17 天月家の悲劇

 パチンと目を覚ましたわたしの最初の言葉は「おしっこ、したい……」だった。


「おしっこがしたくてもどってきたのじゃな、ゆめみん。眠る前にジュースを飲んだせいかの?」


 眠っているわたしの横で夢の中のわたしたちの無事を祈ってくれていたうららちゃんが、そう言った。


 ちなみに、いっしょに夢の世界にダイブしたバクくんとハクトちゃんの姿すがたはない。人間であるわたしはたましいだけが夢の世界に行くけれど、夢幻鬼むげんきと神様であるふたりは、実体じったいのまま夢の世界に入っているからだ。


「……うん。ヒガンの銀のくさりに捕まって身動きできなくなっている最中さいちゅうだったから、夢の世界から離脱りだつできて逆に助かったけど……」


「ふむ。もしかすると、お告げをくださったタケミナカタさまは、ゆめみんが戦闘中せんとうちゅうにピンチになることも見して、寝る前に桃のジュースを飲んでおけとおっしゃったのかもしれぬ。おしっこをしたくなったら、夢を見ている最中でも強制的きょうせいてきに起きてしまうからのう。さすがは水の神・タケミナカタさまじゃ! ゆめみんがおしっこをしたくなることまで、すべてお見通しだったのじゃ! 水の神だけに!」


「…………おしっこしたくなることを予知よちされていたとか、嫌すぎる……」


 喜ぶうららちゃんに対して、わたしはひきつった笑いしか出なかった。


 ……とりあえず、トイレに行こう。






 トイレで用をすませたわたしは、自分の部屋にもどり、夢の中でなにが起きたのかをうららちゃんに話した。


 急いでバクくんたちを助けに向かいたかったけれど、あのなぞの火の玉が何者なのか、なぜヒカルさんに執着しゅうちゃくするのか、わたしはとても気になっていた。


 ヒガンの人質となったヒカルさんと大地くんは、ふれたら魂が消滅するほど強烈きょうれつな火の玉の熱さに苦しめられている。あの火の玉はいったい何なのか、どうしたら無力化むりょくかできるのか、わたしが知っていたら対処たいしょのしようがあるかもしれない。


 千年も生き、神様たちからいろんなことを教えてもらっているうららちゃんなら、なにか知っているかもとちょっと期待したのだ。


臨月天光りんげつてんこうという夢幻鬼に異常いじょう執着しゅうちゃくを見せるなぞの火の玉か……。心当たりはないのう。そももそも臨月天光は、悪夢を人に見せる悪い鬼だと思っておったぞ。昔からそういう言い伝えがあったのじゃ。まさか、人に警告夢けいこくむをあたえる親切な鬼だったとはな」


「本名は天月あまつきひかるといって、元は人間なんだって。よろいを着ているから、たぶん武士だったんだよ」


「天月……光じゃと?」


 うららちゃんのまゆがピクリと動いた。


「どうしたの? ヒカルさんのこと、なにか知っているの?」


「天月光という名の年若い武士とは、一度会ったことがある。平安時代の末期、源平合戦げんぺいがっせんのころに」


「げ、源平合戦⁉ ヒカルさんは、源氏げんじ平家へいけあらそっていた時代の人間なの?」


 わたしは、勉強机の上に置いてあった教科書をペラペラとめくり、源平合戦が行なわれていた年代を確認かくにんした。


 源頼朝みなもとのよりともの弟・源義経みなもとのよしつねが、一ノ谷いちのたにの戦いで平家を奇襲きしゅうして勝利したのが1184年。屋島やしまの戦いで平家を追いつめ、壇ノ浦だんのうらの戦いで平家をほろぼしたのが1185年。


 ……ヒカルさんは、830年以上も昔に生きていた人だったのか。


 なんとなく、歴史ドラマでた源義経っぽい鎧を着ているなぁとは思っていたけれど……。


「わたしが生まれるよりも、ずーっと、ずーっと気の遠くなるぐらい昔の人だったんだね。いくさで死んだって言っていたけれど……」


 でも、なんで、平安時代の武士だったヒカルさんが、夢の世界の鬼になったんだろう?


