「雨音が、消えた。」
繭墨 花音
第1話
僕は、雨が大ッ嫌いだ。
今日から本格的な梅雨になるらしい。昨日の朝から晩まで一日中テレビのチャンネルを目まぐるしくころころ変え、それが事実であることを数多くの天気予報から確認した。
「はぁ……」
ベッドから体を起こし、大きなため息を吐く。梅雨だ。梅雨だ。梅雨だ。そのことが僕の全てを疲れさせる。いや、もしかしたら今日は雨が降らないかもしれない。
昨日あれだけ調べたが、一応スマホで天気予報を確認する。一縷の望み…と自然にスマホをタップする力も強くなる。そして表示される傘マークと100%という数字。まぁ、そうだろう。現に外から容赦ない雨音が聞こえる。諦めとやるせない気持ちを抱え、僕はいそいそと学校の支度を始めた。
学校までは徒歩10分程度だ。その10分をどう乗り切るかがカギだ。
とりあえず玄関でヘッドホンを装着し、音楽を大音量で流す。そして外へ出て傘を差す。傍から見たら危険極まりないだろうが、仕方ないのだ。許してほしい。こうでもしないといけないんだ。
ヘッドホンから流れてくる女の人のしっとりとした歌声。適当に入れた人気らしい曲が、外界からの情報を必要最低限まで遮断してくれる。陰鬱な色をしているアスファルトを慎重に見つめながら、早歩きで急ぐ。曲のギターとピアノに耳を傾け、歌詞を脳内で文字化する。言葉の意味を取ろうとすることで、遮断率はグッと上がる。
♪~単調な毎日。変わり映えしない自分と世界。私くそだりぃテストとか柔らは色を失っていた。モノクロだった。そしてそれが当たり前だっらないもっと金出せっての晩御飯何にしよう痛い次巻楽た。色を失っていたことにすら気づかなか疲れたなんだよあいつ意味不明ったの。単調な毎日。変わり映えしない自分と世界。私は目を失って離れたいずっと天気悪いかなこんなじゃいた。ちっぽけだった。そしてそてどうせあいつ俺のことバカみたい髪の調子わる手紙書れが当たり前だった。大きな黒が私の目を飲み込み、見えてるものが小さくなってら会議うまく話せるかなもう頃合いなんて。単調な毎日を作り上げていたしよう死にたいここも範囲かなんであんなこと言ったんのは私だった。知らなかったわ。世界はこんなに広くて色にあふれているのね。知らなか子様あれ知りたいやべ教科書忘れたぜってぇ勝ったわ。素敵な貴方がこんなにも近くにいるなんて。貴方を中心に世粧落ちるやば超幸せ学校とか界がカラフ可哀想にねぇ二度ルになる。あぁできれば貴方と同じ遊びてぇうわキ色が見たい。あぁできれと屈辱を味わない愛してる死ねなんて言えばいば貴方にとって幸せな色がこの世界に溢れてしまえイライラする綺麗なばいいのに。~♪
「ぅ…っ」
ようやく着いた学校の正面玄関で小さく呻く。下駄箱によりかかり、異様な拍動を主張する心臓を押さえつける。まだ早い時間だからそれほど生徒はいないが、ここに長くいるのも危ない。呼吸を整えつつ、僕はいそいそと教室へ移動する。やっと、雨が遠ざかる。
僕は雨が嫌いだ。なぜなら、雨を通して人の感情が流れ込んでくるからだ。誰の感情かは全くわからないが、その雨に触れた人間だということは確かだ。足に触れた腕に触れた肩に触れた頭に触れた手に触れた…肌に触れた雨は感情を持つ。今までの経験から色々と制約や条件はあるようだが、とにかく僕はそれらを遮断したくてたまらなかった。音楽を聴きながらでも否応なく侵入してくる他人の感情は、うんざりだった。
「なぁ、今日テストだよな」
いつの間に来ていたのか、隣のやつが鞄を下ろして遠くを見つめている。
「うん、テスト」
「……そうか」
終わったな、と小声で言いながら彼は着席した。そして漫画を机の中から引っ張り出し読み始めた。終わったのは恐らくテストのことだろう。彼はテストの時にいつも今の挙動を繰り返す。何が楽しいのか理解できない。するつもりもないが。
