おちる

 わたしの手を握って、リルちゃんがとなりで寝ていた。

 頭がぼーっとする感じ。


 興奮状態のリルちゃんにやられたんだった。

 気を失ってしまったわたしに罪の意識を感じちゃったりして、そばにいてくれたのだろう。


 ほんとうにかわいい。

 リルちゃんの金髪をなでて、眠っているすきにほっぺたにキスをする。


 握られた手をはなすと、リルちゃんが不満そうな顔をする。

 でも、起きない。

 代わりに枕でも持たせておいて、わたしはふらふらと部屋からでた。

 まるでトイレにでも行くような感覚で、無防備に階段をおりる。


 受付に宿の女将はいない。

 カウンターを素通りして、建物から抜け出した。


 洞窟の中の街。

 時間はわからないけど、人はちらほらと歩いている。

 犯罪者の集まる街だから、みる人みんな犯罪者。


 だからといって、問題を起こすことはない。

 ここにきてからの時間を振り返ってみると、わたしの方がよっぽど問題児だ。


『おっす』


『こんにちは』


『お疲れー』


 通りを歩いている途中、知らない人たちから挨拶される。

 目があうと、次々と声をかけてくるのだ。


「……どうも」


 と、返事をすると、向こうはにっこりと笑いかけてきて、すれ違う。

 わるくない。

 犯罪者たちが闊歩する通りをすすんで、しばらく街のふんいきに浸っていた。


「よう」


 後ろから肩をたたかれて、となりに背の高い人間が並ぶ。

 元ギルドの受付嬢である、赤髪のオルガだ。


「……こんにちは」

「ちょっとの間でずいぶんと毒気が抜けたじゃねぇか。ちょろいもんだな」


 その言いように、ばかにされている気がして、むっとする。

 わたしの反応をみて、オルガは下品な笑い声をあげる。


「嬢ちゃん、ちょっと前だったら、殺気立ってアタシに斬りかかってきてるぜ? ほんとうにコロッと変わっちまったんだなぁ!」


 言われっぱなしはくやしいから、オルガのスネに向かってけりを入れる。


「いてぇ!」


 避けようと思えば避けられただろう。

 オルガはわたしののっそりとしたキックをわざと受けた。

 痛いと言いながらも、うれしそうに顔をゆがめる。

 けられて喜ぶ変態だ。


「この、仕返しだっ!」


 がっちりと固い手が頭のてっぺんに置かれて、乱暴にわしゃわしゃとなでられる。

 リルちゃんのとはちがう。

 髪の毛がボサボサになっていく不快感。


「あらぁ? 楽しそうネェ? おネイさんもま・ぜ・て?」


 近くの建物から荷物を抱えたマッチョが現れ、気持ちわるい女の子走りで一瞬にして距離をつめられる。

 酒場のマスターヨハン。

 変態が増えた。


「買い出しか?」

「そうヨォォン! これから酒場に戻るトコ☆」

「ちょうどいい。寄って行こう」


 変態二人にはさまれて、わたしは酒場に連行されることに。

 あいかわらずわたしの意思は放っておかれる強引さ。


「見ろよヨハン! こいつったらこんなに大人しくなっちまって!」

「うるさい」


 背中をたたいてくるオルガを振り払おうとしていると、背後からわきに手を入れられて、軽々と持ち上げられた。

 わたしより頭二つぶん背の高いヨハンの肩に乗せられて、経験したことのない高さでの視点になる。


 なぜ担がれた……!

 おちたら死ぬ……!


 むだについた筋肉がごつごつして座り心地はさいあく。

 一歩進むたびにゆれて、バランスを取りながらなんとかしがみつく。

 丸刈り頭が腕にささって痛い。


 ヨハンが片脇にかかえた荷物を持ちなおそうと、体が大きくゆれた。

 そんなことしたらおちる!


「お、おろして、ぱ……ヨハン!」


 やばいなぜかパパって言いそうになった。

 気づかれてないよね?


「はっはっは! 今パパって言いかけた!? ヨハン、お前パパだってさぁ!」

「アリアた〜ん? チッチッチ、ママ、でしょう?」


 くぅぅぅぅ。

 しっかり聞かれてた……!


