逆転する主語、逆転する主体
定理5‐1
月曜日を好きな人間がいるとは思えない。辛い仕事や学校があるし、早起きをしないといけないから。
心一は最近、月曜日が嫌いではない。好きというほどでもない。普通だ。苦痛ではない。その原因が銀色の天使だというのは言うまでもなく分かりきっている。
「おはよう。マロン」
ケージの中で眠るマロンの耳が、一瞬動いた。
「はやて」
無視。
「チョコ」
微動だにしない。
「あんこ」
あくびを一つ。
「ムラサメ」
もう一度眠りにつく。
心一はPPCのメモアプリから、呼んだ名前にチェックマークをつける。並んだ名前のリストには、既に数十のチェックマークがつけられており、そのどれもがマロン(仮)の真の名前ではなかったことを示していた。
「今日もダメか」
マロンという名前を認識しつつある今日この頃。早く名前を当てないと、彼はマロンになってしまうだろう。どうにかしてやりたいが何の手がかりもないので、しらみつぶしに名前を呼んでいくしかない。
「寿限無、ムゲン、ココア、ノビスケ、カイ、ジャン、リク、ニコ……」
寿限無のリズムで名前を高速で言っていくも、無駄だ。マロン(仮)はぴくりともしない。寝ているところを邪魔するのは申し訳ないので、これぐらいにしておく。チェックマークを追加して、アプリを終了した。
一階に降りると夏鈴が先に起きていて、朝食を食べていた。心一もトースターにパンを放り込んで、テーブルにつく。
夏鈴は既に制服に着替えていた。顔も洗って、髪の毛もツインテールに結んである。彼女がトーストをガツガツ食べる様子を、半分しか開いていない目で見つめる。
「何睨んでんの」
「睨んでないよ。眠いんだよ」
心一が手で隠すことなくあくびをする。
「だらしないなあ。もっとシャキッとしなよ」
「お前、朝からほんと元気だよな」
「当たり前でしょ。お兄ちゃんにみっともないところ見せられないもん」
「そうかい、そうかい」
心一は大きなあくびをする。
「お兄ちゃんも私を見習って、少しはシャキっとしたらどう?」
「しゅぁぁああきいぃぃ」
「あくびしながらシャキッて言っても、意味ないからね……」
朝からうるさい妹だ。兄の偉大さを分からせる必要があるな。
「夏鈴、ぼくの顔をよ~く見ろ」
「きっも! 急に何言っちゃってんの?」
「いいから、ぼくの目を見るんだ」
夏鈴が心一を睨みつけるように見る。心なしか、妹の顔が先ほどよりも赤くなっている気もする。
「こ、これでいい?」
「そうだ。それでいい……そのまま、そのまま」
「ねえ、これいつまで続けなきゃいけないの?」
「そのまま、そのまま……来た、来たぞ……」
「え、何が来てるの?」
不安そうな妹を前に、心一の唇がフルフルと、何かを堪えるように震え出した。
そしてそのまま、衝動に任せて大きなあくびをした。
「ふわあああぁぁぁ」
「え、それだけ?」
夏鈴がポカンとした表情で心一を見る。しかし彼女は既に心一の術中だ。
夏鈴の開かれた口が、更に大きく開かれる。
「ふわぁぁああぁあ」
情けない声で、夏鈴も大きなあくびをする。
「はっはっは。つられてやーんの。だらしないなあ」
「ばっかじゃないの⁈ ガキか!」
夏鈴は耳まで真っ赤にして、勢いよく立ち上がった。
「ご馳走様!」
ベエッと舌を出すと、そそくさと食器を洗い場に置いて、リビングを去っていった。
良い気分だ。たまには仕返ししてやるのも悪くないかもしれない。
そういえば、トーストはまだ焼けないんだろうか。カリカリアツアツのトーストが出来上がっていても良い時間だ。心一はテーブルの上に乗ったトースターを見る。
「……あの野郎、やってくれたな」
タイマーのつまみが、最大まで回されていた。急いでつまみを〇に戻すと、チンというまぬけな音と共に、黒焦げになったトーストが飛び出した。
やはり、妹の方が一枚上手だったようだ。二度と逆らわない方が良い。
心一はバターを塗った真っ黒いトーストをかじった。口の中でボロボロと崩れるそれは、トーストというより炭に近い。敗北の味は苦かった。
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