17.グリゴリ

「…………」


 とぼとぼ試着室から出てくるシズク。

 何故か俺が貸した男物のシャツとズボン姿のままである。


「……どうしたんだ?」

「ごめんなさい……」


 先ほどとは打って変わった沈痛な面立ちで、手にしていた服を差し出してくる。

 静まり返る店内。先ほど騒がしかった少女たちが、俺たちの動向を興味津々に盗み見ているのがわかった。

 ひとまずその服を売り場に戻した俺は、すっかり様子を変えてしまったシズクの手を引いて外に出ることにした。


「わふわふ!」


 店を出ると、すかさずジェニファーがシズクに駆け寄ってきた。

 しかしシズクは何の反応もしないまま、ただただ俯いたままである。

 その急激な変化に内心驚きながら、俺は来るときに見かけた噴水広場までシズクを引っ張っていった。


「そこに座りな」

「うん……」


 力なく広場のベンチに腰を下ろすシズク。

 その隣に腰を下ろした俺は項垂れる少女にゆっくりと問いかけた。


「さっきの服、気にいらなかったのか?」

「……ううん。そうじゃないの……」

「だったらどうしたんだ? 俺に聞かせてくれないか?」


 そう言うと、顔を上げたシズクは一度広場をぐるりと見渡した後、ぽつぽつと話しはじめた。


「あのね、征志郎……わたしのカラダ、やっぱり変だよね……?」

「……なんでそう思うんだ?」

「だって……さっきお店にいた人も、ここにいる人たちも……わたしみたいに全身ツギハギじゃないし……」


 しゅんとなって俯く少女。

 シズク曰く、先ほど試着室で服を着た時、鏡に映った自分の姿――短い袖とスカートから伸びるツギハギの手足を再確認して、落ち込んでしまったとのことである。


 確かにシズクほど細部にわたって、大掛かりな肉接ぎをしている者はそこまで多くはない。

 軍属や、いわゆる裏社会に属する人間なら逆に肉接ぎしてない人間の方が少ないぐらいだが、今俺たちがいる場所はそうじゃない。

 実際、この広場にいるシズクと同じ年頃の少女たちはそこまで目立った肉接ぎはしていない。


 その理由の一つとして、施術に掛かる費用が決して安い金額ではないという点があげられる。

 とはいえ長期休暇の間に稼いだ金で、ファッション目的に耳を尖ったものに変えたりなど、軽度な肉接ぎを行う若者は珍しくない。

 この広場にもそういった若者の姿はちらほら見受けられる。


「前にも言ったが、別に肉接ぎは悪いもんじゃないぞ」

「うん……それはたぶんわかってる……でも、他の人に見られるのが……」


 周囲の視線から逃れるようにベンチの上で身を縮こませるシズク。


「なら他の店で、腕とか足が露出しない服を選んでみるか。それならどうだ?」


 確かに一朝一夕で受け入れられることでもないだろう。

 だが少しずつ慣れるしかない。

 そう提案すると、表情を曇らせたままシズクが小さく頷こうとする。

 ――が、その時。突然、シズクの足元にいたジェニファーが猛然と走り出した。


「……あれ?」

「どうしたんだ、あいつ?」


 意識の外にいた犬の急激な動きに揃って驚きを示す。

 犬が走り去った先へと顔を向けると、そこにはこの長閑な噴水広場に似つかわしくない強烈な存在感を放つ人物がいた。


「あら、今日はこんなところまでお散歩していたのね。私の気配を感じたのかしら?」


 軽々と女性が犬を抱き上げる。嬉しそうに尻尾を振るツギハギ犬。

 俺はあまりにも場違いなファッションに身を包む知り合いの女性に思わず呆れ声をあげてしまった。


「お前な……こんなところでもその恰好のままなのか」

「あら、何がいけないの? この私の美しい体に完璧に調和したファッションじゃない」


 こちらに気がついた情報屋の女性――エンジェルが至極当然といった表情で答える。

 普段、彼女の居所で見るものよりは若干露出も減っているが、それでも黒を基調としたボンデージ服はあまりにも目立ち過ぎていた。


「ここらの景観とは全く調和してねえがな」

「やっぱりあなた、美に対する理解が全然足りてないわね。それにしても……白昼堂々、子供を誘拐しようなんてそっちの方面の転職でも考えてるの?」

「馬鹿言え。つーか、そういう冗談は場所を考えて言えって。誰か通報されたらたまったもんじゃねえよ」


