ミヤコワスレのせい
~ 八月一日(火) 藍川900、秋山900 ~
ミヤコワスレの花言葉 別れ
駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。
その開店前、テーブルを拭いてまわるのは、生まれたころからずーっと一緒に過ごしてきた
今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪をハイツインにして、髪留めの所に紫のミヤコワスレを一輪ずつ挿している。
そういえば、こいつが小さい頃はこのスタイルが定番だったな。
ふたつに結わえて、ゴムのところにお花を一輪ずつ挿して。
もっとも、幼稚園に着くとすぐ誰かに抜かれちゃってたけど。
……まだスクリーンカーテンを下ろしたままの薄暗い店内では、店長とカンナさんが恒例の開店前打ち合わせをしていた。
そしていつも通り、この怒号が響くのです。
「このあほんだら! ちげえよ、ここが損益分岐点になるだろが」
「でも、今の売り上げを維持できればそこまでシビアに設定しなくても……」
「維持? できるわけねえだろ。今の異常売上の元が、来週にはいなくなるんだ」
キッチンの清掃を終えて、フロアへ出てすぐ俺の耳に入って来たこの言葉。
なんだか胸に刺さるな。
来週には、いなくなる。
そう、時は移ろいゆくものなんだ。
「ええと……、そうなると、どうしたらいいんだい?」
「頼りにならねえな、お前は。……癪だが、こいつのアイデアを借りるしかねえ」
そう言いながら、カンナさんが見つめる先には畳に箒をかける穂咲の姿がある。
……まさか!
「カンナさんが頭に花を挿すんですか!?」
「バカ言うな! ……お座敷席の方だよ」
このシルバーシートをそのままにする気?
あんなに嫌がってたのに。
「おい、穂咲! お前らが辞めた後でもじいさんばあさんに優しいサービスを維持するにはどうしたらいいか、もうちょっとアイデア置いていけ」
カンナさんの言葉に、鼻息荒く頷く穂咲。
凄いな、頼られるなんて。
俺が珍しく穂咲をかっこいいなと思いながら見つめていたら、不意に真剣な表情でカンナさんが話しかけてきた。
「秋山。お前、仕事ってものが何だかわかるか?」
「言われたことを一生懸命やること?」
「やっぱりな。お前、男なんだからもっとしっかりしろ。仕事ってのは、他人を蹴落としてでも生きるために食料を得るってことだ。そのためには言われたことじゃなくて、いつでも金を稼ぐ事を考えて自分なりに動け」
ああ、そう言えば何かで読んだことがある。
仕事とは元をただせばすべて食べ物を勝ち取るものなんだとか。
「そう言った意味では穂咲の方がお前より大人だぜ。言われたことじゃなく、この店がどうやったらもうけを出せるか考えてる。座敷とか、昨日の変なギャンブルとか」
いや、それはどっちもお金儲けのためとは考えてないと思います。
でも、穂咲が俺より大人、か。
…………大人になった穂咲は、どんな道に進むんだろう。
俺は花屋になりたいし、美容師の資格も取ろうと思ってる。
多分、穂咲と進路は異なるだろう。
高校を卒業したら、離れ離れになるのか。
急に寂しい気分を胸に抱きながら、穂咲の丸めた背中を見つめる。
そうか。
ああして、こそこそ何かやってる姿を見るのも、あと二年と少しなんだ。
…………待て待て。
「お前はこそこそと何やってんのさ?」
「やっぱりピクルスよりも、たくあんがお茶に合うの」
顔だけ振り向いた穂咲がごそごそいじっていたのは、段ボール一杯のたくあん。
「……それ、どうしたの?」
「発注したの。あたしが」
「てめええええ! 穂咲ぃぃぃぃぃぃ!!!」
ほら見ろ。
こいつが店の利益になること考えてるわけがない。
「ふええん!」
半べそになりながら俺の後ろに隠れなさんな。
Yシャツもそんなに握ったらしわだらけになるってば。
しょうがないな、えっと……。
「そうですね、四百円以上お買い上げの方にサービスしたらどうです? たくあんひと皿ならそのあたりでちょっと儲けが出るでしょ」
「確かに、じいさんばあさんしか欲しがらねえだろうし。あいつらせいぜい三百円までしか使わねえからな……」
カンナさんはそうつぶやきながら電卓を叩いて、一つ頷いた。
「お前、思ったより計算高いな。ちょっと見直した」
「こいつのやらかしたことの謝罪についてはなぜか頭が回るんです」
「うう、ありがとうなの、道久君……」
いつもは溜息しか出ない穂咲の涙声。
まさかこれを聞いて安心する日が来ようとは。
「じゃあ、今から通りすがりのじいさんばあさんをハンティングして来い」
「まさに狩猟民族。仕事の根源ってことですか?」
「ばか言うな。それがやらかしたことの穴埋めだよ。百人連れて来るまで帰って来るな。頭、回るんだろ?」
「…………今は、目が回りそうです」
こうして、丸一日穂咲と別れて仕事をした。
……仕事よりも、穂咲が何かやらかしてないか気になって、ずっと胃が痛かった。
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