定理0-2

 ネハン。LINNEリンネ社が所有する巨大な島。もとは無人島だった島は現在、多くのビルが立ち並ぶ都市と成っている。


 ある日突然移住者の募集が始まり、予想を遥かに上回る応募が集まった。それもそのはず。快適な広い家。最新の自動車。島にあるLINNE社が運営する施設への就職斡旋。給料は低くない。むしろ高いと言える。夢のような暮らしが、応募用の特設サイトに個人情報を数分入力すれば手に入るのだ。普段パソコンなんか触らない父が、キーボードを両手の人差し指だけでたどたどしくタイピングして家族に笑われていたのを、心一は今でも覚えている。

 もちろん上手い話には必ず裏がある。LINNE社が開発する製品の優先的無料貸与。聞こえは良いが、言い方を変えればただの試作品の運用テストだ。ネハンとは、本土から隔離された実験場なのだ。


 LINNE社は対話型コミュニケーションツール「LINNE」を作っていた会社だ。


 LINNEの特徴は、送信したテキストログが、円を描くように表示されるという斬新なもので、目新しさから多くの若者が使用していた。心一は輪を描くように表示されるテキストは読み辛くて嫌いだったのだが、周りの人間に合わせて使わざるをえなかった。

 開発者曰く、過去に保存されるログが、未来にも保存されているように見えることから、時間というのは流れるのではなく、停滞し、観測する位置によってあたかも流れているように見えるだけであることを表現したかったとか。正直何を言っているか心一はちんぷんかんぷんだったが、そのヤバさも若者にウケた一因を担っていたりする。


 「LINNE」で得た莫大な利益を元に作られたのがネハンだ。そして今、初めての大規模な実験が実施されている。ホロウによる会話の代行だ。


 ホロウは当初、顔のモデルは自身のものをベースにして作成される予定だった。あらゆる角度から撮影した顔の画像データをLINNE社に送信し、個人情報との紐づけをされたARモデルを受け取る。自分の顔のモデルを犯罪に利用されないようにする対策案だ。だがこの個人情報の紐づけを、ネハンの若者は逆に利用した。ARモデルは付与した個人情報によって識別される。決して本人の顔そっくりだからではない。そんな不明瞭な基準では、社会では認められないのは確実だ。

 これが意味すること。適切な個人情報を与えてやれば、ARのモデルはどんなものでも問題なく使用することができるということ。


 それは、現実世界におけるアバターを用いたファスト・コミュニケーションが可能になることに他ならない。


 こんなイカれたことを思いついたのは、ネハンにいる一人の女子学生という噂だ。CGモデリングソフトウェアで作成したARモデルの原型をLINNE社に送り付け、見事に許可を勝ち得たらしい。

 諸悪の根源オリジナルのアバターヘッドは、アメリカの自由の象徴である巨大な女神像頭部の写しだった。ネハンに現れた女神は、すぐにSNS上で話題となり、ネットの海に拡散した。ほんの一週間で、ネハンはアバター化した人々で溢れかえってしまった。

 彼女はStatue of Liberty(自由の像)をもじったStudent of Liberty(自由の学生)と呼ばれて、ネハンで知らない人はいない超有名人となったが、その素性は謎に包まれている。


 彼女はある日突然ネハンに現れて、その日のうちに忽然と姿を消した。彼女は休日の、客の多いショッピングモールを一時間だけ歩き回った。自由の女神の頭部で。右手にストロベリー味のツイストソフトクリームを掲げて。左手にはアメリカの独立宣言書のレプリカを抱えて。

 彼女に話しかけようとするものはなかった。みんな彼女を避けるように道を空け、指で作ったフレーム内に彼女の姿を納めた。PPCのカメラ機能使用のジェスチャーだ。ファッションショーさながらのシャッター音が、個々人の耳の中に響き渡っていた。


 彼女がモールの出入り口である自動ドアの前で立ち止まる。そして、両手を精一杯高く掲げた。何が始まるのかと群衆が見守る中、女神は溶けかけたソフトクリームを独立宣言書のレプリカに突き刺した。


 ソフトクリームは独立宣言書のレプリカを貫通しなかったし、冷たく赤いアイスの炎が独立宣言書を燃やすこともなかった。しかし熱をはらんだその光景は群衆の脳に、確実に焼き付いただろう。群衆はその光景から何かを感じとったのか、一言も発さず、滴り落ちるソフトクリームの滴が女神の頭の中に消えるのを食い入るように見つめていた。


 彼女は自動ドアの向こうに消えた。永遠の別れだった。それっきり、彼女は姿を現していない。


 自由の女神の頭部は彼女が既にLINNE社に登録してしまったので、あまりにも類似したモデルは使用許可が下りず、模倣犯も出なかった。

 彼女が去った後、テキストログがARオブシェクトとして中空に浮かんでいるのが発見された。そこにはホロウのARモデルの申請方法と、女神の頭のARモデルを作るまでの過程が記されており、彼女を特定するようなヒントは見当たらなかった。


 彼女はLINNE社の社員で、一連の騒動はホロウのプロモーションでパフォーマンスだと主張する者。彼女は芸術家だと信じる者。彼女は革命家だと声高に叫ぶ者。彼女はまさに神の使徒、いや、神そのものだと怪しい宗教を立ち上げた者。ネット上では様々な憶測が飛び交って、テレビのニュースでも取り上げられた。


 心一はどの意見とも違う立場をとる。


 彼女は警告だ。ホロウのある未来を危惧する発信者メッセンジャーだ。心一が馴染めない環境を創った創造主は、呪うべき対象ではなく、むしろ救世主のような存在だろうと心一は思う。彼女が残したテキストログの、最後に記された文字列が心一にそう思わせる。


 「ホロウは、世界を照らす自由にはなりえない」


 世界を照らす自由。

 英語で、Liberty Enlightening the World。


 心一と同世代の人間はほとんど知らないだろうその言葉は、まさしく自由の女神像の正式名称だ。

 ネハンにいる若者の何人が、かの女神像の真の名を知っているだろうか。


 一体何人が、女神の真の望みを知っているだろうか。

 ホロウは、彼女の本心を代弁できるだろうか。


 雨の中、心一は一人だった。多分ネハンの人々はほとんど一人きりなのだろうと、心一は勝手に思って帰路を急ぐ。

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