魔剣の力

 真っ白い空間で、ゆったりまったりのんびり。

 そろそろお茶とお菓子でも欲しいなと思ったところだ。


 そうしたら、この白い空間に変化が生じた。

 私の前にテーブルが現れて、その上に紅茶とクッキー。

 まさに欲していたものが出てきた。


 夢の世界だから思い通りになって当然。

 私は遠慮なくティーカップを手にとって、喉を潤わす。

 クッキーを口に運んで、いっぱいに広がる甘味と風味に舌鼓を打つ。


「……ねえ、おいしい?」


 向かい側に座っている少女に、感想を聞かれた。

 私はその存在を不思議とも思わず、緩みきった顔で頷いていた。


「……ふぅん」


 その人は頬杖をついて、私のティータイムをじっと見ていた。

 私も暇つぶしに、目の前のひとを観察する。


 まず目につくのは、やんわりと光るエメラルド色の長い髪。

 魔力の光の色を輝かせた髪を、大きなレースのリボンでツーサイドアップに飾っている。


 そして、たっぷりのフリルで飾られた黒いゴシックドレス。

 幼い見た目の少女にはよく似合っているが、こんなの昨今の貴族でも着ないようなファッションだ。


 さすが夢の世界の住人といったところか、たいそう目立つ容姿をしていらっしゃる。


「……夢じゃないよ?」


 私の心の声に、少女が反応したような。

 でも、ここは夢の世界。

 すなわち私の心が作り出したの世界だ。


 心の世界で心の声を出す。

 あれれ?

 それって丸聞こえじゃない?


「……リルフィ。あなたの名前?」


 はいそうです。

 自分の妄想が作り出した登場人物に自己紹介をするのが、少しおかしい。


「……ボクは、エリス。やっと、会えたね」


 いやいや、初対面でしょう。


「……うん。ボクとリルフィは、初めて出会った。でも、ずっと探していたんだよ」


 この夢、実はホラーだったり……?

 誰かに付きまとわれていたストレスが、こうして形になって出てきているのだ。

 そのつきまとっていた誰かは思い出せないが、すごい怖い思いをしたような気がする。


 エリスと名乗ったエメラルドの少女も、きっと怖いことをしてくるのだろう。

 ここで私が逃げ出したらすごい勢いで追いかけて来て、気づいたら少女がバケモノの姿になり、私は食べられちゃうんだ。

 そういう系の夢でしょう。


「……怖がらないで。ボクは、長いこと剣に眠っていた存在。リルフィが起こしてくれたんだ」


 剣?

 私はいま、剣なんて持っていないけど。

 クッキーなら持ってる。


「……それはボクがリルフィのために作ったおやつ」


 私の心の世界なんだから、他人が干渉できるわけないじゃない。

 エリスもお菓子も、私の想像が形になったもののはず。

 少女がクッキーを作ったというのも、そういう設定なのだ。


 エリスは、必死に言い訳をしている私を、首を傾げて見守っていた。


 ……なんでこんなに躍起になって否定をしているんだろう。


 ……「干渉」?

 その言葉にすごい違和感を覚えた。

 おかしいぞ。

 よく思い返してみると、精神干渉、されてたような。


「……そう。落ち着いて、思い出して」


 私は何をやっていたんだっけ?

 さっきまで思い出そうともしなかったことを、振り返ってみる。

 屋敷、貴族、銀髪、魔剣、危機、……。


 物騒な単語が並んで、この白い世界にいることに、急に違和感を覚え始めた。

 ここはどこなんだ。

 根拠はないけど、心の世界だという確信はある。

 でもなぜ、こんな所にいるのだろう。

 意識ははっきりしている。

 夢のようなほわほわした感覚はないのだ。


「……リルフィは、ボクに触ったでしょう」


 触ったもの。

 私は、ここに来る直前、何を触った?


 ……剣。

 エリスが言っていた。


 そうだ。

 魔剣にありったけの魔力を流し込んで、気付いたらここにいたのだ。


「……リルフィの魔力で、ボクは目覚めた」


 そして強烈な精神干渉を受けて、意識が飛んでしまった。

 この白い空間は、飛んだ先。

 だんだん状況がわかってきた。


 起きなきゃ。

 こんな所にいる場合じゃない。

 早くリオ・ビザールを止めなければ、みんなが危ない……!


