6.失楽園
件の少女が事務所にやってきた翌日、とりあえず留守番を任せてきた俺は昼下がりの繁華街を闊歩していた。
このあたりは、パブやスナックといった安価な酒場から、高級バー・会員制の多国籍クラブなどさまざまな店がひしめく夜の歓楽地である。
日中の今、人通りはそう多くはないが、夜の帳が降りれば色とりどりの懐古ネオンに彩られる区域。
開店に向けてせわしなく働く人々を傍目に、歩を進めていた俺は目的地を前に立ち止まった。
大通りから少し入ったところに位置するバー『パラダイス・ロスト』
見慣れた看板にはぐにゃぐにゃと曲がりくねったネオン管で英文字の店名が記されている。
最近はあまり顔を出してはいないものの、一応、常連扱いではある。
とはいえ今日の用事はこの店ではない。
俺は点灯前の正面入り口を迂回し、仕込みを始めているだろう店主に見つからないように、素早く店の裏側へと回る。
そこには二人分しか通れない狭い入口、地下へと続く階段が人目から隠れるように設置されている。
迷いもなく看板すら掲げられていない入口に踏み込んだ俺は、勾配の急な薄暗い階段を下っていく。
階段を降りきった先にある錆びた鉄扉の前で足を止めた。
扉の右上方には似つかわしくない小型の監視カメラには設置されている。
俺はいつも通りの手順でカメラを正面から見た後、右手をカメラに向けて掲げた。
それから二十秒程度が経過すると、狭苦しい空間にガチャンと鉄扉の錠が開く音が響く。
俺は鈍い摩擦音を立てる重い鉄扉をゆっくりと開き、中に入った。
「おい、来たぞ。どこにいる?」
何故か明りのついてない室内に踏み込んだ俺は、姿の見えない目的の人物に向かって声を掛ける。
薄暗い室内には数多くの液晶画面や、先ほど俺の網膜と指紋認証を行った装置をはじめとする数々の電子機器が所狭しと並んでいる。
しかし乱雑さはなく、ある種のセンスに従い妙な調和の元に配置されていた。
足元に注意しながら、部屋の主を探し始める。
俺は暗がりに向けて声を投げかけた。
「さっさと出て来い。まさかこんな時間から寝ちゃあいねえだろ?」
「ふふふ、いらっしゃいませ。あなたを歓迎するわ」
突然、横合いから発された女の声。
俺は驚きを噛み殺しながら、声がした方向に振り向いた。
「ワタクシのお部屋にようこそ」
声と同時にパッと頭上の照明が点灯する。
舞台のスポットライトよろしく一部分だけライトアップされたのは、高級そうな深紅のソファにちょこんと座る全身ツギハギの犬だった。
「先日はありがとうございました。おかげでワタクシの飼い主と再会することができましたわ」
澱みなく流麗な言葉がツギハギ犬から発せられる。
子憎たらしいパグの顔、ダックスフントの細長い胴体、計四本の長い手足はグレイハウンド。
一目で奇体に映るその姿は、まさしく先日の依頼で捕まえたデザイナーズ犬のものである。
軽く嘆息した俺は、犬が鎮座するソファの肘置きに手をついた。
「……はぁ、また妙な遊びを始めやがって」
「遊びだなんて心外ですわ。あなたにはとっても感謝しておりますのに」
「そうかいそうかい、そりゃようござんした」
不釣り合いなお嬢様言葉を使うツギハギ犬にひらひらと手を振る。
「ふふ、素敵なあなたへのご褒美にワタクシのお腹を撫でさせてあげますわ。さあさ、どうぞ遠慮なさらずに」
「へいへい、なでなで。なでなで。これでいいか?」
ごろんとひっくり返って腹を見せたツギハギ犬の毛並みを粗雑に撫でる。
「あぁっ! そこよぉ! もっとお撫でになってぇ!」
気持ちよさそうにだらんと伸びた舌をぶらぶらさせるツギハギ犬。
「あぁん、だめぇ! それ以上はわたくしぃ! おかしくなっちゃうわぁん!」
「うっせ! いい加減にしやがれ、エンジェル! 茶番が長ぇんだよ!」
