第二章 手紙

 マニフィケア宮殿は、森を切り開いてつくられた王家の別邸である。とはいえ、あまり使うことなく放ってあるうちに、自然の力が盛り返し、宮殿は森に包まれる形になった。けれど、森の中に突然荘厳な建造物が現れるという神秘的な雰囲気を気に入り、現王ロワ一五世は、森を伐採することなく放置している。

 クリスは、ここに来るたびに自然の大きさを思い知る。それと共に、自身の小ささを。

 今日ここでは早朝から、王家と大貴族たちとの間で会議が催されていた。

議題は、財政と食料の問題について。

 壁面や天井に、壮麗な絵画が描かれた部屋で、会議は行われていた。

 現王や貴族の重鎮たちのような四、五〇代の人間が居並ぶ中、二一のクリスはどこか浮いた存在だった。

 容姿に恵まれ、晩餐会などではダンスの相手に事欠いたことはない。女性たちが魅了されるその見た目も、国家を背負う男たちには、何の効果もない。むしろ、あなどられる原因となる。

 ――青二才の小僧に何がわかる。

 そんな罵声が、今にもとんできそうだった。それでも、クリスは臆さない。

「――我が国の財政難を救うには、貴族たちの免税特権をなくすよりほかないでしょう。それだけでも、財政は持ち直すことができるはずです」

 クリスの提案に、国の重鎮たちはざわついた。免税特権は、貴族たちにとっては一種の誇りである。彼は、それをなくすと宣言したのだ。

 間髪入れず、クリスは食糧問題についても論を展開する。

「食糧問題については、ヴォスタニエの協力を得るべきだと考えます」

 とたんに、老人たちはざわついた。あんな戦うことしか頭にない野蛮人どもの国から、力を借りろというのか、という不満が漏れ聞こえてくる。

「かの国は、七王国が覇を競い合った時代を経て、現女王によって統一されてからというもの、発展目覚ましく、国自体も非常に豊かになっています。さらに、国が潤うとともに、芸術の価値が重んじられてきているとも聞きます。幸いわが国には、優れた文化、芸術が数多く存在します。それらを材料に、ヴォスタニエと外交取引をすべきではないでしょうか」

 シン、と会議場は静まり返った。クリスの意見は、若者らしく、画期的なものであるといっていい。少なくとも、これまでの伝統に凝り固まった重鎮たちには、出すことのできない意見だろう。

 しかし、それゆえに反発もまねく。その場にいる老人たちは、クリスから目線をそらしたり、互いにひそひそと言葉を交わしたりと、明らかな不満の色を示していた。ただ、あくまで王子の言葉だ。そう簡単に否定するわけにもいかない。そこで大貴族たちは、現王ロワ一五世へと視線を投げかける。

