第3話こうして浦戸は黒い少女と語り合った

 未来と別れた浦戸は歩き出す。迷わず地下階への階段に向かって行く。ほんの少し前まで、もう一度来るとは、思っていなかった場所へと足を踏み入れる。思えば、未来がいなければ戻ってくることはなかったのかもしれない。

 この場所に来たという偶然。黒い少女と出遭った偶然。未来と出会った偶然。この三つが重なったからこそ浦戸はもう一度出逢う決意を固めたのだ。

 薄暗い地下階の廊下を歩く。横に並んだ扉には目もくれず最奥へ進む。突き当りの扉には『特定愛護生物保護室』と書かれたプレートがある。浦戸は扉を開けようとドアノブに手をかけて、思い出したように手を離す。

 右手を軽く握って鈎状にした人差し指だけを少しだけ伸ばす。そして、扉に三回打ち付ける。それからドアノブへ手を置いた。

「お邪魔するよ。」

 檻の並んだ室内から返事が聞こえた。浦戸が初めて聴く、驚いたような少女の声。

「あら、また来たの?」


「うん。さっき振り。」

 浦戸は檻の並んだ室内を歩いて、少女の檻の前で座る。最初は胡座をかいていたが、正座に改めた。少女は変わらず新聞で作った壁の中にいる。そのため浦戸から彼女の顔を見ることはできない。少女は返事もしないので声から心情を伺うこともできない。

 さて、どうしようかと浦戸は考えて。

 今日は何も考えずに動いていることを思い出し。心と口を直結させることにした。

「なぁ、なんでそんなにつまんなそうなんだ?」

 答えはない。

「君は吸血鬼で…しかも、凄い強いんだろ?

でもなんでこんな檻の中でじっとしてるんだ?」

 答えはない。

「俺なんかよりずっと長生きしてて、なんでも知ってるんだろ?

それで人間なんかよりずっと強いんだろ?

それがどうしてこんな檻の中でつまんなそうに新聞読んでるんだ?」

 新聞の壁が折れて、少女の端正な顔が見える。その顔には非常に迷惑そうな表情が浮かんでいた。

「あなた、何しに来たの?」

 そういえば何をしに来たのだろうか。浦戸弦は言いたいことを言いに来た。そして彼女の言いたいことを聞きに来たのだ。ではまず、自分は何を言いに来たのか。浦戸の口は勝手に動く。

「文句を言いに来た。」

 少女の返事はため息であった。

「だっておかしいだろ。もっと好き勝手してそうなのに。ただ、檻の中にいるなんてさ。」

 少女は新聞を折って丁寧に畳んで檻の床に置く。そして初めて浦戸弦をその黒い瞳に収めた。怜悧な瞳に心が挫かれそうになるが、左手の痛みが心を奮い立たせる。

 浦戸が根を張ったように動かないのを見て少女は口を開く。

「私の勝手でしょう?

もう飽きたのよ。人間で遊ぶのも、人間に遊ばれるのも。だからこうして待ってるの。」

「何を待ってるんだ?」

「転機よ。」

 そう言って少女は顔を上げる。檻の天井を見ながら、しかしその目は天井を見ていない。もっと先のどこかのなにかを見ながら少女は語る。

「昔、埋められたことがあったわ。バラバラにされて傷跡を鉄で塞がれて、手足を離れた場所に置かれ、穴の中に埋められたの。

血が欲しくて仕方なくて。暴れたくて仕方なくて。でも、髪の毛一本分だって動けやしなかったわ。

それでも、私はその穴から出てきたの。雨が降った後に、可愛い可愛いあの娘が見つけて助けてくれたの。」

 少女は夢に浸るように恍惚とした顔で語る。自分の手を自ら握り、薄い胸元に押し当てる。恋する乙女のように少女は語る。

「その娘が死んでからは、彼女の子供たちを眺めていたわ。みんなあの娘や、あの娘の愛した男の面影を持っていて、一目で分かったわ。時々話したりもした。でもいなくなってしまったから、離れることにしたの。そうしたら戦争が始まったわ。長い長い二回の戦争が。関わり合いになりたくないから、日本ここに来たのだけれど。二回目の時に捕まってね。」

 少女は苦虫を噛み潰したような顔で語る。自らの両手でその細い首を掴んで、引き絞りながら怨嗟の声を絞り出し語る。

「酷い毎日だったわ。実験動物扱いされるのも気に入らないけど!あぁ!、それ以上に!

