第六章 処刑人
ヴァンが死んだ日から、雪は降っていない。けれども、あの日から冬は一気に厳しさを増したように感じる。
彼の葬儀はひっそりと行われる予定だったが、死に場所ゆえに町の人々にはすでに知られており、彼らの希望で盛大な葬儀が行われてしまった。結果としてその死は、ローワン中に知れ渡ることとなった。
それを知ったことにより、各地の革命家たちは一気にその動きを鎮静化させた。代わりに台頭してきたのが、王党派。すなわち、革命前と変わらない支配を望む者たちである。
彼らはヴァンの死を契機に、ロワ一五世たちを解放すべく、革命軍との戦いをはじめた。勢いは王党派にあり、革命軍の規模は日に日に減少していった。
このままでは、革命前の日々に戻ってしまう。
脅威を感じた民衆は、ある望みを持つようになる。
それは、王党派の象徴を消し去ること。すなわち、王族の処刑であった。
象徴たる存在がなくなる効果は、革命を望む人々は身をもって知っている。
さらには、ヴァンが死にながら、王族が生き残っている状況が許せなかったのだろう。
その思いは理解できた。だが――。
たった一人残された議場の椅子に腰かけながら、マレーは深く息をはいた。
「どうして……こんなことになってしまったんだ」
今日の議会においても、話し合いはもはや王族を政治参加させるべきか否かではなく、王族を処刑すべきか否かになってしまった。
今や、革命を志すものすべてが、王族の命を奪うべきだと考えているといっても過言ではない。
なぜ、急にここまで変化してしまったのだろう。
――いや、きっと急ではなかったのだ。
民衆にとって、王族は不満を向ける憎しみの対象だった。だが、同時に自分たちを導く偉大な存在でもあった。だからこそ、これまでは怒りを覚えながらも、王族に逆らわなかった。
それを変えたのが、ヴァンだ。彼の存在は王族と同等、あるいは上回るものだった。彼がいてくれれば、なんとかなる。そうして、王族の威光が鈍っていた。
しかし、彼がいなくなったことで、民衆の間で、王族は再び大きな存在となった。
今、人々の心には様々な思いが渦巻いているだろう。
ため込んでいた王族への不満。偉大な存在への恐怖。それに逆らった後悔。
それらの複雑な感情を、一挙に解決する方法がある。それが、王族の処刑。
しかもそれは、現在台頭しつつある王党派に大打撃を与えられる。
だから、みんなの気持ちは理解できるのだ。理解はできるが――。
「私は……どうしたらいいんだ……」
マレーは、頭を抱える。ヴァンがいたら、泣きついてしまいたかった。いや、彼がいればこんな事態にはなっていないか。
人々は、ヴァンの代わりとなる英雄を求めてもいた。マレーをその位置に押し上げようという動きもある。
だが、自信がなかった。かつての親友のように、人心を集める自信が。
「教えてくれ、ヴァン……。私は、どうしたら……」
王党派は、ヴォスタニエ王国の支援を受けているという噂もある。国内の混乱をこのままにしておけば、外国から攻められることになるかもしれない。
そんなことになれば、王政に戻るどころの話ではない。最悪の場合は、属国となってしまうのだ。
時間はない。だから、早く決断しなければならない。
けれども、王族を処刑するということは、友の父を手にかけることになる。あるいは、その友自身をも。
「くそっ!」
乱暴に、机をたたく。静まり返った議場に、乾いた音が響いた。
「なぜ、死んだんだ、ヴァン! 君だって、わかっていただろう!? 私なんかに、英雄の器がないことぐらい……!」
ルフォー砦での、ヴァンの姿が頭をよぎる。トロンヌ王宮を攻める決意を人々に語るその様は、まさに英雄のそれだった。
そういえば、あのときに思ったのだ。英雄とは、誰よりも汚れた存在なのかもしれないと。自分にも、そのときが来るのかもしれないと。
「――それが、今なのか?」
クリスの顔が、よみがえる。国のためなら、己が身すら危険にさらす男。
彼なら、わかってくれるだろうか。いや、わかってくれるはずだ。
マレーはゆっくりと顔をあげる。その瞳は、まっすぐに何かを見据えていた。
「……許せよ、ヴァン。君の築き上げてきたものを無駄にするわけにはいかないんだ」
その日は、厚い雲によって日が遮られ、寒さが一層厳しかった。
サントリアの町のはずれ、赤い外壁の家を背にしながら、シオンは空を眺めていた。
空気がどことなく湿り、今にも雨か雪が降ってきそうだ。
雨や雪で、中止になればいいのに――。
黒いコートの裾を握りしめながら、そんな子供じみたことを考えてしまう。
今、彼は自宅の前で迎えの馬車を待っていた。処刑場へと向かう馬車を。
振り返り、コンダーナ家が代々使う自宅を見る。
赤く塗られた外壁は、その家が処刑人の家であることを、周りに知らせるためのものだ。誰も、「死神」の隣人になりたいとは思わない。だから、このあたりに他の民家はない。
「……とうとう、この日が来たんだ」