 リオから魔剣を奪って、リオに反撃をする。

 意識が戻ってすぐに動けるように、心構えをしておく。


「……安心して。魔剣エリスフィアは、もうリルフィのものだよ。ボクがそう決めた」


 魔剣エリスフィア。

 その名前がすんなりと入って来る。

 エリスが言うに、魔剣は私のものになった、らしい。


「……ボクは魔剣エリスフィアから生まれた、エリス。今からリルフィが、ボクの主人だ」


 自称魔剣のエリスさんから、お墨付きをもらえた。

 少女のことは未だによくわからないけど、応援してくれるなら受け入れよう。

 これは目覚めてからうまくいきそうだ。

 よし、起きるぞ。


「……名前を呼んで。魔剣エリスフィア、と」


 夢の世界の住人さんに、現実世界に戻るキーワードを託される。

 どこまでも都合のいいようにできた夢だ。

 でも、夢はそれがいい所。

 願えばなんでも叶えてくれる。


 よし。

 エリスに言われた通り、合言葉を唱えてはやく現実に戻ろう。


「魔剣、エリスフィア——!」




・・・・・・・・・・・




「————!?」


 私が魔剣に触って、リオが息を飲む。

 それは白い世界に入る直前に、私が見た映像の続きだ。

 白い世界にいた体感時間は長い気がしたが、実際はほんの一瞬だったらしい。


 ほの暗い屋敷の庭で、冷たい風を感じる。

 戻ってきたことを実感する。


 リオの持っている魔剣は、私が魔力を流したことで緑色に光り始めていた。

 これまでの光とは別物だ。

 剣から流れ込んで来るものは、殺意ではなく、あたたかな安らぎ。

 これが剣の本来の姿なのだろう。


「っあつ——!」


 リオが魔剣から弾かれたように手を離す。

 それで剣の自由は完全に私のものとなった。


「なぜ!? 私の、魔剣が! ビザールの家宝が私を拒否した!?」


 魔剣を握っていたリオの手は赤く腫れ上がり、必死に右手をかばっている。

 リオの言葉に反論するように、剣から意思が流れ込んで来る。

 最初から気を許した覚えはない、と。


 魔剣が発する赤い光は、人を狂わせる魔法だ。

 それは魔剣が主人と認めていない人間に持たれたときの抵抗なのだろう。

 形式上の持ちリオ・ビザールは、魔剣の狂気にとらわれて、こうなってしまったのだ。


「そんな光……ビザールの魔剣じゃない! 嘘よ! そんなの、見たことがない!」


 剣の達人でもない私が、なぜ選ばれたのかはさっぱりわからない。

 でも、この状況を打開できるのなら、なんでもよかった。


「クソッ! 面倒臭い! もう皆殺しだ!」


 リオが自棄を起こして、魔法の詠唱を始める。

 初級魔法の、「火球」、「切断」、「石弾」、「水球」。

 早口で、まくし立てられるように唱えては、私に魔法を飛ばしてきた。


 しかし、この剣は魔法を切り裂くことができる。

 リオが教えてくれたんじゃないか。


 剣による身体強化のおかげで、弾速が早い土魔法も、目に見えない風魔法も、斬れる。

 目で見るよりも、感覚で魔法の動きがわかるのだ。

 剣に触れた魔法は瞬時に効果が消失するため、火魔法も水魔法も、周囲に飛び火することはない。


「ああああああ! 猛き水よ、リオの名の下に、敵を打て!」


 初級魔法が軒並み通じないと分かり、中級魔法を唱える。

 現れたのはリオの意のままに動く水の鞭。

 圧倒的な重量の水が打ち付けられれば、普通なら一撃受けただけで命の危機にさらされる。


 それも、この剣にかかれば一瞬で消せる。

 冷静に、迫る水の着弾点に添えるだけ。

 その程度で十分。


 中級水魔法「水鞭」が剣に触れた箇所から、伝播するようにリオの手元まで消えていく。

 リオは曲がりなりにも魔剣の持ち主だった人間。

 魔法が効かないことは十分に理解している。


 だからリオは、一通り魔法を放った後に、膝をついてうなだれてしまった。


「リオ・ビザール。罪を償って」


 この人間は冒険者を誘拐して、自分の快楽のために命をもてあそんだ罪深き人間。

 何人の冒険者がリオの餌食になったのかは知らないが、たとえ一人だけでも、許されることではない。

