ひとり映画にかた寄せて

シクリム

A面:橋本めぐみの視点より

 

 県立茶南高等学校2年3組出席番号32の橋本めぐみは、自分がそれなりに可愛い事を知っている。

 

 そこから、クラスまたは学内において自分がどのような立ち位置にいるのか自覚している。



 彼女は整った顔立ちをしているので化粧をせずとも登校するのは彼女にとって普通であり、それが男女問わずに彼女の一定の好感度を上げるポイントになっている。そして、そこが彼女の悩みのポイントであった。男子からは所謂、“高嶺の花”として扱われがちであったのだった。




 話しかけられはするものの、どこか距離を感じる。




 男子は彼女を、俺たちじゃ届かない、ましてや手を触れてはならないといった、“ドライフラワー”のような扱いをしていた。



 彼女もまた年頃である。友人の口から伝え聞く“男”の話は、大小あれどどれも魅力的に聞こえた。


 人に全霊をかけて愛される、まさに至上の喜びではないかと思った。


 しかし、周りの男性の自分に対する扱いはまるで実験で使用するカバーガラスのようにおっかなびっくりであった。


 当然、誰一人として彼女に思いをぶつけてくる男など高校に入学してから未だ現れることは無かったし、彼女自身もまたそんな周囲の男の誰か一人へも恋心が芽生えることも無かった。









 さて、先週の水曜、NIHEIショッピングモールけいそでの事である。






 同じ女子バドミントン部に所属する県立茶南高等学校2年5組出席番号14の川端莉奈と公開中の映画『LOVELY&POPPING』一緒にを観る約束していた彼女は、その待ち合わせ場所、TOYOシネマけいそのロビーに立っていた。既にチケットを購入し、大好きなキャラメルポップコーンとサイダーのセットを購入し、後は川端莉奈を待つのみだった。

 

 しかし、川端はいつまで経ってもこない。


 彼女はまさか、と思ったが、案の定、川端から今日は行けない、というメッセージがあり、その時、彼女はいよいよ体験したことのないひとり映画というものを経験することとなった。

 


 クラスに映画好きの男子がおり、まさに彼は一人映画の達人であるらしいという会話を小耳にはさんだのを彼女は思い出した。彼なら、ひとり映画に慣れているのだろうか。



 ああ、そう、目の前にいるあの人に似た男子である。それはまさにあんなボサついた髪型をしたすこし猫背の……。






 彼であった。その県立茶南高等学校2年3組出席番号34の松井千明まさに本人が、ひとり映画をしに、このシネコンに足を運んでいたのである。


 彼女は一瞬声をかけるべきか迷った。彼女が彼に対して抱く心象は、そう悪くはなかった。


 1年生の頃も同じクラスであり、名字もは行とま行で近いこともあり、班活動でも一緒の場合が多かった。彼がする趣味の話はユニークな視点を持っており、面白い人だな、と彼女は思っていた。