「よっしゃーテスト終わったぁー‼」
「まだ朝礼すら始まってないよ」
「なんで言うんだよっ⁉」
ガタッと芸人みたいに机を揺らして立ち上がる彼。言ってることが理解できずに首を傾げる僕。
「はぁ……まぁ、お前はそういう奴だよな…」
また大袈裟にため息をついて彼は座った。何に対してのため息なのかはわからないが、とりあえず僕は教科書を広げる。せっかく朝早く来たんだ、テスト勉強を少しでもしないと時間がもったいない。
「テスト終わったって気分が味わいたいだけなんだよ…」
「ふぅーん」
彼の目的はそうらしい、とだけの情報を僕は生返事で流す。一限目は数学のテストだ。公式の確認を最優先させよう。
「毎時間味わわないとやってけねぇ…」
何かめんどくさいことを言った気がする。そして案の定、めんどくさかった。
よっしゃーテスト終わったぁー‼ まだ朝礼終わったばっかりだよ。よっしゃーテスト終わったぁー‼ まだ一限始まる前だよ。よっしゃーテスト終わったぁー‼ 一限はね。まだ二限があるよ。よっしゃーテスト終わったぁー‼ まだ二限が始まる前だよ。よっしゃーテスト終わったぁー‼ 二限はね。まだ三限があるよ。
「よっしゃーテスト終わったぁー‼」
「そうだね、終わったね」
ようやく終わりを告げたテスト一日目。三限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く教室には、少し安堵した雰囲気が流れる。彼との形式会話も終了だ。毎時間どころではなかったが、彼はギリギリ精神を保っていられたようだ。僕が帰る準備をしている横で、大仰にストレッチをしている。
「いやーお前ってほんと面倒見いいよなー」
「…? そんなことないと思うけど」
「いやいいって。俺が言うんだから、自信持っていいぜ?」
片目ウインクを飛ばしながら肩をポンと叩かれた。本当にこの人は一から十まで理解できない人だ。僕は天気を確認し、彼にあぁそうとだけ返して別れを告げた。
今は曇りだ。アスファルトや周りの木々はまだ濡れているため油断はできないが、雨が降っている時よりは断然マシだ。帰るなら今だ、と思っているとスマホがポケットの中で震えた。うちの高校は携帯禁止だが、ほとんどの人が隠れて持ってきている。先生が近くにいないか見渡して、中を確認する。どうやら母からのメールのようだ。
『食パン切らしてた。帰りに買ってきて。6枚切りね』
僕は大きくため息を吐いた。
残念ながら、通学路にスーパーはない。怪しまれない程度に早足で歩きながら、通学路を外れる。今すぐに雨が降ってもおかしくない天気の中、僕は神経を削りながらスーパーへ行く。
母さんは僕の変な体質を知らなかった。誰も知らなかった。まぁ僕が誰にも言ってないから当たり前だろう。言ったって信用されないのが目に見えているし、相談したからといって治るものでもないだろう。
行き慣れたスーパーに着き、食べ慣れた食パンを買う。目的のものをスムーズに手にし、僕はすぐに外に出た。天を仰いで確認すると、まだ雨は降っていない。このまま帰れば大丈夫だろう。だが、安心した気持ちはすぐに霧散した。僕が歩き出してすぐ、空は泣き始めた。道行く人が次々に傘を開くより先に、僕は傘という盾を使う。大粒で大量の雨が傘を叩き始めた。こっちが泣きたいくらいだった。
さすがにこの雨で帰れば精神が持たない。どこかで雨宿りをすべきだと思い、僕は近くのファストフード店に駆け込んだ。
「っ…はぁ…」
ポップな色彩と店員の明るい声に迎えられる。
店に駆け込む短時間でも、多くの感情が流し込まれた。息苦しさにむせそうになりながらも、必死に耐える。とりあえず適当なものを注文し、人から離れた窓際の席に着いた。荷物を置いて深呼吸を何度か繰り返す。そして注文したコーラで喉を潤していると、落ち着きを取り戻してきた。
