4.質疑

「さて、そろそろいいか?」


 窓際で吸っていた煙草の火をもみ消した俺は、食事を終えた少女の対面に座る。

 それまで蒼白かった頬も、今は健康的な赤みが差している。

 俺は人心地ついたようにお腹をさする少女に本題を切り出すことにした。


「いくつかお前に聞きたいことがある。話してくれるな?」

「……うん。あのね、探偵さん。その、ごはん……ありがとう」


 控えめに微笑んだ少女が、しっかりとした口調で感謝を告げる。


「それぐらい気にすんな。ってお前、外の看板を見たのか?」

「看板?」 

「ああ。いま俺のこと探偵って言っただろ? 暗かったのによく見えたな」


 言葉を重ねると、少女は小さく頷いてから口を開いた。


「うん。でも探偵さんだってわかったのはもっと前だよ?」 

「ん? 前っていつだよ」


 微妙に噛み合っていない会話に軽く頭を掻く。

 すると少女は俺のポケットを指さして言った。

 

「昨日、お兄さんが持ってた小さい箱に書いてあったの」

「小さい箱?」


 コクコクと頷く少女に首を傾げつつも、コートのポケットから潰れた煙草のソフトケースとマッチ箱を取り出す。

 机に置くと、少女は「それそれ」とマッチ箱を指さした。

 改めて見ると、直方体の正面に『禊探偵事務所』の名と住所、連絡先が印字されている。

 半ば忘れかけていたが、このマッチは事務所を開いた時、宣伝用に業者に作らせたものである。

 目を細めて印字された文字を確かめた俺は、内心の驚きを隠しつつ、少女に見えるように摘まみあげた。


「……ってことは、お前、川で最初に目を覚ましたあの一瞬で、このやたら小さい文字を読み取ったってことか?」

「うん」


 臆面もなく頷く少女を見て、知らず考え込んでしまう。

 確かに昨日、俺は河川敷で警察に連絡する前に煙草を吸っていた。その時、この少女と目があったのも覚えている。

 だがあの一瞬で記憶するなど、大したものである。

 見た景色や出来事を写真に収めるかのように脳内に記憶するという、瞬間記憶能力の話を以前聞いた事があるが、そういった類のものだろうか。

 俺は少女に対する警戒が強まるのを感じつつも、質問を重ねた。

 

「なるほど、確かにこいつには事務所の名前と住所やらが書いてある。で、場所が分かった後、お前はここまでやってきたわけだが……どうやって三階のベランダまで登ったんだ?」


 昨日、少女が眠りについてからずっと頭の中で燻っていた疑問。

 いきなり事務所に現れたこの少女は、ビルの三階にある事務所のベランダに立っていた。

 もし一階であったのならこんな質問など必要ない。が、ごく一般的に考えていきなり三階に現れるのは奇妙である。

 それを問い掛けると、少女は不思議そうに首を傾げながら事もなげに言った。


「隣のお家の壁をよじ登って、こっちに飛び移っただけだけど……」

「道具もなしでか!?」


 思わず声を張り上げてしまうと、少女の肩がびくりと震える。

 不安そうに顔を覗きこんでくる少女に嘘をついている様子はない。

 そうなると、この少女は類まれな瞬間記憶と野生動物じみた身体能力を持ち合わせていることになる。

 普通に考えて、ただの子供とは思えない。

 そこで、俺はこれまで聞きそびれていた重要な質問を思い出した。


「そうだ。マッチ箱でここの住所を知ったのはいいが、そもそも何故病院を抜け出してここに来たんだ?」

「そ、それは……ええと、その……」

「あー、あまりこういうことは言いたかねえが、もしお前に保護者やら帰る場所があるのなら、そっちに行くべきだろうよ。どうなんだ?」


 俺の質問に少女は困ったように口をもごもごとさせている。

 喋り出すのを静かに待っていると、やがて少女は申し訳なさそうにポツポツと呟いた。


「……ごめん、なさい。よく思い出せない……。その、川で目を覚ましておじさんを見たのが一番最初の記憶で……自分の名前とか家族のこととか何もわからなくて……でもおじさんのところには行かなきゃって思って……うぅ」


 深く俯いて、頭を抱え始めた少女に唖然としてしまう。

 かくいう俺も同じように頭を抱えながら、これまで得た情報を一度整理してみることにした。


 まず、このガキは俺が昨日川辺で発見した、死に掛けの少女で間違いはない。

 病院に運び込まれた後、抜け出してここにやってきた。

 何故ここにやってきたのか、それは本人も不明。

 そもそも俺と遭遇する以前の記憶がない。

 なんとなく行かなきゃと思ったとか、孵化したばかりの雛鳥の刷り込みみたいなことを言っている。

 次に、この場所がわかったのは、川で目を覚ました時の一瞬でマッチ箱から住所を読み取ったから。

 更にはこの部屋がある三階のベランダまで、猿のように飛び移って登ってきた

 ――そういうことになる。


 身体能力に関しては、この少女がそうとはわからないが、高ランクの肉接ぎ手術を受けていれば不可能な話ではない。

 瞬間記憶の方も珍しくはあるが、こちらも生まれつきそういう能力がある者の話も全く聞いたことのない話というわけではない。


(だがとりあえず、こいつはただの孤児やストリートチルドレンではなさそうだ)


