1.ツギハギの少女

1.ツギハギ

「ったく、どこに行きやがったんだ?」

 

 寒気に耐えながら、鉄錆色のくたびれたコートの襟を立てる。

 俺はくしゃくしゃになった煙草のソフトケースを懐から取り出し、曲がった煙草にマッチで火をつけた。


 肺腑深くに煙を吸い込みながら、日が傾き始めた大通りへと視線を向ける。

 買い物袋を提げた主婦、小走りのスーツ姿の男、みすぼらしい恰好で地面に座り込む男といった僅かな人影のみが視界に映る。

 近くの公園を覗くと、そこには人っ子一人おらず、乗り手のいないブランコが寂寞と風に揺れている。


 近頃、この3A区を中心に人身売買、ドラッグの違法取引、それらに付随する組織同士の小競り合いが多発しているらしい。

 日中はさほどではなくとも、日が落ちると不法行為が横行する治安の悪い街。

 既に先ほど見かけた主婦とスーツの男の姿は消えている。

 俺は小さく嘆息してから短くなった煙草を携帯灰皿に捨て、道端で段ボールの上に座り込んでいた男に声を掛けた。


「あー、そこのおじさんさ。ちぃとばかし聞きてえんだが、こいつを見かけなかったか?」


 不愛想にぎょろりと黄ばんだ眼球を向ける男。

 男は写真とこちらをじろじろ交互に見ると、やがてにやりと口元を歪めた。


「ああ、知ってるぜ。少し前に見かけたぞ」

「お、やっぱこっちに来てたか。どこで見た?」


 この問いに男は口元を歪めたまま、チラチラと値踏みをするような視線を送ってくる。

 得心した俺は苦笑しながら、コートに手を突っ込んだ。


「へいへい、これぐらいでいいかい?」

「ひひ、もう一声と言いてえところだが負けてやるよ。あんた、3B区の外れで探偵やってる兄さんだろ?」

「あん? 誰の話をしてるんだ?」

「とぼけんなって。他意はねえよ」


 ぎこちない手つきで紙幣を掴むと、男はにぃと黄ばんだ乱杭歯を見せつけた。


「ここらでホームレスやってるやつらにゃ大概のことは耳に入ってくる。情報は金になるからな」 

「なるほどな。さしずめホームレスネットワークってとこか。逞しいことで」 

「けっ、犬のケツ追い回してる貧乏探偵に言われたかねぇよ」

「やかましい。つーかお前、随分と不便そうな腕してんな」


 この指摘に紙幣を懐にしまったホームレスが「ああ」と気のない声をあげて、右手があった場所をちらりと見た。


「別にこのご時世じゃ別に珍しいもんでもねえよ。それにあと一か月もすりゃマシになる。んで探しモノだが、ここから二つ東の小路地のごみ捨て場で漁ってるのを見たぜ。 ほんの五分ほど前だ」

