定理2-4
部室は一人暮らし用のマンションの一室ぐらいには広かった。大学生になったら住むことになるかもしれない広さ。1Lで、多分家賃は四万円ぐらい。駅から徒歩十分。
一人でいる分には十分に広い部屋も、六人もいれば随分と手狭だ。さらに学園ツートップの美少女が無駄に広いソファを占領しているため、男共は回転イスに腰かけて、長机といえないレベルの長方形のテーブルを、身を細めて囲っている。テーブルの三分の一ほどを大きなデスクトップ型のパソコンとディスプレイが占領しており、眼鏡をかけたいかにも優等生な男子が、キーボードを高速でタイピングしている。モニターはちょうど部屋の奥、長方形のテーブルの短い辺にあたる場所におかれていて、誰も彼が何やらやっている行為の全容を見ることはできない。心一は彼が何をしているか気になって、彼のちょうど後ろにある窓ガラスの反射の映り込みを利用して、ディスプレイを見ようと試みる。
「今日は新たな部員を連れてきたわ!」
凛がソファから立ち上がって、心一の方を手で示す。窓ガラスの方を一生懸命見ていた心一は、凛の言葉に思わず立ち上がった。
「それじゃあ心一、自己紹介やって」
心一に四人分の視線が注がれる。ホロウを介さない、生身の視線だ。花園香織だけはn個目のマカロンを頬張って、天井のあたりを無表情で眺めている。
「碓氷心一です。よろしくお願いします!」
心一が下げた頭に、まばらな拍手が送られる。
「彼はね、熱血馬鹿よ」
凛が余計な注釈を入れる。周囲の男三人からはおお、と感嘆が漏れる。熱血でありたいと思う心一は、しかし熱い男だと紹介されたのでまんざらでもなく、馬鹿というレッテルには目を瞑ってやることにする。こういう単純なとこが馬鹿と呼ばれる理由なのではないかとは微塵も考えなかった。
「はい、じゃあ次は私ね。私はご存知霧宮凛よ。ここの部長の二年生よ」
凛は花園香織を手で示す。
「こっちが花園香織。うちにはお菓子を食べに来てるわ。以上」
そう。花園香織はお菓子が貰えるという理由だけで、この部に在籍しているのだ。お菓子をくれるなら悪い人にでもほいほいついていってしまうのではないか。
心一は密かに、自分が守ってやらないとという決意を固める。
「おいしい」
花園香織はそれだけ言うと、またマカロンを口に頬張った。彼女の自己紹介はそれで終わり。
心一はちらりと他の男子諸君を横目で見る。
みんな一様に鼻の下を伸ばして、しゃくれたようなゴリラの口で、花園香織を見ていた。
もしかしてもしかすると、ここにいる男は全員、銀色の天使を狙っているのか。というか、それ目的でここにいるのではないだろうか。
心一の心配をよそに凛が自己紹介を進めていく。
「じゃあ次はそこの筋肉馬鹿」
「おう!」
馬鹿と言われて素直に立ち上がったこのマッチョマンは、やはり馬鹿なのだろうかと心一は考える。
筋肉馬鹿の身長は一七〇を超えて縦に長く、筋肉の鎧のせいで横にも広い。当たり前のように前後にも広い。だから部室は立ち上がった筋肉に相当圧迫される。
「俺は
隆人が差し出した手を、心一は握った。握ったというか、肉まんの具と皮の関係みたいに、心一の手は隆人の手の中にすっぽりと納まってしまってように見える。つまり筋肉まんの完成というわけで、別に超人レスラーのことではない。
「力仕事なら俺に任せろ!」
「あ、はい。機会があればお願いします」
いつの間にか上半身だけ脱いだ隆人が、上腕二頭筋を強調するポーズをとる。
「俺に持てないものはない!」
「隆人自身は女の子にモテないけどね」
凛が言う。隆人は胸の筋肉を故意に揺らしながら、筋肉を強調するポーズをとる。
「だが、俺はどんな重さの女の子も持てるぜ! これでおあいこだ!」
なるほど。確かに馬鹿かもしれないと、心一は心の中で思う。
「じゃあ次! ハンサム馬鹿!」
