26.肉と鋼
「シズク!?」
逃げたはずの少女の姿に一瞬、思考が硬直する。
俺と同じく、扉の前にいたもう一人の男も一瞬何が起こったのか分からず動きを止めていた。
「伏せろシズク!」
すぐに状況を把握し、すかさず指示を飛ばす。
射線上にいたシズクは瞬時にその場で地面に伏せた。
――タタタタッ!
「ぐあっ!!」
扉の前にいた男の身体に何発か弾丸が命中する。
すぐさま廊下を走り、廊下で伏せるシズクの横を通り抜け、扉の男と一気に距離を詰める。
―――パンッ!
頭に一発。
正確な射撃ができる位置から発砲した。
どさりと男が崩れ落ちると、白い床が赤く染まり始める。
床に伏せたままのシズクをとりあえず放置して、割れた窓ガラスから先ほど投げ飛ばされた男の姿を探す。
すると、すぐ下の道路に足を引きずりながら歩く男と、その男の肩を担いでトラックへと移動する男の二人が視界に映った。
もう一人の男は恐らく、先ほど階下から俺に奇襲をかけてきた男だろう。
三階の事務所と階段付近に四人、今しがた撃ち殺した奴と逃げていくあの二人で――計七人。
襲撃前に視認できた情報から考えれば、これで全員撃退出来たはずである。
「征志郎? えっと……あ」
未だに地面に突っ伏していたシズクが、俺の顔色を覗うように見つめてくる。
俺はそんな少女を小脇に抱え、いつも使っている二階の部屋へと入った。
当座の脅威は去ったとはいえ、第二波がやってこないとは言い切れない。
遮蔽物のある場所に避難するのが今できる最善だ。
「きゃっ……!」
ベッドの上にシズクを放り投げた俺は、言いつけを破って戻ってきた少女に掛けるべき言葉を考える。
おそらく以前、勝手についてきて怒られた倉庫街の時を思い出しているのだろう。
シズクは緊張に肩を強張らせ、瞳に涙さえ浮かべている。
「助けに来てくれたんだろ。ありがとな」
そう言って、頭を撫でる。
シズクは俺の反応にきょとんとした表情を浮かべている。
本来であれば、言いつけを破って戻ってきたことを叱るべきだろう。
しかしこの娘が応援に来てくれなかったら、俺は文字通り命がけで武装した二人、最悪三人に挟撃されながら銃撃戦を繰り広げるしか手がなかったのだ。
対するシズクは怒られるものと決めてかかっていたのか、妙におどおどしていた。
「あ、う……。勝手に戻ってきて、ごめんなさい」
「怪我はないか?」
「う、うん……大丈夫」
ガラス窓を破って入ってきた際、どこか引っかけてないかと思ったがその心配はなさそうである。
今度こそ俺が怒っていないことを理解したのだろう、シズクはほっとした面立ちで息を吐いていた。
「ジェニファーはどうした?」
「危ないから外に置いてきた」
ジェニファーを気遣う気持ちがあるのなら、俺の気持ちも分かるだろうと思ったが声には出さない事にした。
突然のマフィアの強襲で一時はどうなる事かと思ったが、誰にも危害が及んではいない。
何かしらの犠牲も止むを得なかった状況で、この結果は奇跡的とさえ言える。
もっとも事務所内はぼろぼろ、襲撃犯の遺体もごろごろ転がっているが、今は五体満足で生き延びたことを感謝すべきだろう。
(探偵業はしばらく休業だな。ほとぼりが冷めるまで場所を変えるか)
一方的に襲われたとはいえ、マフィアの構成員を数多く死傷させた今、このビルに留まり続けるわけにもいかない。
エンジェルへ連絡し、たんまりと迷惑料を搾り取った上で、今後の指針を定める必要があるだろう
「ウギャン! ウギャン!」
その時、ビルの外から犬の鳴き声が聞こえてくる。
この愛嬌があるようなないような、微妙な鳴き声を聞き違えるはずもない。
一度部屋を出た俺は、予想通りビルの下の道路にいたジェニファーに割れた窓から声を掛けた。
「おい、ジェニファー! もう大丈夫だから上がってきていいぜ」
「ウギャン! ウギャン!」
しかしこちらの存在に気付いた小さな友人は今いる道路脇から離れず、こちらと明後日の方向を見比べるようにしながら、しきりに吠え続けている。
(……なんだ? 俺に何かを知らせようとしているのか?)