 助けを求められたロワ一五世は、大儀そうに口を開いた。

「……クリストフよ。お前は、何もわかっていない」

「な……どういうことでしょうか? 父上」

 居住まいをただし、クリスは父親の言葉を待つ。

「免税特権をはく奪するとなれば、当然貴族側からの反発がある。お前は、それをどうやって抑える気だ?」

「それは……言葉を尽くします」

 国の危機なのだ。きちんと言葉を尽くせば、我欲を優先する人間などいない。クリスはそう信じている。

「では……王家が頭を下げる、と?」

「必要があれば」

 クリスの回答に、現王は深く息を吐いた。

「それが愚かだというのだ。王は、絶対の存在であらねばならぬ。それが、言葉を尽くす? それでは余計に、王家への反発を生むことになる」

「では、強行すると?」

 弱みを見せればつけこまれるというのなら、それすら見せずにやってしまうというのか。

「……いや。国を支える貴族たちを無下にはできんだろう」

「では、どうするというのです!?」

 どうにも煮え切らない父の態度に、クリスはいらだった。それを見て王は、さらに億劫そうに息を吐く。

「わからんか? もっと楽に、税をかけられる者らがいるではないか」

「まさか……民衆に、さらなる税を課すというのですか!?」

 現在でも、平民には十分な税が課されている。しかも食料難が重なり、すでに彼らは満足な生活を送っているとはいいがたい。

「これ以上の負担をかければ、彼らはもちません……」

「よいではないか。民草が少し減ったところで、国に大した影響はない。むしろ、必要な食糧が減って、問題が解決するかもしれぬぞ?」

 現王の発言に、クリスは背筋が寒くなった。

 結局のところ、ロワ一五世は国よりも自分がかわいいのだ。いや、あるいは自分こそが国そのものだと勘違いしているのかもしれない。

 だからこそ、自身のそばにいる貴族を優先し、本来国を支えている民をないがしろにする。

「……では、せめて外交の件だけでも」

「それも認められぬ」

「な……」

「ローワンの芸術文化は、我らラフィーヌ家が一〇〇〇年にわたり育み続けてきたものぞ。それを、あんな矮小な島国なんぞに、譲り渡せるものか」

 たしかにヴォスタニエ王国は、国土面積ではローワンよりも劣っている。しかし、近年の発展速度を見れば、決して無視はできない国だ。むしろ今は、そんな国と友好を築けるチャンスだといっていいのに。

 クリスは悔しさに唇をかんだ。ローワンにおいて、王は絶対だ。たとえ息子のクリスとはいえ、反論は許されない。

「……まだ、そなたには早かったようだな。あとは我らで話を進める。出て行け!」

 言葉を返さないと見るや、ロワ一五世は息子を一喝した。もちろん、従うよりほかはない。

 クリスは廊下に出ながら、口中に血の味が広がるのを感じていた。

 廊下に出た彼は、自らの無力さを呪い、周りの装飾品などを、めちゃくちゃにしてしまいたい衝動に駆られた。

「クリス!」

 そこに、駆け寄ってきた人影がある。

「レイナ……」

 絹のような金色の髪に、白磁のような白い肌、宝石と見紛うような青い瞳。絶世の美女という形容がふさわしい容姿を持った女性、レイナ・レフィナディア。彼女は、クリスの妻、すなわちローワンの王太子妃である。

「会議は、終わったのですか?」

「僕の出番はね」

 それだけで、レイナは事の成り行きを悟ったのか、気の毒そうにクリスを見る。他国の王族であった彼女は、外交取引として、クリスの妻になった。この国にやってきた当初の彼女は、それが気に入らなかったらしく、まさにわがまま三昧であった。しかし、クリスの人柄にふれるうちに考えを改め、今では彼を支え、国を思う良き王太子妃となっている。

「お兄様……」

 レイナの陰に隠れていた少女も、心配そうにクリスを見つめる。

「やぁ、フィオナもいたのか」

 兄らしい優しい笑みを浮かべ、クリスはフィオナの頭をなでる。彼女は、クリスの四歳下、一八歳の妹である。年齢のわりに性格や見た目は幼く、特に容姿は人形のようなかわいらしさがある。国民からも非常に愛されているが、彼女自身は人前に出るのを大の苦手としており、いつもクリスやレイナの後ろに隠れている。

「あの……お父様は、お話を……聞いてくださいましたか?」

 恐る恐る、といった調子でフィオナがたずねてくる。家族、しかも懐いているクリスにこの調子なのだから、国民の前に立てるのはいつの日か、と心配になる。

「いや。父上は、僕の話など聞く気がないらしい」

「では……」

「ああ。きっと、国民にさらなる負担を強いる気だろう」

 これ以上の負担は、民衆にとっては致命傷になりかねない。ロワ一五世とて、それがわからぬはずはないのに。

 ――いや、あるいはわからないのかもしれない。

 クリスは、幼いころから宮廷の外に興味を持ち、民衆と交わってきた。特に、ヴァンたちとはシオンを通じて知り合い、親しくしてきた。だからこそ、人々がどのような生活をしているのか、その肌で感じ、良く知っている。

 しかし、ロワ一五世は幼いころから宮廷にこもり、貴族たちとのみ交わってきたと聞く。彼にとって国民のほとんどは身近な存在ではなく、どこかで生きている人々に過ぎないのだ。

 そもそも、話し合いが王宮ではなく別邸で行われていること自体、真剣味に欠けている。きっと会議が終わった後は、周囲の森に狩りにでも出かける気なのだろう。でなければ、わざわざ早朝から開く必要もない。

