第二夜 盗まれた夢、取り返します!

10 クラス委員長の結衣ちゃん

「昔々、中国に盧生ろせいという若者がいました。旅をしていた盧生は邯鄲かんたんという街に立ち寄り、そこで不思議な道士どうしと知り合いました。あっ、道士というのは仙人みたいなものね」


 6限目の漢文の授業。現代文よりも古文や漢文が得意だという望月もちづき先生が、はつらつとした声で「一炊いっすいの夢」という故事こじについて解説している。


 ふつう、お昼ご飯を食べたあとの5、6限目は、みんな眠たくて、うつらうつらと舟をこいでいる子が多いのだけれど、いつも元気いっぱいの望月先生は向かいの西校舎まで届きそうなぐらいの大声で授業をするものだから、居眠り常習犯じょうしゅうはんの子たちもうるさくてちゃんと起きていた。


 わたし? わたしはどの授業でもまじめに勉強してますってば。心配しなくても、妄想もうそうなんかしていないよ! だって、授業のあとで、


「先生! さっきの話、妄想していて聞いていなかったから、もう一度教えてください!」


 なんて聞きに行く勇気ないもん。


 5月の半ばまで授業を受けていなかったんだから、遅れを取りもどすためにも、がんばらなきゃ。成績が悪かったら、お父さんやお母さんを心配させちゃうし。


「盧生は、その不思議な道士から、どんな夢でも叶う枕をもらいました。盧生は、宿の主人に『あとで食べるから、くりかゆを作っておいてくれ』と頼むと、その枕で寝ました」


 どんな夢でも叶う枕?


 もしかして、オオクニヌシさまが聖徳太子しょうとくたいしさんから借りパクした夢殿ゆめどの(の模型もけい)みたいな不思議アイテム?


 仙人だったら、そういう不思議アイテムを持っている可能性は十分あるよね。


「道士からもらった枕で眠った盧生は、夢の中で大出世を果たし、お嫁さんももらいました」


 盧生さんはお嫁さんがいなかったのね。もしかして、いわゆる草食系男子だったのかなぁ。


 彼女いない歴=実年齢の盧生さんは、お嫁さんほしさのあまり、女の子といちゃつく夢を見たのかもと思うと……。う、うう……悲しくて涙が……。


 はっ! ダメ、ダメ! いまは妄想モードに入っちゃダメ!


 しずまれ、わたしの荒ぶる妄想パワー!


「出世はしたものの、悪いことをしていないのに誤解から牢屋ろうやに入れられたり、絶望して自殺しそうになったりと、盧生の人生はかなり波乱万丈はらんばんじょうでした。でも、最終的には誤解がとけて無罪となり、その後は富も名誉も手に入れ、幸せな老後をすごしたのです」


 えっ、夢の中で、自分がお年寄りになって死ぬまでを体験しちゃったの⁉


 ちょっと面白そうかも。でも、実際に自分がそんな夢を見たら、すごくつかれそう……。


 それに、そんなにも大長編な夢を見ていたら、現実世界でもかなりの時間がたっていて、朝寝坊しちゃうかも。


 盧生さんも、宿の主人に作るように頼んでいたお粥がすっかり冷めちゃって、がっかりしたんじゃないのかな。


「波乱万丈な人生を終えて亡くなるところで、盧生は目覚め、『今までのはぜんぶ夢の中でのできごとだったのか!』とおどろきました」


 あー、あるあるだね。なんかすごいリアルな夢を見て、夢の中の自分はそれが現実のできごとだと思いこんじゃっているってこと、よくあるもん。


「さらにおどろいたことに、寝る前に宿の主人に頼んでいた栗の粥はまだえていなかったのです。つまり、盧生が夢の中で体験した数十年の人生は、実際にはほんのちょっとのあいだの時間だったということです。『ああ、人間の一生とは夢のようにはかないものなのだなぁ……』と盧生は感じたのでした。これが、『一炊の夢』または『邯鄲の夢』というお話です」


 へぇ~! そっかぁ、夢の中で体験した時間=現実世界での時間とはかぎらないんだ。


 そういえば、オオクニヌシさまに夢の世界で出会って夢守ゆめもりの仕事を押しつけられたとき、だいぶ長いあいだお話していたのに、現実世界では3、4分しかたっていなかった。


