第27話 結婚相手
「この人と結婚をしたい」
Tさんの娘は、そう言って地方公務員の男性を連れてきた。聞けば、お腹に子どももいるという。
Tさんが娘の結婚を心から喜べなかったのは、「できちゃった結婚」というだけではない。
娘と交際中、相手の男性が、別の女性と婚約中だったこともあった。
娘からその事実を聞かされた時、流石に眩暈がしたという。
「この人は、その女性との結婚に乗り気じゃなかった」「相手の女性に押し切られて婚約をしてしまった」「そのとき、私達は出会って交際をはじめたのだ」「もう婚約破棄はしている」
娘が熱心に説明するたび、不安ばかりが募る。Tさんは数年前に夫と死別をしており、以降「この娘を私がしっかり守らなければ」と思って育ててきただけに、相当に悩んだ。
――― この結婚で、娘は幸せになれるのか。
そう思ったのだが、娘と、娘の交際相手に説き伏せられ、結局結婚を許してしまった。
その後、あわただしく結婚式が行われ、娘たちは新居へと引っ越し、新しい生活が始まる。
娘が妊婦であるため、いろいろと手伝いを買って出たTさんは、娘夫婦の仲睦まじい様子を間近にみることで、「なんとなく、この二人は幸せになるかも」と思ったらしい。
やがて時が満ち、孫が生まれ、Tさんは仕事の合間に産後直ぐの娘や孫の世話をしていたのだが。
娘が、徐々にふさぎがちになっていったという。
最初は、『産後うつ』か、とTさんは危ぶんだが、どうも違う。孫が長めの昼寝をした際に、Tさんが「どうしたのか」と切り出してみると。
夫が、酒を飲んで暴れるのだ、という。
Tさんは呆気にとられる。あの、気の弱そうな。優しそう、といえば聞こえはいいが、優柔不断でどこかおどおどしたような婿が、『暴れる』。
Tさんは信じられない思いで娘の話を聞いていたが、実際に「投げられたイスでうっ血した腕」を娘から見せられ、愕然とした。
これは黙っていられない、と帰宅した婿を待ち構えた。
いつもなら、婿の帰宅する時間には自宅に戻るTさんが家にいることに、当初驚いた婿だったが、Tさんが「娘のこの傷は一体どういうことか」と切り出した途端、豹変した。
「お前の娘の育て方が悪いからだろ!」「口の利き方をわきまえろ、ばばぁ!」
聞いたこともない言葉で口早に罵られ、呆気にとられていると、Tさんの背後で娘が言い返す。
「お母さんの悪口言わないでよ!」
「そもそも、なんでばばぁがここにいるんだよ!」
「あんたが飲んで暴れるからでしょ! アル中!」
「誰に向かってモノを言ってんだ、この女っ。俺より稼いでからものを言え!」
娘と婿は、Tさんを挟んで互いを罵り合い、言葉の応酬を繰り広げる。
うちの娘はこんな子だったろうか。うちの婿はこんな人間だったんだろうか。
ただただ、おろおろと立ち尽くしていたTさんの鼓膜の表面をくすぐるように。
女の笑い声が。
聞こえた。
見知らぬ女の忍び笑いに、Tさんは視線を彷徨わせる。
当然だが、室内には誰も居ない。
娘と、婿と、孫と、自分と。
それだけのはずなのに。
娘が罵り、婿が語気荒く言い返すたびに。
見知らぬ女の忍び笑いが必ず聞こえる。
何故だか、Tさんは「婿の元婚約者だ」と思った。
確信した。
そう思った瞬間、Tさんは娘と婿に怒鳴ったという。
「汚い言葉を使うんじゃありません!」
いきなり会話に割って入ったTさんに、娘と婿は戸惑ったものの口を閉じる。
「心の中で思っていても、絶対に汚い言葉を相手に言わない! あの女が喜んでいる!」
Tさんはふたりにそう言った。
直後。
Tさんの耳は、確かに舌打ちを捉えたのだそうだ。
Tさんは自分の聞いたもの、感じたこと、思った事を娘と婿に伝え、「結婚生活を続けたいなら、相手を罵るような言葉は言わないように。あの女を喜ばせるだけだから」と念押しをしたのだそうだ。
その後、意識して互いにいたわりや優しい言葉をかけるようになると、まず婿が酒を飲んで暴れることがなくなったという。数か月後には、こどもの成長を喜び、妻をいたわる夫になったのだそうだ。
ほっとしたTさんは、元婚約者の女性のことを聞こうと、婿の実家に電話を入れた。
事の経緯を説明し、「元婚約者さんは今、どうされているのだろう。ご存じか」と尋ねると。
元婚約者は、普通に暮らしている、という。
流石に婚約破棄直後はやつれて酷い顔色だったが、現在は転職し、以前のように明るく生活しているそうだ。
あれは生霊というものだったのだろうか、それとも、元婚約者とは関係の無い現象だったのだろうか、と思ったTさんに。
婿の母親は、しつこいぐらいに尋ねたのだという。
「それだけでしたか? 本当に、それだけで済みましたか? 他に何かあったんじゃないですか? 私達に隠してるだけなんじゃないですか?」
本当は、もっとひどい何かがあったんでしょう?
その言葉を聞いて以来、Tさんは娘を離婚させた方がいいのではないか、と悩んでいるのだそうだ。
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