3.サンドイッチ

 朝七時、事務所の椅子の上でいつもと寸分変わらぬ時間に目を覚ます。

 俺は未だソファで眠り続ける少女を確認した後、普段と変わらぬハムと食パンだけの簡素な朝食を用意し、椅子に腰を下ろした。

 端末を操作し、壁際のやや年季が入ったテレビに電源を入れる。

 ハキハキと今日の天気予報を読み上げるニュースキャスターの声を背景に、食事がてらPDAの液晶画面を操作し始めた。


『――比留野大学医科学研究所の勝沼博士、新薬を発表。拒否反応のない、より大規模かつ安全な肉接ぎ施術も可能に』

『――【急募】十五歳未満、Aランク以上の両目。性別問わず。価格交渉可』

『――アミノ食品、自社合成食品に異物混入。遺伝子組換え装置の不具合か?』


 ニュースサイトの文面を流し読みながら、薄く焦げたパンを頬張る。

 朝の情報収集は、探偵の職務というよりも、捜査官時代に培われた習性に近い。

 特に今朝は気になる事件は報じられていない。

 ニュースチェックを終えた後、久しぶりに会員制の銃器販売サイトを覗いていると、ソファから小さなうめき声があがった。


「…………?」


 ゆっくりと身を起こした少女は、状況を把握していないのか未だ眠気を感じさせる表情でぼぅと佇んでいる。

 端末をスリープ状態にした俺は、指で机をコツコツと叩いてから声を掛けた。


「やっとお目覚めか。よく眠れたか?」

「――!?」


 それまで寝ぼけ眼だった少女が突然、高圧電流でも流し込まれたかのようにビクリとソファから跳ね上がる。

 俺の存在に気が付いたようで、すぐに怯えたような表情がこちらに向けられる。

 俺は昨晩、ベランダに立っていた時とはまるで様子が異なるその顔を意外に思いながらも、淡々と言葉を続けた。


「俺は禊征士郎みそぎ せいしろう。ここは俺の事務所だ。俺は昨日の夕方、3A区の河川敷で行き倒れていたお前を見つけた」

「…………」

「その後、お前は病院に運び込まれた。だが何が理由かは知らないが、病院から脱走して俺の事務所にやってきた。ここまでは覚えてるか?」


 目の前の少女に状況を端的に説明する。

 しかし少女は怯えた顔をそのままに、ピタリと動きを止めている。

 若干の面倒くささを感じはじめた俺は、少しばかり詰問口調になって質問を重ねた。


「何故、俺のところに来たんだ? いや、それ以前の何故この場所がわかったんだ? そこをまず答えろ」


 威圧するようにじろりと少女を見遣る。

 それでも少女はじっと俺の顔を見詰めるだけで、何の反応も返さない。


「……おまえ、人の顔じっと見るの好きだな。つーか、喋れないわけじゃないだろ? なんでもいいから話してみろよ」


 小さく息を吐きながら、ひらひらと手を振る。

 すると少女は何か考え込むように僅かに顔を曇らせた後……


 ――きゅるるる


 突然、可愛らしい音が朝の室内に響き渡った。


「あっ……」 


 きょとんと眼を丸くする少女。その少し抜けた表情はこれまでの印象から一転、年頃の少女らしいものである。

 すぐに今の音が自身のお腹から鳴ったものだと気づいたのだろう、少女の頬はみるみるうちに朱に染まった。

 

「うぅ~、あぅぅ~……」


 もじもじと小さな身体を揺らしながら、お腹を両腕で隠すように抱え込む少女。

 もう一度、可愛らしい腹の音が鳴る。俺は苦笑しつつ、張っていた緊張を解いた。


「なんだ、お腹が空いてたのか。飯、食べるか?」


 そう言った瞬間、パッと目を輝かせた少女が子犬のような仕草でコクコクと何度も頷く。

 ようやくまともに反応した少女に、俺は僅かに安堵して椅子から立ち上がった。


「ちょっと待ってろ」


 空腹を耐えるようにソファの上で身体を揺らす少女。

 その姿から一度目を離し、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出し、油を引いたフライパンを火にかけ、卵を落したボウルに少量のミルクと砂糖を加えてかき混ぜる。

 そして温まったフライパンで素早くスクランブルエッグを作った後、今度はベーコンを焼き始める。

 あたりに充満するベーコンの焼けた匂い。

 そうして箸で何度かベーコンをひっくり返していると、いつの間に近づいてきていた少女が不思議そうにこちらを見ていた。

 

「どうした? もう少し時間かかるから向こうで待ってろよ」


 そう声を掛けるも、少女はフライパンの上でじゅうじゅう音を立てるベーコンに目を丸くしている。


「料理が珍しいのか?」


 コクコクと頷く少女。一目でその色違いの瞳が好奇に輝いているのがわかった。


「ほいっと。あとはパンに挟んだら出来上がりだ」


 カリカリに焼けたベーコンを取り上げ、軽く焼いた耳を落した食パンの上のベーコンとスクランブルエッグを乗せる。

 一方、少女は興味津々といった様子で出来上がりつつある料理を観察している。

 そうして、もう一枚パンを被せて皿に盛りつけた後、俺は完成した即席サンドイッチを片手に台所から出た。


「ほら、椅子に座りな」


 来客用のテーブルに少女を導いてから、ほのかに湯気をあげるサンドイッチを目の前に置く。

 ちょこんと椅子に座った少女は、皿の上のサンドイッチと俺の顔を何度か交互に見た後、おずおずと口を開いた。


「……食べて、いいの?」

「ああ、冷めないうちに食べな」


 じっと皿の上を見つめた少女が、初めて口を開く。

 年相応の小さな声に対し、俺も出来る限り優しく答えた。

 少女がゆっくりと手を伸ばしていく。

 そして両手で持ったサンドイッチを不思議そうに少し眺めた後、小さな口へと運んだ。


「…………!」


 瞬間、少女が驚きと喜びが綯い交ぜになった表情を浮かべる。

 もう一口食べ進めると、少女はパッと笑みを咲かせてこちらを見た。

 

「おいしい……!」 

「そいつはよかった。ほら、水も飲め。水分も足りてねえだろうからな」


 水を注いだグラスを机に置く。

 コクコク頷いた少女はというと、サンドイッチと飲み物を往復しつつ食事を進めていく。

 ハフハフという擬音が聴こえるかの如く、夢中になって食事を摂る少女。

 そこに昨晩見せた、どこか能面じみた不気味さの影は欠片もない。

 俺は心底、嬉しそうにサンドイッチを頬張る少女に見ているうちに、自然と頬を緩めていた。


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