2.人身売買

9.共同生活

「ごちそうさまでした」


 空になった食器に箸を置いた少女が、教えたばかりの台詞とともに行儀よく両手を顔の前で合わせる。

 先に食事を終え、PDAの画面をチラ見していた俺は満足そうにお腹をさする少女に尋ねた。


「どうだった?」

「すごく美味しかった。お肉柔らかかった!」

「そりゃよかった、と言いたいところだが、今回は少し味付けが薄かったな」


 この少女が事務所にやってきて早三日が経過している。

 俺はまず育ちざかりの少女にまともな食事を摂らすべく、料理に奮闘することになった。

 今晩のメニューは、料理としては比較的簡単と言われる肉野菜炒めである。

 しかしこれまでまともに自炊してこなかった俺にとってはそう簡単なものではなく、結局出来あがったのはところどころ黒ずんだイマイチ胡椒の味しかしない肉と野菜であった。


「でもでも征志郎。薄味の方が健康にいいって、テレビのお姉さんが言ってたよ?」

「そりゃそうかもしれねえが……」


 健康なんて最悪、重病になったら内臓を取り替えればいいだろうと思う。

 だが自分のツギハギをあまりよく思ってない少女にそれを言うのは、少しばかり気が引けた。


「まあ、味付けは多少薄味でもいいとして……その征志郎ってのやっぱやめないか?」

「なんで? 征志郎は征志郎だもの。駄目?」

「いや、駄目とかそういうことじゃなくてだな……」


 ここに来た当初、あまりにもおじさんを連呼してきたため、俺は名前で呼ぶように伝えた。

 しかし普通にさん付けで呼ぶのかと思いきや、この少女はいきなり呼び捨てで呼び始めたのである。

 特段、目くじらを立てる話でもないが、自分よりかなり年下の子供に呼び捨てされるのはやはり妙な気分であった。

 

「……そう呼びたいってんならそれでもいいか。さあ、ここからはお前の仕事だ。分かってるな?」

「うん、がんばる!」


 立ち上がった少女が、空になった食器を流し台へと運んでいく。

 鼻歌交じりに皿にスポンジで洗い始めたのを見てから、俺は先日の取り決めを思い返した。

 まず、この身元調査依頼の達成報酬は、あの時言ったように少女の身体の一部――片腕をもらい受けることとなった。

 既に分かっている通り、少女の全身はかなりの高級パーツで接がれている。市場に出せばかなりの値がつくことは間違いない。

 むろん代わりの腕はこちらで用意するつもりだ。なので一旦、下取りという形になるだろう。

 またもし保護者が見つかった場合、本人には離していないがそちらから取り立てる算段も付けている。


 それに加え、俺はこの依頼主となった少女をこの事務所に置くことにした。

 他に行くところがないのだから仕方がないわけだが、俺は衣食住を与える代わりにいくつかの条件、仕事を課すことにした。

 食器洗いもそのうちの一つである。


「こっちも準備するか」


 順調に後片づけを進める少女を横目に仕事机へと向かう。

 俺は鍵のついた引き出しを開け、中にしまってあった自動拳銃と弾薬を取り出した。

 同時に中に閉まってあった小箱を確認する。

 これは必要ないだろう。


 弾倉を抜き、スライドを引いて中に弾が入っていないことを確認する。


(念のためバラして整備しといた方がいいな)


 事前準備はし過ぎて足りないことなどない。

 カチャカチャと拳銃を解体する音と台所で食器洗いをする水の音だけが室内を支配する。

 このかつて経験したことの構図に、俺は亡き恋人のことを思い出してしまった。


(……あの時と同じ)


 夕食後、仕事の準備をしている自分。台所に立つ彼女。

 そう……あの頃の俺は、自分がなんでも出来るような気がしていた。

 愛するものが傍にいる。帰る場所、待っていてくれる人がいる。

 彼女は他の何ものにも代えられない大切な存在だったのだ。

 

 拳銃の部品が強く手の平に食い込む。深い悔悟と燃え上がる憤怒。

 手に与えられ続ける痛みに次第に脳裏に浮かべていた映像が薄れていくと、いつの間にか洗い物を終えていた少女が心配そうにこちらを見ていた。


「……終わったのか。ご苦労さん」

「征志郎、ちょっと怖い顔してた。どうしたの?」 

「……いや、大事な仕事の前だから気が張ってるだけだ。仕事前はいつもこうだから気にすんな」


 何か言いたそうにしている少女を無視して、拳銃を元通りに組み上げてジャケットに仕舞い込む。

 そして拳銃と一緒にしまってあった特殊警棒を腰に装着する。

 一通り準備を終えた俺は、最後にもう一度だけエンジェルから渡されたデータに目を通すことにした。


「ねえ、征志郎。これからお仕事って、今日はアレ……やらないの?」


 画面から顔を上げると、頬を赤らめた少女が恥ずかしそうに身を捩っている。


「ああ、今夜はやらん。つうか、あんまそういう反応すんじゃねえよ。記憶取り戻したいんだろ? そのためにちょっと身体の気になるところと脳波を見てるだけだ」

「う、うん……でもその、やっぱり恥ずかしい……」


 赤くなった顔をわっと覆い隠す少女。わからなくもないが、そう何度も過剰な反応されるとこちらも困る。

 一つため息をついた俺は立ち上がった。


「じゃあそろそろ行ってくる。留守番は頼んだぞ」

「え? お仕事なら私もお手伝いする!」

「いや、今日は俺一人でいい。今回はお前が手伝えそうな仕事じゃないからな。いいな? 留守番してろ」


 やや強めに言い含めると、少女は残念そうにしながらもコクリと頷く。


(ま、さっそく力になりたいって思ってくれるのはありがたいがな)


