3.縫い跡に花を

15.バラバラとツギハギ

 枕元に置いたPDAから無機質なアラーム音が流れ出す。

 燦々と顔に降り注ぐ陽光を忌々しげに手で遮った俺はアラームを止めた後、ゆっくりと硬いソファから身を起こした。


「……ってぇ……」


 ぼうと曇った視線の先には、ウィスキーボトルと空になったグラスがテーブルの上に並んでいる。

 ズキズキと痛む頭を抱えた俺は、起こしていた身体を再びソファに沈めた。

 見慣れた薄汚い天井――この事務所に居を構えるようになってから一年の間、何度も目にした光景である。

 げんなりとした俺はソファの上に転がっていたPDA端末を手に取り、画面を点灯させる。

 すると昨晩見ていた文字列がずらりと浮かび上がり、一層気が滅入った俺は端末を机の上に放り投げた。


(……仕事中に寝ちまうなんてらしくねえな)


 エンジェルから受けた依頼――街の孤児をさらって売り払おうとしていた連中を捕まえてから早三日。

 つつがなく全員お縄につき、エンジェルから労働の対価としてシズクに繋がりそうな情報と追加報酬を受け取った俺は、さっそくそれを元に調査を開始していた。


 最初に手を付けたのは、裏社会で肉接ぎを生業とする施術師への接触である。

 エンジェルがピックアップしたリストによると、この近辺で活動する闇施術師は三人。

 その中でもあの少女、シズクの身体を肉接ぎできるレベルの腕を持つ者は一人に絞られる。

 俺は裏社会に影響力のあるエンジェルの名を使い、この施術師に手術記録の公開を求めた。

 しかしそこに該当する記録は見当たらず、この線から調査は空振りに終わった。


 次に俺はもう一つの可能性、少女を収集する好事家の面から調査をすることにした。

 無論、しがない探偵でしかない俺が直接本人に接触できるはずもない。

 なので好事家の屋敷に勤める使用人を買収し、主の近辺を確かめさせたわけだが……


「主は現在囲っている少女たちに熱をあげており、最近はこれといった取引をしていない」


 と、シズクの手がかりは影も形もない状態であった。


(……元々この街の人間じゃないってことか?)


 先日捕まえた人身売買のブローカーが知らなかったことも加味すると、あの少女はこの街ではなく別の場所で肉接ぎ施術を受け、自分の足でこの街にやってきた可能性が高くなる。

 しかしそうなると、手がかりはないに等しくなってしまう。


(考えられるのは不法移民、外国系マフィア、それと地下の無政府多国籍地帯……)


 さらに日本語を話すことから除外していたが、最悪、国外からやってきた可能性もある。

 そこまで調査範囲が広がると、もはや一探偵の手に負える仕事ではないだろう。


「あー……頭いてぇ……」


 思考を巡らせるうちに次第に揺れ出した視界を閉ざす。

 完全に二日酔いの重たい頭を抱えた俺は、ぐったりとソファに沈み込む。

 暫く横になっていると、どこからか奇妙な物音が聞こえてきた。


(……なんだ?)


 目を閉じたまま耳を澄ませる。

 じゅうじゅうと何かが焼ける音。そして食欲をそそる焼けた肉の匂いが鼻腔をくすぐった。


「……佳苗?」


 半身を起こした俺の口から懐かしい名前が零れ出す。

 キッチンに立つ後ろ姿――恋人の見慣れた白いワンピースの花柄が視界に映った。


(ったく……そんなしょっちゅう同じ服ばっか着なくてもいいだろ)


 元々そういう性質なのか、職業のせいなのかはわからないが、彼女はあまりファッションには拘らないタイプである。

 デートの時はそれなりに着飾ったりもするが、休みの日や家にいる時はほとんど同じような柄の服を着ている。

 彼女曰く、ゆったりとしたロング丈のワンピースは着回しがしやすいらしい。


(ま、似合ってるから別にいいけどな)