「顔真っ赤! 可愛いなぁお前!」

「しねっ!」


 土魔法『石弾』を赤髪に向かって飛ばす。

 当然のように、軽々とよけられた。


「ほぉ〜ら、マんマって、呼びなさ〜い?」

「うるさい!」


 しがみついている顔をつねってやろうと手をにぎる。

 肉をつまむ感触。


「フガッ」


 小指にザラザラとした変な感触がほとばしる。

 嫌な予感がして、すごく見たくないけど、自分の小指の位置を確認する。

 あああ……。

 ヨハンの鼻の穴に、小指がはいってる……。


 すぐに引き抜いて、指先を見ないようにしてヨハンの胸板で入念にふく。

 うう、ばっちい。


「お、乙女のダイジなアナに、固いのを突っ込まれたわぁ〜!」

「こらパパ、娘の教育に悪いだろっ」


 笑っている。

 みんな笑顔だ。

 オルガも、ヨハンも、行き交う人々も。


 見たことのない景色だった。


「あーついたわぁ。アリアたん、おろすわヨォ」


 酒場の前で立ち止まって、よっこいしょ、とようやく肩からおろされた。

 見慣れた建物。

 三回目のご来店だ。


 ヨハンが中にはいるのを見送って、わたしもついて行く。

 目的のない散歩のつもりで出てきたけど、結局今日もこの酒場にきてしまった。

 ここにくるのが日課になりそう。


 カウンター席が気になって、荷下ろしをするヨハンの向かいの席にすわった。

 テーブル席より高い椅子に、足をぶらぶらさせながら作業をながめる。


「アリアたん、今日も手伝ってくれるのォ?」


 わたしが何かするよりも、ヨハン一人で店を動かした方が効率がいいだろう。

 それにわたしは、リルちゃんのところに戻らないとだめだし。


 ……でも、リルちゃん、わたしに痛いことをして、またふさぎ込んじゃってるかも。

 昨日みたいにわたしの顔を見た瞬間、逃げ出す可能性がなきにしもあらず。


 ちょっとだけ、時間をおいた方がいいのかな。


「……手伝う」

「ありがとォ〜!」


 暇つぶし程度に。

 この街をいつ出るのかはわからない。

 リルちゃんたちがここ最近、どっかに行っているのは、街から出る準備でもしているのだろう。

 その間、わたしは暇。

 リルちゃんには早く機嫌をなおしてもらって、一緒に行動したい。


 オルガがテーブル席を陣取って、じゃあとりあえず一杯と、酒を要求してきた。

 手伝うと言ったわたしをこき使う気である。


 前回と同じように、ジョッキを持って、テーブルにおく。

 オルガも他の客の例にもれず、一気飲みのあと超笑顔に。


 ワンパターンな人間の行動に、だんだん面白くなってきた。




 それから、ヨハンが酒場の前に看板を立てると、ちらほらと客がはいってくる。

 その度に酒を注いではこび、引きかえに笑顔をもらう。


 少しだけと思ったのに、時間はあっという間にすぎていった。


 いい加減、帰らないとリルちゃんが心配する。

 くっつきすぎると離れようとして、離れすぎるとくっつこうとするリルちゃん。

 その絶妙なさじ加減がだいじ。


 帰りたいけど、まだ客がいるから、そわそわしていると、ヨハンと目があう。

 ヨハンがウインクで返してきたから、とっさに避けた。


「良い子のみんなァ〜! 今日は店じまいヨォ〜!」


 ヨハンが客に向かって点呼をとる。

 営業時間としては、まだほんの数時間だ。

 不満そうな表情をする客。


「んもぅ! ご褒美をアゲルから、ゆるしてェ?」


 ヨハンは手近な客をその豪腕でホールドし、口紅をいっぱいつけた唇で、客のほっぺに吸い付いた。

 ズゾゾゾゾゾゾ……。


 店中にきたない音がなりひびく。

 ヨハン以外の全員の顔から、血の気が引いて行く。


『うわあああああ!!』


 ぽてりと倒れた被害者を見た客たちは、次は自分がやられないよう、我先にと逃げ出した。


「照れ屋さんなんだからっ☆」


 わたしも混乱に乗じて逃げようとすると、両肩にヨハンの手がかけられた。

 ふるえが止まらなくなる。


「アリアたんには、ちょっとお話があるのよん」


 店の出口を塞ぐように回り込まれて、奥側のテーブル席に押し込まれる。

 向かいをオルガとヨハンに固められ、初めてここで話した時のように、絶対に逃げられない配置になった。


 二人とも真面目な顔になって、空気が変わったことがわかりやすく感じ取れる。


「……あのねェ? これから、うちで働いてみない?」

「え?」


 思いがけない言葉。

 どうしてそうなったの?


「アタシらと、ここに迷い込んでくるクソ野郎に、人の心を叩き込んでやるって仕事。お前もやってみないかって質問だ」


 確かに、今言ったようなことをしているとは、前にも聞いた。

 わたしもその慈善活動の被害者だ。


「もうこの街から出られないんだから、何か職を見つけないとダメよ?」

「…………え?」


 出られない?

 何を言っているの?


