19.密談

 俺たちが向かったのは、ヨーロッパの洒落た外観を持つ喫茶店風の店である。

 外には広々としたテラスが設けられており、多くの買い物客が軽食を摂っているのが見える。

 店内の席も同じく混み合っており、レジ前は注文客で溢れかえっていた。


「混んでるな」

「ちょうど昼時だもの。でもここのコーヒーとパスタは絶品よ。並んででも食べる価値があるわ」


 エンジェルがさも自信ありげに言うのだから、実際そうなのだろう。

 先ほどから食欲をそそる匂いが店内から流れ出してきている。

 空いているテラス席を確保した後、二人の注文を聞く。

 俺は席を座っているようにとシズクに言った後、同じく座りかけていたエンジェルに呼びかけた。


「さすがに三人分の注文は持てない。一緒に来てくれ」


 一瞬、怪訝な表情を浮かべるエンジェル。

 それでも俺の表情から察したのか、彼女は一度シズクに微笑みかけてから俺の後に続いた。

 店内に入り、列の最後尾に移動する。

 そしてシズクがいる席から大分距離が離れたことを確認すると、それまで黙っていたエンジェルが口を開いた。


「回りくどいことをするわね。シズクちゃんに聞かせたくない話なら、わざわざこんな所ですることないじゃない」

「そう言うなって。早めにお前に話しておきたいことがあるんだ」

「……? 珍しいわね。何かあったの?」


 問いかけてくるエンジェルに、俺は前を向いたまま声量を落とした。


「ああ。さっきお前たちが買い物をしている間、喫煙所でシズクの父親を名乗る男から声を掛けられた」

「はぁっ!?」


 素っ頓狂な声をあげるエンジェル。

 俺は慌てて振り返った注文客に軽く会釈した後、シズクが待っている方向を確認した。


「大声出すなって。あいつに聞こえちまう」

「……あなたねぇ……そんな大事な話を……」


 エンジェルは呆れたように深い息を吐いている。

 彼女が言うことも尤もだが、状況が状況である。

 気を取り直した俺は隣にいる彼女だけに聞こえるよう、更に声を落とした。


「そいつはシズクの身元調査はもうやめろ。自分の名前や詳しいことは言えないが、娘を頼むと俺に言ってきたんだ」

「……なにそれ。父親なのに身勝手すぎない? あの娘が記憶喪失なことは知ってるの?」


 エンジェルは驚きと怒りを露わにしつつも、俺に合わせて小声で囁いてくる。


「ああ。そいつはシズクの記憶を自分が意図的に消したと言っていた。あいつの母親は既に亡くなっていて、記憶を失わせたのはその死と関係があるらしい。だから記憶を取り戻さないで欲しいとな」

「なによそれ……」


 怒りを通り越したのか、エンジェルは信じられないと言わんばかりに頭を横に振っている。

 俺は先ほど男から渡された紙片をポケットから取り出した。


「何よこのメモ。この数字の羅列は……もしかして銀行の口座番号?」

「ああ。歩きながらPDAで確認したが、この数列は全部口座番号だった。口座の金は全部俺が受け取れるようになっている。どうあっても自分の身元を明かしたくないみてぇだ」


 加えて、この複数の口座には大金が振り込まれている。

 並の生活水準であれば、少なくとも四、五年は暮らせる額だろう。

 シズクの養育費代わりらしいと言うと、エンジェルは頭痛を抑えるようにこめかみに指を当てた。


「……父親がそんな無責任野郎だったなんて、あの娘には絶対に言えないわね」

「本当に父親なのかはわからねえがな。だがあの男は娘に、新しい第二の人生への道を歩んで欲しいと言っていた。分からねえことは多いが、言動自体は矛盾してねえ気がする」


 そう言いながら、先ほど見た人の良さそうな男の顔を思い返す。

 どこで見たのかまでは思い出せないが、やはり既視感がある。

 考えられるのは街中、テレビ、ニュースサイト、あるいは捜査官時代だろうか。

 しかし幾ら思い出そうとしても、思考に靄がかかってしまう。


「……話は分かったわ。私にその男の正体と居場所を調べて欲しいってこと?」

「いや、それはいい。シズクの友人として話を聞いてもらいたかっただけだ。今はあの男とは別に懸念案件がある。出来ればそっちを調べて欲しい」


 口座番号の書かれたメモを仕舞いながら、もう一方のポケットから別の紙片を取り出す。


『少女から手をヒけ さもナくば 命の保障ハしない』


 今朝方、事務所の郵便受けに届いたものだと告げると、エンジェルは眉を顰めた。


「ずいぶんとレトロな脅迫状ね。ねえ、事務所の外に監視カメラは仕掛けてないの?」

「うちも含めてあの辺りは古いビルばかりだからな。カメラは一台もない」

「なら調べるのは無理よ。情報屋の仕事は、あくまで明確な既存情報を基に依頼人が求めている情報を引っ張ってくること。情報を読み解いて、点と点で繋げて星座にするのは警察や探偵の仕事。あなたの領分よ」