 記憶喪失に関しては、何かしらの事件や事故に巻き込まれた可能性も考えられるが、今のところ謎である。

 また、記憶がないにも関わらず、俺に対して何かしらの引っ掛かりを感じるようだが、俺には見覚えすらない。

 

(……もしこいつが孤児だとすると、自分が記憶喪失だと偽って、俺に保護してもらおうって考えている可能性もあるな…… )


 そう考えた途端に、目の前で悲しそうに俯く少女が胡散くさく見えてくる。

 自ら記憶喪失だと言った以上、もうこの少女から得られる情報はないだろう。

 そう結論づけた俺は、机に置きっぱなしにしてあったPDAを引き寄せて、口を開いた。


「……事情はわかった。だがな、お前が俺を知っているかもしれないっ言っても、俺には全く記憶がない。お前がここにいる理由はねえんだ。病院に戻れ」

「え……?」


 少女がぽかんとした表情を浮かべる。

 構わず病院の番号を検索した俺は、茫然とする少女ににべもなく告げた。

 

「電話ぐらいはしてやる。だから――」


 言いかけた瞬間、少女が心細そうにきゅっとコートの裾を掴んできた。


「……戻りたくない。わたし、ここに居たい……よくわからないけど、おじさんと一緒に居たい……」


 消え入りそうな声で訴えかけてくる少女。

 俺は若干の居心地の悪さを感じつつも、ぴしゃりと言い放った。

 

「駄目だ。一緒に居たいってなら、病院までなら一緒にいてやる。それでいいだろ?」


 しかし今にも泣き出しそうな顔になった少女は身を乗り出し、床に両膝をついて俺の腰元にすがりついてきた。


「…………」

「…………」


 てっきり駄々でもこねるのか思っていたのが、俺の想像とは裏腹に少女は弱々しい態度で、静かに懇願してくる。

 おそらく自分でも道理が通らないこと言っているとわかっているのだろう。

 しかしそれと同時に、病院に戻りたくないという気持ちも強く感じる。

 俺は軽く頭を掻いた後、端末をポケットに仕舞い込んだ。


「わかったよ。無理やり連れてったりはしねえから手を離しな」


 語調を和らげながら、目尻に涙を浮かべている少女に呼びかける。

 おそるおそる手が離される。それでも少女は不安そうな表情を崩さず、その場に立ち尽くしていた。


(さて、どうしたものか……)


 どかりと椅子に腰を下ろし、目の前の少女への対応を思索する。

 少女が着ている白い病院服は、この冬が深まった時期にしては薄手に見える。

 サイズもやや小さいのか、手首から五センチぐらいの位置に袖口があり、襟元から胸に掛けて少しばかり窮屈そうである。

 そんなことをぼんやり考えていると、それまで棒立ちだった少女が恥ずかしそうに両腕で胸元にあてた。

 

(ったく、女はこれだからなぁ……)


 思春期の少女を思わせる仕草にむず痒さを感じてしまう。

 俺はもじもじと視線から逃れようする少女に、努めて優しい口調で言った。


「お前、記憶喪失なんだろ? 自分のことも思い出せないんだったら、一度ちゃんと病院で検査を受けるなり、警察に身元を調べてもらった方がいいだろうよ。間違ったこと言ってるか?」 

「ううん……でも、病院も警察も嫌なの。……あれ? この音、なんだろう」


 神妙な顔で口を開いた少女が、途中から不思議そうな表情で首を捻る。

 目を閉じて耳を澄ませる少女に声を掛ける。少女はこちらに向き直ると、ふるふると首を横に振った。


「……ううん、なんでもない。ねえ、おじさんは探偵なんでしょ? だったら、その……おじさんに私のこと調べて欲しい、かなって……」

「俺に? 仕事っつうなら、引き受けなくもねえが……」 


 不安と淡い期待の両方をちらつかせた少女が控えめにこちらを覗きこんでくる。

 とはいえ、俺も慈善事業で探偵を営んでいるわけではない。


「もし探偵に身元調査の依頼をするのなら、それなりの報酬が必要だ。お前に支払いが出来るのか?」

「……それは……」


 俺の問いに口ごもった少女がそわそわと落ち着かない様子で何か考え始める。


(……少し酷だったか)


 至極まっとうな話ではあるものが、記憶も身元も定かではない子供に報酬を求めるのは少々大人げない気がしなくもない。

 だが見ず知らずの子供相手に無償で働いてやるほどお人好しでもなかった。


(まあ、これなら病院なり警察やらに行く気にもなるだろう)


 そう結論づけて、少女が折れるのを静かに待つ。

 朝食時から点けっぱなしだったテレビの音が聞こえる。今は事件の報道番組のようである。

 なんとはなしに耳を傾けていると、それまで黙りこくっていた少女が何か決意したように力強い視線を向けた。

 

「……報酬の支払いは……私の身体で、とか」

「はぁ!?」


 予想外の返答に俺は堪らず吹き出した。

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