「ワシは、天月光の一族に戦で生き残る手段しゅだんを教えてやったのじゃが……。結局けっきょく、天月の家は滅びてしまったのじゃな」


「え? そうなの⁉」


 うむ、とうららちゃんはうなずく。


 千年以上生きているうららちゃんは、源平合戦のころもあちこちを旅して、人々に神様のお告げをさずけていたのだ。


 うららちゃんは、1184年の一ノ谷の戦いでヒカルさんの一族になにが起きたのか、わたしに語り聞かせてくれた――。



            *   *   *



 あのころは、日本のあちこちで源氏にしたがう武士たちと平家にしたがう武士たちがはげしいいくさをくりひろげておったものじゃ。


 天月の一族は平家方の武士で、現在の兵庫県ひょうごけんに小さな領地りょうちを持っておった。


 天月光どのは、その天月一族の当主とうしゅだった天月清隆きよたかどのの息子じゃ。


 清隆どのは、いままで日本国を支配しはいしていた平家が京都をおわれ、源氏の勢力せいりょくいきおいをしている状況じょうきょうを見て、なやんでおった。


 自分の領地のすぐそばで、近々、源氏と平家が一大決戦いちだいけっせんを行なう。その時、天月家はこれまでどおり平家にしたがうべきか、それとも、源氏に寝返ねがえるべきか……とな。


 天月家は、源氏方から仲間にならないかとさそいを受けていたのじゃよ。


 しかし、清隆どのは優柔不断ゆうじゅうふだんな性格だったせいで、なかなか決断がくだせなかった。そこで、彼は、


「いま、領内に夢告げの巫女と呼ばれる女がいるらしい。彼女を屋敷やしきまねき、源氏と平家のどちらにつくべきか、神からのお告げを聞いてもらおう」


 と、思いつき、ワシを天月家の屋敷に招いたのじゃ。


 ワシが膝枕ひざまくらをしてもらわないと神様からのお告げを聞けないと言うと、清隆どのは「ワシの膝をかそう」ともうし出た。


 しかし、ワシはおっさんのごつごつした膝は嫌じゃと思い、清隆の娘――たぶん、あかねという名前だったと思う――に「膝枕をしてくれ」と頼んだ。


 茜どのは、ヒカルどのの一歳年下の妹で、兄のことをとてもしたっている可愛い子じゃったのう。


 ちなみに、茜どのの膝枕は、ワシが千年のあいだに体験した膝枕の中で、堂々の寝心地ねごこちランキング3位じゃ。


 1位は、もちろん、ゆめみん。2位は紫式部むらさきしきぶどの。4位は……え? そんな情報、どうでもいい? すまぬ……。


 ええと、こほん。というわけで、ワシは茜どのの膝枕で眠り、夢の中で、天月家が信仰しんこうしていた神様に「天月家は、源氏と平家のどちらにつくべきでしょうか」とたずねた。


 その神様は、源氏方には源義経という天才的な武将がいるから、平家には勝ち目がない。平家は1、2年のうちに滅びるだろうとワシに教えてくださった。


 目覚めたワシはそのことを清隆どのと息子のヒカルどのに話したのじゃが……。


 清隆どのは、「でも、やっぱり平家には昔からの恩があるから……」と言って悩みだしたのじゃ。


 ヒカルどのは、「早く決断しないと、手遅れになります。源氏につきましょう」と父親を説得したが、清隆どのはなかなか決断できない。茜どのは、心配そうに父と兄の会話を聞いておったが……。


 清隆どのは、もしかしたら、ワシが戦争に巻きこまれないように天月家の領地を去った後も、源氏方につく決断ができず、平家方にとどまってしまったのかも知れぬのう。


 有名な一ノ谷の戦いが起きたのは、それから三か月後のことじゃった。平家は、源義経の奇襲攻撃でさんざんに打ち負かされ、たくさんの武将たちが死んでしもうた。


 その戦死した武将たちの中に、清隆どのやヒカルどのがいたかは、ワシにもわからん。



            *   *   *



「ヒカルさんが生きていた時代って、少しでも判断はんだんをまちがえたら生き残れないような大変な時代だったんだね……。ヒカルさんが、『決断すべきときに決断ができなくて後悔こうかいするような人生をみんなに歩んでほしくない』と言って人々に警告夢けいこくむをあたえていたのは、自分の家が滅亡しちゃった過去があったからなのか……。なんだか、切ないな……」


