プラス1

 エリスに抱きかかえられた私は、アリアにすごい力で引き剥がされる。

 アリアはたまに、その細身から出しているとは思えない力を私に使ってくる。


「返して!」

「……おっと」


 まだ足に力が入らない私を、腕力だけで立たせるアリア。

 そんなアリアに強く抱きしめられて、エリスに口をつけられたところを上書きするように、唇を舐められた。


「リルちゃんに、触れていいのは、わたし……!」


 ああ、少しは治ってきたと思ったのに。

 アリアの瞳は、いつか見た時のように私を捉えていない。

 私がアリアを置いてどこかに行かないようにと、ひたすら自分の存在を私になすりつけている。


 私は、そんなアリアの頰をつまんで、ひっぱった。


「い、いたい……」


 特に悪意があったワケではない。

 アリアがこうなるのも、何度かあって慣れているし、恐怖も怒りも湧いていない。

 この状態のアリアを突き放してしまえば、消えてなくなってしまうと思うくらいに不安定だ。


 アリアをつねったのは、ふと込み上げてきた好奇心。


 別に叱っているんじゃない。

 芸術品のような完璧なアリアに、つい触れてみたくなったのだ。

 アリアが私にやっていることと同じ。

 アリアの体に、私という存在を刻みたくなった。


 アリアの頰を力いっぱいひっぱってから離すと、そこが赤く充血する。

 私が傷をつけてしまった、という事実に、後ろめたさと同時に満たされる感じになる。


「リルちゃん……どうして……」


 アリアは頰をおさえて私を見ている。

 さっきまでの、どこか遠いところを見ていた様子とは違って、私だけを見ているのだ。

 その表情をもう一度見たくて、アリアの手をどけてもういちど白肌をつねる。


「いっ、……リルちゃん……いたいよ……?」


 いつも暴走して、私の話を聞く前に行動に出てしまうアリア。

 昔はそれでもよかったのかもしれない。

 でも、いまはそれが、かえって状況を悪くすることがある。


 自分の中でくよくよ悩んでいないで、もっと私を頼って欲しかった。

 エルフの里での事件とか、エリスに攻撃したこととか、冷静になって話し合えば、丸く収まっただろう。


 それができなかったのは、アリアが私を見ているようで、見えていなかったからだ。

 だから、こうして私の存在を、アリアに教えてあげているのだ。

 アリアが私を見てくれるように、体に覚えてもらう。


「……リルちゃん、わらってる……? うれしいの……?」


 痛そうに目を細めているアリアが、見当違いのことを言ってきた。

 これはアリアと対話するための手段だ。

 アリアに触れれば、私を見てくれることが分かったから、やっているだけ。


 それなのに、自分の顔を触って確かめてみると、口元と、目元の筋肉が、醜く歪んでいた。

 私はアリアの痛がる姿を見て、喜んでいたのだ。


 脳裏にリオ・ビザールの狂気に歪んだ顔が浮かぶ。

 私にひどいことをしている時のリオは、それはそれは楽しそうだった。

 今の私も、そんな表情をしているのだろうか。


 私も、あんな風に、狂ってしまったのだろうか。


「——っ!」


 この醜い顔をアリアに見せないように、手で隠して距離をとる。


「……リルちゃんがうれしいなら、いいよ? わたしもうれしいから」


 アリアが無防備に体をさらす。

 私は自分の変化が怖くなって、慌ててこれまで通りを装った。


 私はアリアの親友。

 アリアは私の憧れのお嬢様。

 田舎貴族の私が触れていいようなひとじゃない。


「アリア、ごめんね。私、おかしくなってた」


 傷つけてしまったところに回復魔法をかける。

 本当は抱きしめて謝りたかったけど、今の私がやったら壊してしまいそうで、それ以上はできなかった。


 なんでアリアを傷つけて、楽しいと思ってしまったのか。

 心当たりといえば、魔剣の存在である。


 魔剣エリスフィアを最初に持ったとき、私はまだ主人として認められていなかった。

 剣は赤く輝いて、私に殺害衝動を植え込んだのだ。

 きっとそれが、原因だ。


 エリスと契約を交わした現在は、魔剣を持っても殺意も快感も芽生えない。

 しかし、最初の呪いはいまも続いているのだ。


 私はエリスに詰め寄る。

 この呪いを、なんとしてでも解除して欲しかった。


「エリス、私をおかしくしたでしょう。治してよっ」

「……リルフィ。ボクの精神干渉は、契約した時点で治っているはずだよ。主人を狂わせるなんてこと、するわけがないよ。だからね、リルフィが思ったことは、まぎれもなくリルフィ自身の感情だよ」


