第一節・第三話

 かさばる上に結構な重量を持つビニール袋を片手に、くぐいと俺は山道を登っていた。


 道そのものはアスファルトで舗装ほそうされているが、左右からは草葉が無造作に伸び生え、時折腕や耳をかすると同時に、虫の羽音が鼓膜と背筋を振るわせる。

 くまなく木陰が広がっているおかげで日光は遮られ、山道とはいえそれほど汗はかかなかった。ただ、空中を漂う小さい大量の虫だけはもう御免だった。

「買い物は済んだし、行こうか」

 それだけ言って、鵠は歩き出した。

 目的地こそ特に話さなかったが、方角的に一応の見当はついていた。


 体感時間で約十分、二人黙して歩いて行くと、鉄柵に似た門が見える。

 門の左右はレンガづくりの塀に繋がっており、左手の塀には、草葉やすなぼこりにまみれて『市立茉代  ましろ中学校』と刻んであった。

 門には鍵がかかっており開けることはかなわなかったが、大した高さでもないため、門に手足をかけて乗り越えるのは容易たやすかった。むしろ二人の荷物を入れる方が苦労した。


 茉代ましろ中学校は向かって右側に膨らんだ形をしているようで、門を越えて正面が玄関、右手に校庭が広がる。左手は車一、二台程度なら通れそうな幅の道路が伸びており、おそらく校舎の裏に駐車場があり、そこに繋がっている。

 校舎の概観としては、コンクリート製の三階建てで、玄関、いや昇降口と呼んだか、それが二箇所。印象としては一般的な学校校舎といったおもむきである。 しかし一目で分かるほど年季が入っているうえに寂れている。窓は全て閉じてあるようだが、それらも風雨にさらされ続けたせいか、よく見ると水垢や砂埃によって汚れている。

 その有様はまさに廃校と呼ぶに相応しかった。


「……ここなんだ」

 鵠の第一声がそれだったはずだ。

 ただ、その呟きは細く小さいものだったため、確かではない。

「ここなのか? 目的地は」

 鵠はわずかに頷いたきり、茉代ましろ中学校をしばし眺める。

 捨て置かれ放置されたままの廃校を前に、二人して立ち尽くしていた。


 そのうち無言で鵠が歩き出し、校舎へ向かって行った。俺もその後についていく。

 初めに正面玄関の扉に手をかける。しかし当然施錠されていた。二つ目の玄関も駄目で元々と試すが、結果は同じだった。次に校舎の周囲を一周して裏口なども確かめてみたが、廃校とはいえ抜かりはなかった。


 さてどうしたものか、鵠になにか声をかけようかと考えた矢先、それまで無言だった鵠がキャリーバッグを開け、その中からハンマーを取り出し、一階の窓ガラスの一部を割ってみせた。

 一連の動作は一切の躊躇ちゅうちょと抵抗もなく、ガラスの破砕音を除いて静かに遂行される。完全な不意打ちを食らった俺は一時呆然とし、鵠が口を開くまで思考を停止させていた。

「ここは後で塞いでおこうね」

 開けた穴から手を入れ施錠を外し、窓が開閉するのを確認しながら鵠は言う。「ガラスの破片も片付けなくちゃね」などとも。

 先刻とは違う意味で、どう鵠に声をかけようかと悩んだ。

「……そうだな」

 結局口にできたのはその一言限りだった。

 俺が先程の光景に度肝を抜かれていると覚ったのか、鵠はハンマーを後ろ手に隠して、「……ごめんね」と目を伏せる。

「……合理的だと、思う。合法ではないけど」

 なんとか会話を持続させようと必死で絞り出したのがこんな言葉だった。鵠は微苦笑を浮かべて、再び「ごめん」と謝った。

 

