第2話 おばあちゃんの初恋
思い出に浸るおばあちゃんに私は尋ねた。
「懐かしい……?じゃあ、これ全部おばあちゃんの?」
「そうよ。おばあちゃんが真弥ちゃんぐらいの頃に貰ったお手紙なの」
「私ぐらいの年に……。――あ、そうだ! じゃあこれって何か知ってるの?」
昔を思い出すように遠い目をしているおばあちゃんに、私はさっき見つけたハサミのようなナイフのようなものを見せた。
「ふふ、何だと思う?」
「んー、ハサミにしては刃が足りないしナイフにしては触っても切れないから何かなぁって思って」
「今の子はこういうものは使わないのかしらね。これはね、ペーパーナイフというのよ」
「ぺーぱーないふ?」
聞き覚えのない言葉に聞き返すと、貸してごらんとおばあちゃんはそれを受け取った。
「こうやって封筒の頭に差し込んで封を開くの」
「へー! そんなのがあるんだ」
「当時は高価なものだったのよ」
「おばあちゃんのなの?」
「ええ。――頂きものだけどね」
そう言うとおばあちゃんは、封筒と一緒に引き出しの中に戻そうとする。
「――ねえ、おばあちゃん?」
「なあに?」
「その手紙って……もしかして、ラブレター?」
「――いやだねぇ」
違うわよ、と言いながらもおばあちゃんは頬を赤く染める。ラブレターであることは、その表情を見れば一目瞭然だ。
「へー! これだけたくさん送ってくれるなんて、おばあちゃんモテたんだね!」
「本当に違うのよ。――これは、幼い頃に離れてしまった幼馴染との文通よ」
「文通?」
ラブレターとどう違うのだろうか? 疑問に思う私におばあちゃんはしょうがないわね、と一通の封筒の中身を取り出した。
そこには――丁寧な字で「お元気ですか?」から始まり、近況やおばあちゃんの様子を尋ねる文章が書いてあった。
確かに、ラブレターとは違う気がするけれど……でも、他のどの手紙の中身もおばあちゃんへの愛情が溢れている様に思えた。
―― お元気ですか。こちらでは庭の桜が咲きました。みっちゃんの家はどうですか? ――
―― こちらは雪が沢山降っています。風邪をひいてはいませんか? ――
── 背が伸びました。みっちゃんも大きくなりましたか? ──
そんな他愛のないやりとりが何通も、何十通も続いていた。
「この頃――この手紙だけが楽しみでね」
「そうなんだ……」
「ポストを開けては届いてる、届いてないで一喜一憂していたのを思い出すわ」
「とっても大切な人だったんだね」
そう言った私の言葉に、おばあちゃんは寂しそうに微笑んだ。
「でも、これだけ熱心に手紙をくれるってことは――相手もおばあちゃんのこと、好きだったんじゃないの?」
「どうだろうねぇ……。そんな話、一度もしたことがなかったから――」
「一度も!?」
散乱した封筒は50通以上あった。やり取りをしていたのであれば往復100通以上……。こんなにも沢山の手紙のやり取りをしていたのに、想いを伝えたことが一度もないというのだろうか。だってこんなの――。
「好きじゃないと、こんなに手紙送らないでしょ……」
「私もそう思ってたんだけどねぇ……。けど、本当に一度もそういう話はないまま――」
「ないまま?」
「文通は終わってしまったの」
「え……」
悲しそうな顔をして、おばあちゃんは目を瞑る。その表情は、遙か昔の何かを思い出しているようで……。
「どうして、終わったか……聞いても大丈夫?」
「――戦争でね。兵隊さんに行かなくちゃいけなくなったんだって」
他の封筒に比べて薄っぺらいそれを迷いなく選ぶと、おばあちゃんは中身を取り出した。そこには、震える手で書いたような少し荒れた字で――戦場に行くことが決まりました――と書かれていた。
「そんな……」
「しょうがないわ……そういう時代だったのだから」
「時代……」
社会の教科書やドラマ、テレビの中でしか見たことのない戦争。なのに、今はこんなにリアルに感じられる……。