 冒険者にしたこと以上に辛い、生き地獄を味わうべきだ。


「ハッ! 犯罪者が何を言っている! あなただって冒険者を殺した! 私を捕まえるなら、あなたも道連れだ!」


 しかし、リオの反論に、心が揺らいでしまった。

 何も言い返せない。


 私も、剣の魔力に当てられて、冒険者の男を手にかけてしまったのだ。

 それはまぎれもない事実であり、私の手に、足に、重い枷をつけていく。


 だけど、アリアに幸せになってもらうまで、私は逃げ続けなければならない。

 リオに罪を償えと言っておいて、自己中心的な考えだ。


 罪悪感と自己嫌悪に苛まれて、私はその場で動けなくなってしまった。

 持っている魔剣は、人殺しの道具。

 そんなもの、捨てたい。


「あはははは! 考えてる! そうよね! あなたは人を殺したのよ! 人殺し! 私と同類!」


 人殺し。

 たったそれだけの短い言葉が、揺らいだ心に追い討ちをかける。

 手が震えてきた。

 まくし立てるリオを、もう衝動に任せて斬ってしまいたいという思いと、人殺しという罪過が、ぶつかりあう。


 目の前の人間は死んでいいくらいの罪人。

 だが、人間だ。

 魔物とは違う。

 人間を斬ってはならない。

 罪人であっても、殺人は人間としての矜持を失うことになる。

 これ以上、私は殺人を犯したくない。


 斬りたい。

 斬れない。

 相反する二つの思いは、本能と理性のせめぎ合いだ。


 生きたいという本能。

 幸福になりたいという欲望。

 理不尽な運命に対する怒り。

 殺人という罪。


 様々な色の絵の具を混ぜると、最終的には黒になる。

 それと同じように、私の中でいろんな思いが混じり合う。


 矜恃ってなに?

 誇り?

 それは生きるのに必要なこと?


 罪ってなに?

 誰かが勝手に決めたルールを破ること?

 私は何も悪くないよ?


 私も幸せになっちゃいけないの?

 なんで学校で冤罪にされたの?

 人殺しはやらされたんだよ?


 答えはどこにもない。

 教えてくれるひとは誰もいないから、自分で作るしかない。

 答えを提示しないのに、ルールを守れというのは、意味がわからない。

 自分で作った解答が何より正しくて、私が守るべき規則だ。


 いい加減、答え合わせをしよう。


 最初からそうすればよかった。

 自分で決めないから、面倒ごとに巻き込まれるし、こういう時に悩んでしまうのだ。


「——ふぅ」


 ひとつ、ため息をついてリフレッシュする。


 リオは罪人。

 冒険者を殺したから、とか優等生ぶった理由なんかいらない。

 私にひどいことをしたから罪人だ。

 アリアにも、ユリアさんにもマリオンさんにも、傷をつけたから罪人なのだ。

 だから断罪して良い。


 国に知られたら、捕まるだろう。

 しかし私は、私自身の手で、幸福を掴むことに決めた。

 私が殺してしまった人には、心の中で謝る。

 あの偽男爵は私に「強く生きろ」と言っていた。

 その言葉を叶えるのが、何よりもの償いであり、改めて誰かから咎められる意味なんて、ない。


 ほら、簡単に答えが出た。

 リオに感謝して、成長した私を見せてあげなきゃ。


 ああ、爪が剥がされた時、痛かったなぁ。

 実行犯は偽リオ・ビザールだったけど、確か本物は後ろで笑ってたような。

 ひどいなぁ。


「ま、待て待て待て待て! なぜ近づいてくる! 人殺しは犯罪でしょう! この犯罪者!」


 冷静になってみて思い出す。

 正当防衛って便利な法律もあったね。

 これは正当防衛だ。


 まあどうせ私たちは人前には出られない身。

 もう有罪とか無罪とか言っている次元じゃない。


 まあ、なんとかなるでしょ。

 私は魔剣を構えて、リオの首に狙いを定める。

 そうするとリオは尻餅をついて、命乞いを始めた。


「わかった! 金をあげます! 冒険者は金が好きでしょう! 駄目!? じゃあこの家! 広い広い屋敷です! これも駄目!? な、ならそう! この草! 草ですよ! 草! 草! 草草クサくさくさクサ————」




