第16話 鯉のぼり

 Tさんは、80歳になる男性だ。


 Tさんの生まれ育った地区は、同じ名字の人間が多い。

 その名字を聞けば誰もが「あの村の住人だな」とわかるようなところだった。


 親戚達が固まって暮らしているため、どうしても村ごと同じ名字になる。なにもこの村だけではない。そんな村がこの地区にはいくつかある。したがって、公立の小学校中学校は、同じ名字の児童や生徒が多数いた。


 そんな地区で。

 Tさんの名字は一風変わっている。


 過去帳を繰れば、江戸時代からTさんの先祖はその村で暮らしているのだが、Tさんと同じ名字の家は一軒としてない。


 理由はただ一つ。

 男児が生まれにくいのだ。

 故に、分家が無い。


 Tさんは、いわゆる『繰り上げ長男』だ。

 実際は次男なのだが、長男が亡くなったため、跡を取った。


 Tさんのご両親の最初のお子さんは、女児だった。

 Tさんのお父さんは子どもの性別について、ある程度予想がついていたという。というのも、ご自身もきょうだいのなかで唯一の男だったからだ。


 Tさんのお父さんは当時有名だったという占い師の所に行き、「どうすれば男が生まれるだろうか」と尋ねたのだという。

 占い師は、「次に生まれるのも女児だろう。だが、その女児に『実がなる木』の名前をつければ次の子は男児だ」と答えた。


 その後、Tさんのご両親の間に生まれたのはやはり、女児。

 Tさんのお父さんは占い師に言われたとおり、『実がなる木』の名前をその子につけた。


 そして、待望の男児が生まれる。

 Tさんのお兄さんにあたる人だ。

 

 Tさんのご両親は手放しで喜び、初節句には、戦後の苦しい時期ではあったが、鯉のぼりを買ったのだという。


 さて。

 日を選び、家族一同が見守る中、その鯉のぼりを揚げたところ。


 鯉のぼりは、風をはらみ、はためいた途端。


 口から音を立てて裂けたという。


 Tさんのご両親は慌てて鯉のぼりを下ろした。口は竹ひごで輪を付けて補修。裂けた部分を縫い付けてもう一度鯉のぼりを揚げた。


 だが。


 今度も、口から風を吸い込み、たなびこうとした矢先に鯉のぼりは竹ひごを爆ぜさせて裂け、縫った部分が破れて落ちた。


 Tさんのお父さんは激高し、購入した店に鯉のぼりを突き返した。

 店側は交換を申し出たが、Tさんのお父さんは「縁起が悪い。こんな店では二度と買わない」と断ったのだという。


 Tさんの長男さんは。

 その後、2歳にならずに亡くなられた。


「数年後おれが生まれたけどね、親父は鯉のぼりを買わなかった。うちの家では今でも、鯉のぼりは買わないよ」


 Tさんは私にそう言った。

 ちなみに。

 Tさん自身も3人の子をもうけたが、男児は一人だという。

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