 うららちゃんの話を聞き終えたわたしは、ヒカルさんの悲劇的ひげきてきな過去に思いをはせ、涙ぐんだ。


「ヒカルさんや妹の茜さんは、一ノ谷の戦いで死んじゃったのかな? 本人は死んだと言っているから、たぶんまちがいないと思うけど……」


「それが、よくわからんのじゃ。戦いの後、落ち武者むしゃりがあり、しばらくのあいだ、一ノ谷の近くはとても危険じゃった。彼らの安否あんぴを調べるために戦場あとをたずねることなど、危なすぎてできなかったのじゃ」


「夢のお告げでわからないの? 神様だったら、知っているはずじゃない」


「あれから70数年ほど、やわらかくてすべすべな膝の持ち主に出会えなくてな……。しばらく、神のお告げを聞くことができなかったのじゃ。70年もたったら、ワシも彼らのことをすっかり忘れておったしなぁ。ゆめみんからヒカルどのの話を聞いて、久しぶりに思い出したぞ」


 この夢告げの巫女、膝枕へのこだわりがひどすぎる……。


 いろいろとツッコミたいけれど、いまはそれどころじゃないから我慢がまん、我慢。


「……こほん。あのね、うららちゃん。天月家の悲劇を聞いて、わたし、ちょっと思いついたことがあるんだけど」


「ふむ?」


「あのなぞの火の玉って……もしかして、茜さんの魂じゃないのかな? ずっとヒカルさんのことを追いかけていて、『兄上はどこ?』って言っていたし」


「死んだ茜どのの魂が、兄のヒカルどのを探し求めて、夢の世界をさ迷っているということか?」


「そこらへんがちょっとわからないの。ヒカルさんが言うには、夢の世界に入りこんだ死者の魂には『この人、死んでます』というはり紙が背中にはってあるんだって。あの火の玉にはそんなはり紙ついていなかったし……」


「それはワシも初耳じゃな。そんなずかしいはり紙、ほとんどばつゲームではないか……。ヒカルどのの背中にも、そのはり紙がはってあるのか?」


「え? はってないけど? ヒカルさんは夢の世界の住人だもん」


 わたしが小首をかしげると、うららちゃんは「それはおかしな話ではないか?」と言った。


「いくら夢幻鬼でも、元は死んだ人間なのだったら、背中に『この人、死んでます』というはり紙があるはずじゃぞ。かくり世(あの世や夢の世界)を管理かんりしているオオクニヌシさまは、自分には甘いが、自分が決めたルールは他人にけっこう厳しく押しつけるお方だから、夢の世界に住んでいるからといって例外はみとめないはずじゃ」


「え……。じ、じゃあ、ヒカルさんはまだ生きているの? そ、そんなまさか! だって、一ノ谷の戦いから830年以上たっているんだよ⁉」


 ワケワカメすぎて、頭がこんがらがってきたよ‼


「落ち着くのじゃ、ゆみめん。常識じょうしきではありえないことがありえてしまうのが、夢の世界じゃ。ヒカルどのの生死と火の玉の正体をゆめみんがたしかめるしかあるまい」


「でも、どうやって?」


 わたしがそう聞くと、うららちゃんは小さな手鏡をふところから取り出した。


「この手鏡をゆめみんにプレゼントしよう。これは、『うつつさらしの手鏡』といって、この鏡にうつし出された者の隠された真実をあばく力がある。大昔に、鏡作りの神様イシコリドメさまから夢の中でさずかった鏡ゆえ、効果は抜群ばつぐんじゃ」


「夢の中でもらったモノなのに、なんで現実世界にあるの?」


「夢の中で神や仏から授かったアイテムは、夢の世界にも現実世界にも持ち運び可能なのじゃ」


「す、すごい便利すぎる! ありがとう、うららちゃん。これで、火の玉の正体をあばいて、ヒガンから火の玉を解放してみせるよ!」


 わたしはうららちゃんの手をにぎって感謝すると、再びベッドに入り、夢の世界へと旅立つのだった。


 待っていてね! ヒカルさん、バクくん、大地くん!


 ……あっ、それから、ハクトちゃんも!

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