馬鹿と言われて素直に立ち上がったこのイケメン男子高生も、やはり馬鹿なんだろうか。ここには馬鹿しかいないのだろうか。心一の中で、日本人口の何割が馬鹿なのだろうかという考えが浮かんで、ろくな答えが出そうにもないので頭を振って思考をやめる。
心一の隣から、ハンサム馬鹿が手を差し出した。当然握手を求められているのだと思い、心一が手をのばす。すると彼の手が高速でひねられ、瞬きする間に赤い薔薇が現れた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ハンサムウインク。ハンサム立ち。別に彼がハンサムだから動作がハンサムになるわけではない。彼が意図的にハンサムな要素を取り入れるから、動作がハンサムになっている。
「迷える子羊よ。俺は天界から遣わされたイェエンジュゥエェルゥ……」
イェエンジュゥエェルゥなんて聖書に出てきただろうか。少なくとも心一の知る限り、天界にイェエンジュゥエェルゥはいない。
「俺の名前は
「は、はあ」
苦笑いを浮かべる心一に、凛が言う。
「彼の名前は
もはや原型を留めていない。
「あれ、元の名前も普通にかっこいいのに……」
しかも、元の名前にはちゃんと神が入っている。
「俺に名付けていいのは、俺だけだ……」
ハンサムポージング。いつ見ても、どの角度で見てもハンサムだ。唯一彼の言葉だけが、ハンサムからほど遠い残念なものとなっている。
隼人もとい光輝は、確かにイケメンだ。雑誌に載っていてもおかしくなさそうな端正な顔、高い身長。中性的な声。ただ、本人がファッション雑誌に載りたいかは別の話である。彼が載りたいのは神話の一ページだろうと、心一は勝手に思う。
「さあ、子羊よ。俺をなんて呼びたい?」
「じゃあ、ホルス先輩で。」
「先輩はクゥゥゥルじゃないな。ホルスでいいぜ」
「ねえ、隼人」
「うん?」
凛の呼びかけに、隼人は顔の向きを変える。そして、死を告げられたような顔で、ハンサムムーブで俯き、嘆きの声をあげた。
「ね、別に隼人と呼んでも応えてくれるわよ」
「なるほど」
条件反射。長年に渡って馴染んでしまった染みは、そうやすやすと落ちるものではない。隼人はハンサムに落ち込んでいたので、凛が自己紹介を進めていく。
「じゃあ次、天才馬鹿!」
もはや馬鹿でも何でもない。天才的に馬鹿なのだろうか。馬鹿みたいな天才なのだろうか。それはこれから行われる自己紹介で、明らかになるだろう。心一はパソコンの前に座る人物の言葉を待つ。
眼鏡をかけた天才馬鹿が立ち上がる。眼鏡は四角く淵の太い形状で、レンズは謎の光を湛えており、彼の瞳を見ることは叶わない。重力に逆らわず落ち着いた黒い髪。制服もカタログに載っているような着こなしで、彼が模範的な生徒であることを匂わせる。
「どうも、
「ってことは飛び級?」
「そうなりますね」
明彦は本当に天才だった。彼が眼鏡を指で上げる動作で、見ているこちらもIQが上がりそうな気さえしてくる。
「明彦は特にAR技術に強いわ。うちの技術の核を担っているの」
「……この部に工学的な技術など必要ないように感じるんですがね」
そう言って、明彦は足の骨が消えたようにストンと椅子に座りなおすと、またキーボードをタイプするのを再開した。
森山明彦だけが、馬鹿と言われる理由がない。彼は正真正銘の天才だろう。少なくとも心一が見たところは。凛に抗議的な目線を送ると、彼女が言う。
「みんな恋愛馬鹿なのよ」
凛の言葉の意味がつかめないのは、心一が馬鹿だからではないだろう。意味は、いずれ分かる時が来ると思う。その時が来た方がいいのか、来ない方がいいのか、それはよく分からない。ただ何となく心一は、分かる時がやってくるのを前向きな気持ちで願うことにする。
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