 されど、今は班活動などなんら関係のない放課後である。

 いちいち話しかけるほどは親しくもないし、そもそも彼女自身が自分は自分から異性に話しかけにいくようなキャラではないと自覚していた。


 相手も話しかけられたくはないかもしれない。ひとり映画という行為は彼にとって神聖な儀式めいたものなのかもと、彼女は思った。



 その思考を巡らせていた刹那、彼女と彼は目が合った。見られた!と思った。



 だがこうなった以上は、後には引けない。



 彼女は、彼に、出席番号34の松井千明に話し掛けてみることにした。













「松井、くん……?」


「え?」


 思わぬ人との思わぬ出会いに、彼は、明らかに動揺していたようだった。


「松井くんじゃん。よっ」


 ポップコーンとサイダーのセットを片手に抱えた彼女は、もう片方の手で挨拶のジェスチャーをした。


「あ、ああ。おお。橋本さん。……よっ?」


 彼はとてもぎこちなさそうに、会釈を返した。


「松井くんも映画?」


「いやまあ、うん、そんなとこ。」



 やはりひとり映画なんだ、と彼女は思った。畏敬の念すら感じた。すごいと思った。



「へえ。こんな所で映画なんて、松井くんらしいね」


「いやぁ、ははは。結構、来るんだ。一人で」


「そうなんだ。」


 彼女は、すこしぬるくなったサイダーを気まずそうにストローからすすった。


「橋本さんは?今日は誰かと?」


「ううん。そのはずだったんだけど、ついさっき川端からすっぽかされちゃって。」


「川端?」


 ここで、彼女は彼の交遊関係が狭いことを不意に悟った。川端は明るく元気で、色んな人に知られているんじゃないかと彼女は思っていたからである。


「ああ、そっか。4組の。女バドで一緒なの」


「なるほどね」


「松井くんは?」


「いや、だからさっき言った通り、俺は一人で……」


「あ、そーだった、なんかごめん。すまん」



「いやまあ、別にいいけど」



 彼は、苦々しく笑った。




「そうか。ならチケット要る?席もう取っちゃってて」




 ふと無意識に、彼女は彼にそんな事を聞いてみたのだった。まったく、そんな、意識なんてのはしていなかったのだけれども。


「イヤイヤイヤ、それはいい。てか俺ももう観る映画決めて席取ってるから」


 まさか誘われるとは思ってもみなかったのか、彼は動揺しながら早口で拒絶した。


「……あ、そうか。じゃあひとり映画だ。初めてなんだ私。どうなんだろ」



「慣れれば普通に行けるよ。ひとり焼き肉よりはつらくない」

 ひとり焼き肉。


「ひとり焼き肉?なにそれ、行ったことあるの?」

 ひとり焼き肉が妙に引っ掛かった。焼き肉はみんなで食べるという固定観念があったからだ。


「いや、ないけど。例え話ということで」

「ふふっ。」


 彼女は、思わず小さく笑ってしまった。


「ははは。」


 釣られたのか、彼もまた笑った。


「やっぱりさ、松井くんって普通の人よりちょっと、なんかこう、面白いよね」


 嫌味でもなんでもなく、本当に彼女は彼の事を面白い人だな、と改めて思ったのだ。


「それは褒め言葉なのかな」

「褒めてるよ。うん。たぶん」

「まあ、そういうことにしとこう」



 少しずつ、緊張の糸がほぐれ、両者の会話の流れがスムーズになっていったのを感じた。












 14時35分より上映のスクリーン6番、『LOVELY&POPPING』、ただいまより開場致します。チケットをお持ちのお客様は……」




 入場開始の時間となり、場内アナウンスが告げた。


「あ、入場始まった。じゃあ私行くね」


「ん、え、ああ。うん。じゃあ……、あっ。」


 彼が、何かを言いたくなさそうな顔を一瞬したのを彼女は見逃さなかった。


「え、なに」



「俺もその映画だ」



 気恥ずかしそうに、彼は男ひとりで恋愛映画を観ようとしていた事を告白した。


「本当に!?」


 彼女はマジでびっくりした。流石にそんな事をする人間が本当に居るとは、認識と想定の外だったのだ。


「うん、まあ」


 彼の頬がすこし紅潮がかっていた。



「松井くんってこういう映画も観るんだね。なんか意外」

「うん、まあ。知り合いが照明や編集が良いって言ってたから。気になって」


「おお、なんか松井くんっぽい」


 またしても、彼女は彼のユニークな点に感心した。心の片隅では、本当かよ、かっこつけてるだけじゃないのか、と思ったりもしたが。


 












 係員にチケットを渡す。チケットは軽妙な音を立ててもぎられ、半券となる。


「右の通路、スクリーン6番でございます」


 この感覚はいつぶりだろうか。今から映画を観る気がするな、と彼女は感じた。












 彼女、次いで彼はシアターの中に入った。だが、思っていたより人はいなかった。


「……ガラガラだね」

「だね」



 半券に印字された席を探した。印字されたアルファベットまで階段をのぼり、印字された数字まで席を見定めた。

「私、Fの7番。ここだ」

「俺はHの14。じゃあ、また」

「はーい」



 なにやらローカルでチープなCMが流れた後、次いで劇場用予告が流れ始めた。


『LOVELY&POPPING』のような恋愛映画から、ハリウッドの大作映画、アニメーション映画のものも流された。


 観客は、依然として少なかった。カップルが3組、女性2人組が2組といったところだった。



 ふと、彼女はひとりで映画を観るのにどこからか不安を感じ始めた。


 どう思われているのだろう?