「どうも」

「ひひ、この街で困ったことがあったらまた来な。安くするぜ?」 


 お決まりの営業文句を背中で聞き流し、再び大通りへと戻る。

 すっかり黄昏を匂わせる空気に辟易しつつ、汚れた石畳を蹴り進んでいくと、すぐにホームレスが言っていた路地へと到着した。

 ビルとビルの合間に伸びる薄暗い路地。入り口からやや進んだ場所にある異臭を放つ塊の前で、俺はごそごそと蠢く四つ足の影を見つけた。


「おうこら、ジェニファー。やっと見つけたぞ」


 写真に写るものとまったく同じ姿恰好。声に反応した探し犬がぐるりとこちらに顔を向けた。

 突出した真っ黒な目、皺が寄った小さな額、つぶれた鼻、くしゃくしゃの白い体毛。目元付近まで垂れた耳と開きっぱなしの口から覗くピンク色の舌がどことなくだらしない。

 人によってはこのパグの顔立ちは愛嬌があると評判らしいが、俺の目には間抜け顔にしか見えない。が、この犬の最大の特徴は顔ではない。

 傾きはじめた夕日が路地に差し込み、犬の全身を露わにする。


「うへぇ……」 


 これまで何度か目しているにも関わらず、反射的に顔を顰めてしまう異様な体躯。

 犬の首筋にぐるりと一周する生々しい手術痕、その先に継がれているのは白と黒の毛で覆われた小さな顔とはマッチしない黄金色の胴長な体。

 同じく接ぎ痕が目立つ四肢の付け根からは、全身のバランスを無視するかのような異常に長い灰色の手足が伸びている。

 丸顔であるパグの顔には似つかわしくない妙に細長いシルエットは、見ようによってはスタイルが良いと言えなくもない。

 飼い主の言では、パグをベースにダックスフントとグレイハウンドの身体を継いだデザイナーズ犬らしい。


「ったく、あいつのセンスを疑うぜ」


 とはいえ、こういったツギハギ犬の類はそう珍しいものではない。

 一昔前までは、遺伝子の近い動物でなければ拒絶反応が出るといった症例が数多くあったが、現在の技術ではそういった制約はほぼなくなり、自由度の高い施術が可能となっている。

 ちなみにこうした施術を『肉接ぎ』と言い、身体の一部を切り離すことは『肉剥ぎ』、そうした施術を受けた者をその手術痕から『ツギハギ』と呼ぶことが多い。

 ともあれ、こういった技術の進歩と並行して、自身の愛玩動物にファッション感覚で複数の動物を肉接ぎする者は珍しくない。

 詳しく知らないが、定期的にツギハギペットをお披露目する『デザイナーズペットコンテスト』なるもの開催されているらしい。

 それほど『ツギハギ』は一般的に浸透した技術なのである。


「ほら、俺のことわかるだろ? 飼い主がお前を探してんだ。おとなしくこっちに来い」


 ずらりとツギハギ動物が並んだ景色を掻き消しながら、懐から預かって来たリード付首輪を取り出す。

 しかし首輪を見たツギハギ犬は、突然鼻息を荒くすると、しゃがんでいた俺の頭上をまるで羽でも生えたかのように一足飛びで越えた。


「んな!?」


 グレイハウンドの強靭な足による跳躍。

 振り返ると、路地の出口に立ったツギハギ犬がこちらを挑発するように、ちろちろと舌を揺らしていた。


「おう、ジェニファー。おめえと遊んでる暇はねえんだよ。ほら、残飯なんかより旨いモンを……って、おい!」


 もう一つの預かり物を取り出そうとした瞬間、ツギハギ犬が猛然と賭け出した。

 慌てて路地から出ると、人影がなくなった大通りの先で既に小さくなりかけていた。


「……おいおい、まじかよ。こんな寒い日に追いかけっこなんかしたくねえんだが――よっ!」


 上体を深く沈めた後、強く石畳を蹴る。

 みるみるうちに周囲の景色が高速で流れ出すと、やがて先を走る犬の姿にどんどん近づいていく。

 この猛追に、余裕ぶって背後を振り返っていたジェニファーが驚いたように速度をあげた。


「おうこら! 昔、陸上で鳴らしてた俺から逃げられると思うなよ! ジェニファー!」


 何故か大した思い出もない経歴を持ち出してみるも、狩猟犬の足を継がれたツギハギ犬の速度は全速力の自分よりやや速い。

 寂れた黄昏時の街を全力疾走する二つの影。

 それはさぞかし絵になる光景――なわけねえだろ、この野郎!


