嘘つき
リルちゃんに手を引かれて、酒場から外に出る。
振り返ると、さっきまでのあたたかさが嘘のように、冷たい空間が見えた。
じっさいに温度がひくいわけでもないのに、そう感じた。
「どうしたの? 何か忘れ物?」
歩みをゆるめたわたしに、リルちゃんがすかさず気づく。
こんなにもわたしのことを想ってくれているリルちゃんに、ぜったいに従うと決めたのだ。
後悔なんてない、はず。
ヨハンとオルガが見せてくれたものは、しょせんは夢。
覚めればなにも残らない。
記憶さえも。
だから、わたしは二人のことを忘れるのだ。
頭をふりはらって、リルちゃんの以外の情報をカットする。
わたしは、リルちゃんが好き。
リルちゃんだけをみていれば幸せ。
「じゃあ、早くこの街から出よ?」
再び手を引かれる。
早足で通りを進み、またたく間に酒場から遠のく。
わたしたちが泊まっていた宿屋も、リルちゃんはいっさい振り向かずに通りすぎる。
街は静かだった。
「アリア、あの犯罪者たちに、なにもされなかった……?」
リルちゃんの話し声が、よく聞こえる。
二人だけの空間。
「なにも、されないよ」
あそこでの時間は、もう忘れた。
忘れたから、なにかされたとしても知らない。
リルちゃんがそういう風に心配してくれているんだから、きっとあそこではわるいことが起こったんだ。
「ねえアリア、お願いだから嘘つかないでよ。さっきから全然笑ってないし。なにもされてないワケ、ないでしょ。嘘つき。私に好きって言ってくれたのも嘘なの? アリアも他の大人みたいに嘘つきなの? 私を騙してひどいことをするの? どうしてそういうことをするの?」
そうやって一気にまくし立ててくるリルちゃんに、ああ、壊れちゃったんだな、と思う。
そんなリルちゃんも愛おしい。
わたしを欲してくれているのが、よくわかる。
これが、今までわたしが求めていたもの。
……なのに。
感情の整理がつかない。
リルちゃんのことが、たまらなく欲しい気持ち。
……わたしに生きることを教えてくれた人を、悪人だと決めつけているリルちゃんへの、後ろめたい気持ち。
正反対のことだから、両立することはできない。
どちらかを選ぼうとして、わたしはリルちゃんについていく方を選んだのだ。
どんなときでもリルちゃんを選ぶことが、わたしという人間のありかた。
だからあの状況で、リルちゃんに精一杯、告白した。
なのに、いまだもう一つの感情が、わたしのあとをついて回る。
「リルちゃん」
名前を呼ぶと、そわそわしているリルちゃんが一気に落ち着きを取り戻した。
わたしはリルちゃんと目をあわせられずに、気持ちを伝える。
「追われているの」
酒場の人間たちが、わたしの後ろに立っているような感覚。
あそこにあった笑顔が、喧騒が、わたしにしがみついて離れないのだ。
「こわいよ」
実際にそんなものはない。
わかっているけど、この気持ちがなんなのか、わからない。
じっとしていたら、ふるえてしまう。
もっと早く歩いてほしい。
走り出してほしい。
「ああ! アリア! ごめんね! 辛いこと思い出させちゃったね! もういい、喋らなくていいから!」
リルちゃんが抱きしめてくれると、少しだけ恐怖がやわらぐ。
「……アリアをこんなに怖がらせて。犯罪者どもめ、みんなまとめて、始末してやりたい……!」
そうじゃないの。
わたしは街の人間が怖いのではない。
ちがう何かに、追われている。
心が苦しくなってくる。
「リルちゃん、はやく出たいよ」
この街から出られたとしても、この苦しみはおさまらないだろう。
それでも、動いていないと、何かしないと気がすまなかった。
「そ、そうだね! 出よう! ここは怖いもんね!」
やっとのことで、リルちゃんが早歩きになってくれた。
しかし、どんどん街の入り口に近づいていく中で、この街からは出られないことを思い出す。
忘れたい記憶の中。
ほんの十分か二十分かのうちで言われた言葉。
犯罪者の街の存在を隠すために、いちど入った人間は出られない。
それは、どういうことなのか。
「——おっと。今日も来たのかいチビちゃん。何回来てもここは通さないぜ?」
街の入り口に住む、名前も知らない男。
