24.予兆と確信

 寝起きの顔はそのままに服だけ着替えた俺は、二階の自室を出てシズクの居るであろう三階へは向かわずにそのまま階段を降りた。

 そして雑居ビルの入り口にある郵便受けへと向かう。

 投函されているものといえば大抵は広告チラシばかりだが、たまに仕事関係の物や請求書の類が紛れているからチェックしないわけにもいかない。


 このビルを借りてから気付いたことだが、朝から二階三階を余り良い知らせの入っていない郵便受けのために往復するのは億劫で仕方がない。

 そんな気分で郵便ボックスに手を伸ばしかけると、足元から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。


「うぎゃん!」

「お前かよ。最近二、三日に一回は来てないか? まあお前が来るとシズクが喜ぶから別にいいけどよ」


 完全に馴染んでしまったパグの顔に苦笑する。

 もしかしたらこのツギハギ犬は、俺の家を第二の住処だと認識しているのかもしれない。

 エンジェルの飼い犬を片腕で抱え上げた俺は、郵便受けの中に入っていた紙束を取り出す。

 やはり大抵が投函されたチラシの類であるが、その中には一通だけ、既視感を覚える封筒が混じっていた。

 

「……またか」

 

 先日の脅迫文が脳裏をよぎる。

 開封するとこの前と同じ、くすんだ色をした合成紙が現れた。


『少女を信用スるナ こレが最後ノ警告ダ』


 紙面には新聞や雑誌の印字を切り抜いて作られた文章。

 やはりこの脅迫状も先日と同じ送り主からだろう。


「今度は『信用するな』と来たか。どうしたもんか……ジェニファーはどう思う?」

「うー、うぎゃん!」

「そうだな、これを送った奴はお前の噛みつき刑に処してやろう」


 冗談めかして呟いてみるも、そう楽観的に見られたものではない。

 最後の警告―――この脅迫状にははっきりとそう書かれている。

 これ以上無視するのなら、容赦はしない。

 つまり、なんらかの手段でこちらを攻撃する用意があるということだろうか。

 軽く通りに視線を向ける。

 ―――が、視界に映ったものを認識した瞬間、俺はジェニファーを抱えて無意識に踵を返していた。


(おいおいおい、何だよこりゃあ……)


 ビルの階段を登り、再び三階へと戻りはじめる。

 冷や汗が背筋を伝う。

 事務所の扉を開けると、コーヒーと焼けたパンの芳ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


「征志郎! 今朝はいつものベーコンと卵に、昨日安売りしてた遺伝子組み換え野菜をたくさん挟んだ特製サンドイッチだよ」


 買ってきたエプロンを身に着けたシズクが、キッチンから顔をのぞかせる。


「野菜も食べて健康に気を付けないと……。あ、ジェニファーだ! あ、もう手を洗った後……ん、いっぱい撫でた後また洗おう!」


 俺の胸から飛び降りたジェニファーが、一目散にシズクへ駆け寄る。

 つい先日遊んだばかりなのに、まるで久々の再会の様に顔を擦りつけ合うシズクとジェニファー。

 そんな少女たちを横目に、俺は道路に面した窓から相手に気取られないように、先程目にした外の様子を観察した。

 

 通りの向こう側にある細まった路地、その路肩に一台のトラックが停められている。

 そのトラックの脇にはこちらを伺う人相の悪い黒服の男が立っている。

 そして車の中にも同じ匂いがする男が二人、外で見た際は明らかに剣呑な目でこちらを見ていた。

 

(あいつら、カタギじゃねえな……)