付き合うのが面倒になった俺は、犬の腹を撫でるのをやめ、ソファの裏にいる人物に声を掛ける。
すると、音もなく立ち上がった人影は残念そうにぺろりと舌を見せた。
「せっかくいい所だったのに。犬と人間のロマンスなんてなかなか体験できないわよ」
彼女の名前はエンジェル。
黒を基調としたボンデージ風の衣装に身を包んだ金髪の女……一応、美女である。
この地下室の主であると同時に、ソファに寝っ転がっているツギハギ犬の飼い主でもある。
そしてエンジェルはこの地下で情報商材を扱ういわゆる情報屋を営みながら、この街のギャングのような連中のまとめ役でもある。
上のバーのマスターや常連がその構成員だが、大きな組織というわけではなく、多少暴力的な方法も用いる街の自警団といったところだ。
警察官時代からの付き合いだが、本名は知らない。
職業柄、明かすこともないだろう。
「はっ、そのロマンスとやらは一体誰に需要があるんだ?」
「うふふ、もちろん私によ」
「だと思ったよ」
ソファから降りたツギハギ犬が、構って欲しそうにハフハフと飼い主の足にすり寄る。
エンジェルは赤子を抱き上げるように持ち上げ、犬の鼻先に軽くキスをした。
「あぁん、ジェニファーはやっぱり可愛いわねぇ。私の宝物よ」
「そんなに大事なら逃げねえようにGPSでも埋めとけよ」
ぴしゃりと冷たく言い放つも、エンジェルは「ダメダメ」と楽しそうに人差し指を振った。
「この子が自分の身体と頭脳をフルに使って逃げ出すからいいのよ。それに対して、私が情報網と人脈を駆使して全力で捕まえる。これは固い絆で結ばれた私とジェニファーの真剣勝負なのよ」
今回は随分遠くまで逃げられちゃったわね、と犬に頬ずりするエンジェル。
俺は無駄だとは知りつつも一応、苦言を呈しておく。
「お前らの勝負に俺を巻き込むんじゃねえよ。毎度、付き合わされる身にもなって欲しい」
「あら、ちゃんと捜索依頼でお金も払ってるじゃない。ご贔屓さんは大事にしないとダメよ?」
「へいへい、いつもご贔屓ありがとうございますっと」
実際、エンジェルにはお約束となった犬の捜索依頼以外にも、数多くの依頼をされている。
むしろ彼女からの安定した依頼がなければ、俺の探偵家業は成り立たないと言っても過言ではない。
しかし問題は、こうして何度も呼び出されているうちに、上の酒場の常連客に「ヒモ男」と認識されてしまったことである。
確かに見た目だけなら、誰もが振り返るような絶世の美女ではあるが……
(あれさえなけりゃなぁ……)
俺は以前、エンジェルが上の酒場で巻き起こした事件を思い出し、残念な気持ちになった。
「って、お前。また腕変えたのか」
「ふふ、さすがの観察眼ね。すぐ他人の変化に気が付けるのは素敵なことよ」
エンジェルは満足げな表情で、むき出しの左腕をこちらに見せつけてくる。
エンジェルの腕と肘下には、ツギハギ犬やあの少女と同様、くっきりと肉接ぎの痕が刻まれている。
接ぎ痕があるのは腕だけではない。
首、腹、足といった目立つ部分を筆頭に、全体的に露出度の高いボンデージ衣装からは数多くの接ぎ痕が見え隠れしていた。
体中に走る施術痕の数は昨日の少女以上である。
「ふふ、この腕はね。あの悲劇の女優、ステファニー・ヨハンセンモデルなのよ」
「ああ、確か何年か前に自殺したっつう舞台女優だったか」
「自殺じゃなくて事故。遺書が見つかっていないもの。で、この腕は実際のステファニーの細胞を元に複製したものなの」
「へぇ……ってことは、遺族が細胞を提供したのか」
「ええ、以前からファンの要望が多くてね。それで今回、遺族側も全面協力する形で、四肢の肉接ぎパーツが生産されることになったの」
うっとりと自分の腕を見遣るエンジェル。俺は率直な疑問を投げかけた。
