幕間

22.ツギハギなきモノ


 警察署内、署長室。

 これまで幾度となくこの部屋に呼ばれた男が、部屋の主の前に立っている。


「私に何の用件でしょうか? 署長」


 至極、冷静な顔つきで男が問いかける。

 その男の顔はこれまで見せていた、今にも喰い掛かりそうな猛犬染みたものではない。

 あえて言うのならば、腹を決めた男の顔。

 だが心そのものはどこか別の場所に置いてきている――そんな矛盾を孕んだ複雑な表情である。


「禊君。なぜここに呼ばれたのか、分かっているだろう」

 

 革張りの椅子にもたれ掛かったまま、静かに問い返す上司。

 この男の話を聞くのもこれで最後だろう。

 禊は若干の清々しさと感慨を胸中に抱いた。


「以前起こったバラバラ殺人事件の被害者の一人である水奈瀬佳苗、彼女の遺体が何者かによって盗まれた。司法解剖ののち、生前の水奈瀬佳苗本人の意向により肉接ぎ移植用ドナーとして安置されていたものだ」


 署長が言った通り、禊の恋人――水奈瀬佳苗の遺体は事件直後からつい先日まで、とある病院の地下に保管されていた。

 勤め先であった研究所、その付属病院の地下で何カ月間もずっと。

 彼女の遺志にのっとって誰かに移植されるわけでもなく、荼毘に付されることもなく。


「私も、無念でならない」


 その言葉が署長の本心から出たものなのか、何を指して無念と言ったのか、禊には分かるはずもなかった。

 事件の犯人を逮捕出来ぬまま捜査を打ち切った事、あるいは被害者の遺体が盗まれてしまった事だろうか。


 ――それとも、自分の部下から法を犯す者が出てきてしまった事か。


 禊は黙したまま、胸元からを一通の封筒を取り出す。

 机に置かれた辞表をどこか苦しげな眼で見詰める署長。

 その姿を見た禊の顔に、初めて人間らしい感情が生まれる。

 お前が欲しいのはこれだろう、と。彼の目にはどこか揶揄する光が宿っていた。

 

「署長、これで新聞の見出しが警察関係者による不祥事ではなく、『元』警察関係者が不祥事という事になります」

「禊! そういう事では…ッ。いや、そういう事なのかもしれないな」


 初めて見せる苦虫を噛み潰したような表情に、禊は少しばかり驚いた。

 いつも能面顔で、冷徹なまでに組織のルールや規範を守らせようとしてくる署長。

 対する禊は、捜査のためならばマフィア連中から情報を買ったり、犯罪すれすれの行為を厭わないスタイルを執っていた。

 そのため、署長とはこれまでよく衝突を繰り返してきた。

 とはいえソリは合わずとも、禊はこの男が嫌いではなかった。

 今にして思えば、互いに言葉にはしなくとも、仕事に対する姿勢だけは心の中で認め合っていたようにも思える。


「今まで大変お世話になりました。失礼します」

 

 それでも、今日でこの男との関係は終わりだ。

 警察を辞すれば、公人ではなくただの民間人へと戻る。

 無論、禊の心に彼に対する罪悪感がないわけではない。今回の件で、多大な迷惑をかけたのは事実だ。

 しかしもう、禊は後戻りすることが出来ないところまで来てしまっていた。


「禊! 水奈瀬佳苗の遺体盗難の件だが、なにぶん手が足りなくてな。無念だが、おそらく迷宮入りだろう」


 全く何が無念なのか。

 禊の胸中に浮かぶ。


「……それでは」


 この場にもう用はない。

 短く別れを告げた禊は、薄暗い署長室を後にした。

 嫌いではないし感謝もしていたが、やはり禊はこの男が苦手だった。


               *  *  *


 慣れ親しんだ警察署を去った後、禊はその足で新しく借りた雑居ビルへと足を運んでいた。

 外観は四角い墓標を思わせる灰色のコンクリ―トに、二階と三階には飾り気のない曇った窓ガラス。

 禊がこのビルを借りたのは、捜査官時代の知識や経験、ツテを生かし、探偵事務所を営むためであった。

 

 このビルは築年数や立地の悪さもあり、かなり安価な賃料が設定されている。

 だが更にこの古びた雑居ビルの破格なところは、三階と一階のガレージを借りたいと申し出たら、二階も自由に使用していいと返してきてくれた点である。

 要するに三階建てのビル丸々全て、その値段で貸してくれるというのであった。

 そのため、三階を事務所、二階を自宅の兼用にしてもまだ幾分余裕がある。

 長い間、テナントが入っていなかったため、お世辞にも手入れが行き届いているとはいえないが、禊は一カ月ほど前に既に清掃と荷物の搬入は終えていた。


 まだ看板も何もないビルの薄暗い階段を登り、二階へと上がる。

 こちらは事務所用の大部屋が一つだけある上の階とは違い、一本の廊下と三つの部屋に分かれた形をしている。

 廊下の一番奥の突き当りの部屋へと向かった禊は、キーケースから取り出した鍵を差し込んだ。


 ――ガチャリ


 鍵の外れる音が、狭い廊下に反響する。

 禊が警察時代の知人のコネを使ってまで、この雑居ビルを借りた理由。

 さきほどの探偵事務所を開くため、というのは表向きの理由でしかない。

 禊の本当の目的はこの部屋の中にあった。

 