もっと動揺するかと思っていた。だけど、想像以上に自分は落ち着いている。
たぶん、覚悟していたんだ。ヴァンが死んだ、あのときから。
迎えの馬車がやってくる。シオンは無言で、それに乗り込んだ。
馬車はマニフィケア宮殿に向かい、死刑囚をそこで乗せる。シオンに、処刑の日取りが伝えられたのが一昨日。おそらく昨日は、身支度を整えたことだろう。
現れたロワ一五世を見て、シオンは絶句した。
シオンの記憶にある彼は丸々と太っていて、赤毛の下にのぞく顔には、いつも尊大な笑みがあった。
だが、今の彼はどうだ。頬はこけ、髪は白く染まっている。その顔には、なんの表情も読み取れない。ただ、服だけは金の刺繍などがはいった立派なものを着ている。
死刑を前に様子が変わる人間は何人も見てきたが、ここまで変化してしまった人間ははじめてだ。
シオンは呆然とその様子を眺めていたが、やがてはっとする。
「……行きましょう」
死刑囚に対しては、最大限の礼儀をもって。それが、シオンの流儀だった。
馬車に乗り込んでからも、二人の間に会話はなかった。中には、ここで家族への遺言などを託してくる人間もいるのだが。
処刑場の周りは、人でごった返していた。いつも見物人はいるが、今回はまさに足の踏み場もない状態だ。
あまりの人の多さに、圧死する人間もいる、と父から聞かされたことがあったが、これならば、ありえない話ではないと思える。
馬車を降り、ロワ一五世を処刑台へと導いていく。民衆からは、王への罵声がとんだ。
ちなみに処刑方法は、平民は絞首刑、貴族は斬首刑と身分によって分けられている。
これは、貴族の誇りを尊重してのものだ。斬首は想像以上に難しいものであり、抵抗されたりして狙いがずれれば、余計な苦しみを与えることになる。
しかし、普通の人間ならば死の恐怖を前に抵抗しないことは難しい。だから平民は斬首刑ではなく、絞首刑に処される。
対する貴族は死を前にしても、堂々としているはずだから、斬首でも問題がないというのだ。
実際、貴族には抵抗を示さない人間が多い。それは、彼らの最期の意地なのだろう。
だがシオン個人としては、抵抗し、泣き叫べばいいのにと思う。堂々と死んでしまうからこそ、死刑がある種厳かなものになってしまう。恐怖を露わにして死んでいくものが多ければ、皆がその残酷さに気づくかもしれないのに。
ロワ一五世も、処刑台に上ってから、騒いだりはしなかった。あるいは、その気力もなくなっていたのかもしれないが。
シオンは用意されていた剣をとる。眼前にさらされた首を見ながら、呼吸を整える。
せめて苦しみなく死ねるように――。
その思いだけで、シオンは剣の腕を磨き続けた。今では、自信すらある。
周りを囲む人々が何事かを叫んでいるが、もうシオンの耳には入らない。
言い残す言葉もないのか、ロワ一五世はただ黙して終わりを待っている。
「どうか、よき旅路を――」
はなむけの言葉と共に、シオンは剣を振り下ろす。肉に触れた感触があったが、それも一瞬。剣を振りきり血を払った時には、王の首は胴体と分かたれていた。
おそらく、苦しみを感じる暇もなかっただろう。あるいは、処刑されたことにも気づかなかったかもしれない。
民衆も、あまりの早業に呆気にとられたのかシン、と静まり返った。
静寂を背景にしながら、シオンは王の首を拾い上げる。斬った首を、民衆の前に見せるのが、処刑の流儀であった。彼は、決してそれを好まないが。
首を示すと、ようやく人々は処刑人を称える声をあげ、両の手を打ち鳴らしはじめる。
それは、一つの時代の終わりを告げる声でもあった。
これからは、民衆を中心とした国づくりがはじまる。だから、喜んでいいはずなのに。
そのときのシオンの胸に去来していたものは、喜びではなく不安であった。
サントリアの議場は、連日見物人であふれかえっていた。彼らの目的は、国の未来を話し合う議会を見学すること。特に、一人の議員の姿を見ることであった。
その人物が出てくると、見物人の一人が声をあげた。
「おい見ろ! 我らが英雄のおでましだ!」
彼は、王族の死刑を断行した功績から、人々に英雄として崇められるようになった。
男につられて、民衆は英雄の名を合唱する。
「マレー! マレー!」
議場が揺れんばかりの声の波。マレーは軽く手をあげてそれに応えてから、落ち着いた声音で言い放つ。
「――静粛に。これより、議会をはじめます」
たったそれだけの言葉で、それまで騒いでいた見物人たちが一斉に口をつぐむ。
その様子を目の当たりにして、マレーは内心、感動に打ち震えていた。
自分の言葉に多くの人間が従ってくれる。それこそ、かつてのヴァンのように。
それが、こんなにも気持ちのいいものだとは思わなかった。
――やはり、自分の考えは正しかった。
英雄とは、誰よりも汚れた存在なのだ。そして、民の声を叶える存在なのだ。
思えば、ヴァンがそうだった。彼は誰より汚れようとした存在であり、民の望んだ英雄像そのままの存在だった。
