第12話 報連相
報連相、「報告」「連絡」「相談」を分かりやすくホウレン草と掛けた略
休憩所に現れた老人は営業課の耄課長だった。
前川課長の先輩で、若い頃は営業部のホープだったらしい。
営業部の部長まで務めたことがある人で、自由を求めて定年を迎える前に会社を辞めようとしたが、耄課長の手腕に惚れこんでいた吉川社長が引き止めて、働く量を減らすかわりに残ったらしい。
現在は仕事を減らすために課長職をしているが、現部長よりも発言力があるという。
様々な逸話を持った人なのだ。今年いっぱいで定年を迎えることも決まっている。
鈴木は耄課長の怒っている姿を見たことがない。
いつもニコニコとして窓際で熱いお茶を啜っている、優しい老人の姿しか見たことがない。
普段は若手や他の派遣の営業に全てを任せているが、もし営業課の誰かがミスをすれば、耄課長が出ていき、相手を納得させるスーパー営業マンだと聞いたことがある。
そんな老人が怒鳴り声を上げて入ってきたのだ。
「おはようございます。私は総務課係長 鈴木 太郎です」
鈴木も気が動転していたのだろう。
怒鳴っている相手に挨拶をしたのだ。頓珍漢な行動をしていると自覚できていない。
「知っとるよ。前川に鈴木君の事は聞いておる。頑張っているようじゃな」
白く太い眉毛の中から細い目が鈴木を見つめている。頓珍漢な鈴木の対応にも、余裕をもって答える耄課長に鈴木はスゴイ人だと感激を覚えた。
「なんですか、耄課長。今更あんたにバカ者呼ばわりされる謂れはないですよ」
鈴木とは違って壺井は耄課長に食って掛かる。
「今の態度がバカだというんじゃよ」
白い眉の中から見える瞳に睨まれて、壺井が一歩後ずさる。
「そもそも報連相は社会人の基本じゃ。それを怠った上に悪びれもせず、フォローに回った者を労おうともせんとは。頭が悪いとしか言えんじゃろう」
耄課長は凄みを利かしたまま、壺井のダメ出しをしていく。
「何より店を三件も回って契約を取れん奴に偉そうに言う資格はないじゃろう」
「それはこれから詰めていけば……」
壺井は赤城自動車の接待をしたが、相手には振られたようだ。
「無理じゃよ。あそことの契約は、お主を通している間は契約をしないと連絡がきた」
「バカな!昨日はあんなに楽しんでいたはずだ」
「楽しむのと契約は別じゃということじゃ。お前がしたことは全て無駄。会社にとって金を使うだけで利益を生まんものほど不必要な存在はおらんよ」
壺井は耄課長の言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。
「だけど、だけど、俺は誰よりも契約を取ってきた。新人の頃から個人経営の業者や、子会社にも足を運んだ。何より赤城自動車との提携をあと少しまでもってきたんだ」
「はぁ~お前は欲をかき過ぎたんじゃよ。大手にばかり目を向けて、業者達を蔑ろにした。個人も小社も大手も何も変わらんというのに。だからこそ貴様には何も残らんのだ」
「どういうことだ?」
「お前が契約を取ってきた業者が全てお前との契約を切りたいと言ってきたよ」
「なにっ!」
「これがお前がしたことの結末だ」
耄課長は先程までの怒った口調ではなく、項垂れる壺井に諭すような口調に変わっている。
蚊帳のそとにされた鈴木は、ふとテレビに視線を向ける。テレビの中では五人のヒーローがバラバラのマシーンに分裂して壺怪人の攻撃を避けていた。
「どんな人にも人生がある。それを理解し、互いに支え合わねば生きてはいけんのだ。お前にはそれがわかっておらん」
耄課長の言葉に、壺井は肩を震わせている。
どんな気持ちなのだろうか?全てを失うということは。鈴木はそんなことを考えて自分だったらと思って恐くなる。
