虚無感

 リルちゃんの顔が近くにある気配を感じて、飛び起きた。


「いてっ!」

「リルちゃん! だいじょうぶ!?」


 わたしのいない間に、リルちゃんが奴らに危害を加えられていないか、真っ先に心配する。

 あのエルフに大事なものを盗まれていないか。

 魔剣にいらない世話をかけられていないか。

 冒険者にデタラメを教えられていないか。


 奴らがリルちゃんにすることはぜんぶ有害であり、わたしがちゃんと見ていないといけないのに。


「うぅ、だ、だいじょうぶ……」


 わたしが飛び起きたせいで頭をぶつけちゃったから、リルちゃんは頭をさすりながら答えた。

 でもわたしが心配しているのはその痛みじゃない。


「そうじゃなくて! あいつらに変なことされてない!?」

「いやいや、そんなことされないよ」


 そうは言っても、洗脳を受けている可能性は否定できない。

 ここはリルちゃんが正常かどうか、検査してあげなきゃ。


「リルちゃん! これは何本!?」


 人差し指、なか指、くすり指を立ててリルちゃんに見せる。


「え? 三本?」

「目はだいじょうぶだね! じゃあ次! わたしの誕生日はいつ!?」


 幻覚をみせられてはいないようだから、今度は記憶の検査をする。


「えっ! ご、ごめん。知らないよ……」

「なぁっ!! リルちゃんしっかりして!!」


 重大な欠陥がみつかった。

 リルちゃんがわたしの誕生日を知らないなんて……!

 これは記憶が書き換えられている証拠っ!


 どうやって治せばいいかわからないけど、とりあえず治癒魔法をかけてあげる。


「どう!?」

「あースッキリする」

「じゃあわたしの誕生日!」

「いやそもそも教えてもらってないし」


 だめだ。

 治療魔法の効果がない。

 記憶が変になっているなら……たたけば治るかな!


「リルちゃん覚悟っ!」

「なんですとぉ!?」


 リルちゃんの頭をななめ上からたたこうと、手を振り下ろした。

 しかし、わたしの手がリルちゃんの髪にボフンと触れた途端に、幸せな気分になった。

 そのまま金髪をもてあそんでから顔をうずめるまで流れるようにやる。


「あ〜リルちゃんの感触だぁ」

「もう、アリアの方がおかし……いつも通りだね」


 心があたたまる。

 特にさっきまで変なのにからまれていたから、リルちゃんのかほりが全身に沁みわたる。


 ……いけないいけない。

 いまは健康診断の最中なのだ。


 真面目にやらないと。

 わたしの誕生日は、リルちゃんにとってレベルが高すぎたかもしれない。

 あとで絶対に忘れないように記憶に刻み込まないといけないけど、いまは許す。


「リルちゃん! 次は、わたしの好きな食べ物を答えて!」

「アリア、いつも私と同じもの食べてるし……」

「はぐらかさない!」


 やっぱりだめ!

 リルちゃんの頭はいじられているのだ。

 知らない間に魔剣に精神干渉を受けて記憶がまぜこぜになっているのか。

 はたまた、エルフの魔法で都合のいいように改変されたか。


「ならリルちゃん、魔剣の好きなものは!? エルフの好きなものは!?」

「エ、エリスはニガイモの煮っころがしで、セレスタはミドリンゴ……」

「——っ!」


 言葉を失った。

 わたしの好物は知らないのに、奴らの好物は知っている。

 奴らの策略で、リルちゃんの中からわたしの存在が、消されているんだ……!