「あれ、聞かされてなかったか。ここは犯罪者の街だ。地上の奴らにここの存在がバレたら終わりだぜ?」

「だから、この街の存在を知った人間は、秘密を守るために、一生出ちゃいけなって決まりがあるのよ」


 そしたら、わたしたちの旅、ここで終わりになっちゃう。

 ————。


 でも、それでいいんじゃないかな。


 わたしたちが隣国を目指しているのも、わたしが指名手配されているから。

 ふつうに生きようとすると、立場とか、罪とか、そういうのが付いてまわる。

 そこから逃げるための旅なのだ。


 エルフィード王国の手の届かない場所であれば、べつに隣国じゃなくてもいい。

 この街は、エルフィード王国で生きられないような犯罪者によって作られた街。


 わたしとおなじ境遇の人間が、国境を越えるなんて夢を見ず、どうにかあがいてできた場所なのだ。


 わたしたちは、それに甘えたっていいんじゃないか。

 周りを見渡せば、笑顔でいっぱいだ。


「アリアたんにはショックが大きいかもしれないけど、きっと楽しいわよ……!」

「ここで生きるのも悪くないって、思っただろ。どうだ? その気持ちを、他の奴らにも分けてやりたいって、思わねぇか?」


 ううむ。

 特にショックは受けていないけど、本当にこれでいいかと悩む。

 あまりにもあっけなく、旅が終わってしまうことに、なんとも表現できない気持ち。


 テーブルの木目を目で追いながら、この先のことを考える。


 まず、リルちゃんに報告。

 これから二人でずっと安全に暮らしていけることを話す。

 ぎゅっと抱きあって、辛い旅路を振り返りつつも、宿をチェックアウト。


 そして夢のマイホームを購入。

 欲望の限りを出し合う愛の巣。

 すばらしい。


 それで、リルちゃんもここに呼んで、二人で働こう。

 わたしみたいな人間がきたら、二人で楽しいことを教えてあげて、生きる喜びを知ってもらうんだ。

 わたしも、わたしたちも、他のみんなも、笑顔。


 これ以上の幸せがあるかな。


 今思いつかなくても、探していけばいい。

 時間は無限にある。


 ここで暮らして行くことに、なんの不自由もない。

 そうと決まればさっそく、ヨハンにここで働く意思を告げよう。


「わかった、ここではたら、く…………?」




 え?




 あれ?




 あれ?






 あれ?




 降ってたっけ、雨。




 いや、噴水?

 冷たい? 暖かい?

 アカイ?

 どこから?


 前から? 向かいの席から? そこにいるのは? 人間? ヨハン? オルガ? 丸刈りと赤髪? いないよ? 考えている間にどっかに行っちゃった? じゃあ、向かいに座っているのは? モノ?


 人間っていうのは、手と足が生えていて、首から頭が生えている生き物だよ?

 じゃあ、目の前のモノは、人間じゃない?




 二人だったモノに、頭がついてない。




 ————っ。




「見ぃつけたっ」


 赤い雨が、声の主とわたしの出会いを祝うかのように、暖かく降りそそぐ。


「やっぱり、アリアには私がついてないとね!」


 美しい金髪に、赤が混じりこみ、より美しくなる。


 リルちゃん。


 持っている魔剣で、ヨハン、オルガと呼ばれていた死体を、椅子から床に落とす。

 二人の再会に、無様な物体はいらないのだ。

 邪魔なゴミを片付けたリルちゃんは、魔剣を後ろに放り投げて、わたしのすわる席に歩み寄る。


 完成された芸術品。


 その笑顔は昨日のような空っぽのものではなく、他の人間がするような知性のない笑みでもない。

 ありとあらゆる感情が入り混じって、複雑に絡み合って、ようやく生まれた繊細な表情。


 そんな至高の艶笑は、わたしだけに向けられていて。


「アリア」


 手を差し伸べられれば、取らずにはいられない。


「ふふふっ」


 白い手が、わたしの頰に触れ、汚らわしい人間の血を、拭き取ってくれる。


 でも、今度はリルちゃんの手が汚れてしまう。

 わたしはリルちゃんの手をとって、舌をそわせた。


 綺麗にしないと。


 赤く染まってしまった指を、元の色に戻るまで、舐めとってあげる。

 なんどもなんども、丁寧に、跡が残らないように、入念に。


 汚れをぜんぶ取ると、リルちゃんがわたしを抱き寄せて、唇を奪われた。

 リルちゃんの汚れをわたしが掃除したから、今度はわたしが汚染された。

 リルちゃんがわたしの穢れを肩代わりするように、口の中を吸い上げてくる。


 わたしたちは、そうして、共におちていくのだ。


 リルちゃんが口元から離れて、見つめ合う。

 愛おしそうに、わたしの少しの動きも見逃さないように、じっと見る。


「リルちゃん、好き」


 自然と、言葉が漏れた。


「好き。愛してる。リルちゃんが好きで、離れたくない。女の子でも、好き。わたしは、リルちゃんのぜんぶが好き。リルちゃんのやることで、嫌なことなんて一つもない。だから、リルちゃんはわたしだけを、みて」


 ごちゃごちゃになった自分の感情の中で、唯一はっきりとわかる気持ち。

 今まで伝えていなかった言葉を、リルちゃんにおくる。


「うん」


 一言だけ。

 それでも、十分だった。

 リルちゃんの体から、熱が、言葉以上に伝わってくる。


 抱き合っていたリルちゃんが、離れる。

 でも、わたしの手を、引っ張ってくれる。


 これが、わたしの望んでいた、リルちゃんと歩く道。

 行き着く先に何があったとしても、わたしはその道を歩む。

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