第16話 職権濫用

 職権濫用、職務上認められている権限を違法に、もしくは不当に適用すること。


 鈴木が電話を一通り終えて、昼食に出ようと席を立つ。


「おお、そろそろ昼じゃな。よければ一緒にいかんか?」


 耄課長に誘われて、鈴木は笑顔で返事をする。


「ぜひ一緒させてください」


 二人が席を立った頃、営業部に新たなデスクが運び込まれる。


「さぁ、これでいいわ。帰ってきたら驚くだろうな。太郎さん」


 営業部にデスクに運び込んだ望が、イタズラが成功した顔をして笑っている。どうして望が営業部に机ごとやってきたかというと、ある顛末があった……


「前川課長。どういうことですか?」


 鈴木の異動を朝一で話を聞いた望は、すぐに前川のデスクを訪れた。


「えっ、えっ。何?なんのこと?」


 前川は物凄い剣幕で入ってきた望にドン引きしている。


「なんのことじゃありません。鈴木係長が異動するってどういうことなんですか」

「ああ、そのことか。それは鈴木君のためなんだよ」

「係長のため?」

「そうそう。彼はね、仕事が遅いわけでも、できないわけでもないんだ。丁寧にコツコツと仕事をするタイプなんだ。だけど、他人から見ると遅くて鈍く見えてしまう」


 前川が鈴木の仕事を評価するのを、望は黙って聞いていた。


「そんな彼は会社での評価が高くない。だけど高くするためには総務だけではダメなんだ。様々なことを知っていなければ上にはあがれない。私は彼を出世させたいと思っている。だからこそ営業課の課長、耄さんに鈴木君を預けようと思ったんだ」


 前川の言葉に望も考え込む。鈴木のためだと言われれば、望も反論する気持ちが萎えてしまう。ならばと話を変える。


「では、私も営業課に転属させてください」

「えええぇぇぇーーー!!!それは困るよ。君は総務課で事務仕事をしてもらっているだろ。それに広告課から宣伝用の人材としても、手が空きやすいようにしてほしいと言われているんだから」


 前川は中年太りだ。興奮するとすぐに汗が流れてくる。望の言葉一つ一つで、汗が噴出してくるのでハンカチで何度も顔と頭を拭いている。


「いいんですか、課長。私にそんなこと言って」


 望が威圧を込めた声で前川に詰め寄る。


「望君……それはズルくないかい?それって職権濫用って言わない?」

「いいません。職務を行う権限ではありませんし、私に権限はありませんから」

「でもねぇー君がそういうことを言うと、会社が困るんだけど」

「だったら鈴木係長の下に異動させてください」


 前川はしばし考えて、大量の汗を流したところでしぶしぶ頷いた。


「わかったよ。わかりました。営業部への転属届けを出しておくから、好きにしなさい」

「ありがとうございます。前川課長」

「君みたいな派遣社員、初めてだよ」


 前川は疲れた顔で、ため息を吐いていた。対照的に望は晴れやかな顔でオフィスに戻っていく。しかし、そこにいたのは鈴木ではなく、壺井だった。


「戻ってきたね、望ちゃん。今日から私が君の上司だ」


 どうして壺井が鈴木のデスクに座って、望の上司だと言うかは知らないが、望にはどうでもよかった。壺井の発言を無視して、デスクに置かれている荷物を整理していく。


「おい。何をしているんだ?」


 壺井は望の行動を怪訝に思い、質問を投げかけてくる。望は本当にウザそうな顔をして、壺井の顔を見る。


「私も今日付けで営業部に異動になったんです」

「何っ」


 望の言葉があまりにも予想外だったのか、壺井が唖然として望を見ている。望は壺井の視線などお構いなしに、荷物を整えて前川のデスクに戻ってきた。そこで新たな営業部でのデスクを注文する。


「では、前川課長。お世話になりました」

「ああ、頑張ってきてください」


 鈴木は望を会社のアイドルと勘違いしている。しかし、前川は望が黄島グループの人間であることを知っている。そのため、望の意にそぐわない行動をしないようにしてきた。

 これまでは鈴木が監視をして、望もノビノビ仕事ができていたようなので問題なかった。前川としてもこれぐらいであれば許容範囲内に収められると自分に言い聞かせた。


「まぁ厄介者を押し付けたと思えばいいか」


 前川は本来ポジティブな人間なのだ。物事を前向きに考える。そのため今回の出来事も迅速に対処し、最善の手を打てたと自分に言い聞かせた。


「前川課長、どういうことですか?」


 望が前川に挨拶をして総務課を離れた後、放心状態から回復した壺井が前川のデスクにやってきた。


「どういうこととは?」


 壺井の質問に対して、前川は本当に何を言っているのかわからないと聞き返す。


「黄島君のことです。どうして彼女も営業課に移動なんですか」


 壺井の怒鳴り声に前川は冷たい眼差しを向ける。それと同時に上司にとる態度ではない壺井に溜息が漏れでる。


「君ねぇー君の立場、かなり危ういところなの理解している?」


 前川の言葉に壺井は不思議そうな顔をしている。壺井は言葉の意味を理解していないのだろう。


「君は本来クビになってもおかしくない失態をやらかしたんだよ。他社との契約全切りとか初めて聞いたよ。それを耄さんの温情でクビにならず、私に預けてやり直しなさいということが、君にはわからないのかい」


 望の話などそっちのけで、前川は説教タイムに入った。鈴木は前川の説教をありがたいものだと思って聞いていた。しかし、壺井は反論こそしないが、明らかに不満そうな顔で前川の説教を聞いていた。


「いいかい、君に人事のことをとやかく言われる筋合いない。何より君は自身が犯した失態を補うことを考えなさい」


 前川の説教が区切りをつけたところで、壺井を前川のデスクから追い出した。


「まったく、鈴木君とはえらい違いだよ」


 壺井の態度に気付いていた前川は、厄介な者を背負い込んだと三度目の溜息を吐く。


「どうして俺が怒られなくちゃいけないんだ。クソが、俺はエリートなんだ。すぐにこんなところから這い上がってやる。あいつよりも上に言ってやる。覚えていろよ、鈴木」


 壺井の呟きを聞いているものは誰もいなかった。


 親の力を使ってまで鈴木のいる営業部に異動した望は、昼食から帰ってくる鈴木を待ちわびてほくそ笑んでいた。


「早く帰ってきてください。私からのサプライズですよ」


 そんな望を営業部の人間が不思議そうに見ていたことは、望にはお構いなしだった。

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