それなら、あとは簡単だ。手を汚すことを恐れずに、民の望みを叶え続けてやればいい。
そうすれば、自分は英雄であり続けられる。あるいは、さらなる名声を得られるかもしれない。
そしてそれは、国を手早く一つにまとめることにもつながる。
――安心してくれ、ヴァン。この国は、私が導いて見せる。
マレーの胸の内は、前途への期待と希望でいっぱいであった。
人々が革命の熱にうかされているうちに、年は変わり、統暦一〇一三年となった。いまだに寒い日が続いているが、外を歩く人々の表情は明るい。
ただ一人、赤いシミのついた黒のコートを着た男だけが、暗い面持ちで歩いている。石畳の道は、敷き詰めたように多くの人間が行きかっているが、彼の前には不思議と隙間ができている。
それは人々が、彼の正体を知っているからだ。彼が、死刑執行人であることを。
男――シオン・コンダーナは無関心を装いながらも、周りの様子を観察していた。
避けられるのはなれっこだが、最近は向けられる視線が少し変わってきたような気がする。以前までは明らかな軽蔑であったが、今はむしろ畏敬の念のようなものすら感じる。
王を処刑したことで、見る目が変わったとでもいうのか。悪を罰した悪は、正義だとでもいうのか。
だとしたら――くだらない。
別にシオンは、避けられたいといっているのではない。ただ、自分のような存在が称賛されることがあってはならないとも思っている。
それとも世間は、処刑人にすがりついてまで、英雄の後継者を求めているのだろうか。
いや、後継者ならすでにいるではないか。
その人物に呼び出され、シオンは彼の自宅へと向かっているのだ。
ヴァンが亡くなってからは、ほとんど会うこともなかったため、一度ゆっくり話したいと思っていた。
近頃の彼は、どこか危うい気がする。ロワ一五世の処刑に続き、シオンは王党派の人間三人に手を下している。それらはすべて、彼の指示だった。
サントリアの町の中心部、下級貴族が多く暮らす区域に、マレーの自宅はある。大型の家が建ち並ぶ中で、その隙間にたたずむこじんまりとした質素な白い外壁の家がそれだ。周りの家が、窓などに装飾を施すなか、この家には何の遊びもない。
平民の彼が、こんな区画に住んでいるのも、別にきらびやかさに憧れたわけではなく、仕事場に近かったかららしい。
ちなみに、革命がはじまる前、彼は弁護士をやっていた。
罪を犯したものが、死刑に処されないように立ちまわっていた男が、今では死刑を指示する側とは――。
玄関の扉をノックすると、マレーはすぐに出てきた。心労などからやつれているかとも思ったが、顔の血色は非常によかった。むしろ、眉間の皺も薄い気がする。
「よく来たな。あがってくれ」
促されるまま、シオンは家に上がる。マレーの家に入るのは、はじめてのことだった。部屋はそれほど広くないはずだが、床に物を置いたりせず、きちんと片づけられているためか、実際より広く見える。
「いったい何の用だい? 君が、直接話なんて……」
死刑執行の知らせすら、部下に持ってこさせていたのに、とにらみつける。だが、マレーは意に介していないようだ。
――やはり、おかしい。
以前の彼ならば、相手の表情などから言いたいことを察していたはずだが。
「実は、君に新たな役職名を名乗ってもらおうと思ってな」
「新しい役職名?」
シオンは怪訝そうに眉を寄せる。
「死刑執行人というのでは、あまりいい印象は抱かれないだろう。政治体制が変わるのを機に、名称を変えてはどうかと思ってな」
「僕は、名前に興味なんて……」
「そう遠慮をするな。君だって、人から疎まれるのを嫌がっていただろう。一応、議会では『断罪騎士(シュヴァリエ・ドゥ・コンダナシオン)』という形で、まとまりそうになっている。どうせだから、君の名前を拝借させてもらった。少々安直だが、わかりやすくていいのではないかな?」
「騎士……?」
何気なくマレーが放った単語に、シオンは目を剥いた。騎士とは、全ローワン国民にとっての憧れだ。おいそれと用いてよい称号ではない。それを、マレーは平然と口にしたのだ。
「騎士……騎士だって? 騎士は、王から授かる称号だ。王が殺した僕が騎士だなんて、それこそ悪い冗談だよ」
「……君は勘違いしている。ローワンの騎士は王に仕えているわけではなく、国に仕えているんだ。これまで王は、その国を代表するものとして称号を与えてきた。だが、これからは違う。これから国の運営を担うのは、我々国民議会だ。そして我々は君の仕事を評価し、騎士としての称号を託す。……さて、なんの問題がある?」
まるで支配者のように、上から見下ろした態度で、マレーは自論を語った。
シオンは、開いた口がふさがらなかった。別に、反論の余地がなかったとか、そういうわけではない。ただ、変わってしまった友人に驚き、呆れていた。
「……もし君が国の運営を左右できるというなら、死刑を廃止にしてくれ。僕にとっては、それが一番だ」
