第3話 おじいちゃんと秘密の思い出


「んー……!」


 外に出て伸びをすると、空気が澄んでいて気持ちがよかった。


「なんか、悲しいなぁー」


 好きな人と、きっと両思いだっただろうに気持ちも伝えられず終わるなんて……。そんな悲しい恋の結末……。時代だからしょうがない、そんな風に言われてもやりきれない気持ちになる。


「――あっ!」


 玄関から庭の方に向かうと大きな桜の木が目に入った。もうすでに満開に近いぐらい咲いたそれは風が吹く度に花びらを散らしていた。ひらひらと舞い散る桜の花びらに手を伸ばすと、そのうちの一つが私の手に乗った。


「すごーい! 桜の木があるのは気付いてたけど…こんなに大きいなんて――入ってきたときは分からなかった!」

「――なかなか凄いだろう」

「っ……!? お、おじいちゃん!?」


 後ろから突然声をかけられた私は、慌てて振り向くと――そこには目を細めるようにして桜の木を見つめるおじいちゃんの姿があった。


「あービックリした! 誰かと思ったよ」

「すまないね。そこの片付けをしていたら真弥ちゃんが庭の方に行くのが見えたから」


 そう言いながらおじいちゃんは、縁側に座る。つられて私も座ると、そこからは桜の木がよく見えた。


「――――」

「おじいちゃん?」

「ああ……懐かしいな、と思ってね」

「え……?」


 優しい目で桜の木を見つめるおじいちゃんは小さな声で言った。


「子どもの頃、よくここで遊んだものじゃ。――ばあさんと一緒にな」

「子どもの頃……?」

「今の真弥ちゃんよりももっともっと小さい頃の話だよ」

「それって……まさか手紙の……?」

「――よく知っているね」


 おじちゃんは驚いたような表情を見せた後、ばあさんに聞いたのかい?と私に言った。


「そうか……。ばあさんには内緒じゃよ」


 頷く私にそう言いながらおじいちゃんは、悪戯がばれた子どものような表情で笑う。


「どうして言ってあげないの? おばあちゃんは――」

「…………」

「おじいちゃん……」

「言う機会がなくてな……」

「そんな……!」

「それに――今更言う必要もないだろう。……ばあさんが、幸せだと言ってくれたからそれでいいと思っているんじゃ」

「おじいちゃん……」

「例えそれが強がりや当て付けだったとしても……嬉しかったんじゃよ」


 おじいちゃんは幸せそうな顔で笑う。でも……。


「でも、じゃあおばあちゃんの気持ちはどうなるの?」

「真弥ちゃん……」

「だって、好きな人とはもう会えなくて……それで……」

「――そうじゃな」

「おじいちゃんは大好きなおばあちゃんと一緒にいられるからいいけど、おばあちゃんは……!」


 そこまで言った後、おじいちゃんが悲しそうな顔をしているのに気付いた。言い過ぎた――。おじいちゃんにだって何か事情があるかもしれないのに……。


「ごめんなさい……」

「いや、真弥ちゃんの言う通りじゃよ。――わしは結局……自分自身の亡霊に、ずっと怯えて生きてきたんじゃ」

「え……」

「いつか、ばあさんがやっぱり忘れられない人がいるんです――そう言いだすんじゃないかってな」

「そんな……」


 だって、それはおじいちゃんのことなのに……! そう言おうとする私の頭をおじいちゃんは優しく撫でる。分かってる、と言わんばかりに……。


「わしも本当は何度も伝えようと思ったんじゃ。――けど、言えなかった」

「どうして……」

「――そういう約束だったんじゃ」

「約束……?」

「…………」

「どういう……?」


 おじいちゃんは淡々と話し始めた。戦争が終わって帰ってきたおじいちゃんの実家はもう焼けてなくなっていたこと。次男だったおじいちゃんは養子として遠い親戚の家に貰われていったこと。その時に、例え養子といえど家を継いだ以上は過去のことは全部忘れるようにと言われたこと……。それが守れないのであれば――。


「そんな……」

「でも、どうしてもばあさんのことが忘れられなくて……ツテを使って縁談を申し込んでもらったんじゃ」

「え……」

「女々しいと笑われることもあったけれど……後悔はしとらんよ。ただ、ばあさんには申し訳ないことをしたと……思っているがね」


 悲しそうな顔でおじいちゃんは笑った。


「もう――伝える気はないの?」

「――今更、どんな顔して言えと言うんじゃ……」

「だって……」

「いや、真弥ちゃんの言う通りなのは分かっている。もうかつての約束を知る者もいない。今なら――」

「じゃあ……!」

「じゃがな……」


 おじいちゃんは私から視線を逸らすと、ポツリと言った。


「恥ずかしいじゃないか」

「え……」

「今更、実はわしがあの時の少年でした――なんて……どの面で言えばいいのか、分からんよ」


 その瞬間のおじいちゃんは、まるで小さな少年のように見えた。

 私だけが知ってしまったおじいちゃんとおばあちゃんの秘密に……私はどうすればいいのか分からないけれど、このままでいいのだろうかと――そればかりが頭の中を駆け巡っていた。

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