 服装やシャツからのぞくツギハギなどから見て、おそらくマフィアと考えるのが妥当だろう。

 先日、エンジェルから聞いた話が頭を過ぎる。


『奴らはあなたを疑っている。今、向こうは自分とこの構成員を殺されて頭に血が上ってるの。ないとは思うけど、末端の構成員が暴発しないとは限らないわ』


 その線で考える場合、あのトラックの積荷は銃器か何かということになる。

 目を凝らすと、通りには他にもマフィアらしき男の姿が三つほど見える。

 俺が気付いていない場所にもまだ他の仲間が居るかもしれないが、少なくとも今見える所にいる彼らからは、隠れようという雰囲気はさらさら感じられない。

 事務所を包囲したまま待機している――そんな印象を受けた。


(一介の探偵を見張るのにマフィアが六人とはな……随分と高く評価して頂いたようだ)


 全く予想していなかったわけではないが、随分と直接的な方法に出たものだ。

 俺をブローカー殺しの容疑者と見据えての事だろうが、証拠もないまま実力行使ではこちらも困る。


(いや……他にもいるな……)


 ふと気配を感じ、同じく道路に面した反対側の窓へと移動する。

 ここからはよく見えないが、この事務所ビルを取り囲むよう配置された黒服の男たちから、いくらか離れた場所に私服姿の男が立っている。


(……なんだ? トラックの奴らとは少しばかり風体が違うみてえだが……)


 もしかすると俺が気付いていないだけで、他にも仲間がいるのかもしれない。

 通りのマフィアとは違い、この男は大分場に溶け込んでいる。

 しばらく様子を伺うも、あの男からはこちらを威圧するような気配は感じられない。

 ただこれから起こることを観察するだけ。そんな不気味な気配を俺は感じ取っていた。


(……ったく、あんな奴らが押しかけてくるとは、うちの周りもずいぶん物騒になったもんだ)


 とりあえず私服姿の奴は無視していいだろう。

 問題は殺気を隠そうともしないトラック周辺のマフィアどもだ。

 再び正面の窓に戻ると、ちょうどトラックの外にいた男が携帯を取り出しているのが見える。

 俺は無邪気にジェニファーと遊んでいた少女に声を掛けた。


「シズク、悪いがちょっとこっちに来てくれ。窓から少し離れた位置で」


 無為な恐怖感を与えたくなかったが、この状況ではそうは言っていられない。

 不思議そうな顔で歩み寄ってくるシズク。

 短く「緊急事態だ」と一言告げると、シズクはハッと俺の顔を見上げた。


「ここからあの男の声を聞き取れたりってするか? 電話口で何を話しているか、会話の内容をだ」

「ん……わかった」


 すぐにこちらの意図を察したのだろう、シズクが耳を澄ませる。

 理解が早くて助かる。俺は妙な頼もしさを抱いた。


「えっと……男……を確認。ブロー……奴を殺した……報復に……」


 さすがに細部まで聞き取れないようだが、電話内容から察するに、やはり部下を殺されたマフィアが俺に容疑を掛けているのだろう。

 だが俺はそんな嫌疑をかけられる事は一切していない。


(なんとかして衝突だけは避けられないものか……)


 ――トゥルルルル、トゥルルルル

 

 そう考えた時、突然PDAの着信音が鳴り響く。

 素早くポケットから端末を取り出すと、画面にはエンジェルの名が表示されていた。


(ちっ! こんなタイミングで!)


 聞き耳を立てるシズクの邪魔にならないよう、俺は窓から少し離れた。


「ちょっと待て、今少し立て込んで……」

『そこから今すぐ逃げて!!』

「お、おい……それって」

『いいから早く!!』


 このタイミングで掛かってくる電話。そしていつも余裕のあるエンジェルらしからぬ切迫した怒声。

 もはやこれから何が起こるか、推理するまでもなかった。


「征志郎? えっとね、あの男の人たち、ここに突入するって」


 慌てて窓から下を覗きこむ。

 トラックの外にも中にも、既に先ほどのマフィア達の姿はない。

 すぐに俺の耳にビルのコンクリートに反響する大勢の足音が届いた。

 

「おうこらエンジェル! お前らの抗争のとばっちりで死んだらあの世で迷惑料きっちり頂くからな! クソが!!」


 思いつくままの悪態をついてから電話を切った。

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