ただ一人のためのパーティー

 ——意識はあった。

 体は動かない。

 頭も回らない。

 私は、息をしているだけの人形だ。

 人形は、自分がモノみたいに扱われるところを、黙って見ている。


 銀髪メイドの指示のもと、下位のメイドたちが真っ暗な部屋から私を運びだした。

 私が閉じ込められていた部屋から出て、明かりが灯った廊下を経て、小部屋に行き着く。

 そして、椅子に座らせるのをぼんやりと見ている私。


 腕を肘掛けに置かれて、革のベルトで固定される。

 足の位置を整えられて、それもベルトで固定。

 そしてアタマも、正面を向くように縛られる。


「では、残りもやってしまいなさい。早くしないと、男爵が、怒るわよ」


 銀髪メイドの号令で、他のメイドたちは直ちに部屋から出ていく。

 残った銀髪メイドが振り返り、ゆっくりと私の前に歩み寄ってきた。

 そして私の顔に指を沿わせ、ため息をつく。


「……傷ひとつなくて綺麗で、柔らかい肌」


 メイドの指は、頰を伝って唇の線をなぞる。

 麻痺薬で感覚が戻っていないため、触れられても何も感じない。


「女というにはまだ幼くて、汚いものを知らない無垢な精神」


 メイドの手が、首筋、胸、お腹、太ももへと落ちていく。


「……こんな可愛い少女を手にかけるなんて、ああ!」


 反応しない私に、メイドは独り言のように語る。


「リオ・ビザールは狂っております」


 メイドの青い目が、私の瞳を捉える。

 憂いを帯びたその表情で、人形の私に言葉をぶつける。


「あの男は、冒険者を捕まえて拷問することで、快楽を得る猟奇趣味を持った人間なのです。……ですから、これからあなたにとって辛い時間が始まりますが、どうか少しの間、我慢してください。隙を見つけて、私が安全な場所に匿って差し上げましょう」


 銀髪メイドは最後に私の髪に触れて、見慣れた無表情に戻った。

 私の元から離れたメイドは、扉へと歩む。


「……さあ、男爵様に、きていただきましょう」


 銀髪メイドが手を叩く。

 そして扉を開くと、リオ・ビザールが入ってきた。


「男爵様。大変お待たせいたしました。前菜は、金髪の少女にございます」

「うむ。まずは軽い準備運動ということだな。よかろう」


 銀髪メイドは部屋の隅に置いてあった桶をとり、水で満たす。

 それをリオ・ビザールに渡すと、メイドは一歩下がって場を譲った。


「リルフィ、と言ったか。意識はあるだろう。こちらに戻ってくるが良い」


 桶の水を、私に勢いよくかける。

 冷たい液体を顔いっぱいで受け止めると、それまでぼんやりとしていた私のアタマが、一気に覚醒する。


「——ぷはっ! けほっ、けほっ……! こ、これは……なんなの……?」


 椅子に座らされて、身動きが取れない状態の私。


 これまで見てきた映像に理解が追いつき、そして疑問が芽生える。

 私は麻痺薬で動きを封じられたあと、ここまで運ばれて身柄を拘束されるまでの記憶。


 どうして捕まったの?

 みんなはどうしたの?

 私は何をされるの?


 メイドがすでに答えを言っていた。


 男爵が私を拷問する。

 そのために捕まった。

 他のみんなも私とおんなじ。


 一気に顔から血の気が引いていく。

 熱が顔から胸へと落ち、心臓の動きを駆り立たせる。


「ふふふははは、はっはっはっはっは——!」


 リオ・ビザールが高らかに笑い声をあげる。

 私と男爵、メイドのみ存在する狭い空間に、鼓膜を震わす低い声が響く。


「月に一度の、パーティーの始まりだ! 冒険者の苦痛に歪む顔絵画を鑑賞し、素晴らしき悲鳴音楽を聴き、命乞いに紡がれる言葉文学を楽しむ、リオ・ビザールのためだけの晩餐会ッ! 待ち焦がれていたぞ!」


 その男の目は、狂気に歪んでいた。

 私には、リオ・ビザールの言っていることが理解できない。

 理解することを受け付けなかった。


 首を固定されているから、目を動かして部屋を見渡す。

 鎖の繋がった金属の輪や、棘のついた棒、ノコギリやハサミなど、ありったけの道具が、壁や床に置かれていた。


 あれは、だれにつかうの?


 自分の腕を見て、足を見て。

 あの刃物や棘が私に触れて、なす術もなく皮膚を傷つけられる想像。

 赤黒く汚れた器具はきっと切れ味が悪くて、何度も何度も私に叩きつけられるのだろう。


 しかし、私は動けない。

 自分が切り刻まれるところを、見ているだけしかできない。

 そんなの、いやだ。

 怖い。

 帰りたい。

 助けて!