大雨を眺めながら、その中を悠然と傘を差して歩く人々を見ながら、僕は考える。
本当に、彼らは何も感じないのか。
僕は自分の体質を誰にも言わなかった上に、誰にも聞かなかった。同じように感じはしないのかと。もしかしたらみんな上手く対応しているだけかもしれない。僕が不器用なだけかもしれない。
思考を巡らせていると、視界にカラフルな身なりをした楽しそうな女の子が映った。絶対にあの子だ。同じクラスメイトの、あの子だ。僕がそう確信できるのは理由がある。
彼女もこっちに気付いたのか、ハッとして笑顔で手を振ってきた。僕がぎこちなく小さく手を振り返すと、駆け足で近寄ってきた。そしてそのまま何をするのだろうと目で追っていると、レインコートと傘をたたみ、店内に入ってきた。
「こんなところで珍しいねっ」
「あ、うん…まぁ…」
弾んだ彼女の声と、僕の戸惑った声が対照的にキャッチボールされる。記憶が正しければ、彼女とは数回しか話したことがないはずだ。しかもそれらは全て雑談ではなく、必要だった業務連絡のようなものだ。だから親し気に手を振られたり話しかけられることに、正直困惑している。
そっかぁと人懐っこい笑みを見せ、彼女は注文をしに行った。もしかするとこのお店で他の人と待ち合わせしているのかもしれない。とも思ったのだが、ジュースとハンバーガーが乗ったプレートを持って真っすぐこちらに帰ってくる。
「ここ、座ってもいい?」
「う、うん、どうぞ」
僕は半ば反射的に答えてしまった。彼女の醸し出す雰囲気は、なんだか断るのが悪く思えてしまう。向かい合いながら、僕はフライドポテトに手を伸ばす。彼女のことをよく知らない不安感と距離感の不透明さから、居心地の悪さを感じた。何を話せばいいのかわからなかった。だが彼女の方は感じていないのか、雨を眺めながらつぶやいた。
「雨、だね」
「……そうだね」
仲が良くないのに僕が彼女を遠くから認知できたのは、彼女が雨好きだからである。女の子らしい可愛い傘を差しているなら他の子と区別はつかないだろうが、彼女はレインコートやブーツまであしらって学校に来ていた。雨の中、にこにこしながら悪天候を楽しむ姿に、僕は羨ましさを覚えていた。
「君って、雨好きだよね」
雨から僕に視線を移し、彼女は頷く。大きな瞳が細められた。
「そ、好きだよ」
無邪気に答える様子は、なんだか幼い子供みたいだった。僕も変な体質がなければ楽しめたかな。なんて意味のない妄想は一瞬で振り払う。
「どうして好きなの?」
僕はただの興味で問いかけてみた。普通の人でも、雨が好きだという人はあまり多くはないらしいから。まぁ確かに服が濡れたり、傘で手が塞がったりと不便や不快は多い。彼女は質問されると、きょとんとした表情を見せた。パチパチと目を瞬かせる。
「うん…?」
おかしな質問をしてしまったのだろうか、と思わず首を傾げる。すると彼女はくすくすと笑い始めた。
「ふふっ、ごめんなさい。なんだか恥ずかしくて」
恥ずかしい、という言葉を頭の中でリピートさせ理解を試みる。よく見ると、彼女の頬は少し紅潮していた。ますますクエスチョンマークが増える中、今日会話途中で初めて彼女が目をそらした。
「えっと…あ、雨が好きなのはね、」
ハキハキとした口調が陰に隠れ、途切れ途切れに言葉が紡がれる。僕は彼女の理解できない言動にじっと注意していた。
ふふっ、ともう一度彼女ははにかむと視線を上げた。大きく無邪気な瞳が、僕を映す。
「貴方が私を見てくれるから」
雨音が、消えた。
end
「雨音が、消えた。」 繭墨 花音 @kanon-mayuzumi
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