 明らかに異彩を放つ女の出現に、広場の人々がさっと距離を取る。

 一見、全身にツギハギとボンデージ服をまとった姿は、ファッションモデルか音楽業界人かに見えなくもない。

 とはいえ白昼の街中で奇抜な一人ファッションショーを行っているような奴に、周囲が近付こうとしないのは道理である。


「うふふ……」


 反面、良くも悪くも周囲の視線を独占したエンジェルはというと、満足そうに微笑みながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 そしてシズクの前にしゃがみこむと、俺が今まで聞いたことのない柔らかな声色で語りかけていた。


「お嬢さん、私にお名前を教えてくれないかしら?」


 突然現れた美女を前に固まってしまう少女。

 それでも同じ高さに目線を合わせて微笑む女性に、シズクはおずおず口を開いた。


「シズク……」

「ふふ、いい名前じゃない。私はエンジェルよ。よろしくね、シズクちゃん」


 俺は「合格よ」とばかりにウィンクを飛ばしてくるエンジェルを無視する。

 一方、シズクは自分と似た身体の女性に驚いた表情を浮かべていた。


「あのあの……お姉さんが、あの子の飼い主さんの……エンジェルさん?」

「あら、征ちゃんから聞いていたのね。ふふ、ジェニファーったら随分と懐いちゃって。ちょっと妬けるわね」


 反射的に「その呼び方はやめろ」 と突っ込んでしまうも無視し返される。

 諦めた俺はシズクとエンジェルの会話を見守ることにした。


「この子、とっても可愛くって……キレイで……人懐っこくって……」

「ふふ、褒めてくれてありがと。あなたの身体もジェニファーと同じぐらい……ううん、それ以上に綺麗よ」


 しかしエンジェルの指摘に、明るくなりかけていたシズクの表情が一気に暗くなる。


「おい、エンジェル。シズクは自分の身体を良く思っちゃいないんだ」


 言ってしまってからすぐに失言だと気が付く。ますます暗くなって俯くシズク。

 が、そんな少女にエンジェルは柔らかく微笑んだ。


「……ね、シズクちゃん。私の身体をよく見てみて? どう思う?」

「え……? その、ツギハギがいっぱいで……」

「うん、いっぱいあるわね。ねえ、シズクちゃんは自分以外のこういう身体見るのはじめて?」


 こくりと頷くシズク。

 するとエンジェルは突然、以前酒場でストリップショーをして見せた時と同じ蠱惑的な表情になってポーズをとった。


「綺麗でしょ? あなたの身体もとっても綺麗だけど、私ほど美しいツギハギはないわ。そう思わない?」


 子供相手に同意を求めるエンジェルに呆れてしまう。

 しかし俺が口を挟むよりも前に、エンジェルはシズクの眼前に右腕を突き出して見せた。


「ねえ、シズクちゃんこれを見て? 何に見える?」

「……蝶々?」


 シズクの呟きを受けて、俺も覗き込む。

 よく見るとエンジェルが示した二の腕に煌びやかな蝶のタトゥーが舞っている。

 そして蝶の後方にはまるで羽ばたきを感じさせる軌跡、肉接ぎ痕が走っているのがわかった。


「元々は昔、事故の傷や手術痕を隠したい人たちが始めたものなんだけど、悪くはないでしょ? もっとも私のは、自分のツギハギを際立たせるための一種のアートだけどね」

「ツギハギを……際立たせる……?」

「そうよ。ほらこっちも見て? ジグザグの痕を花の茎に見立てて、周りに花をあしらったの。何事も見せ方次第、魅せ方次第よ」


 まるで歌を奏でるように持論を口にするエンジェル。

 衝撃を受けたように固まるシズクに、エンジェルがスカートに覆われた太腿部分を露出させる。

 そこには先ほどの店のアクセサリーに似た、赤や黄色の花がジグザグの枝葉を中心に広がっているのが見えた。


「……かわいい……」

「ふふ、でしょ? シズクちゃんは誰かさんとは違って美的感覚が鋭敏でよかったわ」


 ぽーっと接ぎ痕に描かれた刺青を見詰めるシズク。

 そんな少女を横目にエンジェルが嫌味を飛ばしてくる。


「悪かったな。つーか、おまえこんなところに何しにきたんだよ」

「ちょっとした買い出しと……面倒な会合の帰りよ」


 珍しくエンジェルが不快の表情を浮かべる。


(……マフィア連中との付き合いってとこか?)


