10.取引現場

 3B区の外れにある事務所から、かなり離れた3C区に程近い場所に位置する埠頭。

 海に面した深夜の倉庫街――日中は肉体労働に従事する者たちがあくせく働く場所である。

 ほのかに輝く月明かりを丸々飲み込んだような真っ黒な海からは、一定の周期で波が打ち寄せる静かな音が聴こえてくる。

 今は人通りが絶えた、薄汚れたコンクリートを土台にいくつもの巨大な倉庫が並び立つ区画。

 その倉庫の一つ、薄暗い物陰に潜んでいた俺は液晶画面に表示される時刻を確認してから、PDAを望遠モードに切り替えた。

 俺が身を潜める倉庫とは別の、五十メートルほど先に鎮座する倉庫の入り口。

 そこにレンズのピントを合わせると、ほぼ俺が予想していた通りの映像が液晶に表示された。


(……リストにあった三人を確認)


 倉庫の入り口前で雑談を交わすチンピラ風の三つの人影。倉庫の脇にはバイクが三台置かれている。


(……中央の奴はほぼツギハギなしのLv1。残り二人はLv2といったところか)


 かつては医療分野で設けられていた肉接ぎランクだが、今では一般的に浸透している区分けである。

 Lv1は鼻や耳、指といったほぼ整形に近い軽度の肉接ぎ。

 Lv2は腕や足、内臓といった実用性とファッションを意識したポピュラーな中度の肉接ぎ。

 そして骨格そのものや、肉体の性質そのものを構成する部位、例えば生殖機能といった重要器官に手を入れたのがLv3である。

 総じて裏社会で生きるものは、肉体強化の意味でLv2程度の肉接ぎしていることが多い。

 元々の自分の身体を鍛え上げるよりも、金の力で補った方が早い。

 ああいったチンピラの手合いは、そういった考えで縄張り内での示威行為として肉接ぎをする。

 わざわざこの寒空でツギハギの手足を晒しているのは、これからやってくる格上の取引相手に舐められまいとする心の表れだろう。


(つっても、エンジェルレベルになると話は別だがな)


 ちなみにこのあたりの裏社会を取りまとめる彼女は、肉接ぎレベルで言うとLv3にあたる。

 とはいえ、彼女の肉接ぎは自らの美意識の発露によるものである。生殖機能の肉接ぎともなると、法外とも言える費用が掛かるのだ。


(……さて、あの程度の連中だけなら特に問題にはならないが……)


 今見ている映像と渡されたデータを透かし合わせながら、作戦の段取りを脳内でシミュレートする。

 倉庫の前で談笑している三人の男は、街で攫ってきたストリートチルドレンを人身売買専門のブローカーに売り払おうとしているチンピラだ。

 その隣町のブローカーとの取引が今夜、この場で行われる予定である。

 攫ってきた子供たちは倉庫内にいることだろう。

 

 エンジェルから依頼された俺の仕事は、この違法な人身売買取引を妨害しブローカー共々生かしたまま警察に突き出すことである。

 連中は最近、元々のシマである3C区を越え、エンジェルらの住む3B区に入り込み人さらいや人身売買を行うようになっていた。

 それを目障りに思った彼女が、そのバックにいるマフィアの連中含めてこっちのシマを荒らすなと警告を与えようと、俺にこの依頼をした。

 つまり俺はカタギではない連中の小競り合い、その片棒を担がされているわけである。


(ま、あの情報料を考えたら楽な仕事だ)


 このような仕事は捜査官時代に何度も行っている。情報通りなら何の問題もなく遂行できる案件だ。

 また子供をメインに人身売買するブローカーならば、あの少女のことを知っている可能性もある。その意味でも悪い話ではない。


(――――来たか)


 倉庫前の映像から顔を上げ、倉庫街の入り口方向に目を向ける。

 僅かに見える北側の大通りから、エンジン音を抑えた中型のトラックが侵入してくる。

 そしてチンピラ三人が立っている倉庫の前でトラックが止まり、中からスキンヘッドの男が降り立ったのが映し出された。

 スキンヘッドの右腕――肩口、二の腕、肘下の三か所には特徴的な接ぎ痕が見える。


(情報通りだな。こいつがブローカー野郎か)


 倉庫の前にはガキを攫ってきたチンピラ三人とブローカーの計四人。

 これで今夜の取引に臨む役者全員が揃ったことになる。

 武装の最終チェックを終え、突入準備を整えた俺はPDAの望遠モードを解除しようと手を伸ばす。

 ……が、その時。突然、画面に映りこんだ光景にぴたりと手を止めた。


「……おいおい、ちょっと待てよ」


 チンピラが開いていた倉庫の巨大な鉄扉。

 その人が二、三人に通れそうな隙間から、ぞろぞろと新たな男たちが姿を現したのだ。


「……二、三、四……五!? はぁ!? 情報と全然違うじゃねえか!」


 最初のチンピラを含め倉庫側には計八人の男たちが、一人のブローカーに相対するように立ち並ぶ。

 さらにその新たに現れた男のうちの一人は、かなりの大柄である。


「合計九人、か。情報の倍以上じゃねえか! クソッ!