「……ねえ、リルちゃん。エルフと魔剣は、どこ?」


 リルちゃんが帰ってきているから、奴らも近くにいるはず。


「……だめだよアリア? 簡単にひとを傷つけようとしないでね!?」

「リルちゃん。今だけは正直に答えて。あとで全部わかるから……」


 洗脳されてしまったリルちゃんを元に戻すために、寄生虫を絶滅させる。

 そうすれば精神干渉とかわるい魔法が解けて、わたしのことを思い出してくれる。


 リルちゃんの答えを期待して待っていると、リルちゃんは深い深いため息をついて、わたしの顔を両手で挟んできた。


「あのさぁ。私が洗脳されてるとか思ってるでしょ?」

「リルちゃん……自覚があるの……?」


 その状態でぎりぎりと力を入れられる。

 顔の形が変わってしまいそう。

 でもリルちゃんは笑っていた。


「……ハハハ……アリアはかわいいなあ」


 あごが動かせないから、せっかくリルちゃんが褒めてくれたのにお礼が言えない。

 今は真剣な話し合いの最中だけど、リルちゃんのペースに乗せられてしまった。


 そんなわたしと、リルちゃんと見つめあっている時間に突入。


 その間に考える。

 リルちゃんには洗脳をされている自覚があるのに、魔剣やエルフを処分しようとしなかった。

 ということは、奴らの行動を甘んじて受け入れていたのだ。


 わたしが存在した記憶が書き換えられ、魔剣やエルフの存在を植え付ける精神干渉。

 それを受け入れたのはつまり、リルちゃんがわたしを忘れても構わないってこと?


 ……わたしを捨てようとしているの?


「あ、ダメだ私……! アリアに何やってるんだ」


 急に顔の両側の圧迫感から解放される。

 リルちゃんがわたしから手をはなして、うつむいている。


「……アリア。言っておくけど、私は洗脳なんて受けてないから。アリアが心配するようなことは何もないよ」


 そう言うリルちゃんは、わたしと目を合わせようとはしてくれなかった。

 リルちゃんはわたしから逃げるようにベッドから降りて、部屋の扉に手をかける。


「……でも、ごめん。ちょっと、距離を置こう。最近の私、アリアにひどいことしちゃってるから」


 リルちゃんが出て行く。

 扉がバタンと閉められると、それを最後に周りから音が消えた。


 ——見捨てられた。




「あ……」


 水滴が、手の甲に落ちる。


 わたしの目から流れ出た水滴は、雨の降り始めのように、ポツポツと。

 やがて勢いを増し、拭いても拭いても止まらない。

 涙が出るほど、心の中の穴が広がって行く。

 この雫のひとつひとつが、リルちゃんとの思い出。


 何もなくなった。


 リルちゃんに見捨てられて、わたしが生きてる意味、なくなっちゃった。

 エルフも魔剣を殺したって、もうリルちゃんは戻ってこないんだ。


 窓を見て、外に出て行くリルちゃんを見つける。

 その周りには他の奴らもいて、わたしだけがのけもの。

 リルちゃんがこっちを見上げてわたしと目が合ったけど、すぐにそらされる。


 体から力が抜けて、ベッドに崩れ込んだ。

 もう、動けない。

 生きる気力がない。

 わたしは誰からも愛されず、誰も愛すことができない。


 ほんとうのゴミは、わたし。


 ——————

 ————

 ——


 音がした。


「はーい起きてー。もうお昼。ご飯食べたら、子供は外で遊んできなさい」


 宿屋の女将。


 体を起こされる。

 持ち上げられる。


 部屋をでる。


 食堂の椅子に座らされる。


「そんな金髪の子が大事なら、ちゃんと仲直りしないといけないわよね」


 食べ物を口に入れられる。

 飲む。

 繰り返す。


 全部なくなる。

 宿屋の外に出される。


「あらぁ!? 昨日とちがってずいぶんしゅんとしちゃってるわネェ!」

「こんにちはヨハンさん。この子を迎えにきてくれたのね。ならあとは任せるわ」


 男に引き渡される。

 手を引かれるから、歩く。


「なぁに絶望してるのヨォ! まだ若いんだから、諦めないのっ!」


 背中を叩かれる。

 どうでもいい。


 さらに歩く。


 酒場。

 昨日の場所。


 誰もいない。


「さ。アリアたんには今日からここで働いてもらうわァ? 社会勉強、ってやつよっ!」


 ウインクされる。

 どうでもいい。


 中に入る。

 カウンターに立たされる。


「これからどんどんいいオトコが来るから、つまみ食いしちゃダメよ。全部あちしのものなんだからネッ」


 エプロンをかけられる。

 仕事。


 ああ。

 ……。

 やればいいんだね。

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