 思いっきり叫んでしまいたいが、かすれた声しか出ない。

 これから来たる苦痛に、何よりも恐怖に満たされる。


「魔物に襲われる貴族を助けようなどと! お人好しの冒険者をこうして陥れるのは実に愉快ではないか!」


 全身を固定されて身動きが取れない私は、必死にもがいて、拘束を少しでも緩めようとする。

 色々な方向に動いてずらそうとしたり、急に力を入れて革を伸ばそうとしたり、体重を傾けて椅子を倒そうとしたり。


 でも、拘束はびくともせずに、焦りだけが増してくる。


 最後の手段で、魔法で拘束具を破壊することを考えた。

 風の魔法で自分もろとも切り刻むか、火の魔法で焼くか。


 リオ・ビザールにやられるくらいなら、自分で自分を傷つける方がマシだ。


「炎よリルフィの名のもと——はぐっ!」


 詠唱を始めた途端に、男爵が手を上げて私の腹を殴った。


「逃げようなどと考えるな!」


 内臓が揺さぶられる感覚に、痛さと気持ち悪さが混ざり合って呼吸ができない。

 魔法の詠唱なんてする余裕もなく、歯を食いしばって痛みをやり過ごす。


「そういえば、お前は魔法を使えたな。さては貴族か? まあ、冒険者をやっているようでは、とっくに没落しているのだろうがな!」


 痛い。

 痛い。

 どうしてこんなことをされるのか、疑問でアタマがいっぱいになる。

 答えは出なくて、目の前の男は怖くて、メイドさんは助けてくれない。


「さあ、始めようか。今日はまだ優しめでいこうではないか。すぐに壊れてはつまらんからなあ!」


 耳元で、かちかちと金属の合わさる硬い音が鳴らされる。

 男爵の手元が私の視界に入り、その正体を知る。


 ペンチだ。


「え……?」

「私が、お前の、爪切りをしてやろう! 深爪になったらすまぬなぁぁぁ??」


 ウソ。

 爪切りなんて、ペンチでやるものじゃない。


 この男は、ペンチで私の爪を剥がすつもりだ。

 想像しただけで指の先が痛くなる。


 腕は拘束されて動かせないが、指は動かせる。

 だから手をグーの形にして、爪を見せないようにする。

 そんな一連の動作を眺めていた男爵は、嬉しそうに高笑い。


「はっはっは! それも様式美だぞ? 私が爪を剥ぐと言えば、皆こうして無駄な抵抗をする!」


 男爵がおもむろに私の右手を掴み、むりやり手を開かせようと指を拳に入れてくる。


「さあ、手を開こう!」


 一本の指を取られて、力づくで持ち上げられる。

 そうすると、拳に力が入らなくなって緩んでしまう。


「やだ、やだ……!」


 男爵は右手から左手に集中を移し、同じことをする。

 そのスキに右手を握り直す。

 左の拳が緩められ、再び右手を攻められる。


 右手が解かれて、左手に移って。

 左手が解かれて、右手に移って。


 繰り返されるこの行為に、私が抵抗する様を男爵が楽しんでいるんだと悟った。


「前戯もここまでだ。気分はどうだ?」

「……やめて」

「ああ? 聞こえないぞお??」


 男爵が懐から細い釘を取り出す。

 後ろで控えていたメイドが、ハンマーを差し出す。

 左手の甲の中心に釘が添えられ、男爵がハンマーを振りかざす。


「やだ、やめて、やめて、やだやめてやめてやめてだめだめだめ!」

「……ああ、いい声」


 ハンマーが振り下ろされる。

 釘が私の手に刺さる。


「う、うそ! 痛い! 痛い! ああああああああっ!」


 一瞬、手のひらを突き破った釘の感触が、指に伝わった。

 しかし、じわじわと痛みが強まって、拳なんか握っていられなくなる。


「そうだ、いい子だぞ」


 釘の位置をずらさないように、慎重に手を開くと、男爵がアタマを撫でて褒めてくれる。

 敵ながら、一瞬見せた優しさになぜか安心する。

 そうしてできた心のスキをついて、男爵がもう一度ハンマーを打ち付けた。


「あ、ああっ……!」


 カンカンと。

 何度も何度も、釘が私の中を通っていく感覚。

 釘が深く打ち付けられて。

 私の手は、完全に肘掛けに固定された。


「じゃあ、小指からだ!」

「やめて、もうむりだから……!」


 ペンチで小指の爪が掴まれる。

 そして思いっきり引っ張られ、激痛が走る。


「あああああああああああああああああああああああああ!!!」


 爪に無理な力が加わったせいで、剥がれ切る前に爪が割れた。


「おっと! 一本目はうまくいかなかったようだ!」

「やぁ、痛い、痛いよぅ……!」


 そう言って男爵は、血が滲んでいるところにペンチを差し込んで、割れた爪を掴み直そうとする。

 でも、血で滑ってうまく掴めない。

 だから、ペンチを傷に押し付けて、より強い力で爪を取ろうとしてくる。


「うぅ、いっ、たすけてぇ……」


 ようやく掴めた爪。

 再び力が込められて。