「やっぱ熱心なファンになると、そういうのも欲しくなるもんか?」
「もちろん。でも、誰だってそうじゃない? 大切な人が残した命の証――それが例え、魂の宿らない腕一本であっても繋ぎ止めておきたい。そう思うのが自然な感情じゃないかしら?」
確かに肉接ぎ手術は、何も治療や延命目的だけで行われているわけではない。
例えば軍人やスポーツ選手といった肉体性能が求められる職業では、より上質な肉体を求め、頻繁に肉接ぎ手術を行う者が数多く存在している。
また性能面以外でも、単にファッション感覚で無計画に肉接ぎを楽しむ者。
あるいはエンジェルのように特定の人物――夫婦間の絆を深めるために互いの肉体を交換する者、先立った連れの一部を移植するケースなどもよく耳にする。
「……ま、分からなくもねえが、腕だけの恋人は遠慮したいね」
「そういえばあなたはどこも肉接ぎしてなかったわね。生まれたままの無垢な肉体……うふふ、そそるわねぇ」
「気持ち悪いこと言うんじゃねえよ。肉接ぎジャンキーのお前と比べれば、そりゃ誰だって清らかなもんだ」
「あら、ジャンキーだなんて随分ヒドイことを言うのね。私はエンジェル――より美しい身体を求めて、見る者に愛を振りまく、愛の伝道師なのよ」
「へいへい、素晴らしい考え方をお持ちなこって」
「まっ! あなた、まだこの私の美しさを理解してないの!? だったらこれからじっくりと見せてあげるわ!覚悟しなさい!」
抱えていたジェニファーを床に下ろし、エンジェルがボンデージ衣装のチャックに指を掛ける。
それを見た俺は慌てて静止の声をあげた。
「ま、まて! ここで脱ぐんじゃねえよ!」
「どうして? 私のカラダを間近で見れる機会なんて滅多にないわよ? 光栄でしょ?」
「だぁー! そういう意味じゃねえよ! とにかく脱ぐな! 見せるな! つーか天使を名乗るんなら、もっと慎みを持てよ!」
一気に捲し立てると、エンジェルは少しだけ驚いた表情を見せた後、苦笑するように口元を緩めた。
「ふふ、確かにそうね。どんな美しいものでも、頻繁に見せていたら価値が下がってしまう。あなた、なかなかいい事言うわね」
勝手に納得したエンジェルが脱ぎ掛けていた服を元に戻す。
心拍数の上がった胸をなでおろした俺は、今しがた必死になって止めた理由――以前、彼女と酒場で飲んでいた時のことを思い返した。
あれはまだ駆け出し警官だった俺が、ツテを使ってパイプ作りに勤しんでいた頃のことである。
直接、顔を合わせたことはなかったものの、既にこの辺りの裏社会を取り仕切る情報屋兼まとめ役として、警察内部でも名を知られていたエンジェル。
そんな彼女に菓子折りを片手に接触した俺は、何故か初対面で気に入られ、そのまま上の酒場で飲むことになった。
好意的に絡んでくる女に少しばかり気後れをしていたが、相手が美女であればそう悪い気はしない。
そうして静かに二人で酒を酌み交わしていると、突然乱入してきた酔っ払いがエンジェルに絡んできたのである。
「へへ、俺、知ってるぜ? こいつ、見てくれはお綺麗だが、服の下は全部ツギハギなんだぜ? あー、もったいねぇ。バケモノボディじゃなけりゃ俺が抱いてやるんだがよ!」
その言葉に、客たちの下卑た笑い声が湧き上がる。
ずいぶんと客層の悪い店だ、そう一人ごちた俺は出会ったばかりの女性を気遣い、店を出ようと告げる。
しかしおちょくられたエンジェルはというと、妖艶な笑みを浮かべて酔っ払らいを鼻で嗤った。
「ふふ、ツギハギ程度で勃たないなんて残念な人ねぇ。そんな役立たずなモノ、さっさと切り落とした方がいいんじゃない?」
「な、なんだと! てめぇ! もういっぺん言ってみろ!」
「あなた、本当に美しい身体というものを見たことがないのかしら? ふふ、そうよね。この私に欲情できない時点で男としての価値なんかないもの」