「ただいま。帰ったぞ」


 部屋のスイッチを入れると、それまで真っ暗だった部屋に明かりが灯る。

 部屋の中にはこまごまとした装置が点在しており、何か小さな研究施設のような印象を見る者に与えるだろう。

 そんな部屋の中心に置かれているのは、病室で見る一般的なベッド。

 真っ白なシーツの上に横たわっているのは、禊の最愛の女性――水奈瀬佳苗であった。


「遅くなってすまない。最後の挨拶回りに時間が掛かったんだ」


 ベッドの上で微動だにしない恋人に声を掛ける男。

 真っ先に枕元に向かった禊は、目を閉じる彼女の艶やかな髪を優しく撫でた。


 ――禊が病院から盗み出した恋人の遺体。

 本来であれば、事件の性質からその身体はバラバラであったはずだが、今の水奈瀬佳苗の身体は生前と変わらぬ美しい姿でその場に眠っている。

 さらには、薄布の掛けられた胸元は呼吸によって上下しており、触れれば体温さえ感じる状態に維持されている。

 今の彼女を一目で死体だと見抜けるものはいないだろう。


 禊が病院から恋人の死体を盗み出した時――バラバラだった彼女の身体は綺麗に繋ぎ合わされた状態で安置されていたのだ。

 大きく欠損していた頭部すら再生されている。

 無論、そこに脳や精緻な骨格は存在しないが、生前の3Dデータを元に肉の被りものに近い形で、外面だけは修復されていたのである。

 

 基本的に水奈瀬佳苗のような一部がひどく欠損した遺体は、それを見た遺族に大きな心的ストレスを与えかねないと判断され、こうした処置を病院側が行うことが多い。

 肉接ぎの遺体衛生保全エンバーミング技術を応用、失われた部位を接ぎ痕すらない身体に修復するのは、綺麗な状態で遺族と向かい合わせるためである。

 しかし「この接ぎ痕すらない」という点が、一般的な肉接ぎとは性質を異にする「例外」的な点である。

 

 本来の肉接ぎ手術は、肉接ぎを行った部分にそれとわかるツギハギが刻まれる。

 何故なら、一部スポーツ競技におけるレギュレーションや手のひらの静脈認証によるキー解除といった場面で、肉接ぎの有無を判別する必要があるからだ。

 技術的にはキレイに消せるツギハギを『あえて』残す。

 これこそが肉接ぎに関する法律で、原則として定められている必須事項なのだ。

 そしてその原則に対する例外が、死者に対する肉接ぎである。

 死者に対する肉接ぎは、あくまで遺族に向けた修復目的でしかないため、この原則は適用されない。

 だからこそ、今ベッドに横たわっている彼女は、生前と変わらぬ綺麗な身体のままなのである。


 禊の視線が恋人の身体から、ベッドの横にあるオルゴール大の小さな箱へと向く。

 無数のダイヤルやデジタル文字が並ぶ箱の後方には、幾本ものコードが伸びている。

 そのコードの先にある端子は、眠り続ける恋人の首筋に打ち込まれている

 この装置は、失われた彼女の脳幹機能を疑似的に再現する役割を担っており、絶え間ない電気刺激で心臓をはじめとした臓器を強制的に活動させている。

 いわば、遺体を脳死状態へと戻す機構と表現できるだろう。


 とはいえ、一欠けらも残っていない脳を指して『脳死』と呼ぶのも正確ではない。

 どれだけ心臓が鼓動し、一つ一つの細胞が酸素を取り込んで熱を発していても『水奈瀬佳苗』という人間は既に死んでいるのだ。


 『脳』には意識や人間性が宿り、『身体』はあくまでその容れ物だとする考え方。

 『身体』ならば幾ら切り刻み、継ぎ接ぎしても構わないというのがこの社会の倫理である。

 その中であっても、魂の所在である『脳』だけは絶対的な不可侵性を保っている。

 

 ――人の手で、脳を作り出すことはしてはならない


 だが禊がこの部屋でやろうとしているのは、その不可侵領域に踏み込む行為。

 社会的にも倫理的にも禁忌とされている『脳の培養』であった。


 部屋にはすでに様々な実験器具が運び込まれている。

 その中には非合法な手段で手に入れた、腕や足といった肉接ぎ用パーツを培養する円筒形の装置まである。

 禊はこの装置を改造し、脳へと応用できるようにと考えていた。


 水奈瀬佳苗の脳を人工的に作りだし、本当の意味で蘇らせる――

 恋人の頬に触れる男。

 その頬は、触れた男のそれよりも血の通った色をしていた。

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