 おそらく先日捕まえたブローカーに関連する話だろう。

 依頼された仕事そのものは完遂したが、後で確認してみるべきだろう。

 軽く先日の記憶を呼び覚ましていると、エンジェルは気を取り直したように一つ咳払いをした。


「こほん。あなたの方は、この子の買い物の付き添いってところかしら?」 

「そうだ。とりあえず服とか身の回りのもんとか必要だろうから買いにきた」


 そう言うとエンジェルは驚いたように、サイズの合わない服を着たシズクを見た。


「あなたねぇ……この子が来てから何日よ? 歯ブラシは? 下着はどうしてたの?」

「安心しろ。さすがにその辺のもんは近くの店のを買い与えている」


 コンビニのだけどな、と心の中で呟く。

 そんな俺の心中を見透かしたのか、エンジェルは完全に呆れ顔になっていた。


「……ん? どうしたシズク。難しい顔して」


 そこでふと先ほどとは異なる難しい表情で黙り込む少女に気が付く。

 じっと虚空を見詰めていたシズクは自分の膝を軽く両手で叩くと、ゆっくりとベンチから立ち上がった。


「……征志郎。わたし、さっきのお店にもう一度行きたい」


 そう口にしたシズクの色の異なる双眸に何か強い意志が宿っている。

 俺は内心の驚きを隠しつつ、大きく頷いた。


「……わかった。行ってこい」


 俺の声に頷き返したシズクが、しっかりとした足取りで広場の出口に向かって歩いていく。

 その背を追って立ち上がると、エンジェルが俺の顔を覗き込んでいやらしい微笑を浮かべた。


「ふふ、娘の初めてのお買い物を見守る父親の気分?」

「馬鹿言うな。まだそんな年じゃねえよ」


 どうやらエンジェルも着いてくるつもりらしい。

 確固たる足取りで店へと向かう少女を先頭に、俺とエンジェル、ジェニファーが続く。

 ぎょっとしたように道を空ける通行人。

 どう考えてもエンジェルの風貌のせいだが、もはや人目を気にするのも馬鹿らしい。


「お前はまた留守番だ」


 再び外にジェニファーを待たせ、服飾店へと踏み入る。

 既に店内に入っていたシズクはというと、先ほどと同じ服を手に、試着室へと入っていくところだった。


「…………」 

「…………」

 