名前が変わることに、意味なんてない。むしろそれは、死刑を助長するのではないか。だとしたら、そんな話を受けるわけにはいかない。
率直な意見をぶつけると、マレーの眉間の皺が深くなる。
「……すまないが、それはできない。国を安定させるためには、まだ粛清しなくてはならない連中がいる。それに、人々もそれを望んでいる」
つまり、マレーはまだまだ処刑を続けるというのか。残酷な宣言に、シオンは背筋を震わせた。
「もっと……誰も傷つかずにすむやり方はないの?」
「やはり、君は甘いな。なぜ、そんなにも手を汚すことを拒むんだ? たしかに、大義なき殺人は唾棄すべき悪行だ。だが、君の行いは違うだろう。処刑は、国の法律に基づいて行われる、正義の行為だ。戦争と同じさ。大義の名のもとに、多くを殺した人間が英雄になる。ましてこれからの君は、騎士としてそれを行うんだ。きっと、誰もが君を称えるだろう」
マレーは何かを思い出し、どこか恍惚とした表情を浮かべる。おそらくは、彼自身が英雄として崇められた瞬間を思い出しているのだろう。
「処刑は、疎まれるべき行為だよ。だから、僕は英雄になりたいとは思わない」
人から軽蔑されることは辛い。認めてもらいたい願望だってある。だけど、それ以上にシオンは死刑という制度が憎かった。皆が、あれの残虐性を理解するためなら、自分はいくら嫌われたっていい。そういう覚悟があった。
「……そうか。私としては、君の精神的疲労を軽減しようと思ったのだがな。仕事自体は、続けてくれるんだろうな?」
「ああ。他人に譲り渡す気はないよ」
別に、この仕事のことは好きではない。しかし、同時にプライドも持っている。
シオンの力では、死刑の判決を覆すことはできない。だが、死ぬ瞬間の苦痛を和らげることぐらいはできる。その技術は、一朝一夕に身につくものではなく、自分以上の技量を持った人間もいないと確信している。
それに、この仕事は精神的苦痛が尋常ではない。かつて一人の男が、処刑人に代わって処刑を執り行おうとしたことがある。しかし、衆人に煽られながら、人を処刑するというプレッシャーに耐え切れず、剣を振り下ろすと同時に、突然死してしまったという。
死刑執行人は、そうした精神的苦痛と隣り合わせなのだ。だからこそ、やすやすと他人に譲り渡していい仕事ではないし、譲り渡す気もない。
「そう聞いて安心したよ。――次の仕事だ」
マレーは不気味に笑いながら、一枚の紙を手渡してくる。そこには、次に死刑を執行される死刑囚の名前とその罪状が書かれている。これまで幾度となく、目を通してきたものだ。
何気なく、そこに記された名前に目をやり、シオンは息を詰まらせた。
「ロワ……クリストフ・ラフィーヌ?」
何かのまちがいであってくれ。
そんな思いをこめて、マレーへと確認の視線を投げかける。けれども、マレーは眉一つ動かさない。
「何かの……まちがいじゃないのか?」
自分たちは、クリスと一緒に国をつくりかえるためにがんばってきたのだ。なのに、その彼を殺してしまうなど、本末転倒ではないか。
「……国民が望んだことだ。クリスのカリスマ性は、ヴァンに比肩する。彼が生きていれば必ず、彼を王としてまつりあげようとする者たちが出てくるだろう。国を安定させるためにも、彼には死んでもらわなくては」
感情をほとんど感じない声音に、シオンは体の芯が冷えた気がした。
どうして、そんな物言いができる。親友を、まるで敵のように。
「君は……どうして、そこまで冷酷になれるんだ……!」
「――ヴァンのため。ひいては、この国のためだ」
即答され、むしろシオンのほうが言葉を継げなくなる。
「……かつてヴァンが言っていた。私たちは、最後まで走り抜けなければならないと。しかもこれは、時間との戦いでもある。国内でのもめ事を長引かせれば、ヴォスタニエなどの他国から、狙われることになるからな。だから、私はためらわない。国をまとめあげるためなら、なんだってやってやると決めたんだ」
――ああ、そういうことか。
彼は変わったのではない。覚悟を、決めてしまったのだ。
かつてのシオンが、父親の死をきっかけに、処刑人らしい振る舞いを身に着けたように。
だとしたら自分には、マレーを止めることなどできはしない。
大切な誰かを失い、それでも前を向くことを決めた苦しさを、誰よりも知っているから。
だからシオンには、唇をかみしめることしかできなかった。
マレーの家を出ると、外はすっかり夜になっていた。晴れてはいるものの風があるせいか、コートを着ていても冷える。
通りを歩いていると、クリスの処刑の噂が耳に届いた。二人が話している間に、国民議会のほうから発表があったらしい。普段は、こんなに早く、しかも大々的に発表されることはない。よほど、多くの人間に知らせたいのだろう。
なにか面倒に巻き込まれてもやっかいなので、シオンは足早に町の中を駆けて行く。
町のはずれ、自宅近くまで来たとき、妙なことに気づいた。