 頭の中でエンジェルに追加請求の算段をつけながら、素早く計画の軌道修正を図る。

 もはや楽な仕事とは言えなくなった。

 が、一応イレギュラー対策に予備武装と弾薬は多めに持ってきている。腹をくくるしかないだろう。


「予定通りに事が進まねえなんてのはザラにあることだ。よーく見とけよ!」


 そう口にした後、勢いよく地面を蹴った俺は隠れていた倉庫の脇から躍り出た。


               *  *  *


「……おい、この揃いも揃って汚ねぇ雁首を並べた野郎どもはどういうつもりだ? それとも何だ、このママのミルクも卒業できねえガキどもをうちの商品に並べろってか?」


 入れ墨に明らかに怒気を充溢させたスキンヘッド、ブローカーがこめかみに青筋を浮かべる。

 その殺意すら含んだ声色にまるで倉庫の扉を守るかのように並んだ男、その中央に立つチンピラの一人が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「ふん、オレらもそう馬鹿じゃねえんだよ。これも当然の備えってもんよ」

「あ、アニキぃ……やっぱ止めましょうよぉ……」


 隣にいた気弱そうな男が言葉を挟む。


「てめぇは引っ込んでろ! おい、勘違いすんじゃねえぞ? 商品はちゃんと用意してある。いつも通り倉庫の中だ。だがなぁ、最近ガキが入り用だって客が増えてよ。こっちもだいぶ危険な橋渡ってかき集めてんのよ」 

「……それがどうした?」

「へへ、あんたはお得意さんっちゃお得意さんだが、こちとら少し状況が変わってよ。今までと同じ金額じゃガキどもはやれねえな」


 嫌らしい目つきでスキンヘッドの顔を嘗め回すように見る男。

 変わらず青筋を立てたブローカーは細く鋭い眼光をさらに眇め、ドスの効いた声色で凄んだ。


「……小僧、誰に口をきいてるのかわかってるのか? 俺の足元を見てえってんなら、てめぇの足を砕いて地べたに這いずりながら見る覚悟をしてもらうぞ」

「ひひ、やっぱ本職は言うことが違いやがる。でもよ、こっちもそう簡単には引き下がれねえなぁ」


 チンピラのリーダー格が周囲の男たちに目で合図する。

 これ見よがしに、仲間たちが腰に下げた銃へと手を伸ばしかけた。


「はっ、落ちてる金をそのまま拾っておきゃいいもんを。そいつを抜いたらどうなるか……分かってんだろうな?」


 ブローカーが鋭い殺気が発しはじめる。

 共に銃に手を伸ばしかけた状態でぴたりと硬直する両者。

 この張り詰めた状況では、どちらが先に相手の気勢を挫くかが焦点となるだろう。

 かと言って、俺もこれ以上こいつらの交渉風景をのんびり見ているつもりもない。


「はいはい、そこまでにしときな。社交ダンスなら他所でやれって」

「……なんだこいつは。おい、貴様らが連れてきたオマケパーツか?」

「違えよ!」


 闖入者となった俺の登場にブローカーとチンピラが互いに反応する。

 自然な足取りで集団に近寄った俺は、これまた自然な動きで腰から銃を抜き放った。


 ――――パパンッ!


「がッ……!?」 


 素早くブローカーの右腕を二度撃ち抜く。

 肉接ぎを繰り返した腕から血液が噴き出した。

 スキンヘッドの男が腕を押さえてうずくまる。


 ――――パン! パン!


「なっ、なん――ぎゃぁぁぁ!」


 俺は奴らが状況を理解する前に、立て続けに三発目、四発目をそれぞれ肉接ぎされた二人の悪漢の右肩、右腕に撃ち込む。

 痛みに転がりまわる二人の手下を見て、ようやく銃を取り出したリーダー格が大声を張り上げた。


「こ、コイツ……!? お、お前ら、撃て! 撃ち殺せ!」


 その号令を合図に、俺は半開きになっていた倉庫の中に駆け込み、素早く鉄扉を閉める。

 次の瞬間、鉄扉や鉄壁に一斉に放たれた銃弾がガンガンとけたたましい音を立てた。


「……奇襲で三人。上々だな」


 いずれも急所は外し、比較的痛みや出血の少ない肉接ぎ箇所を狙っての無力化。

 特にあの集団で一番の手練れと思われたスキンヘッドのブローカーを真っ先に戦線離脱させられたのは大きい。


(残り六人)


 残ったチンピラはすぐに鉄扉を開けて侵入してくるだろう。

 俺は次の段階に進むべく、薄暗い倉庫内部に点在するコンテナの影に溶け込むように身を隠した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る