 エリスは私の期待をうらぎって、魔剣の呪いはないと言う。


「……まあ、リルフィがそう思いたいのなら、いいよ。ボクは主人の言うことは、全て受け入れるつもりだよ」


 何も言い返せなかった。

 エリスの言葉は、私の変化を肯定するもので、今までの私を否定するものだった。


「リルちゃん。わたし、リルちゃんと繋がった気がして、うれしいよ? 落ち込まないで」


 アリアが私の背中に触れる。

 私はしばらく、アリアの顔が見られなかった。




・・・・・・・・・・・




「……ほら、あーん」

「リルちゃん! あーん! わたしのを食べて!」


 私の周りは、悩むヒマを与えてくれないようだ。

 三角座りをして、ほっといてくれという雰囲気を出していたのに、エリスとアリアはおかまいなしだった。

 エリスが作った料理を、作った本人とアリアが持ってきて、二本の匙を突きつけられている。


「こんなぽっと出のやつなんかどうでもいいよね!? わたしが食べさせてあげるんだから!」

「……ボクは主人に奉仕するために生まれたんだよ。リルフィ、ボクの料理を食べて」


 エリスとアリアがお互いに押し合って、グイグイ匙が近づいてくる。

 肉と野菜がうまく混じり合った香りに、空腹を思い出す。

 そういえば、昨日の夜は何も食べていなかったなあ。


 直前まで煮込まれていた具材から、湯気がもくもくと立ちのぼる。

 それが口元まで近づけられて、熱が伝わってくる。


 待ってそれ熱くない?


「あーん!」

「……ボクの自信作!」


 有無を言わさない様子で迫られて、思わず口をあけてしまう。

 でも熱そうだから、顔は後ろに移動していく。

 移動すればもっと接近してきて、湯気を吸い込む。


 うーんいい匂い。

 じゃなくって!


「よけないで!」

「……大丈夫だよ。おいしいはずだよ」


 熱いんだって!


「はいリルちゃん!」


 第一投がアリアによってなされる。

 開いた口に向かって、一直線に料理をねじり込んできた。


「あちっ! あちちっ! あぐっ、あうっ!」


 熱を溜め込んだ根菜が、ただでさえ熱いのに、噛み締めるともっと熱い汁をだす。

 空気を吸いながら、なんとか冷ましていく。


「えへへ、食べさせちゃった」

「あふっ、あふっ!」


 えへへとアリアが次の具材をすくっている間に、今度はエリスの番がやってくる。


「……これは自信作なんだ。小麦の練り物に野菜を巻いたもの。もちもちしておいしいよ」


 それはマズい!

 いや美味しそうだけどマズい!


 やっとの思いで飲み込んで、口の中を冷やしていると、そこに二投目を入れられた!


「ぉふぅぅぅぅ!」


 これは爆弾だ。

 表面はさっきよりも冷めているが、中に秘めた熱量は計り知れない。

 もちもちするって言っていたから、噛んだら最後、熱の爆発だ。


「……ちょっと大きすぎたかな? 手伝ってあげるよ」


 エリスは私のあごに手を添えて、上方向に力を加える。

 大き過ぎて噛めないわけじゃないから!

 熱いから噛まないだけだからぁぁぁ!


「ぶふぅぅぅぅぅぅ!」


 口の中で潰れた野菜から、熱々の小麦餅が流れ出して、いろんなところにまとわりつく。

 簡単には冷めないよこれ!


「……はぁ、はぁ」


 頑張って息を吸って、なんとかやり過ごした第二投目。

 すぐに迫る第三投目。


 もうやめて!


「リルちゃん! スープもだしが効いてておいしいよ!」


 アリアが器から液体をすくって、プルプルふるえながら接近してくる。

 もういやだぁ!


「……おっとボクのドレスが」


 エリスがゴシックドレスに落ちた具材を取ろうとかがむと、アリアの姿勢が崩れた。

 当然、スープはこぼれる。

 おい。


「あっちぃよ!」


 スープが匙の上からさようならをして、ぜんぶ私の顔にかかった。


 向こうから笑い声が聞こえてくる。

 ユリアさんとマリオンさんが、私を見世物にして腹を抱えていた。


 ゆるさん。


 とはいえ、アリアとエリスの猛攻は止まることを知らない。

 熱々の具材を次々と押し込まれては、ユリアさんとマリオンさんに笑われ、アリアとエリスは満足そうに微笑んだ。

 にくいことに、料理は火傷をしないけど熱々に感じる、絶妙な温度になっていた。

 だから途中でギブアップできずに、放り込まれる食材に延々とハフハフし続けた。


 そんな感じで、朝の食事の時間は過ぎていったのである。

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