バイト

「——そこの嬢ちゃん! エール3つ!」


 酒場のカウンターでぼーっと酒びんを眺めていた。

 突然うしろから声がかかって、振り返るといつのまにか店内は客でいっぱいに。


「こっちも!」「人数分よろしく!」「かわいいお嬢ちゃんに注いでもらえるなんていい日だな!」「ヒィッ! ヨハンチャンモイツモドオリカワイイナー」


 あちこちから声がかかり、隣のヨハンが休みなくジョッキに酒を注ぐ。

 独特のにおいが鼻について、こんなものを飲む人間の気がしれない。


「ほら持っていってあげなさい」


 一度に四つのジョッキを持たされる。

 重い。

 言われるがまま、最初に声をかけられた席へ運んだ。


「おいおい3つって言ったぜ? 嬢ちゃんも一緒に飲むのか?」


 ジョッキを机に置くと、男たちが好き好きに取っていく。

 そして上機嫌にがぶ飲み。

 ある程度中身が減ったところで、ぷはあと息をついて笑顔になる男たち。


 酒を飲む人間はみんなこうなのだろうか。


 カウンターに戻り、次のジョッキを受け取る。

 順番的に、どこに持っていけばわからなかったからすぐ近くの席に置いた。


「一つ足んないぜ」


 戻って、ジョッキを受け取って、また別の席に置く。

 淡々と作業を繰り返す。

 酒を置くたびに何か言われるが、ジョッキ4つずつ持って往復するので、いっぱいいっぱい。

 意外とたいへん。


「アリアた〜ん。ちゃんとお客の数だけ置いていかないとダメよ?」


 今度は一つだけ持たされる。

 ヨハンにゆびさされた席に持っていく。


「はっはっは! 新人ちゃんにはまだ難しい仕事だったかな! ありがとよ!」


 カウンターに戻る。

 今度はヨハンの言うことにしたがって、示された席に示された数の酒を運ぶ。

 もっとたいへんになった。


 往復。

 行って渡してもどる。

 何回も行ってもどる。


「ひとまずこれで全員ぶん回ったわネェ!」


 カウンターから酒場を見渡してみると、昨日みたいにどこもかしくも笑顔の男たち。

 ぽっかり空いていたと思っていた胸の中が、むずむずする。


 どうしてあんなに楽しそうなの。

 みんな酒を飲んで、笑顔になる。

 あれがそんなにいいものなのか。


 余分にジョッキを置いていた席に、まだ手付かずになっているものを見つける。

 そこに行って、わたしもそれを飲んでみようと思った。

 明らかにまずいにおいだけど、みんな我慢して飲んで、まずさと引き換えにに気持ちよくなっているのだろう。


「あっ! ダメよッ!」


 カウンターからヨハンに注意を受けるが、構わず酒を手に持ち、思いきって一気飲み。


「おお! お嬢ちゃんもいける口だな!」


 にがい。

 へんなにおい。

 口の中を焼かれているような不快感。


 あまりのまずさに、わたしも他の客たちと同じように、飲み終わったジョッキを乱暴に置いた。


「——けぷっ」


 はしたなくもお腹から空気が漏れる。

 ジョッキの液体は温められていたわけでもないのに、胃がじんじんと熱くなっていく。

 顔があつくなって、あたまがぼーっとしてきて、見えるものぜんぶがチカチカしてきた。


 なんだか無性にリルちゃんに会いたくなってきた。


「アリアたん……顔が真っ赤よォ?」


 ヨハンに肩をつかまれる。

 構わず席をたち、わたしはリルちゃんに会いにいくことを決心する。


「リルちゃん……」

「ああ、こりゃダメね」


 リルちゃんとキスしないと。

 わたしの使命。

 なんかなやんでたけど忘れた!


「リルちゃぁーん!」


 羽でも生えたかのように体がかるい!

 外に向かって一歩踏み出すとふわりとする!

 これもしかしたらほんとうに飛べるんじゃない?


「まぁってってねぇえー!」


 すごい!

 目が追いつかないほど景色がうごいてる!

 びゅんびゅん!


「ひゃあぁぁぁああああぁ!」


 酒ってすごい!

 なんでもできるようになる!


「……ごめんくださいー」


 あ! リルちゃんがいた!

 よおし!

 すぐにKISSしてあげるからねぇ!


「りるちゃああーーーーん!」

「——んぬっ!」


 くちびるがふれあった!

 やったー!




・・・・・・・・・・・




 ——と、少し記憶が途切れていた。

 水を大量に飲まされて、はっとなって気づいた。

 さっきまでの高揚感が、頭痛になりかわって襲ってくる。

 迫りくる吐き気を我慢しながら、いまのわたしの状態を確認した。


 後頭部がやわらかいものの上にのっている。

 目をあければ人間の上半身。

 まぶしすぎるあかりで影になっているその人物を、目を細めてよくみる。


「あ、戻ってきましたね」


 女の声。

 茶髪。

 ポニーテール。

 わたしの頭から相手の顔までを遮る胸は何もない。

 絶壁。


「……ユリア」


 想定していなかった人間の登場に、頭痛がより酷くなる。

 リルちゃんのことを思い出しちゃうから辛い……。


「リルフィさんとケンカでもしましたか? リルフィさん、すっごい落ち込んでたから……」


 その話題から逃げるように、体を起こしてなんとかバランスをとる。

 まだクラクラする。

 さっきまでユリアにひざまくらをされていたようで、もう一度そこに頭を預けたくなる。


「この娘たちがアリアたんのオナカマさんなのよネェ? いい人そうじゃなぁ〜い」


 テーブル席の向かい側に座っているのは、ヨハンとマリオン。

 どうやらここは昨日案内された、酒場の奥の席のようだ。


「しかし、そのオッパイ羨ましいわァ。あちしにもちょうだい?」

「わっ! やめっ! 掴むなっ! ユリア助けてぇ!」


 そのままもげろ。


「……心配しましたよ。まさかアリアさんがこんなところにいるなんて」

「こんなところとは何ヨォ!」


 男の低い声が頭痛に響く。

 わめいているヨハンを睨みつけてから、ユリアと会話をしてあげることにした。


「わたし、リルちゃんに捨てられちゃったから。もう関わらないでいいよ」


 言葉にすると、辛い現実がもっと大きくなる。

 また酒を一気飲みしたい。

 客がみんなしてまずい液体を飲む気持ちがわかった。

 酔っている間は、辛いことを忘れられる。


「捨てるわけ、ないじゃないですか」


 ユリアの手がわたしの髪に触れられる。

 もうどうでもよかった。

 今までならぜったいに拒絶していたのに、リルちゃんとふれあえなくなるなら、誰に触られてもいい。


「何があったのか話してよ。一人で背負い込まないでさ」


 と、マリオンがテーブルに置かれたグラスを口につける。

 さっきのとは違うが、中に入っている琥珀色の液体も酒だ。

 わたしもそれが欲しくて手を伸ばすが、ヨハンに手を押しのけられる。


 あれほどうるさかった客は、店の中に誰もいなくなっていた。

 わたしが黙っていると、静かに時間が流れていく。


 仕方がないから、リルちゃんに捨てられた経緯を話すことにした。

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