月明かりに照らされ、不気味にたたずむ赤い外壁の家。その前に、一つの人影がある。
目を細めてよく見れば、それは女性のようだ。それも、知らない女性だ。
一体、何の用だろうか。わざわざこちらに来たということは、医者としてのシオンではなく、処刑人としてのシオンに用があるということか。
今のタイミングで来るということは、クリスがらみか。これまでも、死刑囚の家族などがたずねてくることはあった。
「……こんばんは」
警戒心をはらみながらも、できるだけ人当たりのいい顔で、シオンは声をかける。
女性は、小さくだが金の刺繍が入った服を身にまとっていた。地方の小貴族の娘といったところだろうか。シオンにおびえた様子だが、その瞳には何かしらの決意の色があった。
「僕に、何か用ですか?」
「あの……」
女性が、何かを言おうとしたとき、背後に人の気配がした。振り返ろうとした瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走る。
「が……」
何かでなぐられた。そう直感するとともに、景色が揺らぐ。
意識が一気に薄れていく中で、何人かの男が近づいてくるのが見えた。
「く……そ……」
死刑執行人は、恨まれがちな職業だ。だから、こんな目にあうことも覚悟はしていた。だけど、それが今だなんて、さすがに思ってはいなかった。
目覚めると、視界には見覚えのある風景が広がっていた。立派な調度品に、汚れひとつない壁や床。外観のおぞましさと違い、あまりにきれいで生活感のない空間。まちがいなく、シオンの家の中だった。
どうやら、椅子に座らされているらしい。手に力をこめてみるが、うまく動かない。感触からするに、縄でしばられているようだ。
後頭部はいまだに痛むが、それ以外に痛みは感じない。意識のない間に、何かをされたということはなさそうだ。
「……目覚めたか」
シオンの視界に、男が入ってくる。若い男だ。年齢は、二〇代後半といったところだろう。先ほどの女性と同じく、金の刺繍が入った服を着ている。この男も、小貴族だろう。ほかにも三人の男がいるが、彼らの着ているものは、汚く粗末だ。傭兵、だろうか。
貴族らしき男から敵意は感じるが、問答無用というほどでもない。話す余地があるだけ、まだマシか。
「……命乞いでもしたほうがいいのかな?」
「そんな必要はない。ただし、君が我々に協力してくれる場合に限るがね」
後ろの男たちが、ナイフをきらめかせる。シオンにとってそれは、大した脅しにはならないが。
「僕に何をしろと? あいにくだけど、できることは限られているよ?」
凶器をちらつかせても平然としているシオンに、刃物を持った男たちのほうがざわつく。ただ、頭らしき貴族だけは落ち着いていた。
「問題はないよ。我々が要求するのは、何もしないことだからな」
「……?」
首をかしげるシオンを見て、男はかすかに笑った。
「順を追って説明しよう。まず私は、カミーユという。王党派の人間だ」
王党派、という単語に、ぴくり、とシオンの眉が動く。それだけで、話の見当はある程度ついた。
「我々は、クリストフ殿下の救出を考えている。決行は、殿下の処刑当日だ。その際、君は一切の抵抗を見せず、我々に殿下の身柄を渡してもらいたい」
思わず、シオンは拳を握りしめていた。彼にとっては、願ってもない展開だ。クリスを殺さずに済むなら、そのほうがいいに決まっている。
「わかった。君たちに協力するよ」
「……そうか。即答してくれるとは意外だったな」
逃れるために答えているのではないか。そう疑われても、たしかに仕方がない。
「今回の処刑については、僕も思うところがある。クリスには、死んでほしくないんだ」
相手の目をまっすぐに見据え、内にため込んだものを吐き出す。それを聞いたカミーユは、しばし目を閉じ、考えているようだった。
やがて、シオンの縄をとく。
「……信用しよう。君が殿下と親しかったことは、こちらでも調べがついている。手荒な真似をしてすまなかった」
深々と頭を下げられ、シオンは驚いてしまった。死刑執行人に頭を下げようなんて人間は、まずいない。まして、彼は貴族だろう。こんな人もいるのだ、と少しだけうれしくなる。
「……君たちこそ、失敗すれば死は免れないよ。その覚悟はあるの?」
「無論だ。この国のために、全力を尽くす」
カミーユの声音からは、ぶれない信念のようなものが感じられた。それほど似ているわけではないはずなのに、なぜかヴァンを思い出した。
「君たちが目指す国は……以前と同じ王政なのかい?」
「いや。王党派も一枚岩ではなくてな。私たちは、王と議会が一丸となって国を運営していくべきだと考えている」
「そうか……君たちの成功を、祈っているよ」
言葉だけではなく、考え方まで似ているのか。もしかしたらまだ、踏みとどまることができるのかもしれない。
こぼれそうになる涙をこらえ、シオンはカミーユに希望を見出していた。