 そんな会議で、民たちの、友人たちの運命が左右されるなど――。

「……ヴァンたちのことが、心配なのですか?」

 レイナに問われ、クリスは表情を苦々しいものに変えた。レイナ自身も、ヴァンたちとは交流がある。彼女は、上流階級の人間らしく、最初のころはヴァンたちを見下していたし、シオンのこともその職業から毛嫌いしていた。ただ、彼らと付き合ううちに、その考えを改めていき、よき友となった。フィオナもついてきてはいたが、あまりなじめた印象はない。ただ、シオンとは仲がよかったように思う。

「……ああ。彼らは、今頃どうしているのだろうね」

 子供のころは、王宮の外に出ることも黙殺されていた。しかし今では、そんな勝手は許されない。

 ヴァンたちとも、もう三年は会っていない。シオンは立場上王宮に顔を見せることもあったようだが、間の悪いことにそういうときに限って、クリスは仕事があったりする。

「彼らならきっと、しぶとく生き延びているのではないかしら」

「ああ。そうかもしれないね……」

 クリスは窓のある所まで、廊下を歩く。窓から外を見ると、徐々に日が高く昇りつつあった。

「太陽は、沈んでもすぐに昇る。だが、この国はどうだろう……」

「クリス……」

「歯がゆいな……。王太子などという立場にありながら、僕にできることはないのか……」

 あるいは君たちなら、何か考えを持っているだろうか――。

 クリスは太陽に照らされる森を見つめながら、昔の友を思った。


「だめだな……」

 湯船につかりながら、シオンは深く息を吐いた。

 あれから夜通しで医学書を読み漁ったが、ヴァンの病の解決策は見つかっていない。

 このままやり続けても効率が悪いと思ったシオンは、湯につかり、体を癒すとともに、考えをまとめることにしたのだ。

 彼にとって湯につかることは、最高の緊張緩和法だった。それに、医者として清潔さを保つことは決して悪いことではない。まさに、趣味と実益を兼ねている。

 こうしてくつろいで、一度頭を空にすることで、名案を思いつくことだってあるはずだ。

 少なくとも、ローワンの医学ではヴァンを救えない。薬もなければ、手術だってできないのだから。

 そして、シオン独自の知識を持ってしても、打開策は浮かばない。少なくとも、ローワンの中では随一の腕を持っていると自負しているのだが。

「ローワンの医学では、ヴァンを救えない……」

 それならば、他国の医学ならばどうだろう。

 ――そうだ。何もローワンの医学が、世界で最も進んでいるとは限らない。

 医療器具では、ヴォスタニエのほうが開発は進んでいるし、極東の島国では一人の医者が全身麻酔による手術に成功し、医学界に革命をもたらしたとも聞く。

 けれども問題は、どうやってそれらの知識を手に入れるか。外国の書物など、そう簡単には手に入らないし、手に入ったとしても、読めるかどうか。

 外国語に堪能な知り合いなど、シオンの交友関係の中には――。

「いや――クリスがいる!」

 思わず、シオンは湯船から立ち上がった。

 そうだ、クリスならば外国の書物も所有しているだろうし、外国語も理解できるはずだ。

 彼に協力してもらえばいい。

 だが――。

 冷たい外気にさらされ、全身がひやっとする。シオンは再び体を湯に沈めた。

 問題は、どうやってクリスに会うかだ。

 死刑執行人は、貴族に等しい地位と給料を国から与えられている。この風呂だって、その金銭のほとんどをつぎこんでつくったものだ。

 しかし、いくら貴族の地位があっても、王太子にはそうそう会えるものではない。

「……そういえば、今月の給料が未払いだったな」

 それだけじゃない。先月もだ。

 別に生活には困っていなかったため放置していたが、あるいは抗議をしに行ってもいいのではないだろうか。

「……よし!」

 今度こそシオンは、湯船から立ち上がる。そして、できるだけ状態のいい服を見繕った。


 王宮まで行ってみたものの、王や王子はもちろん、財務長官までもが、不在ということであった。なんでも、今日は別邸のマニフィケア宮殿にて会議が開かれているのだという。

 もし会いたければそっちに行け、と応対に出た者の態度は冷たかった。処刑人とは、あまり関わりたくないのだろう。

 実際にマニフィケア宮殿に来てみると、宮殿自体はどこかシン、としていた。

 どこか、裏の森のほうが騒がしい気がする。あるいは、狩りにでも出ているのだろうか。

 それならば、邪魔をするわけにもいかない。日を改めるか。

 シオンがあきらめて帰ろうとすると、王宮の扉が開く音がした。

 振り返ってみると、大きな扉の隙間から、人形のようなかわいらしい少女がこちらをのぞいている。

 その愛らしい顔と赤毛には、見覚えがあった。

「……フィオナ?」

 名前を呼ぶと、少女はびくっ、と体を震わせた後、宮殿の中に引っ込んでいった。

 今のは、まちがいなくフィオナだろう。しかし、驚いた。彼女はシオンと同い年であり、今年で一八になるはずだが、その見た目はほとんどかつてと変わっていない。

 あの様子では、臆病な性格も変わっていないのだろう。ただ、自分には少し懐いてくれていたという自負が、シオンにはあった。だからこそ、今逃げられたのは、少しショックだ。