あの男!私のことをどうでもいいものを見るような目で見るのよ!挙句、実験内容も上から言われた通りのことだけ!ただただ義務で拷問!実験!楽しくも悲しくもなれやしないわ!あぁ今思い出しても腹が立つ…!」

 少女は自らの首を締め上げながら、肺の中の酸素を極限まで吐き出して唸り声を上げる。声なき声すら途絶えると、自らの首を手離した。酸欠は彼女の美貌に何の陰りも齎さない。変わらぬ顔で彼女は語る。

「腹が立つのはその後もよ!前から妙なことしてたのは知ってたけれど、ついに完全に色惚けして!余計なことしてくれたお陰で私はこんな檻の中よ!」

 一体誰のことだろうか、と浦戸は思ったが。あえて聞きはしなかった。今は他人の話はどうでもいい。言いたいことを言ったのだ。彼女の言葉を聞かねばならない。

「……まぁ、いいわ。時間ならいくらでもあるもの。その時が来るまで待てばいいの。だから私はここにいるのよ。

分かる?分かったわね?はいかうんって言いなさい。」

 少女が顔を降ろすと、浦戸は腕を組んで考え込んでいた。眉間に皺を寄せる男に不機嫌さを増した顔で少女が言う。

「返事は?」

「いや、それ別に檻の中でなくてもいいんじゃないのか?」

「…は?」

「どこでも待てるだろ。」

 少女が俯く。その細い肩が震える。地の底から響くような笑い声がする。

 跳ね上がった彼女の顔は、まるで悪魔のように嗤っていた。

うるさいわ。少し黙りなさい。」

 彼女の髪の毛が伸びる。格子を越えて這いずるように蠢いている。

「うわっ!な、なんだこれ!」

 浦戸の浮き上がりかけた腰を、少女の髪が縛り留め、無理矢理元の姿勢に戻される。哀れな叫び声を上げようとする男の口を、少女の艶やかな髪が縛り付ける。伸び続ける髪は部屋全体にまで広がり、少女を閉じ込める檻の外は、少女の作った檻の中となっている。

「こんな檻、出ようと思えばいつだって出られるわ。」

 そう言って少女が広げた小さな手を前に伸ばす。当然格子にぶつかるが、それでも少女は手を伸ばし続け。ぐにゃりと手が形を変えた。まるでスライムか何かのように、ぐにゃりと手が格子からはみ出る。指から手のひらが、手のひらから腕が。格子を越えると、何事もなかったかのようにその手は元通りだ。手を伸ばしながら、少女自身も格子に近付いていく。

 腕が肘まで出ると、少女の全身が黒い影のように変わる。それは部屋の闇に溶け込むように消えたと思うと、先程まで閉じ込められていた檻の上に少女が腰掛けていた。

「ほらね?

さて、くだらない質問をした人間にバケモノは何をすると思う?」

 少女の黒い髪で作られた檻の中で。少女の髪に縛り付けられ身動きも、喋ることもできず。先程まで檻の中で見下ろしていた少女に見下され。

 しかし、浦戸は激怒していた。

「何よその目は。」

 浦戸の口は塞がれていた。だからその分、目に怒りを込めた。口を封じる髪の毛を噛み千切らんばかりに噛み付いて。

 かすかに引き攣るような感覚が少女を襲った。

 浦戸が強く強く手を握るたびに、先程未来に握り潰された痛みがぶり返してくる。その痛みが更に浦戸の怒りを強くする。もう何に怒っているのか、浦戸にも分かっていない。形にしようとしても、言葉にしようとしても、口は塞がれ堰き止められて、行き場をなくした怒りがただただ溜まってゆく。

 少女が浦戸の口の拘束を外した。その髪には男の唾液が付いていて、嫌そうな顔をした少女がその髪を自身から切り離す。するとその髪束は闇に溶け消えていった。

「何よ、何が言いたいの?」

 少女が言う。

「出られるなら出ればいいじゃねぇか。」

 男が言う。

「出たって面白いことないじゃないの!」

 少女が怒鳴る。

「出てもないのに分からねぇだろ!」

 男が怒鳴る。

 二人は怒りでその肩を震わせる。いつしか男を縛っていた髪の拘束は解かれていた。二本の足で――なぜか男の足元だけ少女の髪は広がっていなかった――床を踏みしめてしっかりと立ち。少女の檻の中で男が言う。

「俺の何倍も生きてて、何十倍も強くて、何百倍も凄いくせに!