クリスの処刑当日、それを悲しむかのように、冷たい雨が打ちつけていた。環境としては最悪だが、それでも処刑は決行される。
泥道を進む馬車の歩みは遅く、ときおり車輪がぬかるみにはまり、止まってしまう。
――まるで、今の自分の心のようだ。
クリスを殺したくない。本当に助けることなんて可能なのか。この馬車が、クリスのもとに一生たどりつかなければいいのに、なんてばかげたことまで考えてしまう。
しかし、現実は無情だ。かなり時間をかけながらも、馬車はマニフィケア宮殿にたどりついた。
馬車を降りて、連れてこられる死刑囚を出迎える。この前のロワ一五世は、目も当てられないほど衰弱していた。死を前にした人間は皆似たようなものだが、クリスはどうか。
水たまりを踏む音がして、シオンはそちらに向き直った。そこには、二人の男に伴われ、こちらに向かって来るクリスの姿があった。
その様子を見て、シオンは目を瞠った。背筋はピン、と伸びており、その足取りに迷いはない。以前よりも少しやせたものの血色はよく、シオンの存在に気づくと、笑みさえ浮かべてみせた。
「やぁ、シオン。あいにくの空模様だね」
高貴さと親しみやすさと。同居するはずのない二つの印象が、彼からは感じられる。本当に、不思議な男だ。その場にいるだけなのに、引き込まれる。
「……ああ。立ち話もなんだし、馬車にどうだい?」
「それもそうだね。君が、話し相手になってくれるんだろ?」
「僕でよければ、よろこんで」
処刑人としても、医者としても、シオンは死に瀕した多くの人間を見てきた。その中に、ここまで堂々としていた人間がいただろうか。
馬車に乗り込んでからも、クリスは落ち着いたものだった。むしろ、シオンのほうが落ち着かない。
カミーユたちは、どのタイミングで行動を起こすかなどの詳細は教えてくれなかった。そこまでの信頼は得られなかったということだろう。
ただ、仕掛けやすいのは馬車での移動中だろう。護衛はいるものの、その数もそれほど多くない。
処刑台のある広場についてしまえば、そこは人でごった返している。それこそ、足の踏み場もないほどだろう。しかも、その多くがクリスの死を望んでいるはずだ。王党派の彼らにとっては、敵陣の真っただ中にとびこむようなもの。それなら、処刑台につくまでに仕掛けてくるはずだ。
「昨日の夕飯でのことだけどね、僕のところにだけナイフもフォークももらえなかったんだよ。僕が自殺をするんじゃないか、なんて思ったのだろうけど、失礼な話さ。意気地なしだと思われてるということだからね。――って、聞いてるのかい? シオン」
クリスに声をかけられて、ハッとする。カミーユたちのことばかりを気にかけて、目の前の親友に気が回らないとは、情けない。
でもやはり、クリスを逃がすことで頭はいっぱいだった。
「――クリス。ここから、逃げ出す覚悟はある?」
いくらカミーユたちががんばっても、クリス自身に助かりたいという意思がなければ、逃走は難しくなるだろう。そもそも、彼らが浮かばれない。だから、クリスの気持ちを確かめておきたかった。
「……君が連れ出してくれるとでもいうのかい?」
「いや。僕は、何もしないことを約束してるだけだよ」
それを聞いたクリスは目を丸くし、それから大きく息をはいた。それは安堵か、落胆か。
「……なるほど。君の様子がおかしかったのは、そのせいか。僕が言うのもおかしいかもしれないけど、シオン。あまり、希望を持つべきじゃないよ」
親友の目は、明らかに醒めていた。そして、遠くを見据えていた。自分の生死すら越えた、さらにその先を。
「クリス……君は、生きたいとは思わないのか?」
これまでにも、「さっさと殺してくれ」なんて嘯く者はいた。だが、そんな人間も、本当に死を間近にすると、決まって生きたいという願いを口にした。だからクリスも、希望がチラつけば、そう口にすると思った。むしろ、そうしてほしかった。
「……僕はずっと、この国が変わることを願ってきた。今ようやく、ようやくそれが達成されようとしているんだ。あとは、古き象徴を消し去ることで、この国は一新される。この処刑は僕が王族として、最後に果たすべき責務なんだよ」
「クリス……」
ヴァンと同じだ。目の前のこの男は、自分の命を自分一人のものではなく、みんなの、それこそ国民のものだと思っている。だからこそ、国のために差し出すことができるのだ。
それはきっと、人を導く立場にあるロワ=クリストフとしては、理想の在り方なのだろう。しかし、人間クリスの友人は、この残酷な現実に、どう対処したらいいのだろう。
「思えば、僕らはよく似ているね、シオン。僕は、ラフィーヌ家に生まれたから、王太子となった。君は、コンダーナ家に生まれたから、死刑執行人となった。正直な話、僕は王太子になりたいなどと、思ったことはないんだよ。君だってそうだろう?」
「訊くまでもないことだよ……」
自分は、処刑人になりたいなどと願ったことはない。考えてきたのは、どうしてあんな家に生まれてしまったのかということだけだ。