・・・・・・・・・・・




 リオの首が綺麗に飛び、直前に掴んでいた雑草と共に宙を舞った。

 こんなにもあっさり。

 拷問されたぶん、やり返しをしてやりたかったけど、早く終わらせたい気持ちの方が勝ったのだ。


 剣を払って、付いた血を落とす。

 魔剣エリスフィアは、前の持ち主を仕留められて喜んでいるようだ。


 リオ・ビザールの胴体から鞘を剥ぎ取って、剣をしまう。

 怪我をしているユリアさんとマリオンさんが危ないから、セレスタに治療をお願いしよう。


「セレスタ、回復魔法、かけてくれる?」

「……う、うぬ」


 一番後ろで見守っているだけだったセレスタが、素直にいうことを聞いてくれた。

 ひょこひょことマリオンさんの所に行って、あっという間に斬られた腕をくっつける。

 串刺しにされて倒れているユリアさんも、セレスタが手をかざすだけで傷が塞がった。

 ユリアさんはダメージのショックで意識を失っているが、もう少ししたら普通に動けるだろう。


「アリアは、どこも怪我してない?」

「……リルフィさまぁ、かっこよかった。わたしの、リルフィさまぁ」


 アリアの所に行くと、胸によりかかって頬ずりをされる。

 相変わらずのべったり具合で、元気そうで何よりだ。


 私も私で、リオにひどいことをされていたから、実は心細くなっていたのに気付いた。

 だからアリアの感触が心地よくて、身を預ける。


 お互いの生をしっかり確認したところで、屋敷から出ることの優先度をあげる。

 屋敷の主を倒してしまったから、誰かに見られたら大騒動になる。

 冒険者を何人も殺すより、貴族ひとりを殺すことの方が重罪なのだ。

 早くここを出よう。


 アリアの肩を抱きながら、屋敷にみんなの装備を取りに行く。

 ユリアさんにはマリオンさんがついているから、一時的にその場を任せる。


 二階に上がって、私たちが泊まった部屋にある武器や道具をかき集めた。

 そして、偽男爵の部屋に行って、私が殺してしまった男に祈りを捧げる。

 仇は討ったから、安らかに眠ってください、と。


 その部屋でアリアにも手伝ってもらい、使えそうな衣類や小道具などを根こそぎ拝借する。

 罪に罪を重ねているようだが、いまさらだ。

 一階の食堂に向かい、日持ちしそうな食材を片っ端から詰め込んで、かろうじて旅に出られる状態にする。


 荷物の整理とか不要品の仕分けとかは、あとでやればいい。

 私とアリアで、動きが鈍るほど大量の物品を担いでユリアさんの所に戻った。


 マリオンさんに意識が戻らないユリアさんを任せて、ビザールの屋敷の正門を抜ける。

 屋敷の次は、街を脱出だ。


 私、アリア、セレスタ、ユリアさん、マリオンさん。

 怪我は回復魔法のおかげで治っているが、精神までは癒されない。

 みんなの心は満身創痍だった。


 真夜中の誰ひとりいない静かな街を、足を引きずっているかのような気持ちで歩いて行く。

 本当は誰かに見られないように移動した方がいいのだが、誰もそこまで気が回らない。

 街の出口に向かって、一直線に向かっていた。


 ここは王都からだいぶ離れた小さな街で、警備も緩く自由に出入りすることができる。

 血だらけの格好をしていても、怪しまれることなく出られるのだ。


 大通りを抜けて、外壁をくぐって、ようやく緊張から解放された気分になった。

 街道から少し外れて、道ゆく人の死角に入るような窪みで、野営をすることに。


 屋敷からここまで、みんな黙々と歩いていた。

 一刻でも早く落ち着きたかったのだ。


「——あれ。ここは……?」


 そんな中、初めて口を開いたのは、意識を取り戻したユリアさんだった。


「ああユリア、よかった……!」


 それを真っ先に気づいたマリオンさんが、ユリアさんに飛びつくように抱きついた。

 ずっと一緒に行動してきた二人は、私とアリアみたいに強い絆で結ばれているのだろう。


 今まで私たちの前では大人の振る舞いを見せていたけど、本当の姿は私たちと変わらない。

 マリオンさんとユリアさんは、寄り添ってお互いの無事を喜び、涙を流していた。


 私は隣のアリアの手を握って、空を見上げた。

 無数の光の点が、黒い空に輝いている。


 光の点のひとつひとつは、死んだ生き物の魂だ。

 肉体が死を迎えると、残った魂が空に浮かび、その魔力を焼き尽くすまで光ると言われている。


 リオ・ビザールの魂は、もう空に上がっただろうか。

 リオにやられた冒険者も、同じように光っているのだろうか。


 でも、私はここにいる。

 生き残ったんだ。


 空に浮かべばどんなに楽なのだろうと思うことはある。

 それでも私はこの大地に生きる。

 這ってでも、穴を掘ってでも、この地にしがみついてやるんだ。

 それは、私を空に連れ出そうとする、不条理な運命への抵抗だ。

 絶対に、どんな手を使ってでも、私は幸福をつかんでやる。


 アリアだけじゃない。

 私も幸せになったって、いいじゃないか。

 

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