第一節・第二話

 特急列車から途中乗り換えて一駅、二駅ほど揺られていると、窓先の風景も変わってきた。


 最初こそいくらかの商業施設や住宅地などがうかがえたが、やがてそれらも樹木や田畑、河川などにとって代わられ、とうとう目に映るのは山ばかりとなった。

 途中の停車駅も見るからにわびしく、家屋にいたってはホーム越しに二十件も見えれば多い方で、それは片田舎、もしくは過疎地と呼ぶほかない。


 先刻のくぐいの言葉がついに現実味を帯びてくる。

 山中での生活とは現代人でも耐えられるものなのか、俺には皆無だが鵠に山中生活の知識や備えはあるのか、そもそもなぜこんな過疎地へ向かうのか。一度引き返すべきか、いやしかし切符は片道だったか、などと思考を巡らす。

 そんな間に目的の駅に着いたらしく、「降りようか」と言って彼女が立ちあがる。

駅ホームの看板には『茉代ましろ』と書かれていた。


 電車から降り、なぜかホーム内にある踏切を越えて無人の改札を抜けると、そこから茉代ましろの概観を望めた。

 乗車中はそれほど実感できなかったが、茉代ましろ駅は案外高地にあるらしく、町並みを見下ろす形になる。周囲は山々に囲まれ盆地となっており、そのくぼみの中、埋まるように家屋が点在している。ビルやマンションの類は見当たらず、目立つ建物といえば山の中にうかがえる学校らしき施設くらいだった。

 景色を眺める鵠と俺を、茉代ましろの風が迎える。

 茉代ましろの空気は四月にしてはやや涼しく、ここへ来て生まれたわずかな高揚感をどこかへ持ち去り、代わりに寂しいほどの懐古の情を抱かせた。

「田舎でしょ」

 軽く帽子を押さえながら、鵠が口を開く。

 特に言うべき感想も浮かばなかったため、単に「田舎だな」と返すが、後で「故郷なのか?」と付け加える。

「ううん、私の故郷ではないよ」

 鵠は小さく首を振って答える。そうして一つ間を置き「そろそろ、行こうか」と歩き出す。


 駅を出てすぐの場所に、細く長く急な角度の階段がある。そこからの眺めもどこか根無しの郷愁を抱かせるものだったが、ともかくそこを下りて最初に向かった先は雑貨屋だった。

 鵠曰く、こういった過疎地域にはスーパーはおろかコンビニすらなく、昔ながらな個人経営の雑貨屋が住民に日用品を供給し、生活を支えているのだという。つまり、生活必需品なら一通りの物は揃えられるということだ。


 訪ねた雑貨屋は木造で、意外と大きく思えた。どうやら一階部分を商店として使い、二階は住居になっているようだ。

 鵠が入口の引き戸に手をかけ、丁寧に引く。

「ごめんください」

 店内に入ると同時に控えめな声で鵠が挨拶をするが、反応はない。

 売り場には明かりも点いておらず、薄暗い空間には二人以外の人間もいない。

「ひょっとして、お留守なのかな?」

 鍵は開いていたし、休業を知らせる張り紙なども見当たらなかった。

 だが田舎だとそんなものかもしれない。自宅に鍵をかけないという話もあるし、それに休業日も地域には周知の事実で、わざわざ貼り出す習慣がないということもあり得る。

「案外、奥で……いや、上か? そこらで寝てるかなんかで、気づいてないだけかも」

「そうかもしれないね。呼べば気づいてくれるかも」

 その後、鵠が再び「ごめんくださーい」と、やや声量の足りない声を上げるが、やはり反応はなかった。

 それにしても、呼び出しにしては鵠の声がいささか小さいのでは、といぶかった。その時は俺なりに、他人の家の中で声を張るのが、鵠にとっては恥ずかしかったのかとも思った。

