はないようだ。

 セレスタがいるということは、他にも誰かいるのだろうか。


 そう思って後ろを向く。


 ああ。

 ……侵入者が見知った顔だと思って、油断してしまった。


 セレスタは、石弾をこちらに飛ばしてきたのだ。

 つまり、戦闘の意思があるということ。


 アリアが、血だらけで、うずくまっていた。


 私が索敵している間に侵入したセレスタは、音もなくアリアに魔法を放ったのだ。

 アリアの体の、いたるところに、石の杭が、刺さっている。


 石の杭を、アリアは声を押し殺すようにして、ひとつずつ引き抜いていた。

 抜く度に、そこから血が溢れ出る。

 そして、杭を抜いたところを、治癒の魔法で治していた。


 私が見ていたことに気付いたアリアが、弱々しく笑って、無事をアピールする。


 可哀想なアリアの表情を見た瞬間、怒りが込み上げてきた。

 アリアを傷つけるな。

 こんなことをする敵は、排除しなければならない。


 私に抱きついていたセレスタを蹴り飛ばす。

 小柄なエルフは、抵抗することもなく飛ばされて、床に叩きつけられた。

 エルフはのそりと立ち上がり、反撃をするでもなく、泣き始めた。


「ふ、ふぇぇぇぇん! リル! わっち、さびしかったのにぃ!」


 耳障りなエルフの元に寄り、私は剣を振り下ろした。

 当然のように、空振り。


「アリアがリルを独り占めするんっ!」


 また、エルフがアリアに危害を加えようと、アリアに近づこうとしている。

 剣で追い払う。


「地下の街で、アリアを励ますんじゃなかったんよ! そうすれば一人で勝手に潰れたんよね! もう、リルはわっちがもらうんねん!」


 セレスタの狙いはアリアだ。

 エルフは私を独占するために、アリアを手にかけようとしている。


 アリアが私を欲していたのと同じように。

 私がエルフを殺そうとしているのと同じように。


 果実を食べる時に、皮をむくだろう。

 皮をむくことに、何の感慨もない。

 ただ作業的に、いらないものを捨てるだけ。

 邪魔なものを取り払って、甘い果汁を味わうのだ。

 それと一緒。


 今の私は、セレスタが邪魔。

 セレスタは、アリアが邪魔。

 好きなものに触れようとしても、その前に余分なものがある。

 私たちは、それを取り除こうとしているだけなのだ。


「アリア、死ね」


 その言葉は、冗談なんかじゃない。

 セレスタから、殺意のこもった水の刃が放たれた。

 私が間に入って受けようとしたが、水の塊は急に進行方向を変える。

 私を迂回してアリアの方へ。


 水の魔法は速度や威力に劣るが、魔法を放った後でも動きを操ることができるのだ。

 不意を突かれたが、なんとか魔剣を伸ばして、魔法を無効化する。


「リルはわっちに外の世界を教えてくれたんじゃ。リルに尽くさなければならん。世界の果てまでリルと一緒。時の果てまでリルと遂げる。先祖メトリィよ、わっちも同じなん。ニンゲンを慕うのは、エルフの血に刻まれた宿命……!」


 エルフィード王国の国家宗教である、メトリィ教の祭神の名を呼び、セレスタは迫ってくる。

 この国は、初代国王とエルフのメトリィによって建国された。

 セレスタは、その逸話を再現しようとしているのか。


「リル……見ていて欲しいねん……アリアを殺して、わっちと……!」


 なぜ、その対象が私なんだ。

 人間なんて、もっと他にもいるだろう。

 放っておいて欲しいのに……!


「離れれば離れるほど、リルを求めるようになるん。近くで見ていないと、ハラがむずむずして、わっちがわっちでなくなる……。一度ニンゲンに触れたエルフは、こうなってしまうんじゃな……。里を出てはならないオキテ。よぉく理解したん……。ククク、クククク」


 アリアの様子を見る。

 セレスタにやられた傷の治療を全て終え、動くのには問題なさそう。


「ああ! アリアごめんな! わっちには手に入れないとあかんもんがあるんよ! だから、あの世で元気にしててな!」


 きっとセレスタは、自身に身体強化の魔法をかけて、私と同じくらい動けるのだ。

 攻撃が当たらなかったのも、気配を察知できないのも、そのせいだろう。

 一太刀浴びせられれば、魔法を解くことができるけど、その一撃が当たらない。


 アリアを守りながら、セレスタを無力化するのはきつい。

 何しろ相手は、魔法学校で使う教科書には載っていない魔法を使うのだ。


 さっきの石弾も水刃も、相当なアレンジが加わっている。

 セレスタからどんな魔法が放たれるのか分からない以上、いつか守りきれなくなるだろう。


 逃走か。

 セレスタの目を欺きながら、逃げ延びることはできるのか。

 ……無理だ。

 敵に背を向けて走る方が、よっぽど危険だ。


 戦うしか、ない。

 セレスタを仕留めないと、いつまでも追ってくる。


 ひとを殺すこと自体は大丈夫。

 とっくに覚悟を決めている。

 不安なのは、今までにない強敵と戦うこと。

 そしてアリアを失うこと。


 魔剣を握り直して、セレスタの動きを見逃さないようにする。

 瞬間移動をするように見えるのは、実際私が捉えきれていないだけ。

 意識の外側に逃げ込まれているのだ。


 エルフがここに侵入してきた時の動きを思い出す。

 気にしていなかっただけで、視界にセレスタは、存在していた。

 セレスタは、道端の石ころみたいに、あえて意識を向けないようなモノに擬態していたのだ。


 なら、埃ひとつ見逃さないくらい、集中すればいい。

 セレスタに、魔剣を触れさせれば、私の勝ち。

 ゆっくりと、アリアの方へ行こうとするセレスタに、狙いをつける。




 ——今。


 魔剣を振るう。

 硬いモノに当たる感触。

 セレスタが防御魔法を発動したのだろう。


 ムダだ。

 そのまま力を込めて、押し切ろうとする。


「ふぁー! どうしてニンゲンさんは、そんなに愛らしいんの?」


 エルフが笑った。

 同時に、私の手から魔剣が離れる。


 防御魔法に風の魔法が重ねがけされていたのだ。

 障壁を消した途端に、おびただしい量の風の魔法が、破裂した。

 消しきれない風が、私の手を切り裂き、剣を持っていられなくなった。


 再び剣を手元に呼び寄せるまでのタイムラグ。

 セレスタは私の脇を通り過ぎて、アリアに次の魔法を放つ。


「アリア——!」


 助けられない。

 感情だけではどうにもならない事実が、のしかかってくる。

 目の前の映像が、理解を拒んで、白黒になる。


 セレスタが、アリアを丸ごと潰すような岩を形成する。

 絶対に殺すことだけを考えた、無慈悲な魔法。


 宙に浮いていたソレが、セレスタの制御を離れ、落ちていく。


 アリアの真上。

 もう少しで、アリアはペシャンコ。


 アリアと意思疎通を図る間もない。

 一瞬。




 岩は消えた。

 岩が出て、消えるまで、一瞬の出来事だった。

 アリアの頭に触れるギリギリのところで、跡形もなく消滅した。

 開いていた入り口の扉から、もう一人の見知った人間。


「あーエリス! じゃますんな!」

「……いやいや、やりすぎだろう」


 ついに、もうひとりの知り合いが現れた。

 魔剣の精霊、エリスフィア。


 ……また、こじれるのか。

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