 シオンも、見た目はあまり変わっていないと言われるのだが。

 呆然と立っていると、再び扉が開く。

「シオン……?」

 奥から出てきたのは、赤毛の青年。

「クリス!」

 目的の人物の登場に、シオンは声を弾ませた。

「フィオナが呼びに来たから何事かと思えば、君だったのか」

 クリスはためらいもなく握手を交わし、抱きしめてくる。たいていの場合は握手も拒否されるため、なんとなく戸惑ってしまう。

「本当に、久しぶりだね」

 クリスの容姿は、大人びたというよりも、どこか疲れているようであった。

「君は……あまり変わっていないな」

 シオンの全身を見て、クリスが笑う。

「もとが辛気臭い顔だったんですもの。年相応になっただけではなくて?」

 どこか意地の悪い笑みを浮かべながら、レイナがやってくる。その後ろには、フィオナが隠れている。

「やぁ……久しぶり」

 出会ってすぐのころ、露骨に毛嫌いされたためか、シオンは彼女が苦手だった。

「あなた……処刑人のくせに、相変わらず小ぎれいなのね」

「あはは……さっきもお風呂に入ってきたからね」

「ふぅん。……あなたの香り、香水ではないわね。石鹸かしら?」

「わかるかい? 最近は、マルセルの石鹸を取り寄せてるんだ。やっぱり石鹸はあそこのものが一番だからね」

「な……マルセルの石鹸は、私ですら容易には手に入らないのに、生意気な」

「前に、マルセルから来た患者を治してね。それから、送ってもらってるんだ」

「それ……紹介しなさいな」

「ああ、じゃあ今度伝えておくよ」

 同時に、彼女はシオンの風呂の趣味を共感してくれる理解者でもある。この話題に関してだけは、二人の会話も弾む。

 仲が悪いのか良いのかわからない二人を眺めながら、クリスは肩をすくめた。

「……それで、シオンがどうしてここに?」

 口をはさまれ、シオンは目的を思い出す。

「実は、未払いの給料の話をしに――」

「はぁ?」

 今度は、レイナが明らかに不機嫌な声で、眉尻を吊り上げる。風呂の話の時以外は、本当に嫌われているとしか思えない。

「というのを口実にして、クリスに会いに来たんだよ」

「なによ。それならそうと、早く言いなさい」

 言わせる前に怒ったくせに、と内心で思ったが、それを飲み込む。この幸運がいつまで続くかはわからない。とにかく、目的を果たさなければ。

「僕に、なんの用だい?」

 シオンがわざわざ会いに来たというので、ただ事でないことを察したのか、クリスの声音が真剣みを帯びる。とたんにレイナも、一歩下がった。

「クリス、君は外国の医学書を持っていないかな? ヴォスタニエとか……」

「また突然だね。ないわけではないと思うけど……。どうして、他国のものが必要なんだい?」

 シオンは、すぐにこたえられなかった。ヴァンの名前を出すべきか、迷ったのだ。

「……助けたい患者がいるんだ。だけどローワンの医療技術では、それが難しい。他国には、もっと革新的な技術があるかもしれない。だから……!」

 ヴァンの名前は出さなかった。きっと、彼はそれを望まない。

「革新的……か」

 クリスは、かみしめるようにその言葉をつぶやいた。あるいは、ローワンの医療が進まないことを批判したと思われたのかもしれない。