 爪が完全に剥がれる。


 剥がれた爪を見せてくる。


 私の一部が、取られちゃった。


「次は〜、中指だあ!」


 爪と指の間に、釘が挟まれ、ハンマーを使わずに、ねじ込まれて、


「ぎぃ……!」


 釘が爪の根元まで進んでいくのが、見える。

 動けばもっとひどいことになるから、ひたすらこれを耐えるしかない。


「ようし、今度は失敗しないようにやるぞ!」


 釘が抜かれて、ペンチが差し込まれて、また、剥がされる。

 今度は一気に取られるんじゃなくて、めりめりと、ゆっくり、そーっと。


「うぅ、もういやだ、うっ、やめてよぉ!」

「うまく取れたぞ!」


 見せられる。

 捨てられる。

 次の指。


 痛いけどどうすることもできない。

 涙がどくどくと落ちていく。

 叫べば、叫んだだけ、男爵が喜ぶ。

 どうしていいかわからない。


「メイドさん、たすけてくれるって、いったじゃない……!」


 薬指の爪が引き抜かれ、人差し指の爪は少しずつ砕かれ、親指の爪は折り曲げて剥がされ。


 左手の爪が、全部なくなっちゃった。


「やはり子供は弱いなぁ。途中から全然鳴かないじゃないか」


 男爵がペンチを放り投げて、背を向ける。


「まあ、準備運動にはなったか」


 扉が開かれて、男爵の姿が消える。

 扉が閉じられ、静かになる。


 もう終わりなの?


 痛みで何も考えられない。

 終わったのか終わってないのか、どうでもいい。


 左手は血だらけで、爪だったところは全部真っ赤。

 じんじんと脈打つような痛み。

 空気に晒されて、血が固まっていく。


 それだけを眺めていた。


 そうしていると、視界が暗闇に覆われて、ふわりと甘い香りが漂ってくる。


「よく、頑張りましたね。今日はこれで、終わりです」


 銀髪メイドが私に覆いかぶさってきたのだ。


「う、うぅぅぅぅ……!」


 終わりという言葉に、再び涙が溢れ出し、メイド服にシミを作る。

 同時に、怒りが込み上げてきた。


 これまでなんにも悪いことをしていないのに、リオ・ビザールは私を痛めつけてくる。

 男爵だけじゃない。

 魔法学校だって、エルフィード王国だって、退学とか指名手配とか、私たちが生きるのを邪魔する。

 悪いことなんてしてないのに!


「落ち着いて、まず、釘を抜きますから」


 甘い香りが顔から遠ざかり、左手に。

 深く、手の甲にぴったりと打ち付けられた釘に、メイドが釘抜きをセットする。


「最後にこれだけ、痛いのを我慢してください」


 メイドの体重が後ろに向いて、釘が一息に抜ける。

 手は全部痛くて、釘が動く痛みも感じない。

 ぽっかり空いた穴から、血が溢れていくのを見ていた。


「ちゃんと耐えられましたね。えらい、えらい」


 メイドの手が、私の手の上に重ねられる。


「——癒しの光、彼のもの、刺創、再生せよ」


 そして、暖かい光と共に、痛みがスッと消えていった。

 指先は元どおりになり、血の汚れだけがさっきまでの凄惨さを物語る。


 メイドが私の拘束を解いていく。

 顔と、腕と、足と、胴体と。

 圧迫感から解放されて、精神的な疲れが一気に襲いかかってくる。


 アタマの中がごちゃごちゃして、何も考えられない。

 銀髪メイドから席を立つように言われ、ふらふらとしながらも、立ち上がる。

 肩を貸してもらいながら、この拷問部屋を出て、地下の薄暗い空間を歩いていった。


 途中に扉が何個もあって、そこにみんなも閉じ込められているかなあと思う。

 それ以上のことは考えられなかった。


 階段を上って、地上階に出る。

 そこはどうやら、屋敷の中。

 人は誰もいない。


 静けさに包まれた廊下を進んで、使用人の部屋に通される。

 銀髪メイドが私をベッドに座らせて、どこかに行こうとする。

 さっきまで触れていた温もりが遠ざかることに、強い不安感を覚えた。


「やだ、いかないで」


 自分の声じゃないと思うくらい、か細くて弱々しい言葉が漏れ出す。

 銀髪メイドが戻ってきて、私の隣に座ってくれて、いくぶんか不安が和らいだ。


「このまま、ゆっくり、休んでいてください」


 銀髪メイドの柔らかな胸に抱かれ、背中をリズミカルにたたかれる。

 不安から安心へ、痛い時間はもう終わったんだと、そう思えるようになった。


 メイドにベッドに寝かされて、ブランケットをかけられて。


 この辛い現実を手放していいんだ。


 夢の世界に飛び込もうと、目をつむって準備をする。

 メイドの吐息を感じながら、まだぴりぴりする左手が、ちゃんとあることを確認して。

 さようなら。


「起きたら、あの男を殺しに行きましょうね——」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る