 愛花ちゃんの夢の事件を解決したときも、夢幻鬼むげんきスイレンと戦ったり、スパゲティカルボナーラ地獄に苦しんだり、ヒカルさんと出会ったり、『二人同夢』の術で愛花ちゃんと秀平くんの夢をひとつにしたり……たった一夜のこととは思えないぐらいのできごとを体験したなぁ~……。


 これは、夢守のお仕事と関係あるかも知れないから、ちゃんと覚えておこうっと。メモ、メモ……。


 ……でも、初仕事はなんとかうまくいったけど、またスイレンみたいな悪い夢幻鬼と戦うことになったら嫌だなぁ……。


 空を飛べたりとか、好きなモノを呼び出せたりとか、そういうのは楽しいけれど、鬼と戦うのはやっぱりこわいよぉ。


 う、うう……。でも、わたしががんばらないと、また愛花ちゃんみたいに悪夢を夢幻鬼に見せられて苦しむ人が出てきちゃうから、投げ出すわけにはいかないよね……。


 第一、悪夢を食べるのが専門だったバクくんを弱体化させちゃった張本人ちょうほんにんはわたしだし。


 責任重大で気が重いなぁ……。


 ……いけない、いけない。わたしったら、また弱気モードに入りかけてる。

 夢の中だとなんでもできちゃうから、ちょっとは強気になれるけれど、現実世界でももうちょっと前向きになりたいよ。


 わたしがそんなふうにああだこうだと悩んでいると、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。


「はい! 今日の授業はここまで! 来週から始まる中間テストで、今日やった『一炊の夢』は出すからね。ちゃーんと覚えておくように!」


 望月先生が教科書をパタンと閉じながらそう言うと、だれかが「ああ~、中間テストかぁ……。嫌だなぁ~」と小声でつぶやくのが聞こえた。


 実は、わたしも、中間テスト困ってるの。


 つい数日前から学校に通い始めたわたしは、4月~5月半ばまでの授業をいっさい受けていない。いちおう各教科の先生たちからプリントはもらっているけれど、ほとんど時間ないのにたくさんあるプリントをテスト期間までに解けるか心配なんだよねぇ……。


「ああ~、中間テストかぁ……。嫌だなぁ~」


 帰る準備をしながら、わたしはだれかさんのつぶやきをまねてそうブツブツ言った。すると、


 ポン


 と、だれかがわたしの肩をたたいのだ。


 愛花ちゃんかなと思ってわたしが顔を上げると、やっぱり愛花ちゃんだった。


 でも、愛花ちゃんのそばには、もうひとり、ツリ目でちょっと性格がきつそうな見た目の女の子がいて――。


「あ、あの……どちらさまでしょうか?」


 超絶ちょうぜつ人見知りなわたしは、肉食動物と遭遇そうぐうした小動物みたいにおびえた顔でたずねた。


「どちらさまって……。クラス委員長の姉川あねがわ結衣ゆいだけど」


 え⁉ クラス委員長⁉ つ、つまり、このクラスの……ボス‼


「あ、あわわ……。この教室の総元締そうもとじめさまに対して、とんだご無礼を……。な、なんでもしますから、お許しください! クラスメイトたちを使って、わたしを集団リンチの刑にするのだけはご勘弁かんべんを!」


「い、いやいやいや! なんで、わたし、暴力団の親分みたいになってるの⁉」


 ビシッとわたしの肩を軽くたたき、ツッコミを入れてくる姉川さん。きつそうな見た目のわりに、意外とノリがいい。


「ユメミちゃん。そんなに恐がらなくてもだいじょうぶよ。結衣ちゃんはパッと見は冷たそうな雰囲気ふんいきだけど、本当は優しくて気さくな性格なの」


 愛花ちゃんがクスクス笑いながらフォローを入れると、姉川さんは、


「冷たそうな雰囲気で悪かったわね……。わたしの無愛想ぶあいそうな顔は生まれつきなんだから、しょうがないでしょ」


 と、すねながらブツブツ言った。


「ご、ごめんなさい。わたし、悪の組織に洗脳せんのうされたクラスメイトたちがいっせいにわたしにおそいかかってくる妄想をたまにしているから、ついにそのときが来たのかなって思っちゃって……」