「別にローワンが悪いといっているわけじゃないんだ。医療技術の発展には得手不得手もあるし……」

「ああいや、別に気にはしていないよ。……事実だからね。それより、医学書の件は引き受けるよ。でも、ヴォスタニエの言葉がわかるのかい?」

 クリスの問いに、シオンは苦笑する。その曖昧な反応だけでも、友人には伝わる。

「……そうか」

「医学的な単語なら、わかると思うんだ。むしろ、簡単な言葉のほうが……」

「わかった。それなら、僕が翻訳しよう」

「いいのかい?」

「大切な患者なんだろ?」

「ああ。僕はどうしても、彼の力になりたい……」

 シオンの力のこもった声に、クリスはやわらかな微笑でこたえる。

あるいは、彼には全てが見透かされてしまったのではないか、とさえ思えた。

「クリス……本当によろしいんですの?」

 不服そうに、レイナが口をはさむ。言葉はクリスに向けられたものだが、細められた瞳は、シオンへとむいている。

「ああ。かわりに、シオンにはやってもらいたいことがあるからね」

「やってもらいたいこと?」

「今度話すよ。ではシオン、後日改めて王宮を訪ねてくれ」

「わかった……」

 肺の病についての記述がほしいことだけを伝え、シオンはマニフィケア宮殿を後にした。

 日が傾いた空には、一番星が輝いていた。


 王宮の自室に戻ったクリスは、外国の医学書を紐解き、翻訳を行っていた。

 それと共に、一通の手紙をしたためる。

「ふぅ……」

 一息いれようと思ったところで、扉をノックする音が聞こえる。

「どうぞ」

 入ってきたのは、レイナだった。

「まだ作業していたんですのね」

「よくわかったね?」

「窓から、ロウソクの灯りが漏れてますわよ?」

 呆れたようにいわれ、クリスは苦笑する。レイナの部屋は隣とはいえ、窓から身を乗り出したりしない限り、漏れている灯りなど見えないはずなのだが。

「それは気づかなかったな。でも、もう少しやっておきたいんだ」

「……言っても無駄そうですね。なら、かまいません。ただ――」

 なおも机に向かおうとするクリスの後ろに立ち、耳に息を吹きかけてくる。

 彼が驚いて振り返ると、レイナの顔がすぐそばにあった。その目元が、楽しそうに細められている。

「――愛しの妻が来たのですから、少しくらいは話し相手になってくれてもいいのでは?」

 こうなっては、彼女もなかなか引き下がらない。一度これと決めたら、そう簡単には自分を曲げない。これは、二人の共通点だった。

「……そういわれては、仕方ないね。少し、休憩するよ」

 手を止めて、レイナのほうへと体を向ける。彼女はベッドに腰掛ける。

「それで、誰への手紙を書いていたんですの?」

「……目ざといね」

 先ほど近づいたときに、目をつけていたのだろう。しまったな、とクリスは眉根をよせた。

「まさか……女性にあてたものではありませんよね?」

 レイナは、普段はクリスを支える良き伴侶だ。ただ、少々嫉妬深い一面がある。

 気にするのも無理はない。ローワンの王族は妻のほかに、公式寵姫を持つことが認められているからだ。ローワンでは、宗教上の関係から、たとえ王族でも、多くの妻を持ったりすることは認められていない。しかし、世継ぎが生まれなくては困るため、王族は一人だけ愛人を持つことができる。それが、公式寵姫だ。