「くっそ、あんなバランスの身体で良く走れるな! こら! 止まりやがれ!」


 追走を続けながら、怒鳴り声を上げる。すると声に反応するように、先を行くツギハギ犬が進行方向を変えた。

 住宅街を抜けた先には大きな川が流れている。

 ツギハギ犬は自然堤防となっている河岸の斜面を下り、土手へと向かい始めた。


「へっ、そっちに逃げるか! ジェニファー! 年貢の納め時だぜ!」


 溜めていた脚を開放し、一気に急な勾配を駆け下りる。

 大小まばらな石が散らばる不安定な足場では、靴を履いた人間の方が断然速い。

 その証拠にツギハギ犬は石くれに足を取られ、ブーブーと小さな鳴き声をあげている。


「――おらぁッ!」


 石を激しく蹴り飛ばし、一気に距離を詰める。そして眼前にまで迫った犬の胴に勢いよく覆い被さった。


「ぎゅぅ!?」 

「おとなしくしろ!」


 ダックスフントの胴体を右腕で抱え込み、絞め技をかける。

 バタバタと長い手足を動かして抵抗するツギハギ犬。何度か蹴られつつも徐々に体勢を変え、最終的にチョークスリーパーの形へと移行する。

 そうして完全に身動きを封じると、やがて観念したように歪な体躯から力が抜けた。


「ハフ……ハフ……」


 媚びるような息遣いでつぶらな瞳を向けてくるツギハギ犬。

 俺は空いた片手でリード付きの首輪を取り出すと、素早く接ぎ痕のある首筋に巻き付けた。


「はぁ……はぁ……いっちょ上がり、っと」


 きつくリードを右手に巻き付けてから、ゆっくりと腕を離す。

 解放されたツギハギ犬は精根尽きたようにひっくり返り、ダックスフントの柔らかな毛並みの腹をこちらに見せていた。


「はぁ、疲れた……」


 犬探しの依頼を受けた時点で想定してはいたが、狩猟犬レベルの犬となるとやはり骨が折れるものである。

 俺はひっくり返ったままのツギハギ犬の見遣りながら、路地裏で使いそびれたアイテムを懐から取り出した。


「ほら、運動してまた腹減ったろ? お前の大好物だ。喰えよ」


 真っ黒なリンゴを鼻先に近づける。するとそれまでぐったりと転がっていたツギハギ犬は目にも止まらぬ速さでリンゴに噛みついた。


「はふっ! はふっ! はふっ!」 

「おうおう、さすがは犬っころ。回復早えな」


 くぱぁとパグの口が裂けんばかりに開き、顔にそぐわぬ力強い咀嚼でリンゴをかみ砕いていく。

 依頼主から預かった時は、小型犬の頭でどうやって食べるのかと首を傾げたものだが、よく見ると歯と顎も別の動物の部位に継ぎ変えている。

 俺は内心嘆息しながら、何とはなしに夕暮れに染まった川を視界に映す。

 そこでふと、奇妙なものが紛れ込んでいることに気が付いた。


「……なんだありゃ?」 


 やや距離が離れた川べりに何か大きな白い物体が落ちている。目を凝らしてもここからではよく見えない。

 リードを引くと、食事を終えたツギハギ犬がふんふんと鼻を鳴らしながらついてくる。

 僅かな好奇心。しかし近づくにつれ、好奇は瞬く間に暗澹へと変化した。


「はぁ……またツギハギか……」


 蒼褪めた半裸の少女が半ば川に浸かるように横たわっていた。

 薄い布地から覗く、ところどころ裂傷や打ち身が見られる少女の裸体。見るからにボロボロである。

 更には足元で遊んでいる犬と似た、ギザギザの手術痕が身体のいたるところに浮かんでいた。


「――ったく、今日はひでえ一日だ」


 依頼を終えたと思ったら、今度は少女の死体を発見。こんなことそうそうあるものじゃない。

 事件専門の探偵ならいざ知らず、俺のような雑用中心の探偵には気が重くなる代物でしかない。

 しかし脳髄に染みついた昔の癖で、俺は無意識に少女の顔を覗き込んでいた。


「…………」


 生気が感じられぬ真っ青な顔。肉接ぎ痕が一本、頭から右耳に掛けて斜線状に走っているのが見える。


(……見たところ十二、三歳、か。顔にも接ぎ痕がありやがる)


 とはいえ肉接ぎ手術や栄養失調といった事由を鑑みると、見た目だけでは判断できない。


(まあ、なんにせよガキだ。それにしても、ここまで肉接ぎされてんのも珍しいな)