 文字通り鵠が切り開いた窓から校舎へ不法侵入する。

 抵抗はないでもなかったが、元々今朝自殺を図った身の上であったから、早くも開き直れた。

 校舎内にもちろん人気なんてなく、内部には若干埃ほこりっぽいくせに湿った空気が漂っていた。きっと床は汚れているからと、二人とも土足で上がる。

 念のため、と言って鵠から渡された防塵ぼうじんマスクを装着する。廃墟ではアスベストやちりによって喉や肺を悪くすることがあるのだという。他にも廃墟には命の危険があふれているらしく、油断は禁物とも。

「でも、ここは最近まで使用されてたから、それほど深刻な劣化はしてないと思う」

 鵠の推測ではそういうことらしかった。いずれにせよ素人な俺は鵠の指示に従うしかない。もっとも、なにをしに来たのかさえ把握してなかったのだが。

 試しに訊いてみると、

「探検してみようか」

 とのこと。微妙に答えになっていないが、ともかく鵠と俺は廃校内の探索を始めた。


 俺たちが侵入した場所は一階の教室だった。内部にはまだ机と椅子が、当時使用されていただろう姿のまま残っている。一部の机は、引き出しからプリントなどがはみ出ており、清掃や撤去は後回しにされているようだ。

 ただ、教室の面積に対して机が四台と少なく、空白ばかりの教室はひたすら貧相に映った。

「この学校は元々、この周辺の地域の生徒が通っていて、そこそこ人数も多かったんだけれど、年々加速する過疎化のあおりを受けたの。通学する生徒は激減。ここ数年の間に、別の中学校と統廃合したんだって」

 茉代ましろ中学校の盛衰せいすいを、鵠が淡々と語る。

 視界を移せば黒板には、生徒の感謝の言葉や別れの言葉が記されている。

 教室後方を見れば図工の作品が棚にとり残されており、壁には書き初めや、なにか委員会か係の掲示物まで張られたままだ。

 ここまでくると、この学校最後の生徒達が意図的に残していったようにも受け取れる。またいつか、ここに帰ってくるつもりなのだろうか。

 窓から差し込む光が、二人と遺物たちの陰影を強調していた。鵠は歩き出し、自身の影を廃墟と同化させる。次いで、俺もそれにならう。

「ひとまず、全ての部屋を回っていこうか」

 そうして各部屋を順に回っていき、手当たり次第に中を確認していった。


 一年教室、二年教室、三年教室、校長室、応接室、職員室、生徒会室、特別活動室、放送室、図書室、工作室、理科室、情報室、給仕室、トイレ――。


 最後に保健室を訪ねたところで、一息つけた。

 探検らしい活動はほぼ皆無であり、扉を開け放っては内部の状態を確認し、そして窓を開けて、虫よけにしつらえられている網戸を閉じ、また次へ向かう……という作業の連続だった。

 ただ、保健室に着いた時に鵠が言った「蜂の巣とかなくてよかったね」という台詞には、感心すると同時に背筋が震えた。

「そのために回ってたのか」

「一応ね。あとは、換気かな」

 自前の水筒から水分を補給しつつ、鵠は答える。

 俺ものどの渇きを覚えないでもなく、なにか口にしようと思ったが、鵠のように準備がいいわけではなかった。

「こういうの、好きなのか。廃墟巡りとか」

「ううん、そういうわけじゃないよ。ただ、ネットで調べて覚えただけ」

 そう言うや、「のど、渇かない?」と手許の水筒をこちらへ寄越した。さすがにそれほど太い神経は持ち合わせていないため、丁重に断る。

 代わりに、雑貨屋で購入した飲料水を思い出し、名案とばかりにキャップを開けるが今度はコップがないことに気付く。直接口をつけるのに躊躇ためらっていると、鵠が陶器製のコップを差し出してきた。準備がよすぎる。

「これ、使って」

「いや、いいのか?」

「うん、最初からあげるつもりだったし」

「あげるって、あんた……」

 道中、薄々は勘付いていたが、どうやら鵠はその心積もりらしい。

まるで冗談みたいだ。

「まさか、ここに住むのか?」

 当の鵠は、その質問を待っていたと言わんばかりに、帽子を手に取り、口許を隠す。

 きっと、帽子の下には悪戯めいた笑みが隠れているはずだ。


「間違いありません」




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