 まるで夢の中の漂っているような心地のまま、朝食を作る恋人の背を見守り続ける。

 しかし次第に何かを忘れているような、形のない焦燥感を抱き始める。


「――――っ!」


 俺は反射的にソファから飛び降りた。


「あ、征志郎。おはよ。今サンドイッチ作ってる。もうちょっと待ってて」


 振り返った佳苗の顔の中央に走る斜線上にツギハギ。

 ワンピースから覗く手足にも、無数の接ぎ痕が刻まれているのがわかった。


「……あ……あぁ……!」


 はっきりと思い出してしまう。

 真っ赤に染まった床の上に転がる彼女の身体。

 まるで肉接ぎにも使えないとばかりに、廃棄物の如く打ち捨てられた四肢。

 口元から上が存在しない損傷した頭部。

 鮮血の海にゴミのように落ちている銀色のリング。俺が誕生日に送ったブレスレット。

 女の死体。バラバラ殺人。バラバラ、バラバラ――――


「あのね、征志郎。この服、昨日言ってた部屋のクローゼットにあったの。その、似合ってる……?」


 もじもじと身を揺らすシズク。その姿がイマに戻ってきた俺の網膜に映り込む。

 その瞬間、カッと頭に血が上った。


「――今すぐその服を脱げ」

「え? この服、駄目だった? わかった、ごはん作ったらすぐ――」

「今すぐだ!! 今すぐ着替えてこい!! 早く元あった場所に戻して来い!!」


 怯えた表情で立ちすくむシズク。

 動かない少女を睨み付けると、さっと色を失った少女がキッチンから飛び出し、慌てて奥の部屋に駆け込んでいく。

 静まり返った空間にはじゅうじゅうと肉が焼ける音だけが響いている。

 そこでひどい吐き気と頭痛に苛まれた俺は、たまらずソファの上に崩れ落ちた。


「ぜぇ……ぜぇ……」


 全身を襲う悪寒。背筋に冷や汗がだらだらと流れる。

 しばし前後不覚のような状態で荒い息を繰り返していると、仰向けになった身体の上に何かが掛けられていたのに気付いた。

 薄く開いた瞼の隙間から覗く色褪せた毛布。

 今は姿が見えないが、この毛布はシズクが掛けてくれたのだろう。


 段々と覚醒し、事態を飲み込めた頭を悔恨が支配する。

 なんてことはない、ただ事情を知らず佳苗の服を着ていたシズクを、寝呆けた頭で佳苗と見間違えただけだ。

 悪いのは全て、自分の部屋に置きっぱなしにしてあった彼女の遺品を未だ捨てられずにいる自分なのだ。

 佳苗はもう亡くなっている。決してあんな風に蘇ったりはしない。

 自分に言い聞かせる。

 現状を把握した俺が千々に乱れていた精神をゆっくりと鎮めていると、毛布の上にぴょんと小さな塊が飛び乗ってきた。


「……なんだ、お前また来ていたのか」


 ハフハフと舌を垂らしてこちらを見つめる犬。

 もはや見慣れてしまった潰れた鼻の間抜け面。


「つーか、どこから入って……って、あそこか……」


 ベランダに通じるガラス戸がわずかに開いている。

 シズクといい、この犬といい、とりあえず三階から入ってくるのは如何なものか。

 ペロペロ顔を舐めてくるジェニファーを床に下ろし、滑らかな背中を軽く撫でた。


「俺のことはいい。あいつの所に行ってやれ」


 半開きになっている扉を指し示すと、ジェニファーは承知したとばかりに部屋へと駆け込んでいく。

 俺はフライパンの火を落とした後、深いため息をついた。


               *  *  *


「いただきます……」


 俺とシズクは大分焦げてしまったベーコンエッグサンドを前に食卓につく。

 前に貸したものと似たシャツに着替えたシズクは、すっかり沈み込んだ様子で俯いていた。

 気まずい沈黙の中、食事を摂り始める。

 焦げてはいるが、俺が普段作るものとそこまで出来映えは変わらない。

 卵はふんわりと焼き上げられおり、しっかり味付けもされている。

 それを指摘すると、シズクは「前に作ってたのを見てたから」と小声で答えた後、再び俯いてしまう。

 食事の手を止めた俺は、悲しそうに焦げたサンドイッチを見つめ続ける少女に改めて声をかけた。


「その、さっきは急に大声を出してすまなかった。あの服はな、俺の大事なものなんだ」

「うん……」

「俺も奥にあるもんを適当に着ていいなんて言っちまったからな。わからなくて当然だ。ごめんな、シズク」


 そもそも遺品を他の服と一緒にクローゼットに仕舞い込んでいた自分が悪い。

 おずおずと顔を上げたシズクは、不安げな眼差しで口を開いた。


「ううん。わたしこそごめんね……。大事なお洋服を勝手に着ちゃって」

「いや、今回は完全に俺の手落ちだ。気にしなくていい」 

「……怒ってない?」 

「ああ。このサンドイッチも俺のために作ってくれたんだろ? 美味いぜ。ありがとな」


 そう朗らかに言ってサンドイッチを頬張ると、ホッとしたようにシズクも自分の皿に手を伸ばす。

 すると俺とシズクの和解を待っていたかのように、床にいるジェニファーも自分の食事にがっつき始めた。


「こいつ用のドックフード、残っててよかったぜ。そろそろエンジェルに貰いにいかねえとな」

「エンジェル?」 

「ああ、こいつの飼い主の名前だ。変わってんだろ?」 

「ううん、すっごく可愛い名前。この子みたいにカワイイ人なのかな?」 

「カワイ……くはないな。ま、美人っちゃ美人だが……」


 思わず顔を顰めると、シズクが不思議そうに小首をかしげる。

 すっかり調子を取り戻した少女に安堵した俺は、少し前から考えていたことを提案した。


「食べ終わったら一緒に服を買いに行くか。いつまでもサイズの合わねえ俺の服を着てるわけにもいかねえしな」

「え、いいの?」 

「ああ。仲直りも兼ねて、な。お前も少しはお洒落してもいいだろう」


 ふっと脳裏に浮かんだ情景を慌てて掻き消す。

 シズクは俺の言葉を噛みしめるように頷くと、ぱぁっと表情を明るくした。


「ありがとう、征志郎! わたし、すっごくうれしい!」


 食事を終えていたジェニファーに駆け寄って喜びを伝える少女。

 遊ぶのは先に食べてからにしろ、と言ってから自分の皿を流し台に置きに行く。

 慌てて食事を済ませ、上機嫌に皿洗いを始めるシズク。

 それを横目で見ながら、俺は置きっぱなしだった酒瓶とグラスを手早く片づけた。

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