また一からやればいいと簡単に思えればいいが、プライドの高い者がそう簡単に一からやり直せるものなのだろうか。
「俺は、俺は悪くない。俺は悪くない。お前らがみんな悪いんだ。俺の足を引っ張りやがって。俺はちゃんと仕事してたんだよ。なのにこいつは黄島を俺に盗られたくないからって接待に呼ぶのを断るし、耄課長もそうだ。俺がいくら仕事を取ってきても他の奴ばっかり褒めて俺を認めようとしない。お前達が、俺の足を引っ張ったんだ」
なんとも身勝手な解釈だと鈴木は思った。
だがプライドの高い者が、プライドを根底から否定されてしまえばこうなってしまうのかもしれない。
「お主ら二人に事例を言い渡す。本来であればワシのような課長がしていいモノではないが、今回の件はワシの預かりにしてもいいと社長にお達しを頂いている」
鈴木が壺井の言動に戸惑っていると、耄課長が声を大にして二枚の紙を取り出した。
「明日づけで鈴木 太郎を営業部係長として任命する。また営業部係長、壺井 浩孝を総務課係長に転属とする」
耄課長が読み上げた文章を聞いて、鈴木も壺井も唖然とした。
「どうした二人とも何かいうことはないのか?」
耄課長は唖然とする二人に抑揚を告げずに声をかけた。
「はっ。謹んでお受けいたします」
鈴木は耄課長の言葉に頭が回らず、YESと答えることしかできなかった。
「どうして、どうして俺が総務課に!」
対して壺井は状況を理解していく内に暴走から現実に引き戻される形で声を荒げだした。
「そんな人事認められねぇ。どうせ俺のことを妬んだお前のせいだろ耄!お前が若くて仕事のできる俺を妬んでこんなことを……」
「はぁ~どこまでもバカ者じゃなお前は。よかろう。お前にチャンスをやる。この耄を一発殴って見せよ。そうすれば転属の件なかったことにしてやるぞ。それぐらいの度量と気概があればやり直せるかもしれん」
腰も曲がってヨボヨボの爺が何を言っているのだろう。
「危険です耄課長。壺井は変な言動ばかりしますが、柔道をやっていて喧嘩慣れしているんですよ」
鈴木は耄課長を心配して、声をかける。
しかし、耄は鈴木に軽く手を上げるだけで答えた。
「言ったな。後悔するなよ爺」
壺井はやる気満々で指を鳴らす。本気で腰の曲がった老人を殴り飛ばすのかと鈴木は慌てだす。
壺井を止めようとする鈴木に耄が鈴木を手で停めた。ボキボキと指を鳴らす壺井の行動に、鈴木はどうしていいかわからなくなる。
「御託はええからかかってきなさい」
「いくぞ!」
耄の挑発に乗るように壺井が腕を振り上げて踏み込んだ……その瞬間に決着がついていた。
「へっ?」
鈴木が間抜けな声を出すのも無理はない。
壺井が宙に浮いているのだ。殴り掛かった壺井の顔面を掴んだ耄が、大の男を投げ飛ばしたのだ。
「なんじゃたいしたことない奴じゃの」
状況についていけない鈴木が唖然としている中、耄はジャケットを整える。
「これで文句はあるまい。こんな老いぼれに躊躇なく暴力震える貴様を営業部に置いておけん。前川の下で、貴様は会社を知り、己を知り、他人を知ることから始めよ」
事例の紙を倒れている壺井の胸に落として耄は去って行った。
テレビでは分裂した五人のレンジャーが壺怪人の前に再集結してロボットへと合体していく。
「ツ~ボ~」
集結したヒーロー達が、壺怪人に攻撃をしかけて返り討ちにあって大爆発を起こした。
「正義は勝つ……だな」
鈴木はテレビを見た後、倒れて気を失った壺井を見た。
完全に意識を失っている壷井が、風邪を引かないように自身が来ていたタオルケットをかけてやり、休憩所を後にした。
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