 ふと犬探しの時に見かけた隻腕のホームレスを思い出す。

 そう――ツギハギ技術は愛玩動物だけではなく、人間の身体でも日常的に行われているのだ。


 肉体移植が発達したこの国において、健康な肉体はそれだけで財産となりえる。

 基本的に身体の部位全てにランクが付けられ、価格設定がされている。

 元々は病気や怪我の人間を救うための医療技術であったが、ジェニファーの例を見てもわかるとおり、最近ではむしろファッションで行われていることが多い。

 故に貧しい者の多くが自分の身体を肉剥ぎ、文字通り切り売りして生活している。

 おそらくあのホームレスも同じ理由で自分の腕を切り落としたのだろう。


 そうした貧しい不健康体、例えば先程のような隻腕の男らにはそのあと二つの選択肢がある。

 一つは安い粗悪な臓器や腕を代わりにつけてもらうという選択。要は自分の身体の下取りである。

 もう一つは肉剥ぎによって無くなった身体の部位に『未分化肉腫』を植え付け、再生を待つというものである。


 未分化肉腫を植え付けた箇所は腕であっても内臓であっても、およそ二ヶ月もすれば元通りになる。

 先程の腕のないホームレスも、あと一か月もすりゃマシになると話していたが、恐らくそういうことだろう。

 再生までは不便なままだが、これにより『肉接ぎ用身体売り』を裏稼業とする事も可能である。


 とはいえ粗悪品に付け替えるにしろ、肉腫から再生させるにしろ、身体への負担が大きいのも事実。

 少女はその負担に耐えられるほどの体力を持ち合わせていなかったのだろう。


(……たぶん身体を売られたんだろうな)


 ほぼ全身に肉接ぎが施されているように見える少女。

 本来の身体はほとんど残されていないだろう。

 おそらくこの少女は人身売買を生業とするブローカーに捕まり、身体の部位をことごとく奪われた後、適当なジャンク品を接がれて捨てられたに違いない。

 身寄りのないストリートチルドレンの末路としては、別段珍しいことでもない。


「……胸糞悪ぃな」


 ポケットから煙草を取り出し、口に咥える。

 何か感じるものがあったか、ジェニファーが蒼褪めた少女の顔をペロペロと舐め始める。

 子供の死体を見るのは初めてでもないが、それでも年端もいかぬ少女がゴミのように捨てられている様は他人事ながら不憫に感じた。


「とりあえず警察に連絡だけはしとくか……って、火がつかねえ」 


 軽くぼやきつつ何度かマッチ棒を箱の側面に擦りつける。

 ようやく頭薬が燃焼し始めると、俺は曲がった煙草の先端に近づけ、大きく息を吸い込んだ。


「ふぅ~……」

 

 そういえば、俺が生まれる何十年も前に禁煙ブームといった風潮があったらしい。

 かつての煙草は健康被害が大きく、強烈な異臭と煙をまき散らす代物で、廃絶運動が盛んに行われていた。

 しかし、ある私立研究所が発明した『健康に良い煙草』によって、状況は一変した。

 遺伝子組み換えで作られたこの煙草は、生の果物を思わせるフレーバーな薫りと、全くと言っていいほど匂いが残らない無臭の煙――

 更には細胞を活性化させ、免疫力を促進するといった触れ込みで瞬く間に世界中に普及した。

 かくいう俺は薫りが好きで吸い始めた口だが、実際に健康になっているかどうかはわからない。

 所詮は嗜好品。害がないだけで十分だろう。


「さて、そろそろ連絡しとくか」


 詮無い思考を切り上げ、慣れ親しんだ白煙を勢いよく吐き出す。

 PDAを取り出して画面を操作する。そしてちらりと一度、少女の顔を見て――


「……は?」 


 少女の死体と目が合う。何時からか、ぱっちりと開いた両目が真っ直ぐこちらに向いていた。

 その瞳は向かって左側が青、もう片方が金色に光っている。

 オッドアイというやつだ。

 思わぬ事態に口からぽろりと煙草が落ちる。


(い、生きている……? そんな馬鹿な)


 どう見ても死体でしかなかった少女。

 さすがに脈までは確認しなかったが、普通こんなボロボロな状態で息を吹き返したりするものだろうか。


(まてよ……そういや、死後硬直や腐敗による膨張で勝手に瞼が開くって話を聞いたことがある。それなら――)


 しかし整った顔を歪ませ、水に浸かった身体を動かそうとする少女を見て、その考えはたちどころに霧散した。


「…………」

「…………」


 突如降って湧いた異常な状況。

 俺はただただ、開かれた瞳に宿る淡い青と金の光を見つめることしか出来ない。

 無言で見つめ合う俺とツギハギの少女。


 日没を告げるカラスの鳴き声と嬉しそうにはしゃぎまわるジェニファーの吐息が妙に大きく聞こえた。

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