第33話 寝耳に水

 寝耳に水、突然、思いがけない出来事に出くわし驚くことのたとえ。


 おでん屋で鈴木と梶原はコップを持ち上げる。


「契約完了に乾杯」

「乾杯!」


 梶原は本当に嬉しそうに契約を結べたことを喜んだ。

梶原は元々道臣取締役の命令で中小企業と契約を結ぼうと考えていた。

 そのときに出会ったのが鈴木だった。中小企業に勤める営業マン。梶原は運命を感じたという。

歳も同じ、営業として苦労しているのも同じ。鈴木の人となりは梶原からすれば、これ以上ない相手だった。

 そこで道臣にそのことを報告し、道臣から鈴木と契約を結ぶように促された。

そのとき、道臣からこんな質問をされた。


「耄という営業マンは元気だろうか?」

「確か、鈴木さんの直属の上司だったと思います。酒の席で言っていましたので」


 それを聞いた道臣はしばし、沈黙した後。


「そうか……耄の……梶原君、この契約成功させるぞ。それも五分と五分の条件でだ」


 道臣の気迫に押されるように梶原は頷いた。

五分と五分で結ぶ契約書まで用意させられ、鈴木と簡易契約を結んでこいとまで言われた。


「本当に驚きましたよ。でも私も鈴木さんが嫌いじゃない。よしやろうと意気込みましたよ」


 梶原から飲みに誘われたのは、契約が叶ってから三日後のことだった。

互いに書類の整理や、事前に必要な準備などで三日が必要だったのだ。


「そんなことがあったんですね」

「はい。道臣取締役から色々と事情を聞きました。多分鈴木さんも耄課長さんから話を聞いていると思いますが、僕が知っていることを教えますね。多分僕に道臣取締役が話したのは、誰かに知っていてもらいたかったからだと思いますから」


 梶原はそういって上野がどうして道臣という名前に変わったのかを話し出した。


「目覚めたとき、そこは白い天上の病室だった」


 何がおきたのか、理解するのに時間がかかったが研究施設で起きた事故の事を思い出し、一時錯乱状態にあった。

 研究施設の大爆発は本当に核爆発だった。

本当ならば都市が一つ消滅してもおかしくなかった。

 しかし、稀代の研究室室長は安全面を考慮し、二重の防火構造を作っていた。

一つ目はもちろん核実験を行う実験場に、そしてもし実験場が実験に耐えられなくなったときのことを考えて、研究所自体をシェルターとしてしまった。

 そのおかげで、都市への被害は最小限に止められた。


「研究所の爆発の中、生き延びた私はある一人のナースに献身的な介護を受けた」


 怪我の具合は背中の火傷と、脳を強く打ったため脳挫傷を起こしていた。

頭を強く打ったため、記憶障害になっていた。さらに事故への恐怖で錯乱する日々が続いた。

 そんなときに親身に上野を看護をしてくれた看護師がいたという。


「会社としては隠蔽したかったのだろうな」


 研究施設の爆発は代々的なニュースとなった。死者の数や行方不明者も多数存在した。

上野はその中で一命を取り留めたが行方不明者として取り扱われていた。

 もちろん見舞いに来る会社の者などおらず、結婚もしていなかった上野に会いに来る家族もいなかった。

上野は献身的な看護師のお蔭で順調に回復し、会社に戻ったとき上野の席はなくなっていた。


「私は上層部へと話に向かった」


 上野を行方不明として取り扱った上層部へ、上野は直談判に向かった。

事故が起きてから、半年後のことだった。

 研究施設爆発は会社に多大なる不利益をもたらした。

しかし、それもこれも上層部の人間が中小企業との提携を断り、独自に開発を進めようとしたリスクと言えた。


「赤城社長」


 上野が向かったのは、社長である赤城アカギ 龍双リュウソウの下だった。

赤城 龍双は、赤城 龍牙の父であり、元赤城自動車の社長を務めている人物だ。

 上野はどうせ席が無いのであれば、思いのたけをぶつけてやろうと社長室へ訪れた。

忙しいであろう社長に面会できるものかと思ったが、社長室にやってきて名前を告げると、すんなりと社長は上野への面会を許可した。


「よく戻った。上野」


 社長が上野にかけた言葉は労いの言葉だった。

赤城自動車社長である赤城 龍双は、上野が社長室に入ると秘書を下げ、上野と二人きりなった。


「社長!どうして私の席がないのでしょうか?返答次第では私にも考えがあります」


 大手企業にはそれを支えるために裏の仕事が存在する。

上野は上からの命令で様々なことをしてきた。第一研究施設事件についても上野は真相を知っているのだ。

 そういって詰め寄った上野に赤城社長は立ち上がり、上野の前まで深々と腰を曲げて頭を下げた。


「すまなかった。これまで献身的に勤めてくれたお前を切り捨てるようなかたちになってしまい、謝罪することしかできない」


 上野は赤城社長の行動が理解できなかった。

しかし、赤城は誠心誠意、上野に謝罪を告げてくれた。

 どうしてそこまでしてくれるのか、赤城に問いかけると。


「私は利益ではなく人を大切にしたいと思っていた。しかし、我が社は一族経営であり、私も一族の一員でしかないのだ」


 赤城社長は、中小企業との契約を破棄することを反対していた。

しかし、赤城一族全体としてはプライドがあり、自社ブランドとして取り扱いたいという声が強く。

 赤城社長の意見を聞き入れてはもらえなかった。

そんなときに第二研究所が爆発を起こし、一族の半分が死んでしまう事故が起きた。

その責任を誰にとらせるかという話になり、唯一生き残った上野に全責任が押し付けられたのだ。


「そんなこと!!!」


 上野は理解が込み上げてきた。赤城を殴ってやりたいと思った。

赤城もそのつもりがあったのだろう。目を閉じて何かを待っているようだった。


「殴りませんよ。そんなことをしてもらっても何も解決しない。私は友との約束を裏切ったんだ」


 上野の胸のうちには耄と築いた20年来の付き合いを壊した痛みの方が重かった。


「……上野。結婚するつもりはないか?」


 赤城社長は突然話を切り替えた。

怒りを感じていた上野はバカにしているのかと、さらに怒りを募らせる。


「あなたは私をバカにしているのか?」


 怒鳴るのではなく、静かに社長を睨み付ける。


「そういうことではない。姓を変えてもう一度うちで働く気はないか?」


 赤城の申し出は上野には寝耳に水だった。

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