 ひとり映画をいつもしている彼はすごいな、と思った。


 ああ、自分では耐えられない、と限界を感じた。




 彼女は一旦席を立ち、ポップコーンを抱え、2列後ろまで上がっていった。




「松井くん、松井くん」




「ん?どうかした?」

「いや、あまりにも人が来ないもんだから」


 彼は席を見渡した。何かを理解したようだった。


「隣で、観ていい?」

「え、いや、そんな……」


「一人で観るのも寂しいし、楽しく観ようよ」


 と、同時に彼女はああ、言っちゃったな、とも思った。男子の横で映画を観るのは初めてだ

 ったのをすっかり忘れていた。


「うーん……まぁ、わかった」


 彼はすこし渋い顔を、けれどもまた頬を紅潮させて、応えた。


「やった!」





 ポップコーンを座席にセットして、彼の横に彼女が座った。




 彼女と彼の間の距離は15センチ。




 両者の腕の間の距離は15センチ。





 すぐに交わるようで交われない、酸っぱい距離だった。





 予告はそんな中でも流れ続けていた。








「今のこの予告の映画、松井くん好きそうだよね」

「ああ、でもこのシリーズのはそんなに……」


「そうなんだ。あっ、ポリモンだ。懐かしい」

「夏はポリモン!って言うくらいだからね」



 彼の言っていることのほとんどは、彼女にはあまりわからなかった。すこし面倒くさいと思ってしまったが、誰かと映画と観る感覚を、彼女は思い出した。






「映画ドロボーだ。私、昔家族で映画観に来た時、これが怖くていつも顔塞いでた」

「はは、俺も。昔はもっと画面が暗かったもんなぁ」


 彼は、笑った。


「そうそう。なんか、見られた!って感じが怖かったもん」

「うん。何回か夢に出てきたことまであったよ。っと、そろそろ始まるよ」


「一応、おしゃべり禁止だもんね」




「あんまり人はいないけど。禁止。あ、ポップコーンもらっていい?」






 この言葉に彼女は驚いた。こんなことを言うなんて思ってもなかったのだ。



「へへん。いいよ」






 15センチの不可侵領域が、ほんの一瞬だけ、無くなった。


















 上映が終わった。


「面白かった!久しぶりの映画だったし」

「おお、なら良かった」


「(流行りの女優)もめっちゃ可愛かった!」

「ああ、うん。そだね」



 彼女は、彼の感想がふと気になった。


「松井くん的にはどうだった?」


「評判通り照明の、なんていうのかな、当て方……が良かったし、編集も良かったよ。テンポが良かった。」


「流石、映画博士ですな」

「ハハハ。そんな偉くもないよ」



 こう褒めていても相変わらず、彼が何を言っているのか、彼女にはあまりわからなかった。













「さて、俺、帰るわ」


「じゃあ私も帰ろ。川端が来なかったから、もう早く家に帰って寝る!」


 そういえば、川端と元々約束していたんだった、と思い出した。思い出すとおのずと怒りもよみがえってきた。帰ってふて寝でもしたい気持ちに彼女はなった。


「じゃあ、俺、チャリだから……」


「あ、私も自転車。家、近いの?まぁ、近くなければこんな小さなショッピングモールなんか来ないよね」


「うん。まぁ、網場等町のあたりだけど」


 網場等町。彼女の住まう史暮町の隣の隣の隣の町である。案外近いんだな、と彼女は驚いた。



「ああ、じゃあ反対方向か。ウチは史暮町なの」

「じゃあ家って結構近いんだ。橋本さんちと俺んち。」

「そうだね。」


 ああ、そういえば1年生の頃の自己紹介で出身中学を言っていたような気がする、なんてことをふと思い出した。


「あ、じゃあそれじゃ中学は網場等中なんだ。あそこ親戚が通ってた」


「なんて名前?」


「阿藤海。知ってる?」



「あー…。同じクラスになったことはないなぁ」



「そうなんだ」



 ただその親戚と彼女は親しくもなくむしろ疎遠な方であったので、こんなことを聞いて仮に彼が親戚と接点があったといって、あまり話題のネタにもならなかったな、と後日彼女は反省した。







 彼と彼女は駐輪場に着いた。彼女のライトグリーン色の自転車はすぐに見つかった。



「じゃあ、私の自転車、これだから」


「おっ。じゃあ……ああ、うん」



 彼は、何か言いたげな雰囲気だった。



「じゃあね」


「あっ、いや、橋本さん。」


 彼が、彼女を呼び止めた。


「?」


 彼はたどたどしく言葉を紡いでいった。



「今日は、偶然だけど、一緒に映画観て結構、その、楽しかった。ホント偶然だけど。」

「私も、そうだよ」



 彼女と彼の“楽しかった”は別のものであるかもしれない────それでも、彼女は“楽しかった”。



「偶然だけど、まぁ、うん。また、なんか面白い映画があれば、その……教えるから。それだけ!ポップコーンありがとう!!」



 彼女は、必死な彼の姿に、どこか可愛らしさを感じた。


「どーもー!」


「じゃあ、また!学校で!」


 手を振る彼を横目に、彼女は自転車に跨がり、走らせた。


 振り替えると、彼はまだ懸命に手を振っていた。



「はーい」


 彼女もまた、手を振った。


「また!」








 空はどんどん赤色がかっていき、太陽の沈みがこの1日の終わりを告げていた。












 たまには映画館にも行ってみるものだ、と彼女はペダルを漕ぎながらしみじみと思った。




 しかし、彼───出席番号34の松井千明は、専門的な知識も持ち合わせて、面白い男だな、と彼女は感心したものだった。




 面白い映画があれば、親切にもまた教えてくれるし






 ────面白い映画があれば、また。











 ああ、そういうことか。







 彼女の頬が、夕日のように赤く染まった。





 まったく、どうしようかな、と彼女は思った。






 今日の事を、いっそのこと友人に言ってみようかな、お母さんに言おうかな、川端に言ってみようかな、いっそのことクラスの男子全員に言ってみようかな、と考えを巡らせた。





 というか、よく考えると、あの高嶺のドライフラワーたる自分が自ら男子の横に進んで見事着席したのだ。




 あの15センチ。




 彼はどう思ったのだろうか。




 彼女は更なる面映ゆい気持ちと、どこか矜持に満ち満ちた思いに駆られた。







 県立茶南高等学校2年3組出席番号32の橋本めぐみは、自分がそれなりに可愛い事を知っている。






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