 カーテン越しに聞こえ出す布擦れ音。エンジェルと並んで着替えを待ち始める。

 すると先ほど俺に訝かし気な視線を向けてきた店員が、今度は奇怪なものを見るかのような目でこちらを見ていた。


「訳あり夫婦です」


 澄ました顔で言い放つエンジェル。もはや否定はすまい。

 いつの間にか店の中の客は俺たちだけになっている。

 静寂の中、布擦れの音ばかりが大きく聞こえる。そうしてしばしの時を過ごしていると――


「……おまたせ」


 カーテンを開く音が静まり返った店内に響く。

 試着室から出てくるシズク。先ほどまでとは全く異なる姿に、エンジェルが感嘆の声をあげた。


「素敵じゃない! 似合ってるわ! すごく可愛いわよ!」


 軽く両手を合わせて拍手を送るエンジェル。

 試着室から出てきた少女は、白い小さなフリルのついた五分袖のブラウスに、ふんわりと腰元を絞った膝丈の淡い水色のスカートを身に着けている。

 ぱっと見の派手さはないが、白い髪と肌を持つシズクに違和感なく溶け込んでいるように思えた。


「……ど、どうかな……?」


 恥ずかしそうに顔を赤らめるシズク。

 どう反応したものかと悩んでいると、突然、腋にエンジェルの肘が突き刺さった。


「ああ。似合ってる……と思うぜ」


 気の利いた言葉は出てこないが、一応、本心から感想である。

 俺の言葉を聞いたシズクはというと、今まで見た中でもっとも少女らしい表情ではにかんでいた。


「えへへ……」

「うんうん、よかったわねぇ」


 きゃいきゃいと喜び合い始めるシズクとエンジェル。

 そんな二人を見ているうちに、俺はふと広場でエンジェルが言っていたことを思い出した。


『何事も見せ方次第、魅せ方次第よ』

(そうか……なら――)


 思い立った俺は、最初シズクの試着を待っていた時に見かけた装飾品売り場へと足を運ぶ。

 そしてその中の一つを手に取った後、楽しそうに会話をする二人の前に立った。


「あら、どうしたの?」

「シズク、左腕を上げてみな」


 不思議そうに顔を見合わせる二人。

 それでも言われるままに腕を突き出したシズクの手首に俺はソレを巻き付けた。


「わぁ……!」


 瞬時、目を大きく見開くシズク。

 その視線の先にはあるのは、白い花のコサージュがついた布製のブレスレットだった。


「へぇ。あなた、なかなかやるじゃない」


 すぐさま俺の意図に気が付いたエンジェルが手を打つ。

 そう、俺が少女の手に巻き付けたブレスレットはちょうど肉接ぎ痕がある左手首――今までシズクが何度か気にする素振りをしていた箇所である。

 そこに花のコサージュを付けたことで、ちらちら見える肌のツギハギ部分がまるで枝のように演出され始める。

 エンジェルのように「ツギハギを強調する」まではいかないが、元の身体と合わせて良いアクセントになっている。俺はそう感じた。


「かわいい……」


 花で飾られた自分の手首をうっとりと見詰めるシズク。

 その様子に俺はほっとしたような、嬉しいような自分でもよくわからない感情を抱いた。


「ふふ、上出来よ。少し見直したわ」

「いや、お前の花の刺青を参考にしただけだ。それにしても、そんな刺青今まで入れていたか?」


 ニヤニヤと笑みを向けてくるエンジェルにむず痒さを感じた俺は、話題を露骨にそらした。


「あら、これはプリントタトゥーよ。外に出る時は気分で付け変えてるの。綺麗な身体に直接墨を入れたくないし、身体にお化粧するようなものよ」


 全身ツギハギはセーフで墨入れはアウトの判断基準が俺には良く分からない。

 こちらの様子を伺っていた店員に、今身に着けているもの服とアクセサリーを購入する旨を伝えた。


「待たせたな、二人とも。そろそろ出るぞ」


 会計を済ませた後、買ったばかりの服を着たシズクと共に店外に出る。

 途端、なぜか俺の足元に駆け寄ってくるジェニファー。

 困惑していると、こちらの顔を覗き込むように上目遣いになったシズクが口を開いた。


「征志郎、ありがとう……わたし、すごく嬉しい……」


 まるで宝物を扱うかのように大事そうに服と花のブレスレットに触れるシズク。

 その仕草を見て、いよいよ気恥ずかしさを我慢できなくなった俺は素っ気なく答えた。


「そりゃよかった。大事にしろよ」

「うんっ」


 こうして最大の目的である服を買い終えたわけだが、まだ必要なものは残っている。

 今度は身の回りの雑貨を買いに行こうと告げると、それまで静観していたエンジェルが口を尖らせた。


「あなた、シズクちゃんにこの服だけずっと着させるつもり? それに下着や靴だって何一つ買ってないじゃない」 

「へ……?」 

「へ? じゃない! はぁ……やっぱり一緒に着いてきて正解だったわ。さ、シズクちゃん。今度は私と一緒に選びましょ」


 そう言ってシズクの手を引いたエンジェルが連れ立って隣の服飾店へと入っていく。


「ま、まじか……」


 あっという間に目の前から姿を消す二人。呆然と立ち尽くす俺。

 二人の買い物はまだまだ時間が掛かりそうであった。

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