シーンC『いのちと聞いて思い出す話』


■ シーンC『いのちと聞いて思い出す話』



 輝彦てるひことは高校時代からつき合い始めて、もうすぐ7年になる。

 20歳を過ぎた頃からだっただろうか。私たちはお互いに、将来のことについて語り合う機会が増えた。

 中でも家庭や子どもの話に花を咲かせることが多かった。輝彦は家庭的なことが得意なタイプで、子育てにも関心があるようだった。

 何人子どもを産んで、どういう家に住んで、子どもにどういうものを買い与えて、休みの日には家族でどこに行って、習い事は何をさせて……、という話を、彼は目を輝かせながら口にした。

 私も、どんな子に育てたい、自分はどういう親になりたい、などということを考え、彼に話すようになった。


 若者の青い理想ではあったのかもしれないけれど、それでも彼の語る未来は、聞くたびに胸が躍った。

 まだ籍は入れていないけれど、私は輝彦と一緒に歩んでいきたいと思っていた。

 彼の話す願いを、私も叶えてみたかった。


  *


 一週間ほど前のある日。

 普段は初詣にすら行きたいとは思わない私だけど、この日は神社に行ってお祈りをして、お守りを買ったりなどもした。

 妊娠していたことがわかったのだ。

 嬉しかった。やっと私たちの願いが叶えられると思った。

 輝彦に電話をかけた。迷いはなかった。彼も喜んでくれると思っていた。


「は? 妊娠?」

 嬉々として妊娠の報告をする私に返ってきたのは、驚嘆と侮蔑が混ざったような輝彦の声だった。

「そう。私と輝彦の子どもだよ!」

「おい待てよお前。俺は責任なんてとれないぞ」

 怒鳴ってこそいないけれど、声にはたしかに怒りが込められていた。

「ちょっと、なんで怒ってるの? 子どもが産まれたら何がしたいとか、こんな家庭を作っていきたいとか、今までたくさん話してきたじゃん!」

「あれはもしもの話だろ!? 本気にしてたのかよ!」

 何を言われているのか、わからなかった。輝彦がどうしてこんな口調になっているのか、理解できなかった。悔しさとショックで、頭が真っ白になっていた。

「もっとよく考えてくれよ」

「今の俺一人の稼ぎじゃ子どもは養えない」

「俺たちには子どもなんてまだ早い」

「俺は子どもの面倒なんて見ないからな」

「第一、俺たちまだ結婚もしてないだろ?」

 輝彦が電話の向こうで冷たく言い放つのを、私は呆然と聞き流していた。

「とにかく、俺は知らない。その赤ん坊はおろしてくれ」

 その言葉が聞こえたのが最後だった。電話が切れてから私がどうしたかは、よく思い出せない。


 輝彦とはそれ以来、連絡がつかなくなってしまった。もちろん、直接会うこともない。

 あれだけ二人で将来の展望を語っておきながら、いざ実際に子どもができたら、あっさり私を切り捨てたのだ。


 両親にも一応話をした。案の定ではあったけれど、いい反応はしてくれなかった。

 父からは何やってるんだと非難され、母からは子育てをなめるなと叱責された。それだけならまだよかったものの、輝彦は何て言ってるんだと訊かれたら、返す言葉がない。


 彼氏には逃げられ、家族からは軽蔑される。

 ……それでも、私は。


 その日、私は一人で泣いた。

 赤ちゃんが産まれたら、したいことがたくさんあった。ほしいものもたくさんあった。私と輝彦と、産まれてくる赤ちゃん。みんなでこれから、幸せな家庭を築いていきたかった。

 それなのに、私の願いは全部なくなってしまう……。

 まだ大きくなってはいないけれど、たしかに新しい命が宿っている自分のお腹を撫でながら、語りかけた。

「ねえ、私のお腹の中の赤ちゃん、聞こえてる? せっかくもらった自分の命が、勝手に殺されちゃうのって、どんな気持ち? もし何かお願いできることがあれば、あなたは何を願うのかな?」


  *


 願いをくした私と、生まれることを願われない私の子ども。

 お腹の中の赤ちゃんだけを殺すなんて、私にはできなかった。


 お腹の中のこの子と一緒に、私も死のう。

 そう決めて、私は線路に身を投げ出すことにしたのだ。


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