「て、てめぇ……! ならよ、その美しい身体ってのもんを見せてみろよ! へへっ……万が一、お前の身体で勃ったら謝ってやるよ」
「わかったわ。でも、あなただけに見せるのももったないないわね。他のお客さんにも見てもらいましょう」
立ち上がったエンジェルは艶然としたファッションモデルさながらの足取りで、店の中央に設置された踊り台へと登る。
突如、始まったストリップショーに湧き立つ店内。
慌てて静止を呼びかける店主ににっこりと微笑んだエンジェルは、囃し立てる客たちの視線を楽しむかのように、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。
ピカピカと回転する時代遅れのミラーボール。その下で徐々に露わとなっていく美女の裸体。
幾つものごくりと生唾を飲む音。
やがて上半身を覆っていた服が完全に取り払われると、酔っ払いの言通り、ツギハギの裸体が現れた。
「へぇ……」
思わず感嘆の息をつく。
自信満々に言ってのけただけあって、全身ツギハギながらも彼女の裸体にはただならぬ美しさがあった。
ツギハギによる左右非対称な部位や不自然とも思える箇所も、それこそが眺めていて飽きない自然物のような趣さえ感じさせられる。
ただ均等なままに黄金比をあてはめたような雑誌で見るモデルの身体より、非対称ながらもメリハリがつけられた身体には、独特な彼女自身の美的センスが散りばめられていた。
エンジェルが一斉に前かがみになっている集団、その先頭にいる男に笑いかける。
「……どう? まだ考えは変わらないかしら?」
「ばっ、馬鹿言ってんじゃねえ! ほら! 上だけ脱いで満足してんじゃねえよ! 全部だ! 全部みせろ!」
「うふふ、まるでお預けを喰らった犬みたいね。いいわ。私の全部を……見せてあ・げ・る」
素直な男たちの反応に、上機嫌になったエンジェルが勿体ぶりながら下半身に手を掛ける。
一斉に身を乗り出す客たち。ギラつく視線がエンジェルに集中する。
そして……すべてが取り払われたその瞬間――――
「な、な、な……なんじゃこりゃああああああああああ!!!」
最初にエンジェルに絡んだ酔っ払いの絶叫。
それを皮切りに次々と男たちが叫び声をあげる。
店内は瞬く間に、悲鳴の渦に呑み込まれた。
「ま、まじかよ……」
俺が自分の目を疑っていると、椅子から転げ落ちた酔っ払いが口を押さえながら再び叫んだ。
「お、おい! てめえ、なんで『ついて』んだよ!」
「……あら? お気に召さないかしら?」
エンジェルが誇らしげに自身の女性器の上にある、隆々と屹立した男性器をぶるんと揺らす。
揃って口を押え出した男たち。彼らに完全に全裸となったエンジェルがゆっくりと歩み寄っていく。
「ひ、ひぃぃ! お、俺が悪かった! だ、だからこっちに来るんじゃねえ!」
「ふふふ……よく見て? あなたより私の方がずっと立派でしょ?」
おそらくエンジェルがこの場の誰よりも、巨大でグロテスクな代物を持つ者であることに疑う余地はない。
結果、酒場はゲロまみれにまった。
――と、これが俺と両性具有の情報屋との出会いである。
後から聞いた話では、件の酔っ払いは二度と店に来なくなったとか。
めでたしめでたし。
改めて目の前のエンジェルに視線を向ける。
どちらの器官を後から肉接ぎしたのかまでは知らないが、確かに男性と女性を併せ持つ彼女にその名は相応しいのだろう。
当のエンジェルは先ほど語っていた新しい腕を愛おしそうに撫でている。
その姿に俺は昨日、ツギハギだらけの身体を嘆いた少女を思い出していた。
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