 両手を重ね、指先を軽く自身の胸に当てる鵠が薄い苦笑を浮かべ、「お願いしていい?」とこちらに訊いてくるので、さすがにケチな真似はできず俺も声を上げる。

 すると、上階から「はぁーい」という返事が聞こえ、ゆっくりとした足音と共に婆さんが姿を見せた。店主か、または店番だろう婆さんは見慣れぬ客の姿を認めると、一瞬だけ怪訝けげんな表情を浮かべる。鵠からお辞儀と挨拶を受け取ると、「ああ、いらっしゃい?」と皺を重ねた顔に微笑を刻んだ。一応、俺も追従して会釈する。

「ごめんなさい、呼び出してしまって。休業日でしたか?」

「いいの、いいの」と婆さんは手を振る。「大丈夫、やってるよ」

「そうですか、よかったです」

 二人のやり取りをうかがいながら、普通に標準語なのか、と内心安堵する。いや、婆さんの方がこちらに合わせているのかもしれない。

 鵠は入り口そばの買い物カゴを一つ手に取り、商品棚を順に見て回った。

 あらかじめ購入する品は決めていたようで、ハンドソープ、洗濯用洗剤、柔軟剤、食器用洗剤、アルコール除菌スプレー、スポンジ、ボックスティッシュ、キッチンタオル、ウェットティッシュ、ゴミ袋、レトルト食材、缶詰、二リットルペットボトル飲料水、サラダ油――などの日用品を次々入れていく。

 かさばる物が多いため、途中で買い物カゴを一つ追加する。

 その一方俺は手持無沙汰であり、どうせならカゴを代わりに持ってやればよいのでは、と思いついた時には遅く、鵠は重そうなカゴ二つを会計に持って行くところであった。

 レジの婆さんがこちらをちらっと見やった気がし、寄る辺に困る。加えて普段の癖でボトムのポケットに両手を突っ込んでいたから、印象は良いものではないだろう。不体裁だった。


「お会計、お願いします」

 鵠が両手を使ってカゴを持ちあげ、会計台に乗せる。婆さんは商品の値段を直接レジに打ち込んでいく。値段を読み上げたりはしないようだ。代わりに、鵠に話しかける。

「あんた達、学生?」

 見るからに十代少年・少女である俺たちにその質問がされるのは当然であった。

 しかも当日は平日の昼間であり、本来真っ当な学生なら学校に通っている時間だ。頭をよぎるのは通報と補導の二言。しかし、鵠は存外あっさりと「そうですよ」と肯定した。

「大学のサークルで、フィールドワークの活動をしているんです」

 続けて鵠は、研究テーマは過疎地の現在の生活と流通、及び人口流出の実態についてまとめ、打開策を発見することだと述べた。早口でこそないものの、一息に複数の情報を与えられた婆さんはひとまず内容の理解に努めたのか、「てことは、学者の卵さんかい?」という一言を返すに留まってくれた。

 その後も、鵠は「いえ、まだ進路には悩んでいて」などとありもしない身の上話を繰り広げていた。

 位置的に鵠の表情はうかがえなかったが、とどこおりなく嘘八百を並べ立てる鵠の姿は予想外であり、鵠椎名という人間にわずかならぬ関心を抱かせた。

 やがて鵠のでまかせに乗った婆さんが、茉代ましろの少子高齢化、若年層の都市部への流出、出ていった若者がまれに故郷に帰ってきて家業を継ぐこと、話を聞くなら組合長さんか、隣の市で教員をやっている高畠たかはたさんがよい、若い学生さんなのに偉いね……などなどと会話を盛り上げているうちに会計も済ませ、雑貨屋を後にした。

 店を出ていく際には、婆さんは笑顔で手を振り、「がんばり」と言ってくれた。

 退店する折、俺がどうにか言えたのは「持つか?」という一言だけだった。

 鵠は「そう?」という一言の後、「お願い」と簡潔に答え、右手のビニール袋を差し出した。

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