 現在、クリスにそれにあたる女性はいないが、いつでもつくることはできる。そのことから、レイナは不安を感じているらしい。

 もちろん、彼に公式寵姫をつくる気はないのだが。とはいえ、中途半端なごまかしは、彼女を傷つけるだけだ。

「……これは、ヴァンにあてたものだよ」

「あの男に? どうして?」

「シオンにヒントをもらった。少し、考えがあるんだ」

 クリスとしては、軽い調子で言ったつもりだったが、レイナは何かを感じ取ったらしい。眉尻が、不安そうにさがる。

「何を、考えているのです?」

「……僕は、父上と戦うよ。この国を、変えるために」

「まさか……革命を起こすと?」

 クリスは静かに頷く。シオンの「革新的」という言葉を聞いたとき、彼はこのことを決意していた。

「それで、どうして手紙を?」

「この革命は、国を変える劇薬になるだろう。それならばいっそ、すべてをひっくり返してしまいたい。そのためにもこの革命は、市民からはじまるべきだと思うんだ。ヴァンには、その起爆剤になってもらいたい」

「あなたは、ヴァンを利用すると?」

 覚悟を問うように、レイナが厳しい口調で問いかける。

「強制するつもりはないよ。この手紙は、僕の考えを伝えるものだ」

「そう……ですか……」

 だが、クリスには確信めいたものがあった。ヴァンはきっと、この考えを受け入れる。

 シオンのあの態度……肺を病んだのはおそらく、ヴァンか、彼の近しい人物。そして、名前を出さなかったということは、ヴァン本人の可能性が高い。

 あるいは、彼の命はもう長くないのかもしれない。だとしたら彼は、死ぬ前に自分にできることはないかと模索しているはずだ。

 この手紙は、彼にそれを与えることになる。

「もしかしたら僕は、この国を未曾有の混乱に陥れようとしているのかもしれない……」

 重くなりつつあった空気をいれかえるように、クリスは立ち上がり、窓を開く。

 夏とは思えない冷たい風が流れ込んできて、ロウソクの火が揺らぐ。

 満天の星空の下には、寝静まった町並みが見える。

 あるいは自分の行いは、あの町を炎に包むことになるのかもしれない。多くの人を、殺すことになるのかもしれない。

 燃え盛る町のイメージが浮かんでしまい、クリスは唇をかむ。

 そのとき、背中に柔らかな感触がした。

「レイナ……?」

 レイナが、後ろからクリスを抱きしめたのだ。顔が背におしつけられているので、その表情は見えない。

「どうか……迷わないでください。あなたが迷っているようでは、民はついてこれません」

「レイナ……」

 クリスは振り返り、彼女の肩を掴む。彼女の青い瞳からは、涙がこぼれていた。自分の覚悟のほどを悟り、涙まで流してくれる。そんな彼女が、愛おしかった。

 だからこそ――。

「君は、本国に戻った方がいい」

 できるだけ、冷たく突き放した。けれどもレイナは、首を横に振り、優しく微笑む。

「いいえ。私は、あなたのそばにいます。あなたを支えるのが、今の私の生きがいなのですから」

 彼女の決意を聞いて、場違いだとはわかっていながらも、ついクリスは笑ってしまった。

「な……どうして笑うのですか!?」

「ごめんよ。まさか君から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったから。はじめてあったときは、あんなことを言っていたのに」

 クリスがレイナと出会ったのは、一一年前、二人が一〇歳のときだ。そのときすでに、二人の結婚は決まっていた。しかしレイナは、未来の夫に向けて「結婚するからといって、対等だと思わないで! あなたは私の下僕に過ぎないのですからね!」と言い放った。当時のクリスはいまひとつ意味が理解できなかったのだが、今思い返せば、いい笑い話だ。

「……む、昔の話は覚えていません!」

 頬を赤らめ、そっぽを向くレイナ。その仕草が、たまらなく愛しい。

「……ありがとう。君のおかげで、迷いが消えたよ。どうかこれからも、僕を見守ってくれ」

 感謝の言葉に、彼女はますます頬を染める。照れくさそうにしながらも、潤む瞳でこちらの瞳をのぞきこんでくる。

「ええ。どうか迷いなくお進みください、わが王よ。たとえ何があっても、私だけはあなたのおそばを離れません」

 二人はそのまま、静かに口づけをかわす。

 それを見守るように、ロウソクの火がたたずんでいた。

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