定理3-6
窓口には既に列が形成されていた。心一たちは最後尾に並んで順番を待つ。
「みんな合格しているんじゃないか」
「そうみたいですね。あの試験で落ちるということは、何かしら問題があるということですから」
「問題?」
「例えば、出会った人間に暴力をふるったりとか、ストーカー行為を働いたりとか。政府が運用しているのですから、刑事事件に発展するようなことはあってはならないんです。もし起こったなら、即廃止でしょうね」
「なるほど。あの試験でそんなことまで分かるんだな」
「試験と面接だけではないんですよ。私たちは入室前に既に審査を受けていたんです」
「え? そうなの?」
「はい。入り口の前にある機械で個人情報の登録をしました。そして、一部のPPCへのアクセスを一時的に許可することに同意しましたよね?」
そういえば同意を選択した気がする。心一が頷くと、明彦が話を続ける。
「カンニング防止のためだと言っていましたが、アクセス許可の内容に極めてプライベートな領域に踏み込んでいるものが混ざっていたんです。例えば、私たちのPPCに搭載されているメッセージアプリのログを覗いたりとか。これはカンニングとは関係ないですよね。つまり、私たちが普段どんな人間かを既に知られていたことになるんです」
「全然気が付かなかったよ……」
「契約の内容には目を通しておかないと、後々酷い目に遭いますよ」
「気をつけます……」
同意を選択しただけで、手をちょっと動かしただけで、心一の歴史を覗かれてしまう。今や心一の過去の多くはPPCが接続しているクラウドのデータベースに保管してあり、ビッグデータの一部になっていたりする。失われる過去の量と保存される過去の量はPPCの出現で後者の方が多くなった。行動の軌跡はナビゲーションアプリの履歴。会話の軌跡はメッセージアプリの履歴やホロウの会話履歴。興味の変遷は検索の履歴。心一よりも心一を覚えている大きな何かが存在している。
コンピュータは心一が花園香織に恋をしていることを、彼女への気持ちさえも保存しているのだろうか。恋心はクラウド上に保管できるのだろうか。花園香織の気持ちもそこに保存されているのなら、心一はそれにアクセスしてみたいと思う。そこにあるものが、花園香織が持っているものと同じかを確かめる術はない。多分、全く同じではないだろう。コンピュータの排熱と恋の熱なら、恋の方がきっと熱いと、心一は思う。
「こちらが
遂に心一たちの順番がやってきた。アルパカが窓口に、白い板と黒い板を並べる。昔はスマートデバイスを購入するときに、与えられた選択肢から、好きな色を選択していたそうだ。今はARの外装を纏えるから、全ての色から好きな色を、好きな時に選んで変更することができる。だから心一には色が二色しかないというのが、新鮮だった。無限に近い色が好きに選べる時代に、誰かと全く同じ色の、お揃いの物を持つことができる。花園香織はどちらの色を選んだだろうか。黒か、白か……。
「私は黒でお願いします」
心一の隣で、明彦が言う。心一はうーん、と唸って白と黒の板を見つめる。
花園先輩のライセンスの色を聞いておけば良かった。今更後悔しても遅い。
「……じゃあ、白で」
天使の翼の色。天使の肌に限りなく近い色。白が花園香織の好きな色かどうかは分からない。
アルパカの店員は窓口の奥に設置してある棚から二つの箱を持ってきた。
「説明書はPPCを使って閲覧することができます。ライセンスを使用するにあたっての注意事項等も書かれておりますので、そちらをご覧ください」
「はい、分かりました」
アルパカからライセンスの入った箱を受け取る。箱は何も入ってないと言わんばかりに軽かった。
「本日はお疲れさまでした。ライセンスで素敵な出会いがあると良いですね」
アルパカが口角を上げて笑顔を作る。歯を見せて笑う。二つの大きな下の前歯は寄り添って、笑わなくても口から飛び出して見えていた。
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