積極的

 リルちゃんは、わたしのことを離さない。

 リルちゃんに捨てられたと思っていたけど、そんなことはなかったのだ。


 ただ、どうしてか、胸のモヤモヤは治らない。

 いつもなら、リルちゃんが隣にいるだけで幸せいっぱいな気持ちになり、他のことなんてどうでもよく思うんだけど。

 酒場から引きずってきたつっかえが、心からあふれてくる喜びを、せき止めている感じ。


 食堂で席についてから、リルちゃんがとなりでわたしのことをずっと見ているのに、わたしは周りの人間のことが妙に気になってしまっていた。


 向かいの端にすわって、もじもじしている冒険者。

 リルちゃんのさらにとなりにいるエルフ。

 いい場所をキープできなくて、仕方なくわたしの向かいにいるエリス。


 みんな喋らない。


 食卓にはエリスが作っていた料理が並ぶ。

 野菜が丸くなるほどよく煮込まれたシチューと、タマノハの細切りの上に油で揚げた肉が乗ったメインディッシュ。

 バゲットが厚めに何枚も切られていて、ただ一本のパンを置くより見栄えがいい。


「……さあ、食べようか」


 料理を作ったエリスが号令をかけて、静かに食事が始まる。

 わたしがいなかった時に何かあったのか、テーブルを囲む人間たちはすすんで会話をしようとしないのだ。

 エリスでさえ、リルちゃんの世話焼きをせずに、食べ物を皿から口へと流れ作業をこなしていた。


 リルちゃんは、わたしがシチューをすくって食べるのをみてニッコリと笑い、わたしと同じ行動をとる。

 パンを食べれば、リルちゃんもパンを食べる。

 肉をナイフで切り分けると、リルちゃんもまねる。


 リルちゃんがこっちを向いたままなのをいいことに、エルフがときおり、自分のフォークとリルちゃんのフォークを入れ替えて、静かに満足している。


 ここでわたしがかんしゃくを起こすと、リルちゃんはまた怒って、わたしをここから遠ざけるだろう。

 我慢の見せどころだ、と言いたいところだけど、今はそもそも感情が揺らいでいなかった。


 今のわたしはほんとうにわたしなのか。


 試しにパンをシチューに浸し、リルちゃんの口に持って行ってあげる。

 リルちゃんはうれしそうに、わたしの指ごとパンに食らいついてきた。


 胸がドキッとして、幸せな気持ちになった。

 リルちゃんかわいい。


 リルちゃんの舌がわたしの指をなでてきて、吸われる。

 今日はいつになく積極的なリルちゃん。

 超うれしい。


 この反応は間違いなく、いつものわたしである。

 もうこの手は洗わない。


「アリア。それで、今日はどこに行ってたの?」


 リルちゃんがとうとつに聞いてきた。

 酒場にいた、ムキムキな男の姿を思い浮かべる。


 リルちゃんに、あそこでのできごとを言っていいの……?

 実際のところ、いろいろあって酒場には2日連続で行っている。

 思い返すと、ふくざつな気分になってくる。


「…………ユリアに、酒場に連れてってもらったの」


 嘘をついた。

 本当は酒場のマスターであるヨハンにむりやり連れ出されたのだけれど、言えなかったのだ。


 なんとなく、あの場所のことをリルちゃんに言わない方がいいと思った。


「で? お酒、飲んじゃったの?」


 リルちゃんはわたしの嘘を疑おうとはしなかった。

 リルちゃんの責め立てるような勢いに、わたしの首は縦に振らされる。


「未成年がお酒飲んじゃダメでしょ?」


 至極まっとうなことを言われて、思わずそうだねとうなずく。

 あやまった方がいいのかな。


「ユリアさんが飲ませたんですか?」


 リルちゃんの矛先がユリアに向く。

 わたしの嘘のせいで、言いがかりをつけられている光景。


「ええ、まあ。アリアさん、落ち込んでましたし……? 少しだけなら、と」


 ユリアはわたしの嘘に合わせて、話を作った。


 ただ、態度がいけなかった。

 ヘラヘラと悪びれもなく話すユリアに対して、リルちゃんの眉間にしわがよっていく。

 ユリアさんの返事から、沈黙の時間に突入。


 ……。


 だれも食事に手がつけられず、リルちゃんの動きに釘付けだ。

 数分のあとに、リルちゃんが言葉を発するために、息を吸い上げる。


「……アリアにヘンなこと、教えないで」


 低い声で、ぼそっと放った言葉に、一気に空気が凍ったような気がした。


 リルちゃんが不機嫌そうに、食べかけのパンをぺったんこにつぶし始める。

 床をカツカツ鳴らす音が聞こえてきたと思えば、リルちゃんの貧乏ゆすり。

 大きく息を吸い込んで、わざとらしく大きなため息をついて、不機嫌さをあらわにしている。


「……アリア」


 そんなマジギレ状態のリルちゃんに呼ばれて、背筋がピンとはる。

 ここまで怒っているリルちゃんは初めて。

 意外な一面を見られたことは喜ばしいことだけど、それ以上にこわかった。


 ペラペラになったパンが乱暴に置かれ、リルちゃんが顔を近づけてくる。


「私の言うこと以外、信用しちゃダメだよ?」


 青く澄んだ瞳が、わたしを映しているのがわかる。

 今手を出したら爆発してしまうような危うさ。


 でも、衝動的にリルちゃんの髪に触れてしまった。


 瞬間、わたしの腕がとらえられる。

 引っ張られて、抱かれる。


「そう、アリアは私が守るから、私のそばにいればいいの……」


 いつもの優しい抱擁とはちがう、力任せな束縛。

 顔がリルちゃんのお腹にぴったりくっつき、息苦しい。


「他人の言葉は信用できない。私たちの周りにいるひとは、私たちから幸せを奪おうとする」


 体ごと引き寄せられて、わたしの腰が椅子から離れる。

 リルちゃんに締められているから、床に膝をつけられず、かといって直立することもできず、中途半端な姿勢に。


 リルちゃんが立ち上がって、姿勢が少し楽になる。

 視界を塞がれたまま、移動が始まった。


「……私たち、部屋で食べるから。一対一で、アリアに常識を教えてあげてくる」


 テーブルで固まるみんなに告げて、食堂から遠ざかる。

 きのうとおなじように、食事を中断させられて部屋に戻るはめになった。

 リルちゃんにがっちり肩を抱かれて、リルちゃんの部屋へ。


 前回とちがうのは、わたしの落ち着き加減。

 熱くなっているリルちゃんをみて、逆にわたしの心は冷めてきている。

 わるい冷め方じゃなくて、するどく、冴えていくような感じ。


 だれも信用できないという、リルちゃんの言葉。

 それと、少しだけあったユリアへの敵意。


 一方で、ユリアはわたしの嘘に乗っただけだ。

 ユリアにメリットはないから、悪意をもってやることじゃない。


 結果的に、リルちゃんの怒りを買ってしまったから、ユリアは貧乏くじを引いただけ。

 もし、本当のことを言っていたら、わたしがリルちゃんに叱られていただろう。


 ユリアは、わたしをかばったのだ。


「座って待ってて」


 リルちゃんがわたしを部屋に押し込み、食堂に戻っていく。

 途中だった食事をこっちに運んでくるのだろう。


 そうして一人取り残された空間で、ちょっと、頭の中を整理してみようと思った。

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