結局、自分が死刑執行人となった理由なんて、その家に生まれたからに過ぎない。
「だけどそれは、この国では珍しいことじゃない。そうだろ?」
「その通りだよ。農民の子は農民に、軍人の子は軍人に、そして王の子は王に。それが、この国の在り方だった。だけど、これからは違う。農民の子が軍人になったっていい。軍人の子が農民になったっていい。王の代わりは、国民全員で担えばいい。決められた人生を生きる時代は、もう終わるんだ」
子供のように、クリスは笑う。彼もまた、生まれた家によって生き方を縛られてきた人間の一人だ。きっと、ため込んできていたものもあるのだろう。
馬車の小窓から外をのぞくと、牧場が見えた。何頭かいる馬の一頭に、少年が跨っている。その様子は、どこかぎこちない。近くに父親らしい男がいることから察するに、乗馬を習っている最中だろうか。
「これから、この国はどうなっていくんだろうね……?」
晴れやかな親友とは違い、シオンはむしろ不安のほうが大きかった。表情に出ていたのか、クリスも口を真一文字に結んだ。
「……たしかに、明るいだけの未来ではないだろうね。これからの人々は、自由になるだろう。だが、裏を返せばそれは、すべてを自分で考え、行動しないといけない。そこには、競争や責任が生まれる。あるいは、すべてを決めてもらえるこれまでのほうが、楽だったかもしれない。後世の歴史家は、この革命を否定するかもしれない」
自分の人生を自ら選び、行動する。それは、きっと難しいことなのだろう。シオンには、想像もつかない。クリスにだって、ほとんどわからないはずだ。だから、不安なのだろう。
「……それでも、後悔はしていないんだろう?」
顔を見ればわかる。不安を口にしてはいるが、それを悔いている様子はない。
「もちろん。後世の評価は、しょせん未来の話さ。僕らが生きているのは、今なんだ。今、この国は変わるべきだと思った。だから僕は、僕たちは行動したんだ」
「その行く末を、最後まで見なくていいの?」
シオンは、やや強い口調で言った。行く末を見届けるべきもう一人、ヴァンはすでにいない。だが、彼は病死だ。どうにもならなかったことは、医者であるシオンが一番よくわかっている。
しかし、クリスは生きようと思えば、生きられるチャンスがあるかもしれないのに。
小窓からの風景は、いつしか石造りの家ばかりになった。時折、ガス灯の光が差し込んでくる。
「……僕は、国民に前だけを向いていてほしいんだよ。きっとこれから、不安を感じる瞬間がたくさんあるだろう。そのときに僕がいては、振り返ってしまうかもしれない。昔の方がよかったと、思ってしまうかもしれない。そうは、なってほしくないんだ。だから、僕は消えるよ」
シオンは反論しようとして――言葉が出てこなかった。出せなかった。
クリスが、泣きそうな顔をしていたから。きっと彼は、迷いぬいた末に今の結論に至ったのだろう。こうなったら、もう己を曲げるような男ではない。これ以上の言葉は、彼を傷つけるだけだ。
もちろん、クリスには死んでほしくない。その思いは、変わらない。しかし、それよりも、彼の意思を尊重したいという思いが、わずかに勝ってしまった。だから、何も言えなくなった。
「本当に、やり残したことはないんだよ。それに、希望も残すことができた」
そこでまた、クリスの表情が変わる。どこか遠くを見つめながらも、優しい顔。それは、はじめて見る表情のはずだったが、どこかで見たような気がした。
「希望……?」
「ああ。この目で見ることができないのは、少し残念だけどね」
思い出した。ヴァンだ。ティフォンのことを話すときのヴァンと、同じ顔なのだ。
それはつまり――。
そのとき、馬車が停止した。外からは、多くの人間の声がした。シオンは希望と絶望とをもって、小窓から外をうかがう。
そこに広がっていたのは、見慣れた光景だった。広場の中央に鎮座する木造の舞台。その周りを、群衆が囲っている。降りしきる雨など意に介さず、到着した馬車に向けて何事かを叫んでいる。
処刑場に、着いてしまったのだ。頭ですぐに理解しながらも、心がそれを拒んだ。
「……着いたのか。それじゃあエスコートを頼むよ、シオン」
もう、後戻りはできない。シオンはクリスを、処刑台の上へといざなう。
ここまでの道中で、カミーユたちは現れなかった。最初から、処刑場についてからの襲撃を計画していたのか。それとも、何か不測の事態が起こったとでもいうのか。
「シオン。繰り返すけれど、あまり希望を持つべきではないよ」
クリスの呟きに、一瞬動きが止まってしまう。
「僕は、そんなにあきらめがよくないんだよ」
「……ずいぶんと人が集まっているね」
「マレーが大々的に発表してたからね」
「そうか……珍しいね」
