7.堕天使の囁き
「それで、今日は私に何の用?」
「ああ、まずはこいつを見て欲しい」
PDAを操作した俺は、あらかじめ撮影しておいた少女の画像をエンジェルに見せる。
「まあ、綺麗なツギハギね。それにとっても可愛らしい。あなた、この子を買う予定なの?」
「ちげーよ。守秘義務……っても、お前相手に隠し事は無駄だな。こいつは俺の依頼人。どうも記憶喪失らしくてよ、自分の身元調査を依頼してきたんだ」
その話にエンジェルが驚いた後、僅かに口元を緩めた。
「珍しく探偵らしい仕事じゃない。それで私に何を聞きたいの?」
「こういう少女を気に入りそうな好事家か、少女を商品として扱うブローカーを探している。そいつを調べてくれないか?」
「ふぅん……ねえ、この子は今どこにいるの?」
「俺の事務所だ。つーか、変な想像はすんじゃねえぞ?」
あらかじめ釘を刺すと、微笑したエンジェルは「あなたはそうでもこの子はどうかしらね」と含んだ物言いをした。
「話を戻すぞ。お前ならパッと見で分かるだろうが、こいつの身体にはかなり高度な肉接ぎ手術が施されている。加え、付け替えられたパーツもかなり上質な代物だった」
「ただの孤児じゃないってこと?」
「ああ。考えられるのは、肉接ぎ好きなどこぞのご令嬢か、金持ちの連中が愛玩用にオーダーした商品ってとこだろう」
そこまで言うと、エンジェルは納得したように大きく頷いた。
「だから少女趣味の変態オヤジとか、違法取引業者に目を付けたのね」
「そうだ。あとは違法肉接ぎを生業としている闇医者……その中でも腕のいい奴らをリストアップして欲しい。手術記録があればそこから身元が分かるかもしれない。できそうか?」
「あら、私を誰だと思っているの? その程度の情報、調べること自体は簡単よ」
涼しい顔で答えるエンジェル。
どうやら引き受けてくれるらしい。
少女の画像を送信すると、エンジェルは自分の端末をまじまじと覗き込みながら口を開いた。
「ねえ、この子の名前なんて言うの?」
「知らねえよ。こいつは記憶喪失なんだ。名前も憶えてねえんだとよ」
「そうじゃなくって呼び名よ、呼び名。あなた、この子のこと何て呼んでいるの? ま、まさか……」
「あん? そりゃお前とか、ガキとか……」
「こぉんのド畜生が! あんた、何考えてやがんの!?」
そう口にした途端、いきなり胸元を掴みあげられる。
疑問符を浮かべると、突如豹変したエンジェルが一気にまくし立てた。
「この子はね! 記憶をなくして、自分が何者なのかすらわからないとても不安定な状態なのよ!? とても不安で、心細くて……でも自分だけではどうにもならなくて! だからあんたに助けを求めたんでしょ!? なのに……このクソが!細切れにしてジェニファーの餌にしてやる!」
思い切り突き飛ばされた俺は、堪らず床に膝をつく。
はっと顔を上げると、いつの間にか巨大な鉄塊を持ち上げたエンジェルが手元のエンジンを勢いよく起動していた。
「な、なんでチェーンソーなんか持ってんだよ! つーか、どこにあった!? それ!」
「黙りなさい! このロクデナシ! こんないたいけな少女をぞんざいに扱って、ただで済むとは思うなよ!」
男言葉と女言葉が入り混じるエンジェルの恫喝。耳障りな音とともに迫ってくるチェーンソー。
本気で命の危険を感じた俺はたまらず両手を挙げた。
「わ、わかった! すぐ名前を考える!だから落ち着いてくれ!」
「……本当ね?」
「ああ。名無しだからナナコとか――」
ザン! と床にチェーンソーの刃が突き立てられる。
「わ、わかった! ちゃんと考える! 考えておくから!」
ゴリゴリと床を削り出した刃を見て、慌てて取り繕う。