書き殴られたような文字と、悲しげに微笑むおばあちゃんの顔を見比べると、なんとも言えない気分になった……。
その手紙を封筒に戻そうと折りたたんだとき……私は、気付いた。
「あれ……もう一枚?」
その一言だけかと思った手紙は、二枚目に続きがあった。
―― もし僕が戦場から帰って来られたらその時は、会いに行ってもいいですか? ――
「おばあちゃん……」
「ええ……でもね、戦争が終わっても彼は帰って来なかったの」
「そんな……!」
そんな悲しい事って……。言葉が出ない私に、おばあちゃんは優しく微笑む。
「戦争が終わって10年待ったわ。でもね、彼の消息は不明のままだったの。――その内、風の噂で彼が亡くなったと聞いたわ」
「亡くなった……」
「――そんな時だったの。親の薦めもあっておじいちゃんと出会ったのわ」
「え……」
「もちろん最初は断ったわ。どうしても彼のことが忘れられなかったから。でも、そんな私でもいいと――全てを受け入れた上でおじいちゃんは結婚しようと言ってくれたの」
「おじいちゃん……」
「だからね、おばあちゃんは幸せなのよ」
幸せ、と言うけれど……手に持った封筒とペーパーナイフをもう一度引き出しの中に戻すと、愛おしそうな……そして悲しそうな顔でおばあちゃんは引き出しを撫でた。
「――そのペーパーナイフも、もしかして……」
「ええ。別れ際にね、彼がくれたものよ。お小遣いなんかで到底買えない物なのに……この刃が錆びるまでには、もう一度会いに来るからって――そう言って……」
でも、会いに来ることはないまま――ペーパーナイフだけが錆びていった。おばあちゃんの初恋と一緒に。悲しくて……切ない……。
「初恋の相手が……戦争で死んじゃうなんて、悲しいね……」
「それがね、一度だけ彼から手紙が届いたの」
「えっ!? 死んだんじゃなかったの!?」
「――人の噂なんてあてにならないものね」
おばあちゃんの気持ちを考えると涙が溢れそうになってくる――なんて思っていた私に、おばあちゃんは苦笑いをしながら言う。
「生きてたんだ……」
「ええ。……おじいちゃんと結婚して真弥ちゃんのお母さんが産まれて数年後、一通の手紙が届いたの」
「手紙?」
「どうやって知ったのか、新しい住所に――そして、かつての私宛に」
「なんて、書いてたの……?」
思わず前のめりになって聞いてしまった私に、おばあちゃんは静かに答えた。
「そこには一言だけ。――あなたは今幸せですか? と書かれていたわ」
「……なんて、返したの?」
「――幸せです。そう返したわ」
「……それで?」
「――それでおしまい。それっきり連絡が来ることもなかったし、私もそれ以上何かを送ろうとは思わなかった。だって――おじいちゃんがいて、あなたのお母さんがいて……本当に幸せだったから」
そう言っておばあちゃんは幸せそうに笑う。幸せだったから――そう言うけれど、本当に?本当におばあちゃんは幸せだったんだろうか。だって――捨てられないほど大事な思い出だったから、ここにこうやっておいておいたんじゃないのか……。そして、また思い出に封をして机の中にしまってしまうんじゃあ……。
「そんなのって……」
「ん?」
「――ううん、なんでもない……」
だからと言ってどうしようも出来ない。だって、何十年も昔の話で――あの頃少女だったおばあちゃんは今こうやって年老いていて……おじいちゃんだっていて……。
「……真弥ちゃん?」
「――ごめん、ちょっと疲れちゃったから外で風に当たってくるね」
「ええ、わかったわ。……気を付けてね」
おばあちゃんに謝って廊下に出ると、私はそっと襖を閉めた。――完全に閉まる前に見えたおばあちゃんの背中は、どこか寂しそうに見えた。
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