 尤もな話である。

 しかしこの脅迫状から、文面以上の手がかりを得ることは難しいだろう。

 今現在はっきりしているのは、先ほどの父親を名乗る男以外にシズクの存在を知っている人物がいること。

 そしてこちらも理由は不明だが、俺の身元調査を快く思ってはいない……ということである。


(厄介だな……)


 依頼を受けた当初から事情が大幅に変わっている。

 少女が失っている記憶――その中に、第三者には知られては困る内容が潜んでいる可能性があるからだ。

 だがこれまでに得た情報の真偽を確かめる術は今のところ存在しない。

 図らずも思索に耽ってしまうと、エンジェルが両手を小さく打ち鳴らした。

 

「考えるのは後にしなさい。今度は私の話をさせてもらうわ。この前あなたに頼んだ依頼の話よ」

「ああ。ガキを攫ってた連中と取引相手のブローカー野郎のことか」

「ええ、まずは改めて礼を言うわ。イレギュラーがあったみたいだけど、オーダー通り全員捕まえてくれてありがとう」

「つっても、ガキを攫ってたやつらはシズクのことを知らなかったみてえだしな。ま、今回の件でマフィア連中もこっちのシマに手を出しにくくなっただろうよ」


 俺の言葉にエンジェルは首を横に振った。


「それがそうもいかなくてね。今朝、その話で隣町の連中と会合があったのよ。捕まえた人身ブローカーのこと、覚えてる?」

「ああ、右腕を肉接ぎしまくってたスキンヘッドの野郎だろ?」


 バイクで逃げだして、シズクに取り押さえられた男だ。忘れるはずもない。


「ええ。でもあの男、あなたが捕まえた後すぐに釈放されてね。別に本気で牢に繋いでおく気はないし、あいつだけは連中の手駒みたいなものだから、それ自体は問題ないんだけど……」

「どうした?」


 僅かに言い淀むエンジェル。それでもすぐにその先を口にした。


「……その男、昨夜殺されたのよ」

「…………」


 俺自身は別にあのブローカーがどうなろうが知ったことではないが、寝耳に水である。

 難しい顔をするエンジェルに俺は問いかけた。


「そいつ、向こうのマフィアに殺されるようなことをしてたのか? 末端の構成員殺しは、大抵見せしめか口封じ目的と相場は決まってるが……」

「最初は私もそう思ってたんだけど、向こうは殺してないって言ってるのよ。で、こっちのシマの誰かが殺したんじゃないかって疑ってる」

「……おいおい。街中でドンパチ始めるのは避けてくれよ?」


 加担したことは事実だが、組織同士の抗争に巻き込まれるのは御免である。


「そりゃお互い、戦争の真似事なんてしたくないわよ。さっきの会合も、殺しの犯人をうちとあっちの構成員が協力して捜索するって話でなんとかまとめたんだから」

「そうか。そっちの世界も大変だな……」


 そう他人事のように呟くと、エンジェルがじろりと睨んできた。


「何言ってんの? 無関係どころかあなたも容疑者扱いになってるんだから」

「はぁ!? 俺が!?」

「そう。もちろん私は最初から疑ってはいないけど、奴らはあなたを疑っている。今、向こうは自分とこの構成員を殺されて頭に血が上ってるの。ないとは思うけど、末端の構成員が暴発しないとは限らないわ」


 シズクの件でようやく動きがあったと思ったら、今度はマフィア絡みである。

 突如、降りかかってきた災難に俺は頭が痛くなった。


「……まあ、注意はしとくさ。シズクを巻き込むわけにもいかないからな」


 そう言ったところで注文の順番が回ってくる。

 しかしエンジェルは一歩横にずれると、こちらにひらひらと手を振った。


「悪いけど私はここで退散するわ。気になることが出来たから」

「ん……? そうか、わかった。シズクには適当に言っておく」

「わかったわ。あと今日の買い物代は後でちゃんと請求するから覚えておいてね」


 ジェニファーも一緒に連れて帰るからと言って、エンジェルは颯爽と店から出ていく。

 その背を見送った俺は、待たせていた店員に手早く注文を告げた。

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