ここに迷い込んだ時に、この男が先導して、街に入れてもらったのだ。
男は、リルちゃんに向かって、なんどももここに来たことを話した。
わたしがリルちゃんと別行動している間、リルちゃんはここで街の外に出るための交渉をしていたのだろう。
街から出られないのは、こういうこと。
門番がいるから。
……ならどうするか。
いまのリルちゃんには、簡単なことだった。
「うん。分かってます。だから、もういいんです」
リルちゃんが表情を変えずに、男に返答する。
どこからともなく、魔剣を呼び寄せて、あいている方の手にしっかり握りしめる。
気がつくとわたしは、リルちゃんがここから動かないように、腕を抱いていた。
「……ほう、やる気か」
魔剣を手にしたリルちゃんにとっては、男を殺すために、わざわざ構えを取る必要はない。
余計な会話も、続ける気はいっさい持っていない。
リルちゃんはわたしの引っ張る力をものともせずに、男に近づいていく。
だめだよ。
それは、やってはいけないことだ。
わたしはそれを、知ることができた。
「……チッ。参ったなあ」
男はらんぼうに頭をかいて、リルちゃんの動きを見極めようとしている。
反撃のためではない。
これから死に向かうことを覚悟するための、確認。
男はだらりと、受け身すら取ろうとしていなかった。
男とわたしの目があう。
男は、さいごに、わたしにウインクをしてから、リルちゃんをにらんだ。
「もう、戻れないぞ」
・・・・・・・・・・・
「なーんだ。散々出られないとか言われたけど、入り口は普通に開くんだね」
犯罪者の街を隠す石の塊の前で、リルちゃんが呟く。
入る時に隠しスイッチがあったのと同じように、出口側にもスイッチがあった。
隠し扉は、さいあく壊さないとだめかと思っていたけど、そういうことじゃなかったのだ。
人間の心にストップをかけていただけ。
それがなくなれば、出入り自由な場所なのだ。
リルちゃんがスイッチを押して、うすぐらい洞窟への道が開かれる。
「ふう。アリア、もう大丈夫だよ。犯罪者の巣から、抜け出せた。私たちを襲ってくるヤツはいないから、怖がる必要はないんだよ」
やさしく言ってくれたのに、体のふるえが止まらなかった。
むしろ、ひどくなっている。
わたしだけを映す瞳と、無垢な笑顔。
リルちゃんについた返り血と、なまぐさいにおい。
ふるえるわたしを、おもむろにリルちゃんが包みこんでくれた。
そうすると、呼吸が、苦しくなった。
どんなに息を吸っても、満たされない。
リルちゃんが、口を近づけてくる。
満たしてくれるのは、リルちゃんしかいないから、必死に求めた。
わたしにはリルちゃんしかいない。
それ以外には興味ない。
わたしはそういう人間。
何回も何回も何回も何回も自分にいましめて、恐怖を押さえつける。
ちょっと前まで、こんなことではなんとも思わなかったのに。
人間を殺すのは、虫を殺すのといっしょの感覚だった。
思い出せ。
あのときのわたしを。
そうしないと、ふるえが止まらない。
勇気をくれる人をもっと強く抱きしめる。
リルちゃんの体を、より感じる。
「……リルちゃん、好き」
リルちゃんが、わたしの要求にこたえるように、抱き返してくれた。
「アリア、伝えてくれて、ありがとう。アリアが言ってくれたから、私も、自分の気持ちを理解したよ」
声を聞いていたい。
リルちゃんの言葉で、余計なことを忘れさせてほしい。
やさしいリルちゃんは、再び言葉をつむいで、わたしの望みを叶えてくれた。
「アリアがいなくなって、とっても寂しくなったんだ。アリアが隣にいることが、どんなに素晴らしいことか。ずっと一緒にいて、気づかなかった。いや、気づかないふりをしていたのかな。はは、だって私たち、女の子同士だよ? 普通じゃない。でも、それでいい。普通じゃないことがいけないことなんて、誰かが勝手に決めつけたこと。私には関係ないよね。だからさ。これからは、自分の気持ちに、嘘をつかないようにする。アリアに私のほんとうの伝えるよ——」
リルちゃんに、顔を持ち上げられる。
見つめ合う。
「——私も、アリアのことが、好きです」
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