たしかに、死刑の執行については、それほど大々的には発表されない。しかし、今回はわざわざ国民議会が大々的に、しかも早々に喧伝していた。いつもは、町中の人になんとか知れ渡るぐらいだが、この処刑に限ってはローワン中に知れ渡ったかもしれない。
だけど、だからこそカミーユたちも行動を起こすことができ――。
そこまで思考して、シオンは恐ろしい仮説に行きついてしまった。そして、なぜクリスが希望を持つべきではないと言ったのかも、理解した。
「まさか……」
クリスの中では、確信があったのだろう。困惑するシオンに対し、表情を変えることなくうなずく。
「マレーは計算高い男だ。僕の処刑を発表することで、いまだに王権にすがりつく者たちを、おびきだそうとしたんだろう。君の期待していた人たちも、おそらくは……」
「そんな……」
どこか緊張の糸が切れたように、シオンはふらついた。それを見とがめるように、クリスに足を踏まれる。
「つっ!?」
「しっかりしろ、シオン。情けない姿を見せるんじゃない」
いつのまにか、二人は処刑台の上に立っていた。敷き詰められたようにうごめく民衆の視線を、ひしひしと感じる。
「クリス……」
シオンは、傍らにあった剣を手に取る。しかし、持った手の震えが、止まらなかった。
「……本当に、君は優しいね。心苦しくはあるけど、どうせなら君に斬られたい」
「僕は……僕は……」
もはや、希望はない。この現実を、受け入れるしかない。けれど、すぐに役割に徹することなどできはしない。
「……まぁ、人間はそんな単純なものじゃないよね。少し、時間をもらうよ」
クリスは一歩前に出て、群れる人々を見渡した。民衆は口々に、彼を罵倒する。「殺せ」という声も、いくつも上がっている。
「――私が愛した国民よ!」
そんな状況の中で、クリスは声を張り上げる。ざわつく場にあっても、その声はよく通った。
その立った一言で、それまで思い思いに口を開いていた見物人たちが、ぴたりと口をつぐんでしまった。
「これからお前たちは、新たな時代を生きることになるだろう! そこにはもう、お前たちを蔑ろにした王はいない! だが、同時にお前たちを導く存在もいなくなるのだ! これより先は、一人一人が自分の頭で考え、行動する必要がある! もう、自分は農民だからと言い訳はきかない! 誰もが、国の未来を担うことができる代わりに、誰もが責任を負うことになる! ゆめ、それを忘れるな!」
普段のクリスからは想像もつかないほど、雄々しく力強い声音。シオンはたしかに、そこに王の姿を見た。おそらく、周りの民衆もそうだっただろう。皆が、どこか呆けていた。見とれていたといってもいいかもしれない。
気づけば、手の震えは止まっていた。シオン自身も、この場の空気にのまれてしまっていた。
「……さぁ、シオン。僕は、王族としての役割をやり遂げたよ。どうか君も、君の役割を果たしてくれ」
クリスは自ら跪き、赤毛の下の首をさらす。
――これ以上、彼の覚悟を汚すことは、処刑人として許されない。
シオンもまた、悲壮な決意をもってクリスを見下ろす。
そのときに、違和感に気づく。
ローワンにおいて、死刑は一種の娯楽だ。見物人は、死刑囚の死にざまに熱狂し、歓声をあげる。ロワ一五世のときだって、人々は叫び続けていた。
しかし、今はどうだ。広場は静寂に包まれ、物音ひとつしない。誰もが息をのみ、気高き王の最期を見届けようとしていた。
剣を持つ手に、力がこもる。
「最期に、言い残すことはありませんか?」
処刑の開始を告げる呪文を、シオンは口にする。ここでの遺言などは、できるだけ果たすように心がけている。
「……これでもう、王族の血は必要ないはずだ。レイナとフィオナ、そしてもう一人のことを、よろしく頼む」
「……たしかに、聞き届けた」
ゆっくりと、剣を振りかぶる。視界がにじみそうになるのを、必死にこらえる。
「――さらばだ! 私の血が、皆に幸福をもたらさんことを!」
背中を押すように発せられた言葉に合わせて、シオンは剣を振り下ろす。痛みも苦しみもみじんも感じないであろう、完璧な太刀筋だった。
胴体と離れた首を拾い上げ、それを民衆に示す。その死を受け入れられないように、人々はしばし黙っていた。
しかしやがて、手を叩く音と共に、万雷の歓声があがる。それは、シオンの手際への称賛か。それとも、クリスの生き様を称えてのものか。
シオンは大粒の涙を流しながら、その場に立ち尽くしていた。本来ならば、叱責されてしかるべきだが、彼を責めるものはいなかった。雨で涙が見えなかったとか、そんな理由ではない。誰もが、心のどこかで理解していた。今の処刑を悔いる気持ちを。
歴代の王の中で最も国民を愛し、最も国民のために行動した男は死んだ。
そしてこのとき同時に、優しき死刑執行人の心もまた、ガラス細工のように砕けてしまっていた。
友の苦悩を知らぬマレーは、この処刑を機に、暦の変更を宣言する。
新たな暦は、「共暦」と名づけられた。
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