浮橋うきはしさん。あなた、面白い子ね……。その言いかただと、わたしが悪の組織の人間みたいに聞こえるのが微妙びみょうに気になるけど」


 い、いや~、それほどでも~。


 え? ほめてない? すみません……。


「結衣ちゃんはね、ずっとお休みしていたユメミちゃんがテスト勉強で困ってるんじゃないかって心配してるの。『テスト範囲はんいのプリントをいまからひとりでやるのは大変だろうし、クラスメイトとしてなにか協力すべるきじゃないか』って、結衣ちゃんがそう言ったから、こうやって声をかけてみたのよ」


 愛花ちゃんがそう言って「ね?」と姉川さんにウィンクすると、彼女はちょっとくさそうにコクリとうなずいた。


「浮橋さん。よかったら、わたしたち三人で勉強会をしない? プリントでわからないところがあったらわたしと愛花が教えてあげられるから、浮橋さんも勉強がはかどると思うのよ。三人寄れば文殊もんじゅの知恵っていう言葉もあるし」


「わ、わたしなんかのために、どうしてそこまでしてくれるんですか?」


「わたしなんかって……なに言ってるの? わたしたちはクラスの仲間なんだから、助け合うのは当然でしょ? それに、わたしはクラス委員長だし、困っているクラスメイトがいたら声をかけるでしょ、ふつう」


 姉川さんは小首をかしげながら、サラッとそんなことを言う。


 しゃべりかたはとってもクールだけど、愛花ちゃんが言っていたとおり、心はすごくホットなんだ……と、わたしは思った。


 だって、ふつうの人は、困っている人がいても、助けるのを面倒めんどうがって、見て見ぬふりをしちゃうよ。


 それなのに、姉川さんは「助け合うのは当然のこと」だと言い切った。姉川さんは、面倒なことをごくごくふつうのことだと思って実行できる、とても前向きな人なんだろうなぁ。


 24時間ネガティブ思考しこうなわたしとはおおちがいだ。見習いたい……。


「で、どう? 今度の土曜日、浮橋さんの家で勉強会しない?」


「え⁉ わたしの家で、ですか⁉ な、なにゆえ……」


「だって、浮橋さんは病気が治ったばかりで体力ないだろうし、他人の家で勉強したらつかれちゃうんじゃない? 落ち着いて勉強できる自分の家のほうがいいと思うのよ」


 な……なるほど。そこまで考えてくれているのね。自宅にクラスメイトを招くというビッグイベントを体験した時点で、わたしのHPヒットポイントはゼロになりそうだけど……。


 ど、どうしよう。せっかくのお誘いを断るのは気が引けるし、わたしだってテスト勉強を手伝ってもらえるのはありがたい。でも、ずっとぼっちだったわたしが、勉強会というお友達イベントをちゃんとこなせるかしら。緊張のあまり、心臓が止まっちゃうかも……。


「なにをぐだぐだまよってるばく! むこうからトモダチになろうとしてきているのに、にげたらダメばく! そんなことしてたら、ずーーーっと、ぼっちばく! さっさとうなずけばく!」


 いつのまにあらわれたのか、バクくんがわたしの耳元でそうぎゃんぎゃん言い(愛花ちゃんと姉川さんには、バクくんは見えていないし、声も聞こえない)、わたしの頭を両手でつかんで無理やりコクン、コクンとうなずかせた。


「よし、決まりね。じゃあ、今度の土曜日よろしく。……あっ、あと、わたしのことも愛花と同じように下の名前で呼んでくれていいから」


「ふ……ふつつかものですが、よろしくお願いします……。ええと、結衣……ちゃん」


「うん、よろしく。ユメミ」


 姉川さん……じゃなかった、結衣ちゃんはニコリと笑う。


 あっ……。結衣ちゃんって、ふつうにしていると冷たい印象なのに、ほほえむと、チャーミングな女の子になるんだぁ……。


 わたしは、結衣ちゃんの笑顔につられて、知らず知らずのうちに自分も笑っていた。


 ……でも。ああ、どうしよう、勉強会!


 いまから緊張してきたよぉぉぉ!

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