 おそらくこの三日で自分の存在が、多少俺の負担になっていることを感じ取ったのだろう。

 とはいえ先日の犬探しのような仕事であれば役にも立つだろうが、今回は命の危険性がある仕事である。

 一応身柄を預かる者として、依頼人でもある少女にリスクを背負わせるわけにはいかない。

 そうして事務所の出口に向かうと、少女はどこか不安そうに俺を見送ってくる。

 心配するな、と軽く告げて扉に手をかける。すると開いた扉の隙間から突然――


「ウギャン!」


 背の低い影が勢いよく事務所の中に飛び込んできた。


「わわっ!」

「うお!?」


 玄関で異口同音に驚きの声をあげる。

 揃って足元に視線を落とすと、これまで何度も見たツギハギのデザイナーズ犬、エンジェルの飼い犬ジェニファーがそこにいた。


「はぁ……こいつ、またうちに散歩に来やがった。ったく、ちゃんと管理しとけよな」


 間の抜けたパグの顔に似合ない俊敏な動き。

 よりにもよって仕事前にやってきたジェニファーに、俺はこの場にいない飼い主に悪態をつく。

 そんな俺とは対照的に、特徴的なオッドアイをキラキラと輝かせた少女がコートの裾をくいくいと引いた。


「ね、ね、征志郎。この子、あのとき征志郎と一緒にいた子だよね?」 

「ああ。そういやお前を見つけたときこいつもいたか。よく見てたな。つっても、こいつは俺のじゃなくて知り合いの犬だ。名前はジェニファー……」

「う~、この子すっごく可愛いよ~。ね、征志郎、征志郎! 触っても大丈夫?」


「は? こいつ可愛いの?」

「うん! かわいい!」


 迷いなく言った少女がそわそわした様子で俺の許可を求めてくる。

 半信半疑になりつつも俺はとりあえず頷いた。


「ああ……いいんじゃね? そういやそいつ、腹を撫でると喜ぶぞ」


 俺の声を合図にぴょんと前に出る少女。俺の言葉を理解したのか、ジェニファーがどこか期待するような顔付きでごろりとアンバランスな身体を仰向けにする。

 にっこりと微笑み、ツギハギ犬のお腹を撫でまわし始める少女。

 ジェニファーはされるがままにハフハフと気持ちよさそうな声を上げていた。


「かわいい~、かわいい~」


 心底嬉しそうに『かわいい』を連呼する少女。何度も見ても可愛いとは思えない俺は「自分の感性がおかしいのか?」 とわずかに疑いを抱いた。


「そういや名前を付けろ、って言われてたな……」

「名前?」


 玄関で転がるツギハギ犬を見て、エンジェルの言葉を思い出す。


「ああ、お前の名前だ。仮でも名前がないと不便だろ?」

「いいの!? やったぁ! 征志郎がわたしに名前を付けてくれるって!」


 この僅かの間にすっかり犬と打ち解けた少女が、小さな身体を抱きしめながら期待のまなざしを向けてくる。

 うっかり口にしてしまった俺は、しどろもどろになって答えた。


「あー、その、な。実は、まだ決めてなくってさ。だからよ、お前がこれがいい、ってのがあれば……」

「わたし、征志郎に決めてもらいたい」

「そ、そうか……なら、ナナコ……?」

「ナナコ! うん。わたし、今日からナナコ!」


 無邪気に犬と喜び合う少女。しかしエンジェルの恐ろしい形相を思い出した俺は慌てて取り消した。


「ま、まて。やっぱりナナコはなしだ。もっといいのを考える。お前にぴったりなやつを!」

「……? うん、征志郎がそう言うなら待ってる」


 不思議そうに少女が首を傾げる。

 真面目に考えたのならまだしも、名無しだからという理由で付けた上にこうも喜ばれては、俺自身が呼ぶたびに罪悪感にさいなまれかねない。

 そこでハッとしてPDAを取り出すと、液晶画面には予定ぎりぎりの時刻が表示されていた。


「っと、そろそろ出ないとまずいな。とりあえず名前の件は帰ってきてからだ。お前はジェニファーと一緒に留守番してろ。放浪癖があるみてえだからしっかり捕まえとけ。いいな?」

「うん、この子と一緒に待ってる!」


 細長いジェニファーの足を揺らして「いってらっしゃい」 と口にする少女。

 すっかり上機嫌になった少女に背を向け、事務所を出た俺は夜道を小走りで移動しながらポツリと呟いた。


「……俺、命名センスとかねえからなぁ」

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