その奇妙な動きを訝しみ、ジェニファーが向いている方角を注意深く確認する。
するとそこには――
「あれは、トラック……。おい、なんだありゃ?」
マフィアが乗ってきたトラック。
その荷台から異様とも言える大きな人影がぬっと姿を現すのを俺は視界に捉えた。
以前、倉庫街で戦った軍人崩れも全身に職業軍人用の肉接ぎを施した怪力自慢の大男だった。
だがこいつはそんなレベルではない。
三メートル近くある身体には至る所に肉接ぎ痕があり、奇形とも言える骨格と大質量の筋肉が備わっていた。
(おいおい! あんなツギハギ、今まで見たことねーぞ!?)
肉接ぎもあのレベルまで行くと、もはや人間の範疇を超え、異形と表現するのが適切なぐらいだろう。
恐らくこの国の法では禁じられているような、過度な肉接ぎが全身全てに施されているのだろう。
巨体に合わせて作られたのだろう薄汚れた衣服には、鎧を思わせる無骨な鉄板が打ち付けられている。
そして巨大なボルトが首筋やむき出しになった身体にも突き刺さっていた。
肉と鋼に覆われた巨漢。
顔こそまだ人間のものであるが、もはや肉接ぎと言えるかすらわからない体躯は神話や寓話に登場する怪物を想起させる。
そんな怪物が今まさにこのビルへと入り込もうとしていた。
(まさか一階から奇襲してきたマフィアが素直に撤退したのは……!)
二階に上がってくることなく、窓の外に突き落とされたマフィアを介抱しに向かった男の行動に、俺は若干の違和感を抱いていた。
だが、あれが撤退ではなく追加戦力の招喚が目的ならば筋は通る。
俺は急いで周辺に転がっていた銃や予備の弾薬をかき集めた後、シズクのいる部屋へと戻った。
「これから得体の知れないでかい男がここに来る。もう逃げろとは言わねえ。これで一緒に戦え」
「う、うん」
驚きを見せるシズクに短機関銃一丁と予備弾薬を手渡す。
「いいか、ここを左手で握って、こう構えて撃つ。弾が切れたらこの弾倉部分を取り外してそいつを取りつけろ。俺が撃てと言ったら躊躇なく撃て」
渡された銃を神妙な顔つきで見詰める少女に、手早く使い方をレクチャーする。
一つ一つ記憶に刻みこむようにシズクが頷き返してくる。
この少女の記憶力と理解力があれば、今の説明でも最低限の射撃行為は行えるだろう。
そうこうしている間に、ズシンズシンと地響きにも似た足音が老朽化の進んだ雑居ビル内に響き始めた。
(二階の階段あたりか……?)
即座に作戦を決めた俺は短機関銃を握るシズクを連れて、廊下へと出る。
それほど長くはないが、直線かつあの巨体を隠せる遮蔽物など何もない空間である。
「いいか? 奴が階段を上がってきた瞬間、全ての弾丸を叩き込め」
「わ、わかった」
敵の力が未知数である以上、先制攻撃で圧倒するのが最善だろう。
だが銃を構えるも、額にいやな汗が流れる。心の奥底で警鐘が鳴り響く感覚。
それでも今、取れる手段はこれしかない。
「…………」
「…………」
シズクと共に奴が現れるのを待つ。
対する目標はこちらの待ち伏せに気が付いているのか、いないのか歩調は変わらない。
(もう少しだ。もう少しで奴の身体が見えるはず……)
――ズシンッ!
床が抜けそうなほどの大きな音が廊下に響き渡る。
それから一拍置いた後、廊下の先に天井に届きそうな身体を前屈みにした巨体の怪物が姿を現れる。
ぎょろりとこちらに向けられる両目。その瞳はどこか感情の宿らない不気味で白く濁った色をしていた。
「見ツケタ……」
「撃て!」
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