くだらない言い訳して引き篭もってんじゃねぇよ!」

 鋼鉄の檻の上に立ち、頭一つ上の高さから男を見下して吸血鬼の少女は言う。

「はぁ?あなた偉そうに何様のつもり!あー人間様でしたわね!そうね!ならふんぞり返ってそのまま頭ぶつけて死になさい!バケモノはそのくらいじゃ死ねないけどね!こっちはもう生きることに飽き飽きしてるのよ!」

「なんだと!」

「なによ!」

 互いに額をぶつけ、ゼロ距離で睨み合う。

 少女は腹が立っていた。もっと楽しんでいいはずだと言う男に、なぜ自分はこうも反応しているのか分からず。こんな気分にさせる男に、なによりこんな男に心をかき乱される自分に腹が立っていた。

 浦戸弦は腹が立っていた。理由をこじつけて動かないくせに退屈だという少女に。男は少女に憧れていた。孤高の姿に、超常の力に、異能に。そんな彼女が自分と同じような理屈で、物事に挑戦せず怠惰に日々を過ごしている。彼女自身を通して自分に腹が立っていた。

「偉そうなこと言ってあなた自身はどうなのよ!」

「クソみたいな日々だよ!どうだ参ったか!」

「短い命を浪費して楽しいのかしら?少しは本気になって動いたらどうなの?」

「そっちこそ無駄に長い命だからって無駄にしやがって!お前が無駄にした一日は、誰かが死んでも過ごしたかった一日だぞ!」

「ご高説ありがとうございます!あらぁ素晴らしいですわね!そう言うあなたも何度一日を無駄にしたのかしら?」

「聞きたいか?数えられないくらいだよ!」

 それから先はもう覚えてもいなかった。お互いの心の傷口を互いに抉り合う時間だけが過ぎていった。浦戸は喉が枯れるほどに叫び。少女はその顔が真っ赤になるまで叫び。男の声が完全に枯れると、少女は彼の喉元に髪を巻き、喉の振動と口の動きで言葉を読み取って、怒鳴り合いを続ける。


 少女一人の声だけが響くようになってから暫くして、浦戸の携帯が鳴った。

「ちょっと、電話よ。」

「(うるせぇ!声が出ねぇんだよ!……上司からじゃねぇか!

あああああああ!役所閉まる!やべぇ!忘れてた!)」

 狼狽える男の姿を見ると、少女はため息を付いた。そして、少女は男へ手を伸ばす。

「ほら、寄越しなさい。」

「(いや、でも声で。)」

「 い い か ら !」

「(ええい!ほら!)」

 浦戸から携帯を受け取った少女は何の躊躇いもなく電話に出た。

「お疲れ様です。」

 その声は浦戸の声そのものであった。驚く浦戸の前で少女は、その端正な唇から男性の声で話し続ける。

「すみません。ええ、はい。連絡が遅れまして。はい、すぐに。はい、はい。それでは。」

 唖然とする浦戸の前で少女は携帯を投げ渡す。

「ほら、さっさと書類でもなんでも受け取ってきなさい。

それと直帰していいって。その代わり明日は大目玉ね。ざまぁないわ。」

 鼻で笑う少女。その勝ち誇った顔を崩してやりたくて、男の頭がかつてないほど高速回転する、そして男はほくそ笑んだ。

「(は?お前も来いよ!通訳代わりだ!)」

「何言って…ちょっ!抱えないで!レディに対する礼儀がなってないわ!このガキ!」

「(ガキでーす!ババアからすればガキでいいでーす!)」

「言ったわね!言ってはいけないことを!言ったわね!」

「(いだだだだだ!痛い!痛い!髪で喉は止めろ!死ぬ!)」

 その後、目を丸くする職員の前で少女が通訳をして、無事書類を貰うことができたのであった。

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