そんな俺をじっと見つめたエンジェルは深いため息とともにチェーンソーのエンジンを止めた。
「はぁ……しっかり素敵な名前を考えてあげるのよ。いい? これは本当に大事なことだからね」
あまり自信はない。が、早いうちに決めておかないと今度こそただでは済まないだろう。
神妙な顔で頷き返すと、エンジェルは「期待しているから」と口にして、自分のPDAを操作し始める。
そして、ずらりと0が並ぶ数字の列を俺に見せた。
「いち、じゅう、ひゃく……。こいつが今回の情報料か?」
「そうよ。経費込み、お得意様向けのリーズブルな価格よ」
やはり富裕層や裏社会に属する者の情報は少々値が張る。
とはいえ、あの少女の依頼を完遂すれば払えない額ではない。
「悪いが今は持ち合わせがない。ツケに……」
「ダメよ。あなた、上の店でもツケにしてるじゃない。マスターから催促されるこっちの身にもなってよ」
「あー、わかったわかった。俺は何をすればいい?」
これまで何度か経験した流れに乗って問いかける。
するとエンジェルは最近どこかで聞いたばかりの台詞を口にした。
「そうね、あなたの身体で支払ってもらいましょうか」
「腕でも切り取って質にいれろってことか?」
「まさか。あなたの腕は情報料以上の価値があるわ。だからその腕を使って一つ仕事をしてほしいの」
「回りくどい言い方をすんじゃねえよ。ま、高値で評価して頂いてありがたい限りだがな」
「ふふ、どっちの意味でも腕は確かだから。あなたの元敏腕捜査官としての能力を見込んで、とっちめて欲しい連中がいるの」
あらかじめ用意していたのだろう、エンジェルがものの数秒でこちらのPDAに画像データとファイルをいくつか送信してくる。
画像をスライド表示すると、見るからに裏社会の人間と思われる人相の悪い男の顔が次々と並んだ。
「なるほどな。こいつらが近頃この近辺を騒がしている奴らってわけか」
「ええ。細かい仕事内容とターゲットの詳細は今送ったデータを参照して」
そのとき、エンジェルのPDAから着信を告げるメロディが流れ出す。
画面を覗き込んだエンジェルは、見るからに嫌そうな顔をすると「あとは頼んだわ」と言って通話を始めた。
退出を促された俺は出口の鉄扉を開け、地上へと続く階段を登る。
そうして酒場の裏口まで戻ってくると、ちょうど外で煙草を吸っていた店のマスターと目が合った。
「ツケは下の奴から回収してくれ」
先手を打つと、マスターは短く了解を口にする。
そしてこちらの事情を察したのか「あんたも大変だな」と呟くと、ぶらぶらと手を振って見送ってきた。
表の大通りへと戻ると、既にいくつか店の前では呼び込みをしている人間の姿が見える。
もうじきあのどこか温かみを感じさせる懐古ネオンが本格的に輝きだす頃合いだろう。
人通りの増えた繁華街を後にした俺は帰り道、商店街の一角であるマーケットに立ち寄る。
品質はともかく安価かつ独り身の客を意識した品揃えで、常連客はそこそこ多い。
俺もその一人である。
馴染みの弁当売り場を通り過ぎ、普段は行かない食材コーナーへと向かう。
(……ったく、一人だったら気にしねえんだがな)
料理を全くしないわけではないが、一人分だとどうしても先に掛かる手間を考えてしまう。
ふと俺は値引きシールのついた肉や野菜を適当にカゴに放り込んでいるうちに、今は過ぎ去りし生温い既視感を抱いた。
(……こういうの、久々だったな)
俄かにざわめき立った胸をすぐさま鎮める。
俺は手早く会計を済ませると、夕闇が訪れた商店街から足早に立ち去った。
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